第19話 王子と妖精と、放課後の図書館②



 エリスは弾かれたように立ち上がり、こちらに近づこうとしていたアルウィンにぶつかるように抱きついて、その身体を止めた。


「この妖精さんはお友だちです!」


 アルウィンは驚き慌てて足を止める。アルウィンなら簡単にエリスの身体を横に退かせられるだろうに、その肩に触れるのも躊躇って手を虚空に泳がせる。


「いやでも銀色羽の妖精は、いたずら好きで、悪い妖精で……」

「テオは大切なお友だちです! どうして羽が銀色だというだけで、悪い妖精だと言うのですか」


 泣きながら訴えると、アルウィンは完全に進むのをやめて、少し後ろに下がった。


「……ごめん。母上に銀色羽は悪いものと教えられたから。でもエリスを泣かせたのは――」

「テオは関係ありません。わたくしが、勝手に……弱気になってしまっただけです」

「……ごめん」

「……いえ……」


 アルウィンが落ち着いたのを見て、エリスは身体を離す。

 ――怖かった。

 二回目の人生ではアルウィンがテオを妖精王の元へ帰してくれたからその時のエリスは助かったが、いまそれをされて魔法を失ってしまえば、エリスはそれこそ何もできなくなる。

 それに何より、いまのテオはエリスの友人だ。テオを失いたくはない。


 振り返ると、テオはいまだに机の上で震えていた。よほど怖い思いをしたのか、アルウィンを怖がっている。

 エリスはスカートのポケットに手を入れて、金色の紙に包まれたそれをアルウィンの手に握らせた。


「これをテオに渡してあげてください」


 耳元に顔を寄せてこっそりと告げる。アルウィンとエリスの目が合い、エリスは小さく頷いた。アルウィンも答えるように頷いて、テオの方にゆっくりと向かう。机の前でしゃがんで、目線の高さを合わせる。


「テオと言うんだね。僕はアルウィン。驚かせてごめん。もしよければ僕を許してほしい」


 誠実な、やさしく響く声。

 アルウィンが金色の包み紙に入った砂糖菓子をテオの前に差し出すと、テオは迷いながらもおずおずとそれを受け取った。


「今回だけだぞ」


 包み紙を破り捨て、花のかたちをした砂糖菓子にかぶりつく。満面の笑みで。

 エリスはほっと胸を撫で下ろした。





 夕暮れの色に染まる図書館の窓辺で、エリスは椅子に座って膝の上にテオを乗せ、アルウィンはその前に壁を背にして立ったまま、少し困ったように笑った。


「エリスが妖精と友だちだったなんて知らなかったよ」

「アルウィン様もすぐにテオとお友だちになれますわ。……テオは甘いものが大好きなんです」


 秘密の情報をこっそり伝えると、アルウィンは今度は楽しそうに笑った。


「用意しておくよ」


 その笑顔を見て、エリスも微笑む。

 赤く染まる景色の中、穏やかな時間がゆっくりと流れる。おなかいっぱいになったテオはエリスの膝の上で居眠りを始める。


「その……早とちりしてごめん」

「いえ……心配してくださったんですよね。ありがとうございます」


 アルウィンは複雑そうな顔をしていた。そしてエリスの胸中も穏やかではなかった。

 アルウィンはどこから聞いていたのだろうかと。嫌われたいとか、浮気とか、聞かれていたとすれば失礼なことばかりをテオと話していた。

 しかしエリスにはそれを確認する勇気がない。


「エリス」

「はい」


 顔を上げると、碧い瞳と目が合う。


「僕は君の力になれないかな」


 その輝きはまっすぐ、まっすぐに、心の奥にまで届く。

 きゅっと、エリスの胸が痛くなった。その誠意に応えられる誠実さを、エリスは持つことができないから。


「お気遣いありがとうございます。お気持ちだけで――」

「違う。これは気遣いじゃない。これは……これはむしろ、僕のわがままで……君の力になりたいんだ」


 胸が震える。ざわめく。うれしさで涙が出そうになる。

 すべて話せればどれだけ楽だろう。しかし自分が楽になるためだけに、不確かな情報だけで、王妃が危険だなどと言うわけにはいかない。アルウィンにとって王妃は家族であり母親だ。もしエリスが家族のことを悪く言われれば、きっと平静ではいられない。家族が自分を殺そうとしているなど言われても絶対に信じない。


 話すのならば確証を得てから――……

 エリスはそう決めて、微笑んだ。


「アルウィン様がいてくださるだけで、わたくしはがんばれます」

「それは、僕もだよ。大会のとき……応援してくれてありがとう」


 ――届いていた。

 エリスの声が、応援が、振り絞った勇気がちゃんと届いていた。

 それだけでエリスは天にも昇る心地になった。もうこれ以上何もいらないと思えるほど。


「わたくしはいつだってアルウィン様の味方ですから」


 瞳をまっすぐに覗き込んで、心から微笑む。

 その瞬間、何故か表彰台でのハプニングを思い出して、エリスは頬を赤らめ、顔を伏せた。


「そ、そろそろ帰りますね。アルウィン様、また明日。テオ、帰りましょう」


 テオの小さな背中をとんとんと叩いて起こし、急いで立ち上がる。


「今度エリスの家に行ってもいいかな」

「ダメです!」


 エリスは絶叫して振り返った。その展開だけは絶対にダメだった。あまりの勢いに驚いているアルウィンに、エリスは必死に訴える。


「ダメ、それだけは絶対にダメです! ご用がありましたらわたくしがお城に上がりますから!」

「……どうしても?」

「どうしてもです……とにかく、家だけは」

「よかった」


 何がよかったのだろうかとエリスは首を傾げる。王族の訪問の打診を一方的に断るなんて無礼、良いはずがないのに。

 いまさら自分がしたことに気づき顔が青くなる。断るにしてももっと言い方があったはずなのに、真っ向から拒否するなんて最悪だった。

 落ち込むエリスとは対照的に、アルウィンの表情は穏やかだった。少しだけ寂しそうではあったが、慈愛を以ってエリスを見つめていた。


「――エリス。僕はきっと、君を嫌いにはならないから」


 エリスは目を見開く。やはりテオとの話を聞かれていた。ほとんど最初から。


「もし君が他の誰かを好きになっても、諦めるつもりはないから」

「アルウィン様……?」

「また明日」


 甘い声に心を絡めとられる。胸が痛いようで、熱いようで、苦しい。アルウィンの言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、エリスは顔を赤くしたまま迎えの馬車に乗った。

 家に帰ったエリスを待っていたのは、王妃からのお茶会の招待状だった。

 その話を父から聞かされた時、エリスの心臓は大きく跳ねた。そして微笑んだ。


「もちろん参加いたしますわ」



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