第21話 悪運は強いみたいです
エリスが目を覚ましたのは、城の客室のベッドの中でだった。着ていたドレス姿のまま、清潔なベッドの上で。倒れてからあまり時間が経っていないのか、外はまだ明るい。
(……わたくし、生きているの?)
また十三歳の誕生日の翌日かと思ったが、ベッドの横に座っていたピンク髪の少女――フィーネの存在で、それは違うとわかる。
フィーネは緑の瞳を潤ませてエリスを見ていた。
「よかった……よかったです……」
「フィーネさん……」
部屋にはフィーネだけではなく、医者や城仕えのメイドもいた。その中でどうしてフィーネがいるのか疑問に思いながらも、エリスは寝そべったまま「少しの間ふたりきりにしていただけないかしら」と人払いをした。
ふたりきりになってエリスは早速フィーネに話しかけた。寝そべったまま。身体を起こしたかったが、体力が尽きたのか起き上がることもできない。
「付き添っていただきありがとうございます。早速ですが、何があったか教えて下さらない?」
「あ、はい。実はお茶会の時、私の持ち込んだティルトロンがミルクに入ってしまって」
「いまなんて?」
ティルトロンとは毒の一種で、アコニトゥームの毒と拮抗する作用を持つ毒だ。それ単品だと摂取量によっては死に至る。
「すぐに捨てようと思ったんですが、それをエリスさんが紅茶に入れて飲んでしまったのでびっくりしました」
アコニトゥームは心臓の力を弱め、ティルトロンは心臓を興奮状態にさせる。どちらも単品だと毒だが、同時に服用すると作用が相殺されるという。それが奇跡的にエリスの体内で起こり、奇跡的に最後まで拮抗状態となり、最終的にどちらの毒も消えてエリスの命が助かった、ということだろう。
なんという幸運だろう。いや悪運か。不運が重なって、エリスは生き残ることができた。
「それにしても、どうしてそんなもの持ち込んだの……?」
そのおかげで助かったとはいえ、フィーネの行動は狂気に思える。お茶会に致死性の毒を持ち込むなんて。
フィーネは恥ずかしそうに微笑む。
「エリスさんに見ていただきたくて、目立たないように角砂糖に染み込ませて、包み紙で包んで」
(なんて危険な)
行動もだが、フィーネ自身がとてつもない危険人物に見えた。
「それはいまどこに」
「もうありません。エリスさんが飲んでしまわれたので……」
少しだけほっとする。いまもまだ持っていたとしたら恐ろしい。
「……でも、ティルトロンを飲んだエリスさんが無事だったということは、もしかして紅茶に――」
「フィーネさん。このことは忘れたほうがいいですわ。少なくともいまは」
危険な思考に到達しようとしていたフィーネを黙らせる。フィーネは一瞬戸惑った顔をしたが、神妙に頷いた。
「お茶会はどうなったのかしら」
「エリスさんのことがあって中止になりました。他に倒れた人はいません」
それは朗報だ。命を懸けたかいがあった。
ほっとして胸を押さえたが、ふと違和感を覚える。ドレスの胸の部分に入れていた手紙がない。
「あ、エリスさんの手紙ならアルウィン様に渡しました」
あっけらかんとフィーネが言う。おそらく倒れたときに落ちて、それをフィーネが拾ったのだろう。
「それは……ありがとうございます」
万が一のときの手紙がアルウィンに渡ってしまったことへの気恥ずかしさはあったが。
(……まあ、いいでしょう)
きっと笑って流してくれるだろう。炙り出しにもきっと気づかないはずだ。エリスは楽観的に考えて、フィーネを帰した。
――それにしても。
フィーネの空気が読めないのに行動力があるところは、最初に出会ったころから変わらない。だから天敵と認定した。その相手と友人になり、命を助けられるなんて不思議な縁に育ったものだと、エリスはしみじみ思った。
フィーネが出ていってすぐ、再びドアが開く。医者が戻ってきてくれたのかと思ったが、入ってきたのは王妃クラウディアだった。しかも侍女も連れずひとりで。
「いいのよ、そのままで」
なんとか起き上がろうとしたエリスにやさしい声をかけ、王妃はエリスのところまでやってくる。品に溢れた、淑やかな足取りで。
「命に別状はないとのことよ。本当によかったわ」
「申し訳ありません、王妃殿下……」
「いいのよ。でも、エリスさん、どうしてあなたは倒れてしまったのかしら? 倒れる直前に毒とか言っていたとか?」
「それは……」
「もちろんすぐに調べましたけれど、そんなものはありませんでしたわよ。あなたは緊張で倒れてしまっただけだと、医者たちは言っているわ。繊細なのね」
やさしい言葉を紡いで、赤い唇で笑みを描く。
「――そうしてあげてもいいのよ。ヘドリーと結婚の約束をしてくれるのなら」
「なっ?」
言われた言葉の意味が分からず、エリスは間の抜けた声を上げた。
王妃は笑みを深め、碧い瞳でエリスを見下ろす。
「毒を混入させたのはエリスさん、あなたでしょう? アルウィンに近づこうとする邪魔な令嬢たちを消すために。恋とは恐ろしいものね」
「そんな――」
「あるいはただの遊び? 暇つぶしかしら? 誰が死ぬかのゲームとか?」
反論しようとするエリスに次々と言葉を被せる。とても楽しそうに。表情も声色もやさしいが、内容は聞くに堪えないものばかりだ。王妃はエリスに毒混入の罪を着せようとしている。
「――そんな戯言、誰が信じるというのですか。毒を混入させたのがわたくしならば、どうしてわたくしが倒れるのですか」
「自分の仕込んだ毒に自分で当たってしまうなんて、お間抜けさん」
からかうような言葉にエリスは戦慄した。王妃がそうだと言えばそうなるのだ。エリスの主張など虚しく。
「じゃあ、注目を集めたくての自作自演かしら? それとも自分への疑いを逸らすための演技かしら。それとも、当てつけでの自殺未遂? 困ったわぁ。あなたのせいでお茶会が台無しよ、エリスさん?」
王妃はエリスをおもちゃにして遊んでいる。
その大きな瞳がすっと細くなった。暗い光を湛える瞳が。
「エリスさん、よく考えて。これからあなたの部屋から毒が出て、あなたのメイドが証言したら、どうなるのかしらねぇ。緊張からの奇行と気絶の方がよくないかしら?」
「王妃殿下……」
そうできるのにいますぐそうしない意味を考えろと、王妃は言っている。慈悲深い王妃はエリスに救いの道を示してくれている。自分の言うとおりにすれば、助けてあげると。
エリスはいまにも気を失いそうになった。頭がくらくらする。この突き刺してくるような悪意は、エリスが王妃の本音を聞き出したときのものと、まぎれもなく同じものだった。
王妃の顔に仮面のように張り付いていた笑みが消える。
「ねえ、エリスさん。あなた何に気づいているの? わたくし、何か失敗してしまったかしら? そんなわけがないわよねぇ」
「…………」
――勝てない。
エリスは現状を正確に把握するように、己に言い聞かせる。冷静にならないと、王妃には勝てない。相手の方が何枚も上手だ。
王妃にとってのエリスは楽しいお茶会を邪魔した存在だ。
王妃はエリスにお茶会に毒が混入していたことについて口を閉ざして、第二王子であるヘドリーと婚約するように言っている。そうでなければエリスに毒混入の罪を被せると。
「解毒剤をどこで用意したの?」
「なんのことですか」
エリスは寝そべったまま首を傾げた。
王妃は、お茶会に毒が混入されるのをエリスがあらかじめ知っていて、その解毒剤を用意していたと思っている。
「王妃殿下の挨拶の前にお茶を飲んでしまったことについては申し訳ございません。作法がなっておらず、お恥ずかしい限りです。皆様にはわたくしからも謝ります」
王妃が用意したシナリオに従えというのなら従う。エリスは自分の手札を見せるつもりはない。すべて話せばフィーネにも咎が及ぶ。本当のことを言うよりも、解毒剤があると思わせてアコニトゥームの毒は無効と思わせた方がいい。
「ですがその責で婚約相手の変更だなんて、父が納得しないでしょう。陛下も――」
「これは王命よ」
冷たく言い放たれる。
(王命ですって?)
王がこのようなことを本当に求めているというのか。エリスには信じられない。王妃が勝手に王命と言っているのだとしたら大問題だ。そしてエリスは気づいた。随分と長い間、王の姿を見ていないことに。体調不良とのことだが、王はいったいどこにいるのか。
「婚約相手の変更なんてよくあることよ? エリスさん」
やさしさと、ほんの少しの悲しさと、諦めのこもった眼差しで王妃はエリスに寄り添う。
「あきらめなさいな。あなたは失敗したのよ。わたくしの言うことを聞くのなら、せめて生かしておいてあげると言っているの。あなたはきっと、アルウィンを壊してくれるもの」
「……アルウィン様がそんなにお嫌いなのですか?」
「ええ、もちろん大嫌いよ」
「……どうして」
「可愛らしいこと。あなたはここまで傷つけられてもまだ、純粋なままなのね」
王妃はエリスを憐れんでいる。心の底から。
「そうね、しばらくは静養してもらいましょうか。あなた何をするかわからないもの」
それは城への監禁を意味する言葉だ。家族にも会わせず、王妃は事を進めていくつもりだ。そしてエリスには抗うすべはない。
「……王妃殿下、どうかひとつだけ教えてください。どうして、こんなことをされたのですか」
「こんなことって?」
「毒の混入です! 誰かが死んでいたかもしれないのに――」
「そうねえ……」
王妃は考える素振りを見せて、笑った。
「わたくし、何もかも壊してしまいたいの」
狂気に見せた正気の瞳で。
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