第4話 そして運命は廻る



 夏季休暇に入ったばかりのその日、エリスは朝から――いや前日の昼からそわそわしていた。

 今日はアルウィンが公爵家に来る日だ。午後のお茶を共にする約束だった。


 エリスは朝から身支度を行ない、昨日選んだ昼用ドレスを着て、その時間を待った。その間ずっと胸がどきどきしていた。朝も昼も何も喉を通らなかったが、お茶会中におなかが鳴ると恥ずかしいので、胸がいっぱいながらも軽食を食べた。


(家でお茶会なんて、婚約したばかりの時以来ですわ)


 王室の馬車が到着したと聞き、エリスは応接間に移動してアルウィンの来室を待った。

 執事に案内されて応接間に来たアルウィンに、エリスはドレスの裾をつまんで深く頭を下げた。


「いらっしゃいませ、アルウィン様。ご足労ありがとうございます」

「こんにちは、エリス。元気そうでなによりだ」


 アルウィンは爽やかな白の夏礼服を着ていて、あまりにも眩しすぎてエリスはすっかり見惚れてしまう。

 頬が赤くなっていないだろうか、マナーを忘れていないだろうか。エリスは耳を赤くしてどきどきしながらアルウィンに椅子を勧め、自分も座った。


 なんて幸せなのだろう。応接間にふたりきり。メイドや護衛はいるけれど、他には誰もいない。

 エリスは幸福に酔いしれた。もしかしたら、今度はうまくいくかもしれない。

 卒業パーティでアルウィンにエスコートされて、準備が整い次第結婚式を挙げて、無事に王子妃となれるかもしれない。

 一回目の時は疑っていなかった未来。そして訪れなかった未来が、今度こそ。


 話をしよう。気取らず、素直に。まずこの紅茶を飲んでから。夏休みをどう過ごしているかとか、そんな些細なことから。


 エリスはアルウィンといっしょに、白い陶磁器のティーカップを持ち上げ、甘い香りを楽しみ、一口飲んだ。

 ほっと息をつくエリスの目の前で、アルウィンの手からティーカップが滑り落ちる。床に落ちたそれは高い音を立てて割れ、琥珀色の液体を絨毯に染み込ませた。


「アルウィン様! だいじょうぶですか、ヤケドを――」


 エリスがメイドを呼ぼうとする前で、アルウィンは胸を押さえて横に倒れる。


「アルウィン様!」


 すぐさま駆けつけた護衛とメイドが、苦しそうな顔のアルウィンの様子を見る。ひどく慌てた様子で。

 心臓が止まっている――という言葉も、必死に蘇生させようとする護衛たちのやりとりも、よくわからなかった。

 そしてアルウィンはそのまま目を覚ますことなく、息を引き取った。





 アルウィン第一王子の死因は毒だった。即効性の劇薬で、あっという間に心臓の動きを止めてしまう恐ろしい毒だった。

 そして、その毒薬が入った瓶はエリスの部屋から発見された。


「わたくしは知りません……そんなもの知りません! ああ、アルウィン様……!」


 公爵家の茶会で第一王子が毒殺されたこと、その犯人が婚約者でもある公爵令嬢という衝撃的な事件は瞬く間に広まった。エリスの主張など誰ひとりまともに取り合ってはくれなかった。


 王家の怒りは激しく、エリスは当然の如く処刑され、エリスだけではなく血縁関係のある者はことごとく処刑され、カルマート公爵家は滅亡した。







 エリスは夢を見た。

 十三歳の誕生日のよる、ふたつの満月の下で銀色羽の妖精から「本音を聞き出せる魔法」をプレゼントされる夢を。





「おはようございます、お嬢様」


 専属メイドの声で、エリスは目を覚ました。

 亜麻色の髪に緑の瞳、白い肌の三つ年上の専属メイド。断頭台に登る前に髪を梳いて服を整えてくれたメイド。


「ミレイナ……」


 公爵家の自分の部屋、清潔なベッドの上で、エリスは真っ青になっていた。

 震える指先で喉に触れる。


 ――繋がっている。

 その事実に安堵し、同時に戦慄した。


(いったいどうなっているの)


 エリスは確かに断頭台で処刑された。

 しかしいま首は繋がっている。


「お嬢様、いかがなさいました? 顔色がすぐれませんが……具合が悪いとかありますか?」


 がくがく震えるエリスを、専属メイドが心配そうに覗き込んでくる。エリスは顔を背け、くるりと寝転んでメイドに背中を向けた。


「……ひとりにして。これは命令よ」





 ひとりきりになったエリスは、寝間着姿のままベッドの上で悶々と考えていた。どうしてまた生きているのかと。


 一回目の人生はひどいものだった。

 本音が聞こえる魔法を妖精からプレゼントされたのに、誰も信じられなくなって、皆から捨てられた。最後は幽閉されて暗闇の中で死んだ。


 二回目の人生は反省して生きた。慎ましやかに、目立たず、誰にも迷惑をかけないように。

 それなのに幸福に浮かれ、まるでその罰をアルウィンが受けたかのようにアルウィンが毒殺され、エリスはその罪を着せられ、処刑されて死んだ。その後に一族も処刑されただろう。

 最後の方はひどく曖昧だが、アルウィンの最期の姿はよく覚えている。


(誰がアルウィン様を殺し、その罪をわたくしに被せたの……? わたくしの部屋になぜ毒薬があったの?)


 エリスにはまったく覚えがなかった。誰かが故意に持ち込んだとしか考えられない。

 エリスの部屋に入ることができるのは、この家の者だけだ。誰も信用できない。専属メイドも使用人も。

 エリスがいくら訴えても、詳しい調査がされることはなかった。


 涙が止まらない。悲しくて、悔しくて、苦しい。

 枕に顔を押し付けて、嗚咽を殺して泣いていた時、部屋の扉がノックされ、開いた。


「エリス、入るよ」

「お兄様……」


 入ってきたのはエリスと同じ紫の髪と瞳を持つ、五つ年上の兄、フレデリックだった。メイドからエリスの様子を聞いて心配して見に来てくれたのだろうか。


「怖い夢を見たのかい、私の天使」

「……お兄様、本当は・・・わたくしのことをどう思っていらっしゃるのですか?」



『誰が私の天使を泣かせたんだ……! 許せん!』



(魔法は消えていないみたいですわね……)


 本音を聞き出せる魔法は、エリスにしか聞こえない。

 本人にも聞こえない。自分が何を言ったかも忘れてしまう。


「もうだいじょうぶですわ、お兄様。怖い夢を見ましたが、もう忘れてしまいました。着替えますから出てくださいますか」


 名残惜しそうに部屋から出ていく兄の姿を見送りながら、エリスは幽閉されたときに最後に聞いた兄の言葉を思い出していた。暗闇の中で聞いた呪いの言葉を。



『お前のせいだ! お前のせいでアルウィン王子は廃嫡だ。お前のせいで、この家は――……』



 ふらふらとした足取りでベッドに戻る途中、何もないところでつまずいて転んだ。

 膝と手をついて咄嗟に顔は守ったが、立ち上がる気力もなくそのまま絨毯の上に突っ伏した。


(もう、いや……)


 処刑されて死ぬのも。

 幽閉されて死ぬのも。

 一族が滅びるのも。何度も人生を繰り返すのも。


 ――敵がいる。

 悪意がある誰かがすぐそばにいる。エリスの部屋にアルウィンを殺した毒が隠されていたのがすべての証拠だ。

 誰が敵なのかわからない。敵の目的もわからない。

 エリスの不幸か、カルマート公爵家の没落か、アルウィンの廃嫡もしくは死なのか。

 何もわからない。けれど。


(このままなんて、いや……! 戦って、戦って、戦って戦って戦って、今度こそ生き延びてみせますわ……!)


 強く決意し、エリスは自分の力で起き上がった。


「妖精さん、妖精さんっ!」


 外には漏れ出ないほどの声で叫ぶ。

 妖精はきっと近くにいるはず。近くでエリスの様子を見ているはずだ。前回、魔法を使わなかったことに腹を立てて出てきたのだから。


「お願い、姿を見せて。わたくしあなたとお友達になりたいの」


 戦うと言っても、エリス自身は本音が聞こえる魔法の他は何の力も持っていない。そしてその魔法に対する理解度も低い。

 まずは自分の力を知る必要がある。それには魔法を与えてくれた妖精から聞き出すのが一番確実だ。

 エリスは必死に呼びかけた。


「甘いお菓子があるわ。宝石みたいにきれいなの。おいしい紅茶もミルクもあるわ。全部、あなたにあげる!」


 その時、天井からきらきらと銀色の光が降ってくる。

 顔を上げた先には、あの夜に夢で出会った妖精が浮かんでいた。銀色羽の、小さな犬のような姿をした妖精が。


「それ、本当?」

「もちろん!」


 エリスは満面の笑みを浮かべ力強く頷いた。




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