瑠璃ちゃん先生シリーズ

瑠璃ガキ

サタニック・メッセージ

娘の描いた絵本の話だ。


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目の前には見慣れた人たち。

教員や同期、みんな仲良く同じ顔をし、同じ姿をしている。



僕は昔から生きることに懐疑的な少年だった。

5歳の頃には既に、「僕は何で生まれてきたんだろう、死んでおけば良かったんじゃないか」という陰惨な考えを持っていた。


心中を誤魔化すために、小学校や中学校でははっちゃけて過ごしていた。

中学生の時、それが裏目に出て事件を起こしてしまった。


高校では自分を諫めるために、感情を押し殺して生活することを決めた。

それがしんどくなり、2年生の文化祭前に一度自殺を図ろうとしたことがある。


母親の実家がある滋賀県、琵琶湖の南湖で入水自殺をしようとした。

結局、飛び込むのが怖くなって母親に泣きながら電話し、未遂に終わった。


以来、衝動的に死にたくなることが増えていった。


医薬品のオーバードーズや腹に包丁を突き立てたりしたこともあった。



___20XX年。


僕は作曲家になりたくて、音楽学部・音楽学科がある大阪の大学に進学し、創○○○専攻に所属していた。


2回生になっても友達はできず、音楽のレベルも周りとの差が開くばかりであった。

僕は下手くそなアコースティックギターに無個性な歌声というシンプルなスタイルで演奏することが多い。没個性な人間の音楽はやはり没個性なのだ。

そんな中、応用実習の期末課題であるオリジナル楽曲の合評会が迫ってきていた。


「何か凄い音楽を作り出して認められたい、自分の価値を示したい。」

大学入学時から抱いていた邯鄲の夢、残酷なまでに乖離した現実。

それは次第に心の暗部に、重く鋭利で禍々しい何かを形成していった。


ある日、楽曲制作に行き詰まっていた僕は、「ChatG○T」という最近流行りのAIに相談をしていた。

その中に1つ興味をそそられる情報があった。


『サタニック・メッセージ(Stanic Messages)』


1980年代、悪魔的なメッセージを音楽に仕込むということがあった。

特にヘヴィメタルやロックの楽曲が対象とされていた。


サタニック・メッセージは、一般的に逆再生(バックマスキング)という手法を用いるとされている。

音声や歌詞を逆向きに再生することで、通常では聞こえない音やメッセージを聞くことができるという。

その中には、悪魔崇拝や自殺を促すようなメッセージが含まれていることもあったという。


「なんて蠱惑的なのだろうか。」

僕は身の震えるような妖しい高揚感を抱いた。

僕の中に残る微かな中2心が擽られたのか、はたまた、穴だらけで紫色に変色した心の隙間を文字通り”悪魔”につけこまれてしまったのか。


この手法を取り入れたからといって、実際に何かが起こるとは思わなかった。

だからこそ、思いつく限りの悪意を込めて楽曲を制作した。


ヴァース(Aメロ)は、「心臓発作」を逆再生にした「アッソウジンニシン」という歌詞を採用した。

これを変化のない1度の音程と16分音符の早口で繰り返し続けるというフレーズを作った。


ブリッジ(Bメロ)は、ディミニッシュコードを多用し聴く者の不安感を煽る狙いを持たせた。


コーラス(サビ)は、とどめをさしにかかった。

「みんな死んじゃえ」の逆再生「エェアシィニシャンニン」という歌詞をカウンター・メロディーとして盛り込んだ。

メイン・メロディーは特に意味の持たない言葉だが、「あかさか」や「いろどり」といった音声回文(逆再生にしても同じ日本語に聞こえる言葉)を使用した。

これは後述する最低最悪の悪意をカモフラージュするためのものだ。


コーラスが終わり、2番に当たる部分をこれの逆再生にするのだ。


そして応用実習の合評会。


教員も同期もみんな、音声回文に夢中で本当(真実)の歌詞に気が付かない。

(同期)「逆再生なのに同じ言葉に聞こえるー!」

(教員)「言葉は同じに聞こえるけど、それぞれの言葉の順序は逆になっているのが面白いな!」


間抜け共は気が付かない。

さっきからずっとメロディーに対してカウンターで「みんな死んじゃえ」という歌詞が聞こえていることを。


逆再生された楽曲がヴァースの「心臓発作」という歌詞に到達した頃、1人また1人と胸に手を当て衣服を捻り上げ、苦悶の表情を浮かべながら地面に倒れ込んでいく。


笑いが止まらなかった。

人生でこんなにも心の底から笑えたのは初めてだった。


僕は間違いなく笑っていた。


一滴の涙が零れ落ち。

膝がガクガクと震えだした。


「膝も笑っているのだ。面白い面白い!って。なあ?そうだろう?」


自分で自分に戯けて見せたが、次の瞬間、涙と恐怖が止まらなくなった。


目の前には見慣れた人たち。

教員や同期、みんな仲良く同じ顔をし、同じ姿をしている。


ただし、それは見慣れない顔で、見慣れない姿である。


顔はみんな同じように、心臓発作による耐え難い痛みに悶え苦しみながら、死の恐怖に怯えひしゃげてしまっている。

姿はみんな同じように、胸に手を当て、衣服を捻り上げ倒れ込んでいる。


そう、みんな死んでいるのだ。


「ボクのせいで。」


僕のせいだ。

いくら涙を流しても、恐怖で糞尿を垂れ流しても、罪悪感の重圧に押し潰されそうになっても、誰一人として起き上がってはくれない。


僕はどうなる?

極悪非道な大量殺人犯として連日ニュースや新聞に名を轟かせるのだろうか。

はたまた、悪魔の力を使った代償に法的な裁きよりも苦痛で耐え難い罰を受けるのだろうか。



P.N 瑠璃ちゃん先生

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無邪気な笑顔で「ちちみてー!」と自分で描いた絵本を渡してきた娘。

微笑ましい気持ちで読んでみたら後悔した。


この春、6歳になったばかりの女の子が一体どうやったらこんな悪趣味な物語を描けるのだろうか。

お行儀もお手伝いもお勉強も良い意味で年齢不相応で、妙に落ち着いているというか大人びている感じの子だったから、大丈夫だろうと思い娘専用のスマホを与え、パソコンの使用を許可したのはちょっと不味かったのかもしれない。


それにペンネームの「瑠璃ちゃん先生」って何だよw

自分で自分の名前に「ちゃん」を付けるなw「先生」を付けるなw

付けるにしてもせめてどっちかにしろよw


正直、無理に笑おうとしている。

救いの無い陰惨な物語とちょっとおバカで可愛らしいペンネームの歪なギャップに、笑えないくらい不気味な何かと得体の知れない恐怖を感じる。

また、年齢不相応の文章力に対して、画力は年齢相応であるというアンビバレントな不安定さは、この絵本が放つ異様な雰囲気をさらに際立たせていた。


以来、娘は絵本を描いては俺に見せてくるようになった。

俺にとってこの世で一番可愛いはずの存在が、同時に俺にとってこの世で一番怖い存在にならないことを願いたい。


娘の瑠璃については、話さないといけないことが多すぎるのだが、それはまた追々。

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