第6話 いきなり手詰まりですわ



 三回目の学園生活が始まって一か月。学園の図書館二階のいつもの席で、エリスはため息をついた。

 エリスと見えない敵との戦いは、いきなり手詰まりの様相を呈してきた。

 敵を探すにしても、手掛かりとなる情報が少なすぎる。情報を集めるとしても、目的が曖昧になりすぎている。


(そもそも敵の狙いは? わたくしの不幸? カルマート家の没落? アルウィン様が継承争いから降りること?)


 まずそこからしてまったく絞り込めない。

 学友も子どもばかりで大人の都合などどこ吹く風だ。そうなるために、この学園はあるのだろう。大人たちの思惑に左右されずにお互いを知り、一生の友人をつくるために。


 どうしたものかと悩んでいるときに、窓から複数人の女生徒が何やら揉めているのが見えた。


(この展開は――)


 この人生では初めて見る懐かしい光景に、エリスは読んでいた本を本棚に戻し図書館から出た。





 第二校舎の影。人目のつかない暗がり。生徒達の影の話し合いの場には絶好の場所。そこには四人の女生徒がいた。ひとりは奥に押し込まれて地面に座り込んでいて、三人がそのひとりを逃がさないように取り囲んでいる。もちろん取り囲まれているのはフィーネだった。


「みなさま、何をしていらっしゃるのですか。随分と楽しそうですが、遊びにしては少々優雅さに欠けるようですわね」


 エリスの登場に、場は水を打ったように静まり返った。

 三人のうちのひとり、侯爵令嬢でありエリスの友人のひとりがやや居心地悪そうに、しかし堂々と胸を張ってエリスの顔を見た。


「エリスさん……誤解なさらないでください。わたくしたちはこの方に忠告をしていただけです」

「忠告?」

「はい。この方は婚約者のいる男子生徒とあまりにも気安く交流をされています。そのことで大変傷ついている友人もいるのです。見過ごすわけにはいきませんわ」


 エリスは静かに侯爵令嬢の言い分を聞いていた。

 これを聞くのは二度目だけれども、何度聞いても明らかにフィーネに非がある。


「それに忠告はこの方のためでもありますの。このまま続けていれば完全に孤立してしまいますわよって」

「なるほど。あなたらしく、大変親切ですわね。でも、手を上げるのはいささか優雅さに欠けますわ」


 突き飛ばされたフィーネはいまだに地面に座っている。立ち上がるタイミングを逸したのか、足を挫いたのか、呆然としているだけなのかはわからない。


「で、ですがエリスさん、この方はアルウィン様にも馴れ馴れしく接しているのですわよ。エリスさんという婚約者がいるというのに」

「わたくしのためと、おっしゃるのね。でしたら、フィーネさんとふたりで話をさせていただけますか。みなさんは教室に戻っていただいて結構です」

「しかしエリスさんとふたりきりにするわけには――」

「結構です」


 やや強い口調で言い切り、にこりと微笑む。

 令嬢たちは怯えたようにびくりと震え、お互いに目配せし合ってその場から去っていった。





「さて、フィーネ・アマービレさん」


 フルネームで呼ばれ、フィーネの肩がびくりと震える。


「まずは立ちなさい。地面はまだ冷たいでしょう」

「え……えっと……」

「顔を上げて、胸を張って、まっすぐに立ちなさい。はい!」

「はひっ」


 フィーネが勢い良く立ち上がる。

 エリスはその姿勢を見て満足した。


「そう、その姿勢を忘れないこと。何を言われても、ご両親を誇りに思いなさい。心の中の誇りは誰にも傷つけることはできないのですから」


 フィーネは子爵令嬢であるが、庶子である。貴族の血は引いているが、育ちは庶民だ。気位が高くないのはフィーネの魅力的は個性のひとつだが、それは悪目立ちにも繋がる。

 貴族令嬢としての最低限の気位を、エリスはフィーネに叩きこむ。


「胸に誇りを抱いてこそ、この学園にふさわしい姿になれますのよ。わかりましたわね、フィーネさん」

「はひ、エリス様!」

「様はいりません。この学園では誰もが対等。わたくしとあなたもです。いいですわね、フィーネさん」

「はい、エリスさん!」


 フィーネを鼓舞しながら、エリスは自分自身も鼓舞していた。


(そう。挫けている場合ではないわよ、エリス・カルマート!)


 手詰まりだなんて言っている場合ではない。いまそれができないのなら、他のことをする。きっとそのうちに道は開ける。立ち止まっている場合ではない。誇り高く歩み続けなければならない。

 エリスは力強く頷いた。そうと決まれば早々にこの場を離れることにする。


「フィーネさん、誰とでも分け隔てなく接することができるのはあなたの長所です。女生徒ともその調子で接すれば、あなたの世界はもっと広がるでしょう」

「でも私……」

「言い訳はしない。とにかく、男子生徒と話すときはふたりきりは避けるように。できれば女生徒といっしょが望ましいわ。友人か、誰もいなければわたくしに声をかけてくださいな」

「エリスさん、どうしてそんなに親切にして下さるのですか?」

「さて、どうしてでしょうね」


 適当な答えを用意できず返答を濁し、自分のハンカチーフをフィーネに渡す。


「これを差し上げますわ。制服の土を払いなさい。制服を大切にね。それでは、失礼いたします」







 翌日の昼休み。いつものように図書館にいたエリスは、昼休みの終わりが近づき教室に戻ろうとした時、フィーネが図書館にいることに気づいた。

 本を読みに来たのではなく、どうやら自習をしているようだ。


「フィーネさんも図書館にいらしてたのね」

「は、はい」


 フィーネは教科書とノートを開いたまま、顔を赤らめエリスを見上げる。


(いつも奥にいっていたから気づかなかったわ……)


「私、頭悪くて……授業に全然ついていけなくて……」

「そうだったの。わたくしでよかったら教えて差し上げますわ」

「いいんですか」

「もちろん。放課後かお昼休みにいらしてくださいな」


(あまりにも成績が悪いとアルウィン様とは釣り合わなくなってしまうもの)


 エリスはその日から放課後や昼休みにフィーネに勉強を教えることになった。フィーネは勉強熱心で、時間のある時はほぼ毎日図書館に来るようになった。エリスは図書館の本を読みながら、フィーネの勉強を見た。


「この部分の文章を読み解きながら、この公式を当てはめれば――ほら、ね?」

「エリスさん、すごいです! すごくわかりやすいです!」

「ふふ、これくらい当然ですわ」


(三回目ですもの)


 いわばズルをしているようなものなので、まったくすごくはない。エリスはフィーネの方がすごいと思っていた。

 自分の弱みを素直にさらけ出し、他人に甘えられるのはすごいことだ。内心羨ましいと思うほど。


 エリスは誰にも頼れない。家族にすら心から甘えることはできない。

 人生を何度も繰り返しているなんて誰が信じてくれるだろう。自分のせいで家が没落するなんて、どうして言えるだろう。


「……フィーネさんは、アルウィン様と仲がよろしいの?」

「はい、アルウィン様は一人ぼっちの私にも声をかけてくださったんです」

「そう」


 相変わらずアルウィンは優しい。傷ついている人に躊躇なく手を差し伸べることができる人だ。

 以前のエリスなら激しく嫉妬していただろうが、いまはそういうところも好きだと素直に思える。


「あ、でも恋愛感情じゃありませんから」


 フィーネが真剣な表情で恋ではないという。エリスに気を遣っているのだろうか。そのような必要はないというのに。

 否定するからにはむしろ脈ありなのでは?――と思いながらもエリスも深堀りはしない。


「ところでその本って、もしかして毒草の本ですか?」

「ええ、きれいで可憐な花にも毒があるとわかって、とても興味深いの」


 エリスは気味悪がられるかと思ったが、フィーネはとても嬉しそうな顔をしていた。

 この時間を心から楽しんでいるかのように。



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