第17話 友情とはこんなものかしら



「失礼します……」

「いらっしゃい、フィーネさん。こんな格好でごめんなさい」


 エリスはベッドの上に座ったままフィーネを部屋に招き入れた。まさかフィーネ・アマービレを自室に招く日がくるなんてと思いながら。


「いえ、そんな。こちらこそ勝手に押しかけてしまって。怪我の方はいかがですか」

「たいしたことはないわ。念のために安静にはしているけれど。よかったら座って」


 フィーネはがちがちに緊張していた。ベッド近くに移動させていた椅子をすすめても、座る動きはぎこちない。しかも少し涙ぐんでいるように見えたのは、差し込んだ光が目元に当たったせいだろうか。


「たいしたことがないならよかったです。私、エリスさんとアルウィン様が怪我と聞いてびっくりしてしまって」

「アルウィン様も? どういうこと?」

「あ、はい。どうも準々決勝で痛めたみたいで」

「そんな……」


 ――知らなかった。

 そんな怪我で準決勝と決勝を戦ったことも、そんな怪我で医務室まで運んだことも。教官がアルウィンを連行していったことが、ようやくエリスの中で腑に落ちた。


「リュカくんはそれに気づいていて、でも決勝戦では手加減せず、むしろ狙っていったみたいです。私それを聞いたとき、ひどいって思ったんですけれど、そうしないと返って相手に失礼なんですって。勝利に貪欲でないといけないとか。それでもアルウィン様が勝ったからすごいですよね」


 フィーネは興奮気味に話す。エリスはそれを聞きながら、胸に痛みを感じていた。


(王妃殿下にいいところを見せたかったのかしら……そうですわよね……アルウィン様にとって王妃殿下はお母様ですもの)


 ――もし。

 もし本当にエリスの敵が王妃だったら、アルウィンはどうするだろう。エリスと王妃が敵対すれば。


(わたくしは……)


 死にたくはない。それは最優先事項だ。家族を守りたい。

 だからたとえアルウィンに嫌われても、恨まれても。戦う気持ちは鈍らせられない。


(それでも、わたくしはアルウィン様の味方でいたい)


 永遠に許されることがないとしても。


「――エリスさん?」

「え、ええ。アルウィン様はすごいと思って」

「そうですよね。ところでエリスさん、アルウィン様とは最近どうなのですか」

「ど、どうもこうもありませんわ。何も変わりません」


 なんてことを聞いてくるのか。エリスは動揺のあまり視線を逸らしてしまった。


「え? キスまでしたのに?」

「あれは事故ですわ!」

「え?」


 きょとんとした緑の瞳で見つめられ、エリスははっと我を取り戻した。


「――あ、いえ。え、ええそうね。あの乙女の祝福のことですわね。あれは単なる義務ですから」


 そう、義務である。アルウィンがエリスを冠の乙女に選んだのは。婚約者だから。ただそれだけ。


(アルウィン様はお優しいから、わたくしを無下にしないだけですわ……本音はフィーネさんを選びたかったのかもしれない)


「義務だなんてそんな……エリスさんとキスしたかったから、アルウィン様は怪我してもがんばったと思います」

「勝手なことをおっしゃらないで。王妃殿下が観覧に来られていたから頑張られたに決まっているでしょう!」


 あまりの発想の飛躍にびっくりする。強い口調で嗜めると、フィーネは「でも!」と食い下がってくる。


「他のひとが決勝に出ていても、エリスさんが乙女に選ばれていた可能性はあったんでしょう? 一番身分が高い家なんですから」

「普通は他人の婚約者は選びませんわ」

「でも可能性はあったんでしょう? アルウィン様はそれを阻止するためにがんばったかもしれないじゃないんですか」


(なんなのこの迫力は)


 可能性そのものはある。他の生徒の冠の乙女になる可能性は。低すぎるものだが。乙女側には拒否権はないようなものだから。

 しかもどうしてよりによってフィーネにこんなことを言われないといけないのか。言われるほどにエリスはみじめな気持ちになっていく。

 フィーネが言うようなことはありえないと、エリス自身が一番よく知っている。


(……だってわたくし、アルウィン様に避けられていますのに!)


 創立祭のあとからずっと、避けられていることには気づいている。それでもずっと平静を装ってきた。

 それなのに、あんな――事故ではあるが、唇を触れ合わせてしまうなんて失敗をしてしまって、もしかしたら決定的に嫌われてしまったかもしれないのに、どうしてよりによってこのフィーネに。一回目の人生での卒業パーティを思い出して、泣きたくなってくる。


「もう、黙りなさい!」


 エリスは感情のままに手近にあったクッションを投げる。下に隠していたノートと一緒に。

 毒について調べたノートが、フィーネの足元にぱさりと広がった。


(あ――)


 失敗した。見られた。いや、普通の人間ならちらりと見えただけでは何が書かれているのかよくわからないはず。いますぐベッドから飛び降りて拾いに行きたいが、そんな動きをするのはあまりにもはしたない。

 フィーネが落ちたノートを拾い、すぐに閉じてエリスに渡してくる。聖女のようなやさしい笑みを浮かべて。エリスは消えてなくなってしまいたいと思った。


「フィーネさん、ごめんなさい……わたくし、かっとなってしまって……怪我はしていませんか――」

「やっぱりエリスさんも毒が好きなんですね! そうだと思っていました! 私たち、とってもとっても気が合いますね! これって運命?」

「好きなわけないでしょう! 嫌いだから調べているのよ! って……フィーネさん、あなた毒について詳しいの?」

「はい。アマービレの家は代々毒マニアみたいで。私も昔から毒に興味があったのでいまの環境はすごく恵まれているんです」


 満面の笑みで言う。

 エリスはノートを受け取りながら冷たい汗をかいた。


(代々毒マニアってなに? どんな血筋なのよ!)


 もしかしたら二回目の人生でアルウィンの命を奪った毒は、アマービレ家のものなのだろうか。もしかしたら敵はフィーネなのだろうか。いや、フィーネにはアルウィンを殺す理由がない。

 だが、毒に詳しいのなら――……


「フィーネさん、もしもよろしければ、わたくしに毒について教えてくださらないかしら?」

「はい、よろこんで!」


 大喜びで力いっぱい頷く。その知識を利用しようと考えていたエリスは、さすがに良心が痛んだ。

 そして輝くような笑顔から涙が零れた時は、さすがにエリスも驚き、慌てた。驚きすぎて何もできずに硬直する。


「うれしい……エリスさんに頼ってもらえるなんて」


 フィーネは制服の胸元のポケットからハンカチーフを取り出した。そのシルクのハンカチーフに描かれている菫の刺繍は、エリスにも見覚えがあった。


「あ、間違えた」


 フィーネはそう言って別のハンカチーフをスカートのポケットから出して涙をぬぐう。


(あのハンカチーフ、もしかして……)


「これは私の宝物です……」


 フィーネがうっとりと頬ずりしている菫の刺繍が入ったハンカチーフは、かつてエリスがフィーネに渡したものだ。フィーネは頬を赤らめながら胸元のポケットにそれを戻す。

 エリスは何も言えなかった。エリスの制服の胸ポケットにもアルウィンから貰ったハンカチーフが入っているから。


「……フィーネさん……いままで、その、ごめんなさい……」

「え? なんのことですか?」

「わたくし、あなたに当たりが強かったと思いますの」


 まさかそんなに慕われていたなんて思ってもいなかった。いまのフィーネには知る由もない過去の因縁で強く当たってしまっていたことを、今更ながらに申し訳なく思った。


「そんな! エリスさんはいつも、私を思って接してくださっているじゃないですか。私、嬉しかったんです。すごく」


 眩しい笑顔は、その瞳は、この世すべての祝福を受けたかのように輝いている。

 エリスはずっとフィーネのことが嫌いだった。大嫌いだった。だからこそ、いまはすごく居心地が悪い。フィーネの明るさに、自分自身の醜さに、どう向き合えばいいのかわからなくなったから。

 それでも、手段は選んでいられない。目的を果たすためならば。





「ずっと調べている毒がありますの」


 エリスはそう言って、アルウィンがそれを飲んだときの症状を事細かに話した。


「うーん、その症状はたぶんアコニトゥームの毒ですね」

「やっぱりそうなのね。それで、解毒剤はあるのかしら?」

「残念ながら解毒剤は存在しません。少量なら痺れだけで、命を落とすまではいきませんよ」

「そう……」


 エリスは肩を落とした。期待した分、落胆も大きい。


「エリスさん、がっかりしないでください。実はティルトロンっていう動物性の致死毒があるですが――」

「そ、それがなんですの?」

「アコニトゥームとティルトロン、心臓を止める毒と心臓を激しく動かす毒、いっしょに飲めば体内で拮抗して相殺されますよ!」

「危険すぎるわよ!」


 エリスは確信した。フィーネ・アマービレは危険だ。だが、その知識はいまエリスにとって何より必要なものだ。

 フィーネは胸を張りながら続ける。


「実は昔、実際に二種類の毒を混ぜて飲んだ人がいて、拮抗効果はあるって証明されているんです」

「その人はどうなったの」

「拮抗が切れたら死んでしまいました」

「意味がないわよ!」


 あっけらかんと笑うフィーネに、エリスは思わず叫んでいた。



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