第29話 一本釣り

「嘘だろ……」


 自分の視界に入ったものに思わず目を剥く。

 バルムの一撃で盛大に揺らぐマグマの中。さきほどと寸分違わぬ大きさと形の竜が、鎌首をもたげて三人を見下ろしていた。


「仕方ないわね。出口の先まで一気に走るわよ」

「ちょっ、自分で走れるって!」


 弟の速度では間に合わないと判断したのか、バルムはカインを脇に抱え、舞うように岩場を跳んでいく。

 どうやら物理的に粉砕しても、マグマがある限り竜は何度でも復活するようだ。こんなのに付き合っていたら命がいくつあっても足りない。


「また撃ってきましたわよ」


 拳大のマグマ弾を避けながら、リーシャが注意喚起をする。

 敵に背中を見せることになってしまうが、背に腹はかえられない。バルムも人間一人を抱えながら、飛んでくる灼熱を避けるという驚異的な身体能力を見せていたが。


「チッ、なんでこんなに開いてるんだよ」


 出口まであと少しというところで、一軒家が五つ並ぶほど広い、岩場の空白地帯にぶち当たった。


「さすがにカインを抱えながら飛び越せる距離じゃないわね。かと言って、カイン一人じゃ届く前に落ちるわ」


 半分までなら届くだろうが、さすがにこの距離を跳び越す自信はカインにもない。

 それでも後ろから迫ってくるマグマ竜は待ってはくれない。どうにかして向こう岸に単独で渡りたいところだ。


「バルムがカインを投げれば届くのではなくて?」

「その勢いで飛んだら、着地失敗して全身骨折するだろうな」


 リーシャの提案を実行されないよう、カインはバルムの腕から抜け出す。

 自分の意思ではなく人の手によって飛ばされては、常人離れしたバランス感覚がなければ壁や地面に衝突して終わる。なんとか自力で突破する策が必要だ。


 しかし時間はないようで、マグマ池から追加で補給したのか、マグマ竜はいつの間にか倍近くまで質量を増し。

 大きく口を開き、子供の背丈ほどはあるサイズのマグマ球をいくつも生み出し始めていた。


「二人は先に出口へ跳んでくれ。成功するかはわからねーけど、策を思いついたから一人でも大丈夫だ」

「わかったわ。待ってるからすぐ来なさいね」


 弟のことを心から信じているのか、バルムはカインの瞳を見つめながら即座に頷くと、リーシャを引き連れて岩場を蹴る。


 まるで馬が障害物を越えるような強くしなやかな跳躍に、なぜか二人とも両手を前後に広げ決めポーズまで加えて。

 スタッと軽やかに降り立った出口の岩場でクルリと一回転し、踊り子のごとき舞いをシンクロさせながら止まった。


「本当。この距離を身体強化なしで跳べるなんて、化け物だよな」


 何度間近で見ても驚異的な兄姉の才能に、カインは嫉妬してしまいそうになるが、今はのんびりしている場合ではない。

 マグマ竜を視界に捉えつつ、カインも思いっきり岩場を蹴ると、体は放物線を描く。

 だが予想どおり、明らかに出口まで届かない飛距離しか出ず、半分ほどの位置でカインの体はマグマに向かって落下を始めた。

 近づいていく灼熱地獄。何もせず浸かれば、命の終焉を確実に迎える赤が迫り。


「グランド・ウォール」


 カインが真下のマグマに落ちた自分の影を操ると、足元に板状の影が広がり、黒い足場となって体の落下を止めた。


「よしっ、成功」


 他の岩場と同じ高さで空中に立ち、眼下のマグマを見下ろす。通常は縦に張って敵の攻撃を防ぐ影技だが、今回は横に張って岩場の代わりにした形だ。


「この位置からなら、あっちまで跳べるな」


 兄姉のいる出口を見やり、問題なく届きそうな目算にカインはニッと白い歯を見せる。

 一度で届かない場所なら、距離を区切って短くして、二度三度と分けて近づけばいい。

 人生の夢に到達する過程にも似た発想に、カインは我ながら妙案だったと内心ほくそ笑み。

 再び跳ぼうと足に力を入れ、空を蹴るように飛び出した瞬間。


「カイン、後ろ!」


 バルムの叫び声が耳に届き反射的に振り向くと、巨大なマグマ塊がカインを飲み込もうと迫っていた。

 どうやら飛び出したタイミングと、マグマ竜の放った塊が飛来する位置が、運悪く重なってしまったようだ。

 すでに体は宙に浮いている。今から体の位置を変えることは不可能だ。


「くっ……」


 調子に乗って確認を怠った自分を恨みつつ、慌てて影を操り、床にしていたものを壁として強引に動かし。

 間一髪、押し寄せた波が岸壁にぶつかるようにマグマは飛び散った。

 おかげでなんとか直撃は避けたものの、意識を後方に向けたせいで体勢がブレ、空気抵抗が増して飛距離が落ちる。


「しまっ──」


 岩場まで届くはずの体が急激に勢いを失い、灼熱地獄へ近づいていく。


 一瞬で皮膚を焼き焦がし、断末魔を上げる暇さえ与えず、命を刈り尽くすマグマの池。

 慌てて影の床を再び生み出し、落下を食い止めようと真下に手を伸ばしたとき、視界の端に映った信じられない光景に、カインは目を限界まで見開く。


 視線の先には、マグマ竜が引き起こしたのか、岩場の赤い大波が迫っていた。

 影を床にすれば落下は防げる。だがそこにマグマの波が覆い被されば、全身やけどを負い、意識を失って影も消え、結局は灼熱地獄に身を投じる運命しかない。


 何をどう足掻いても絶体絶命の状況に、カインは死の覚悟を決めて目をつむり。


「うっ……」


 何かが腹に巻きつく感覚にうめき声を漏らした。


「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!」


 そのまま斜め上に引っ張られ、落下から上昇に転じた自身の体に、恐怖に勝るカインの驚愕の叫びが空間内に響き。

 刹那、直前までカインがいた場所をマグマの波が飲み込んだ。


「んぐふぅっ」


 全身はグングンと勢いを増しながら引っ張られ、最頂点に達し浮遊感が収まったかと思うと、体勢も整わないままドカッと勢いよく岩場に仰向けに着地した。


「おほほっ。活きのいい男が釣れましたわ」


 頭上から聞こえてきた姉の声に、カインは視界の焦点が定まらないまま頭を上げる。

 声と内容から判断するに、マグマに飲み込まれる寸前、リーシャが鞭を使って引き揚げてくれたようだ。


「魚の一本釣りかよ」


 カインは文句を言いつつ起き上がり、腰に手を当てドヤ顔をしているリーシャを見つめる。

 強引に助けられたせいで胴体には締めつけられた不快感があるし、岩場に全身を打ちつけた痛みはあったが、骨まで焼かれて死ぬよりは何億倍もマシだ。


「一応、礼は言っておくぜ」


 たとえ逃げ出したくなるような見た目と性格の家族でも、助けて貰ったことへの礼は欠きたくないと、カインは痛みに顔をしかめつつ述べた。


「お礼より、精神を鍛えていただけると助かりますわ」

「け、検討しておくぜ……」


 〝心が乱れたことで体も乱れた〟と、普段のお返しとばかりにリーシャに苦言を呈され、カインは反論できず声をすぼませた。


「大体、マグマぐらいで恐怖を感じるなんて、まだまだ赤子精神な証拠ですわ」

「いや、浴びただけで死ぬようなモノに恐怖を感じないって、それ人間辞めてるだろ」

「あら。私のレベルになれば、どんな液体に飲まれても動じませんわ」

「さっき溺れかけてた奴の言うセリフじゃねーな……」


 自分の身の危険より精神の強靭さを重要視する命知らずな姉に、カインはジト目を送り、絶対こうはなるまいと心に誓いを立てた。


「……二人でイチャついてるところ悪いけど」

「イチャついてねーよ」


 バルムのおぞましい発言に、カインはすかさず否定を入れる。しかし兄は気にする様子もなく、マグマ池の方を指差した。


「せっかく助かった命、失うわよ?」


 その意味を問う必要もなく、振り仰いだ先では岩場の空白地帯までマグマ竜が近づき、大口を開けて三人を飲み込もうとしていた。

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