第9話 二人の王子と金色羽②



 エリスはアルウィンの手を引いて、ヘドリーたちのいる中庭から離れ、廊下を人気のない方へ進む。

 王城は広く、防音性が高く、広さのわりに人が少なく、静かだった。

 アルウィンがおとなしくエリスに従ってくれているのは、エリスの様子を心配し、見守ってくれているからだろう。


 歩きながらも怒りは収まるどころかふつふつと湧き上がり続ける。

 ぐるぐると渦巻く激情をなだめるすべを、エリスは知らない。吐き出すことでしか。

 足が止まる。なぜか零れそうになっている涙を必死でこらえる。絶対に泣かない。泣かされるものか。


「アルウィン様は――」


 声を振り絞る。

 喉が狭くなったのか、息がうまくできていないのか、声がうまく出ない。それでも言葉は止められない。

 振り返り、すぐ後ろにいたアルウィンの顔を見る。手を繋いだままで。


「わたくしの知っているアルウィン様は、忍耐強くて、やさしくて、人の痛みがわかる、とても立派な方です」

「エリス……」

「わたくしはアルウィン様が好きです」


 本当の気持ちを言葉にする。

 好きだ。この人が好きだ。

 その碧い瞳は時に春の陽だまりのようにあたたかく、夏の太陽のように熱く、冬の氷のようにも冷たくなる。その意志の強い瞳が。その内側にある心が好きだった。


「…………」


 静かな沈黙。

 そしてエリスは自分がとんでもないことを言っていることに気づいた。


(……わたくしはなんてことを――)


 顔が真っ赤になり、真っ青になる。


「い、いまのは、人として尊敬しているということであり、深い意味はございませんので! それでは失礼いたします!」


 離そうとした手を、ぎゅっと握り返される。


「家まで送るよ」

「いいいええええ結構です! 助けていただいてありがとうございます。それでは!」

「あっ、エリス――」


 アルウィンの手を強く振り払い、ドレスの裾を持ち上げて足に絡まないようにして走る。走る走る。とにかく距離を置きたくて。


 恥ずかしさもある。

 だがそれよりなにより。


(家に来られるのは絶対にダメ!)


 また毒が盛られたら。敵に襲われたら。アルウィンの身に万が一でも何かがあったら。

 怖い。怖い。――怖い!


 必死に走る。体力が尽きるまでひたすら。

 もう走れないと身体が悲鳴を上げて、エリスはへなへなとその場に座り込んだ。


「はぁ……はぁ……なんとか冷静に振舞えたかしら……そしてここはどこなのかしら……」


 辺りを確認しようとして顔を上げた目の前に手が差し伸べられる。


「ここは広いから、迷ったら大変だ。フレデリックのところまで送るよ」

「あ、あ……アルウィン、様……」


 エリスは混乱した。

 あんなに必死に走ったのに、なぜ後ろにいたのか。なぜ息が上がっていないのか。これが身体能力の差なのか。これが――


 逃げようにももう走れそうにない。振り切れるとも思えない。そして迷っていることは事実だった。エリスはアルウィンの手を取って立ち上がる。

 アルウィンはエリスのやさしく手を握ったまま、ゆっくりと歩き始める。エリスの歩幅に合わせてゆっくりと。


「ヘドリーがすまなかった」

「いえ、アルウィン様が謝られることでは……わたくしも大人気なかったですし」

「怪我はしていない?」

「はい」

「よかった……君に何もなくて」


 その声が、瞳が、表情がとてもやさしいものだったから。

 胸が、そして手がどきどきしてしまっていた。まるでそこにも心臓があるかのように。





 アルウィンに手を引かれて、エリスは行政区画へ足を踏み入れる。アルウィンは迷いない足取りで、エリスを兄フレデリックの職場まで連れていった。

 フレデリックは学園卒業後、次期公爵としての勉強を進めると同時に、王城内で文官としても働いている。


「――エリス? どうしてここに」

「お兄様」


 ここにいるはずのないエリスの姿を見て、フレデリックが慌てて駆け寄ってくる。


「仕事中にすまない。フレデリック、エリスを家に送り届けてくれないか」

「ごめんなさいお兄様。その、ひとりで遊びに来たら迷ってしまいまして……」

「ひとりで? アルウィン王子殿下、妹が申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げるフレデリックを見て、エリスはますますいたたまれなくなった。


「いや、いいんだ。それじゃあエリス、また明日」







 エリスはフレデリックと共に公爵家の馬車に揺られながら、屋敷に向かう。

 部下や騎士に任せればいいところをフレデリックが同行するのは、心配性だからということもあるだろが、これ以上エリスが問題を起こさないように目を光らせるためだろう。


 兄の仕事の邪魔をして申し訳なく思いつつも、考えるのは中庭でのことばかりだった。

 幼い暴君ヘドリー第二王子に、猫のような金色羽の妖精。周囲にいた物言わぬ子分。『命令』――


 ヘドリーの高圧的でワガママ放題の態度も衝撃的だったが、一番ショックだったのはふたりの王子の母親である王妃がヘドリーにアルウィンが出来損ないと言っていたことだ。普段から言っていなければ、兄弟に対してあんな態度を取るはずがない。


(ひどい……)


 血が繋がっている親子なのに、心の内に秘めておくだけでは事足りず、弟にそれを吹き込むなんて。王妃自身は第二王子派なのかもしれないが、それでも。


(どうして……? わたくしには理解できない。理解できるものですか)


 唇を噛み肩を震わせる。


「何かあったのかい、私の天使」

「……ヘドリー様とお会いしました」

「ああ、なんてことだ……殿下に何かされなかったか」

「アルウィン様に守っていただいたので……」


 最初にそんな心配をされるなんて、ヘドリー王子の王城での評判がわかる。

 あの傍若無人な振る舞いに言葉遣い。とても王子にふさわしい教育を受けさせられているとは思えない。いっそ哀れに思えるほどに、アルウィンとは全然違う。

 アルウィンに何かあったらヘドリーが王位を継ぐのかと思うとぞっとした。


「エリス、たとえ城とはいえひとりで行動しないように。エリスは可愛いから何かあったら大変だ」

「はい、お兄様」

「もしエリスに何かあったら私は相手を永遠に許さないだろう」

「お兄様……」


 呟いた次期公爵は、いつもの優しい兄とは違った迫力があった。

 エリスは己の軽率さを再び反省した。もうこのようなことはしないでおこう、と。

 自分に対するため息をつき、馬車の窓から王都の景色を眺める。


(やっぱりわたくしは、いままでアルウィン様を知ろうとしていなかった)


 見せてくれる部分だけを見て、その奥に隠された心を知ろうともしていなかった。それは魔法で暴けるものではなく、心を寄り添わせてでしか見えないものだ。


(わたくしは何もわかっていなかった)


 そしていまはわかりたいと思う。

 もしまだ間に合うのなら。もし許されるのなら。





 ――この日のことはすぐに父の耳に入り、エリスはとても怒られた。ひとりで王城に行くことは禁止され、必ず父もしくは兄の許可を得ることを約束させられた。



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