第12話 楽しい夏休み



 三日後。

 風邪から回復したエリスは、授業の合間に噴水事故で助けてくれた人たちへお詫びとお礼を言って回った。全員は覚えていなかったので他にその場に誰がいたかを聞きまわりながら。

 その中でエリスは随分たくさんの人に助けられたことを知る。


 噴水から引き上げを手伝ってくれたひと。

 保健室に運ばれるのを手伝ってくれたひと。

 濡れた廊下を拭いてくれたひと。

 保健室にお見舞いにきてくれたひと。

 みんなエリスを心配してくれて、快く許してくれて、回復を喜んでくれた。


 それからすぐに定期試験の期間に入り、定期試験が終われば夏季休暇があり、夏季休暇がやってくる。

 夏季休暇が明ければ騎士競技大会が行われる。大会に出場する生徒は夏季休暇の間も解放されている。中に剣術や槍術、馬術を磨く。

 一年生は騎馬はまだ早いため模擬剣の競技大会のみだが。

 だから、騎士競技大会に出る騎士コースの生徒の夏季休暇は忙しい。そして領地に帰らない生徒や、自宅や親戚の家に練習場所を持たない生徒のために、学園は夏季休暇の間も開放されている。


 エリスは図書館二階の窓から、グラウンドや校庭で剣技や槍技、馬術を磨いている生徒たちを眺めていた。男子がほとんどだが女子生徒もいる。

 ほとんど人がいない図書館とは正反対だ。


「あ――」


 思わず窓枠から身を乗り出す。

 校庭の方に、リュカと一緒にいるアルウィンの姿が見えた。


(仲が良いのかしら)


 うらやましい、と思った。

 もっと運動神経が良ければ。もっと身体が丈夫ならば。一緒に訓練に励めたかも入れないのに。


 エリスは創立祭で池に落ちて以来、アルウィンとほとんど話せていない。挨拶を交わす程度だ。

 もちろん一番に謝りに行ったが、アルウィンは忙しそうであまり時間は取れなかった。お詫びとお礼の手紙も書いたけれど、エリスはまだもどかしさを感じていた。


 そばにいきたい気持ちと、邪魔をしてはいけないという理性の戦いは、理性の方に分がある。遠くから見るアルウィンの姿は眩しく、目が離せない。いますぐあの場所まで飛んでいければいいのに。


 そのとき、アルウィンが顔を上げてエリスと目が合う。

 だがそれはほんの一瞬で、すぐに顔を背けられる。

 その動きはエリスに大きなショックを与えた。ふらふらと窓辺から離れ、本棚の間に戻った。


(目を、逸らされた……? いえ、偶然よ偶然……こんなに遠いのだから、わたくしに気づいているはずがありませんわ)


 そもそも休暇中に学園に来たのはアルウィンを探すためではない。図書館で調べ物の続きをするためだ。もちろん話す機会があれば改めて謝るつもりだが。

 調べ物はもちろん毒のことだった。前回の人生でアルウィンが盛られた毒。自宅で行うと変な心配をされかねないので学園の図書館でこっそりと調べている。


 公爵家で出された紅茶に毒が盛られていたのだったとしたら、即効性のあるもので、匂いはきっと強くない。紅茶の香りで誤魔化せる程度のものと思われる。

 そして、心臓を止める毒――

 少しでも早く毒物を特定し、入手経路や混入経路を想定し、そして解毒剤を見つける必要がある。


「あ、エリスさん!」


 通路を歩いていたフィーネが、エリスを見つけて嬉しそうな声を上げる。


「エリスさんも王都にいらっしゃったんですね」

「ええ。お父様もお兄様もお忙しいですから」


 答えながら、背表紙で気になった本を手に取る。今回は鉱物の本だ。鉱物にも毒性があるものがあると学ぶ間に知った。

 フィーネはエリスの隣で本棚の背表紙を眺める。どこかに行く気配はない。


「……フィーネさん。アルウィン様が、後夜祭でどなたと踊ったか……ご存知ですか?」


(聞いてどうするのエリス・カルマート!)


 だが聞かずにはいられない。後夜祭のダンスパーティでアルウィンがいったい誰と踊ったか、気になって気になってずっと夜も眠れないのだ。

 アルウィンに憧れている女子生徒はたくさんいる。雰囲気に浮かれ、思い出が欲しくて自分から声をかける勇敢な者もいただろう。婚約者であるエリスが欠席しているならなおさら。そして社交的なアルウィンはそれを断らないだろうと思うと、胸が苦しい。


(わたくし……あれだけ迷惑をかけたのに、誰ともわからない相手に嫉妬している……なんて醜いのかしら)


 自分の身勝手さや心の醜さを夜が来るたびに恥じた。

 それでも気になって仕方ないのだ。


(もしかして――どこかのご令嬢といい雰囲気になったからわたくしと距離を取っているのでは?)


 そう思って何度も泣いた。いまも泣きたい。


「アルウィン様ですか? えっと、お祭りの二日目のアルウィン様は、たしか途中でエリスさんのお見舞いに行って――」


 エリスの心がざわめいた。


(あのエルダーフラワーは、アルウィン様が直接届けてくれたの?)


 そんなことミレイナは誰も一言も言っていなかった。アルウィンが口止めをしたのだろうか。


「戻ってきてからは、空いた時間は私の手伝いをしてくれました。リュカくんと交代で着ぐるみを着てお客さんを集めてくれたんです。着てないほうがお客さん呼べそうなのに」


 フィーネは楽しそうに笑う。

 エリスは悔しさに震えた。


(ああ……どうしてわたくしは風邪を引いてしまったの! 着ぐるみ姿のアルウィン様、見てみたかった……!)


「だから、誰ともダンスはしてないかも。少なくとも私はそれらしいところは見ていません」


 エリスはほっと息をつき、はっと短く息を飲み、頭をぶんぶんと横に振った。

 安心していい立場ではない。

 それよりも、いま判明した事実のほうが重大だ。


 ――アルウィンはやはりフィーネのことを気に入っている。でなければ出店を手伝わない。


 ずきん、と心が痛む。矛盾だらけの心が。


「それで私わかったんです。アルウィン様はきっとエリスさんのことで頭がいっぱいなんだろうなって」

「え……?」

「だってアルウィン様、なんだかずっと上の空でしたから」


 フィーネはうふふと笑う。

 何もかもお見通しとばかりに。


「ところでエリスさん、もしかして毒に興味があるんですか?」

「……え?」

「だってこの前からずっと毒に関する本を読んでいますよね。植物関係、生物関係、鉱物関係、医療の本……全部毒に関係していますよね」

「偶然よ」


 エリスは冷たく言い捨て、読んでいた本を棚に戻した。


「毒に興味があるなんて、そんなわけがないでしょう」


 言って、図書館から出ていく。

 毒について調べているなんて噂を立てられれば、今後の行動が不自由になる。何か事が起こったときに不利に働くおそれもある。エリスは絶対に認めるわけにはいかなかった。


(やはりフィーネさんは危険だわ)


 勘が鋭すぎる。


(これが……人の心がわかる人間というものなのかしら)




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