第13話 王妃殿下との歓談①



「わたくしは無力ですわ……」


 無力感に囚われながら、エリスは自室の窓から、流れゆく白い雲を眺めた。この夏季休暇中、ほとんど何の成果も得られなかった。このままでは何も前進することなく、むしろ後退したまま夏季休暇が終わりそうだった。

 無為な時間を過ごしていると、部屋のドアがノックされた。


「王妃殿下がお前との歓談を希望しているらしい」


 父の書斎に呼ばれたエリスは、書斎に入ってすぐにそう聞かされた。


「わたくしにですか」

「私室でふたりきりで話したいらしい。行くのならばフレデリックを共に行かせるが、どうする?」


 父はあくまでエリスの意思に委ねるらしい。これはチャンスかもしれないと、エリスは思った。

 もしかしたら王妃はエリスの敵かもしれないからだ。一回目と二回目の人生でエリスを、公爵家を破滅させた敵――二回目の人生でアルウィンを毒殺した敵――。

 考えたくはないが、動機はあるのだ。


(王妃殿下はアルウィン様をできそこないだと、ヘドリー様に言っていた……)


 本当にアルウィンよりヘドリーを愛しているのなら、ヘドリーを王位に付けたがるのは当然の心理だ。そしてそれにはアルウィンや公爵家の存在は邪魔になる。


(いえ、これはヘドリー様から聞いただけだわ。決めつけは良くない。わたくしには本音を聞ける魔法があるのだから)


 エリスは王妃の本当の心を知ることができる。そのためなら不運の代償など安いものだ。

 真っ直ぐに背筋を伸ばし、父の顔を見て答える。


「行きます」

「では明日、用意しておくように」







 エリスは夏用の慎ましやかな水色のドレスを着て、兄フレデリックと護衛の騎士と共に王妃の部屋の前まで来る。

 しかし部屋に入る前に、フレデリックに王妃の侍女のひとりが告げた。


「王妃殿下はカルマート公爵令嬢にのみ入室を許可されていらっしゃいます。申し訳ありませんが殿方は別室でお待ちいただけますでしょうか」

「これは失礼。では扉の外で待たせていただきましょう」


 別室ではなくあくまで部屋の前で待つと言って聞かない。侍女は王妃に承認を取りに行き、特別だと言ってそれを許した。

 エリスはすぐ近くに兄と護衛がいるという安心感を抱きながらひとりで招かれた部屋に入る。


 繊細な絵が描かれた壁紙、画家による天井画、ふかふかの絨毯、重厚な家具の数々、飾られた大きな風景画、複雑な意匠の乳白色の陶器の置物――……

 贅の限りを尽くした豪華な部屋の中では、艷やかな薄い金髪に、澄んだ碧い目。いつまでも少女のような雰囲気を持つ王妃クラウディア。

 元は子爵家の令嬢だったが、その美貌で王の愛を得たと言われる王妃が、真っ赤なドレスを着て椅子に座っていた。

 エリスはドレスの裾をつまみ、恭しく頭を下げた。


「ごきげんよう、王妃殿下。エリス・カルマートです」

「こんにちは、エリスさん」


 王妃はにこやかに微笑みながら、テーブルを挟んだ向かいの椅子にエリスを座らせた。

 エリスは緊張しながら椅子に座る。室内には侍女やメイドも護衛もおらず、完全にふたりきりだった。人払いをしている意図がわからない。


「エリスさん、そんなに緊張しないで。わたくしたちは親子同然なのですから」

「そんな、恐れ多いです」

「アルウィンが立太子されればあなたがいずれ王妃になります。わたくしに聞きたいことはたくさんあるでしょう? 今日はそのために来ていただいたのよ。さあ、堅苦しくならずになんでも話してちょうだい」


 王妃の態度はとてもやさしい。この人の本音暴くのは、果たして許されることなのだろうかと思うほど。

 しかしエリスも決意を持ってここへ来たのだ。敵を知るため、生き抜くため、大切なものを守るために。ここで躊躇してはいけない。


「なんでも、よろしいのでしょうか」

「ええ、もちろん」


 エリスは少し間を置いたあと、ゆっくりと口を開いた。


「実は……昔から不安に思っていることがあるのです」

「まあ、わたくしで良ければ聞かせてちょうだい?」

「とても……くだらないことなのですが……両親はわたくしと兄、平等に愛してくださっているのかと……もしかしたら兄の方をより愛しているではないかと」

「あら、まあ」


 王妃は驚いたように目を丸くし、口元を押さえる。エリスは続けた。


「両親に直接聞いてみたくて、でも答えを聞くのが怖くて、ずっと聞けてきません。そしてわたくしも、いずれ子どもを授かったとき平等に愛せるのかと……少し不安に思っています」

「ふふ、心配しなくていいのよ。心配しなくても、平等に愛せますわ」


 当然のように答える王妃の表情は国民の母の顔、まさに聖母のような表情で、エリスはほっとする。やはり王妃がアルウィンをできそこないと言っていたのは何かの間違い、きっとヘドリーの思い込みなのだと。


「でもね、もし愛せなくても仕方のないことなの」

「えっ?」


 王妃はエリスを見つめて笑う。深く。

 その瞳の奥には冷徹な心が透けて見えた。


「あなたにも好きな友人とどうでもいい人たちがいるでしょう? 人間とは好みがあるものなの。相手の優劣ではなく、心が言うのよ。こちらの方が好ましいと」


 エリスは黙って頷いた。


「そういうこともあるのだと知っていれば、何が起きても冷静に物事を見通せます。ですから不安になることはありませんわ」

「ありがとうございます、王妃殿下」


 エリスは微笑み、頭を下げた。


(でもそれが子どもたちに伝わってしまうのは間違いだと思いますわ)





「ありがとうございます王妃殿下。もっと自信を持ってみます。妖精さんにも勇気をいただきましたし」

「妖精? エリスさん、あなたは妖精を見たことがあるのかしら」


 王妃はエリスの話に強く興味を引かれたようだった。


「あ、はい……夢でですけれど、妖精さんから贈り物を受け取ったことがあります」

「まあすてきね。どんな贈り物を?」

「勇気が出せる魔法です。――王妃殿下におきましても、本当は・・・何か魔法をお持ちではないのですか」



『……隷従の魔法が効かないのはそのせいなのね。まったくアルウィンといい忌々しい……ああ、汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしい……』



 ぞっとするほど冷たい声だった。世界のすべてを呪っているかのような声だった。悪意だった。


「すてきな魔法ね。きっとあなたの役に立つわ」


 王妃はそう言って、朗らかに笑った。



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