第22話 暗い闇の奥で①



 エリスが目を覚ましたのは、暗くて寒い場所だった。夜なのか、それとも窓が打ち付けられているのか、光はほとんどない。ドアの隙間からかろうじて入ってくる廊下の光だけが頼りだった。


(ここはどこ……?)


 見えはしなくても感覚や圧迫感で分かる。狭い部屋だった。空気が冷えていて鼻腔が痛い。石床がむき出しで、壁も同様だった。エリスが寝させられていたのは簡易なベッド。まるで牢獄だ。気絶している間に運び込まれたのだろう。

 暗く静かで寒い場所――エリスはそんな場所を良く知っていた。一回目の人生で幽閉された場所――。恐怖が鮮明に思いだされ、身体が震える。


 その時、ドアの外で誰かが動く気配がした。ドアの下の隙間から、部屋の中にトレイに乗った簡素な食事が運び込まれる。完全に罪人の扱いだ。わずかに見えた手は女性のもので、袖は城で働くメイドのものだ。外には見張りの兵士もいることにも気づく。

 仕事を済ませて帰ろうとするメイドにエリスは声をかける。


「お待ちなさい」


 幸いにも身体は動く。エリスは起き上がってドアの近くまで進んだ。


「ここはどこですか。どうすればここから出られるの? 本当の・・・ことを教えなさい!」



『王妃殿下の許しが出るまで、ここからは出られません。抜け穴はありませんので無駄な行動は慎んでください』



 メイドは何も答えなかったが、魔法で引き出した本音は想定の範囲内であったが、エリスを心を折るのには充分だった。


(そんな……)


 よろめいた拍子にトレイの端に足をぶつけ、水と食事をひっくり返してしまう。中身は床に広がり、食器は割れた。


(いいわよ、こんなもの。何が入っているかわからないもの……泣いてはダメよ、エリス・カルマート……体力を失ってしまうわ)


 きっと機会は来るはず。希望を抱いてエリスは体力温存のためベッドに横たわる。幸いにもシーツは清潔だった。それにくるまって、体温の低下を防ぐ。


 ざわざわと聞こえるのは、ただの風の音。あるいは身体を流れる血潮の音。あるいは幻聴。部屋の隅で蠢いているのはただの幻覚。怖いものではないと知っている。彼らは直接危害を加えてきたりはしない。

 知っているから恐ろしくはない。





 どれだけ時間が経ったか。うつらうつらと浅い眠りで体力を回復させようとしていたエリスの耳に、部屋の外から声が響いた。


「おい」


 顔を上げると、鉄製のドアについている覗き窓から、エリスを覗いている目が見えた。声と態度でそれが誰だかすぐにわかる。


「ヘドリー様……どうしてこちらに? 王妃殿下の命令ですか?」

「こんなところに閉じ込められて馬鹿なやつ」


 シンプルな罵倒が突き刺さる。


「俺のものになれば助けてやるぞ。王になるのは俺だからな。悪い話じゃないだろう」


 ヘドリーがいつ立太子されたというのか。この自身はどこから来るのだろうか。エリスは不思議に思った。


「ヘドリー様は魔法を使えるのですよね」

「ああそうだ」


 問いかけると誇らしげに肯定する。ドアの向こうでは堂々と胸を張っていることだろう。


「人の心を操れる……それなのに思い通りにならないわたくしのことが、気になって仕方がないのですね」


 ヘドリーがドアの向こうで不機嫌になったのがわかる。そうなるような言い方をしたのだから当然だ。


「別にお前なんか。それに操ってなんかいない。子分にしてやっているだけだ。俺がエライから、優れてるから、みんな従うんだ」


 ――子分。


 王城の中庭で見た、貴族の子息たちの虚ろな目が思い出される。あの目はいま思えば、お茶会で見たあのメイドそっくりだ。きっとあれが『隷従の魔法』をかけられた姿なのだろう。

 エリスはため息をついた。


「ヘドリー様、あなたはもう王様です。自分勝手な子どもの、ひとりぼっちの寂しい王様。昔のわたくしにそっくりです」


(アルウィン様は、間違ってしまっていたわたくしに何度も声をかけてくださいました……わたくしはそれを受け入れられませんでしたが……)


「あなたを諌めてくださる方はいらっしゃらないのですか。アルウィン様は、きっとヘドリー様にも兄として――」

「あんな出来損ないの話はするな!」

「あなたのものになるなんて絶対にお断りです!」


 頭に血が上った勢いのままに叫び返す。


「ふん、いつまでそんな強気でいられるんだろうな」


 怒りを振りまきながら去っていく。遠ざかる足音を聞きながらエリスはため息をついた。ヘドリーがやってこれるということは、ここは城の一部で間違いはないだろう。遠く離れた場所に連れてこられたわけではないことに安堵する。


 その時、金色の光が雪のようにひらひらと、エリスの頭上へ落ちてくる。

 顔を上げる。そこにいたのは背中に金色の羽が生えた、猫に似た姿をした妖精だった。中庭でヘドリーと一緒にいた妖精だ。目が合い、妖精はにやりと笑って口を開いた。


「ねえ、あたしのしもべにならない」


(何を言っているのかしら、この妖精)


 エリスが最初に抱いた感情はそれだった。公爵家の娘に対して王族以外が従属を求めるなど何事か。


「そうしたら魔法をあげる。ここからも出られるわ」


 エリスはちらりと部屋の外を窺う。声を出せば外の兵士に聞こえて頭がおかしくなったと思われるかもしれない。あくまで小声で妖精に問う。


「代償は何でしょうか」

「そんなものはないよ。ケチ臭い銀色羽といっしょにしないでよ」


 金色羽と銀色羽は同じ妖精でもルールに大きな違いがあるようだ。だが魔法に代償がひとつもないなんて、そんな都合のいい事が有り得るのだろうか。

 金色羽の妖精はくすりと笑う。


「ただ、魔法を使うたびにちょっと心のかたちが変わるけれど。王者にふさわしいかたちにね。あなたは素質があるわ」


 ――銀色羽の妖精の魔法には代償がいる、金色羽の妖精の魔法では心のかたちが変わる。銀色羽の加護を得ている人間には、金色羽の魔法は効かない――


(アルウィン様も何かしらの加護を、銀色羽の妖精から得ているのかしら。それがアルウィン様やわたくしを隷従の魔法から守ってくれている……ああ、ここにノートがあれば書き留めているのに)


 考えながらエリスは少し不思議に思った。どうして妖精たちは魔法を与えてくれるのだろう。それも金と銀で競い合うようにして。


「金色羽の妖精さん、あなたの本当の・・・目的は?」



『目的なんてないよ! 壊れるのを見るのが楽しいだけ!』



 とても良い趣味をしているとエリスは思った。目的があるわけではなく、楽しいからしているだけとは。人間とは感覚がまったく違う。

 このままでは王国が妖精に滅ぼされるのでは、と危惧を抱いたが、それは違うと思い直す。妖精は魔法を与えるだけで、それを利用するのは人間だ。

 妖精はいたずらを楽しんでいるだけ。それを手にした人間によっては大きな間違いが起こる――……


「お断りします。魔法で人を従えて何が楽しいのかしら。虚しいだけですわ」


 エリスは毅然と断った。


「アハ! いいねぇ、でもすぐに泣いて謝ることになるんだから」

「わたくしは自分が悪いと思ったこと以外、絶対に謝りませんわ」

「ふーん」


 楽しそうに呟き、消えるでもなく部屋の床に座る。エリスが折れるまでを観察するつもりなのだろうか。エリスは金色羽の妖精に背を向けて、ベッドに寝転んだ。

 ベッドの中でエリスは深く反省した。どうしても感情が抑えきれなくなり、感情のままの言葉を発してしまうことがある。貴族として失格だ。


(だいじょうぶ。怖くはないわ。お父様やお兄様がきっと助けてくれるはず。時間が経つほど不利になるのはあちら側……わたくしの口は魔法で封じることはできませんし……)


 そこまで考えてエリスは気づいた。

 魔法が効かないのなら、実力行使で口封じされるまでだということに。いまは王城で静養中という名目で監禁されている。事態が急変して治療の甲斐なく死亡したという言い訳も立ちやすい。外傷さえなければ。


 その時また、誰かが部屋に近づいてくる音がする。静かな場所にその足音はよく響いた。

 誰かは外の見張りの兵と話している。エリスは焦りながら武器になるものを探した。そして割れた食器の破片を手に取り、ベッドに戻り、眠ったふりをした。



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