第14話 王妃殿下との歓談②



 エリスは俯いた。混乱した。態度はやさしく柔らかいのに、いま聞こえたものは何だったのか。悪夢だろうか。わからない。何もわからなくなる。

 王妃はそれを照れ隠しだと受け取ったのか、笑っている。


 エリスは困惑した。目の前のこの人はいったい誰なのだろう。王妃に間違いない。いつも若々しく子どものようなところのある、この国の王妃であり、王子たちの母。

 何度も会ったことのあるのに、その顔が見えない。白々しい分厚い仮面をかぶっているように見える。仮面の下にある顔は、いったい誰なのだろう。

 悪意の残響が、エリスの中に響き続けていた。


「ねえ、エリスさん。ヘドリーのことをどう思う?」

「えっ……わ、わたくしはヘドリー様のことをほとんど存じ上げておりませんので……」


 動揺は、問いに対するそれで少し隠せたらしい。王妃は続ける。


「あの子はあなたを気に入っているみたい」

「…………」


 エリスは更に困惑した。気に入られる要素がない。命令に従わず反抗したのに。兄の婚約者だから横取りしたがっているとか思えない。つまりは兄への対抗心――


「ゆっくりと考えてみて」


(考えるも何も……)


 考える余地も自由もエリスにはない。

 もし万が一エリスがヘドリーの方がいいと言ったところで、アルウィンとの婚約は解消されない。これは王家と公爵家の契約なのだ。エリスの一存で決められることではない。


(それでも、ヘドリー様寄りの雰囲気を保っていた方が、没落の危機に瀕した時に役に立つのかしら……王妃殿下の意向なら、なおさら)


 エリスの中の政治的な思考はそう言っている。本能が絶対に嫌だと言っていたとしても。

 王妃はゆっくりと考えていいと言った。しばらくはこの件は保留しておこうと決める。


「学園生活はどう? もうすぐ騎士競技大会でしたっけ」


 話題が変わったことにほっとして、エリスは顔を上げて頷いた。


「あ、はい。そうですね」

「ふふ、懐かしいわ。アルウィンはどこまで行けるかしらね。正直、下々を従わせる資質が薄いようだから、優勝は難しいでしょうけれど」

「どういう意味でしょうか」


 エリスは沸き上がった感情のままに王妃を見据えていた。先ほど覚えた恐怖は、怒りで塗り替えられた。

 王妃のその言い方は聞き逃すことはできない。


「騎士競技大会は伝統のある、誇り高き大会です。生徒はみな平等で、みんな真剣に技を高め、お互いに敬意を払って戦います。わざと相手に負けるとか、勝たせるとか、そんなことはありえません」


 王妃の言葉は、国を守る騎士に対する侮辱であり、未来の騎士である生徒に対する侮辱だ。

 王妃は愉快そうに笑う。エリスをからかうように。


「純粋なこと。それでは、楽しみにしておきましょう」







 王妃の意向で歓談は終了し、エリスはフレデリックと共に早々に王城を出た。

 公爵家の馬車に乗り、城を完全に出てからフレデリックはエリスに話しかける。


「王妃殿下と何を話したんだい」

「ヘドリー様がわたくしを気に入ってくださっているのですって。ゆっくり考えてと言われました」

「なるほど、それはまた……」

「考えろってどういうことでしょうか。アルウィン様から乗り換えろとでも? もう、信じられませんっ」


 第一王子の婚約者に第二王子に乗り換えろと、母親が言うだなんてあまりにも常識外れだ。

 怒りで頬を膨らませると、フレデリックは困ったような顔をする。王妃の言葉に驚いているような様子はない。エリスが呼び出された理由をある程度予想していたのだろう。


「そうか……エリスの気持ちはどうなんだい?」

「わたくしはアルウィン様のことが好きです」 


 はっきりと言い切る。政略結婚であるからエリスの気持ちは関係ないのだが、意思だけは表明しておいた。最後の最後での判断材料になるかもしれないから。


「ですが……最近少し避けられているような気がします」

「ああ、ふたりとも年頃だからね。あまり気にしなくていいよ。いずれ解決するさ」


 フレデリックは苦笑する。エリスは納得できなかった。年頃だったら疎遠になるものなのだろうか。何もしなくても時間が解決してくれるというのだろうか。そんな理屈、わからない。

 問い詰めてみたいところだったが、いまのエリスには他に考えるべきことがあった。


(……王妃殿下は本当にアルウィン様がお嫌いなの?)


 エリスを一番腹立たしくさせ、一番悲しい気持ちにさせるのがそのことだった。

 第一王子も第二王子も王と王妃の実子だ。

 だが王妃は、実の子でも、平等に愛せなくても仕方のないことだと言った。


(わたくしのことも、アルウィン様のことも、忌々しいと――)


 それはなぜだったか。そう、隷従の魔法が効かないからと言っていた。


(隷従の魔法……嫌な響きですわ。相手を奴隷にするのかしら。意思を奪い意のままに操るとか……? ぞっとしますわ……わたくしに効かないのはテオに魔法を貰ったから?)


 王妃の心の声を信じるならばそうなる。

 王妃が何か思い違いをしていない限り、心の声は嘘ではない。


(アルウィン様は魔法が効かない体質なのかしら? でも、わたくしの本音を聞き出す魔法はアルウィン様に効いた……王妃殿下にも……王妃殿下の魔法だけが効かないの? ああ、よくわからない!)


 エリスは妖精のことも魔法のこともよく知らない。魔法のことはエリスがいくら考えても答えは出ないだろう。


(敵はやはり王妃殿下なのかしら?――ううん、まさか)


 エリスは信じたくなかった。ただただ信じたくなかった。あの底知れない悪意を聞いても、なお。

 それでも、耳を塞ぎ思考を閉じることはできない。対抗しなければいいように利用されて消されるだけだ。

 エリスは歯を食いしばって顔を上げる。その視線の先にあるのは王城。


(絶対に負けない。負けるものですか!)


 闇なら嫌というほど見てきた。もうあの場所には戻りたくない。そのためになら誰であろうと戦う。絶対に負けない。

 強い決意を胸に抱いて、エリスはひたすらに王城を見つめた。


(隷従の魔法……そんなものが本当にあるとしたら、その代償はなんなのかしら……)



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