第16話 大会その後



 一年生の騎士競技大会の表彰式はつつがなく終わる。

 表彰台の上のハプニングなど、誰も地震に気を取られて気づいていない。

 表彰式の後はすぐに馬上槍試合の準備が行われる。エリスも観客席での応援に戻るため、ゲートの短い階段を下りて地下通路に行こうとしたその時だった。

 階段の途中で足を滑らせ、踏み外してそのまま落ちる。足や膝が階段に打ち付けられて、エリスは引きつれた悲鳴を上げた。


「エリス!」


 先に降りていたアルウィンが気づいて戻ってくる。エリスは恥ずかしさで消えてしまいたくなった。せめてもの幸いは、短い階段のほとんど最後の部分からの落下だったことだ。ダメージはほとんどない。


「アルウィン様、ごめんなさいすぐに……いたっ」


 早く立ち上がろうとしたエリスは、足首の違和感で立てなくなった。どうやら足をくじいている。

 慌てるエリスの身体を、アルウィンが横抱きで持ち上げた。


(ええええええっ?)


 驚きすぎて声も出ない。その間にもアルウィンはエリスを抱えたまま医務室の方へと向かう。


「だ、だいじょうぶですから下ろしてくださいっ」


 訴えてもアルウィンはまったく聞く耳を持ってはくれなかった。生徒や関係者の視線を受けながら、医務室の中に運び込まれる。


「怪我人です!」

「階段の二段目から落ちただけですごめんなさいぃ」

「足をくじいたみたいです。早く診てあげてください」


 試合で怪我をした生徒に見守られながら空いていたベッドに座らせられる。


「よくやった。お前はこっちだ。手を怪我しているだろう」


 そう言ってアルウィンの首の後ろをつかんだのは、武術の指導教官だった。


「なんのことでしょうか」


 教官の手がアルウィンの左腕を後ろに引っ張る。

 アルウィンは声こそ出さなかったが、表情が引きつっていた。それを見ればエリスでも怪我をしていることがわかった。


「そんな……ごめんなさいアルウィン様」

「いや、全然痛くないから」

「いいから来い!」


 無理やり連行されていくアルウィンを、エリスはただ見送ることしかできなかった。

 その後エリスは医務室にて治療を受けた。医師からは七日間は安静にするように言われ、学園側で用意された馬車で家まで送られることになった。


(ああ、わたくしアルウィン様にお礼も言えていない……)







 医師に宣言されたとおり見事に足首が腫れてまともに歩けなくなったエリスは、屋敷の自室で安静に過ごすことになった。


「お兄様ありがとうございます。大好きです」


 エリスはにっこりと笑って、部屋に訪れた兄フレデリックから頼んでいたものを受け取る。


「エリス、本当に大丈夫なのかい」

「ええ、だいじょうぶですわ。お兄様。ですから安心してお仕事にいってください」


 笑顔で答えるも、フレデリックの心配顔は晴れない。


「だが最近のエリスは噴水に落ちたり階段を踏み外したり、小さい時のようにひとりで見えない相手と喋っていたり、わがままをほとんど言わなくなってしまったり、兄は心配だ」


 エリスは反論できなかった。

 不運による怪我はともかく、独り言は言い訳できない。妖精であるテオは他人には見えず、声は聞こえない。テオとの会話は周りから見れば完全に独り言だ。

 わがままをあまり言わなくなったのは成長ではあるが、兄から見れば性格が変わってしまったように映るのかもしれない。


「よし決めた! この世から噴水という噴水と、階段という階段をなくそうではないか!」

「無茶を言わないでください。ほらお兄様、いってらっしゃいませ」


 ほとんど無理やりフレデリックを部屋から追い出してから、エリスは受け取った報告書に目を通し始めた。

 過去に公爵家の領地で起きた事故や事件の報告書をまとめたものだ。エリスはフレデリックに公爵の娘として領地で何が起こっているか見聞を広めたいと言って、報告書の閲覧許可を得た。ただし年齢を考慮してなのか、特別悲惨な事件については取り除かれている。


 一枚ずつ目を通していたエリスは、ある報告書のところで手を止めた。

 その報告書には、『アコニトゥームの食中毒事件』と書かれていた。


(食中毒……)


 それはある夫婦が森に自生する食草と間違えてアコニトゥームという名前の植物を食べ、中毒症状を起こしたというものだった。

 最初は身体の震え。次に意識を失い、体温が低下し、やがて心臓が停止する――


(この症状は……アルウィン様と同じ)


 アコニトゥームの追加報告も書かれていた。

 紫の小さな花を咲かせるが、その花の蜜にも毒があり、森のハチミツで中毒症状が出たという言い伝えがあること。そのためアコニトゥームの花が咲く時期のハチミツは取ってはいけないこと。

 葉にも花にも、ナッツの香りがする実にも癖がなく食べやすいため、大量に摂取してしまいやすいこと――


「これよ!」


 思わず声が出てしまい、口元を押さえる。しかし湧き上がる興奮は抑えられない。さっそく、毒に関する知識を集めたノートの方にそれらの情報を書き写していく。


(間違いないわ。これが、これがアルウィン様の命を――)


 ついに辿り着いた。毒の正体に。これでようやくひとつ謎のヴェールが外れた。

 毒の種類は特定できた。これで一歩前進と言える。次は対処法だ。

 飲んでしまった時の対処法――解毒剤の入手。

 飲まされる前の対処法――混入経路の特定。


 混入経路についてはある程度見当はついている。王妃の言っていた隷従の魔法だ。

 その魔法の効力が、ひとを奴隷のようにして命令を聞かせることができるものだとしたら、公爵家の使用人をひとり隷従させれば、紅茶に毒を入れるのも、エリスの部屋に毒の瓶を仕込むのも簡単だ。少なくとも外部の者を使うよりはずっと。


 複数人を隷従させれば、難易度は更に下がる。アルウィンの護衛や城の使用人を隷従させているとすれば、何もかも王妃の思い通りにできるだろう。とても強い魔法だ。


 対してエリスにできるのは、本音を聞き出すことだけ。しかもエリス本人にしか聞こえないから、罪の自白にも使えない。圧倒的に不利な状況だ。


(王妃殿下が敵と決まったわけではないけれど、王妃殿下が隷従の魔法で人を好きなように動かせるのは、ほぼ決定的ですわよね……)


 エリスは絶望しかけた。あまりにも、あまりにも相手が悪い。

 その時、部屋のドアがノックされる。エリスは慌ててノートをクッションの下に隠した。

 入ってきたのは専属メイドのミレイナだった。


「お嬢様、御学友の方がお見舞いに来られていますが、いかがいたしましょう」

「どなたかしら」

「アマービレ子爵令嬢です」

「フィーネさん?……わかったわ。こちらに通してちょうだい」



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