第3話 第一王子アルウィン



 二年後。あと一年で学校が終わる年。

 慎ましく生きて十五歳になったエリス・カルマートには二つの誤算があった。


 ひとつめ。卒業まであと一年なのに、アルウィンとの婚約は継続中だった。王家と公爵家の婚約だ。お子様のわがままで解消できるものではない。

 それはまだ一年あるからいいのだが、問題はふたつめの誤算だった。

 アルウィンはフィーネといい感じになることもなく、フィーネはフィーネで気の合う友だちができて、騎士見習いの男子生徒といい感じで楽しそうに過ごしていることだ。


(どうして? わたくしという障害がないと盛り上がらないの?)


 前回はアルウィンとフィーネが順調に距離を縮めていくことに嫉妬してフィーネをいじめ抜いたのに、今回ではそのいじめがないから二人も接近しないということなのだろうか。


(困りました……)


 由々しき問題である。知っている未来と違う方向に進んでいる。

 エリスの行動が変わったため当然と言えば当然で、エリスは確かに未来が変わることを望んでいたのだが、これからどうなるのかがまったく見えないのも困る。そして解決策がまったく思い当たらないのも。

 そしてエリスはひとつの決断をした。





 昼休みの図書館二階の、いつもの席。

 晴れのひだまりの中でエリスが本を読んでいると、アルウィンがやってきた。アルウィンは時折こうやって読書中のエリスに声をかけてくれる。孤立した生徒に手を差し伸べる彼らしいやさしさだ。そうでなければ婚約の解消を宣言した婚約者に声をかけてはくれないだろう。


「アルウィン様、アマービレさんのことをどう思っていらっしゃいますか」


 丁度よい機会だった。直接的に聞いてみると、アルウィンは意外そうに目を丸くして瞬かせ、甘い笑みを浮かべた。


「フィーネは大切な友人だよ」


 これはどういうことだろう。エリスは内心首を傾げる。

 照れ隠しなのか、本当の気持ちなのか。

 仲が良いのは結構なことだが、なんというかこの、甘酸っぱいものを感じない。とても恋愛感情には見えない。


(やはりわたくしが邪魔者にならなければならないのでは?)


 邪魔者がいなければ盛り上がらないのなら、そうするしかない。

 しかしいまさら?

 いまさらフィーネをいじめる?

 何の理由で?

 無意味では?

 フィーネには既に恋人候補がいるのに、その相手と絆を深めるだけになるのでは?


「……アルウィン様、略奪愛をどう思いますか」

「はあっ?」

「い、いえ、なんでもございません」


 あまりにも驚かれて話題を引っ込める。

 言葉の選択を間違えてしまった。

 いまこそ本音を聞き出せる魔法を使えば話は早いのに、どうしても躊躇ってしまう。本当の心を知りたいのに本当の心を知りたくない矛盾にエリスは戸惑った。


(わたくしはどうすれば……)


 絶望の淵に立たされていると、アルウィンが心配そうな表情で覗き込んでくる。


「エリス……もしかしてパートナーがいる人を好きになったとか?」

「いいえ」

「ああ、よかった……その、エリスはまだ婚約解消したいと思っているのかい?」

「はい」


 はっきりと頷く。

 エリスは婚約を解消し、領地に引きこもる所存だ。その気持ちは変わっていない。

 心なしかアルウィンがショックを受けたような顔をしているが、気のせいだろう。


(人の心がわからないわたくしは王妃にはふさわしくないもの)


「エリス、その……今度、カルマート家に訪問してもいいかな」

「はい? え、ええ、もちろん」

「もちろん君が嫌なら断ってくれていい」

「嫌だなんてことはありませんわ!」


 もちろん心からの本音だ。

 アルウィンはほっとしたように表情をやわらげる。

 その笑顔に胸がぎゅっとなった。


(わたくしは、わたくしはやっぱり、アルウィン様のことが……)







 授業が終わった放課後、エリスは再びひとりで図書館のいつもの席に来ていた。今回の目的は読書ではなく、これからの作戦を立てるためだった。

 真っ白なノートの前でエリスは頭を抱える。

 あと一年で卒業を迎える。それまでに婚約を解消しなければならない。


(でも……どうやって? 穏便にアルウィン様とフィーネさんが結ばれてくれれば問題なかったのに)


 その未来はもう訪れる気配がない。

 このままではエリスが決められたことどおりにアルウィンと結婚することになる。それだけはダメダ。

 だが、現在の自分と、領地で引きこもる未来の自分がどうやっても繋がらない。


 解決策がまったく思い浮かばず、誰もいない図書館の二階でぼんやり座っていたエリスの前に、目の前にひらひらと銀色の羽がよぎっていった。

 開きっぱなしのノートの上に降りてきたのは、十二歳の誕生日にエリスに魔法をプレゼントしてくれたあの犬のような姿をした妖精だった。あの時と変わらない真っ白でふわふわとしたな毛並みと姿で、エリスに向けて頬を膨らませる。


「せっかく力を与えてあげたのに、三年間一度も使ってないってどういうこと?」

「妖精さん……」


 三年ぶりに再会した妖精は怒っていた。

 せっかくのプレゼントを、魔法の力を無下にされたのだから怒りも当然だ。


「妖精さん、どうしてわたくしにこの力をくださったのですか?」

「もちろん君が幸せになるためさ。恋も友情も思い通りだろう?」

「……妖精さん。本音は、心の中に閉じ込めてある誰にも言わない秘密なの。あばいても意味なんてない。心の中の言葉より、表に出す言葉と態度が真実なの……」


 専属メイドは今日もエリスの髪を整えて、褒めてくれる。家族は愛にあふれる言葉をかけてくれる。友人たちは今日もいっしょに学びに付き合ってくれる。

 フィーネは毎日健気に頑張っている。

 アルウィンはそれとなくエリスのことを気遣ってくれる。

 疑心暗鬼に陥って、本音を聞き出していたばかりの頃よりも、よほど心穏やかに過ごせている。

 本音がどうだとしても、いまのエリスにはそれらが真実だ。誤算は多々あれど。


「せっかくいただきましたが、わたくしはこの魔法を使うことはないでしょう」

「なんだよそれ! あーあ、つまらないなぁ」


 これが妖精の本音だ。

 魔法を使うまでもなく伝わってくる。


「使わないなら返してもらうよ」

「どうぞ」

「耳も聞こえなくなるようにする!」

「……はい」


 それくらいの罰は当然、と甘んじて受ける。

 それに、これで本当に婚約解消になるだろう。

 耳が聞こえないのなら、王妃になんてなれない。

 そもそも人の心がわからない悪女には過ぎた地位だ。


(余生は領地で本でも読んで、のんびりと暮らしましょう)


 望んでいた未来がやってくる。だがどうしてだろう。胸が痛い。苦しい。

 だが妖精はそんな罰では済ませなかった。


「声も奪うし、目も奪う!」

「…………っ」

「魔法を使わないのなら、本当にするよ!」


 妖精は本気だ。

 誰の声も、音も聞こえない中、自分の気持ちを伝えることもできなくなって、闇に閉ざされる――幽閉されていたときと同じように。

 それは――そんなことは――

 それでも、もう魔法は使いたくはない。


「いや……っ! もう、嫌なの!」


 強く目を閉じた、その時――



 バンッ!



 何かを叩きつける音に恐る恐る瞼を開く。目は無事だった。その証拠に妖精がいた場所を素手で叩きつけているアルウィンがいた。


「エリス、大丈夫?」

「アルウィン様? わ、わたくしは、はい……でも、よ、妖精さんが……」


 妖精の姿はもうどこにもなかった。

 もしかしてアルウィンが叩き潰してしまったのだろうか。机に置いている手の下を見るのが怖い。


「これくらいでは妖精は死なないよ。妖精王のところに帰るだけ。痛い目を見たから、君にはもう二度と近づかないだろう」


 アルウィンは机の上から退けた手をハンカチーフで拭く。

 確かにその手や机にも妖精の存在を感じ取れるものは何ひとつなかった。

 死んではいない。帰っただけと聞かされてほっとする。妖精にはひどく脅されてしまったが、プレゼントをもらったのは事実だ。


「銀色羽は悪い妖精なんだ。いたずら好きで、時々やりすぎる……」


 そう呟くアルウィンの瞳は見覚えのある怜悧さだった。

 エリスは知らない。

 悪い妖精や良い妖精がいることも。それらで羽の色が違うことも。

 アルウィンが知っているのは王家に伝わる知識なのだろうか。


「もしかして、ずっと悩んでいたのかい? 言ってくれれば良かったのに」


 エリスを慮ってくれるアルウィンの目は優しい。

 あの冷たい目ではない。


 ――言葉と態度だけが真実。


 暖かな日の光が、心の中にまで差し込んだ気がした。妖精の魔法を受け取ってから、一度でもこの人とちゃんと向き合っていただろうか。

 椅子に座ったままアルウィンを見上げると、アルウィンははにかむように微笑んだ。


「ああ、やっと僕のことを見てくれた」


 ぽろりと、涙が頬をつたっていく。

 エリスは、アルウィンの昔日の幻だけを見て、その心まで決めつけていた。

 本人をまったく見てはいなかった。

 人の心がわからないのも当然だ。わかろうともしなかった。心を触れ合おうとしなかった。


「ありがとうございます、アルウィン様……いままで避けて、ごめんなさい」


 ぽろぽろと、涙とともに素直な気持ちが零れ落ちる。

 これからはちゃんと向き合っていきたい。

 心がわからなくても、感じられるようになりたい。思いやれるようになりたい。そう思えるようになったのは、アルウィンの存在のおかげだ。

 アルウィンは最初から、何回もたしなめてくれた。嫉妬で聞く耳を持てなかったのはエリスだ。


「わたくしは、わたくしは……本当は、あなたのことが大好きです……」


 前回とうとう伝えられなかった言葉が。好きだという告白が、自然と言葉にできた。

 アルウィンは耳まで赤くしながら、ハンカチーフでエリスの涙を優しく拭った。


「ありがとう、エリス」


 予感がした。

 きらきらと輝く未来の予感が。




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