怒りの時

「ジュンコさん、ここは……?」


 ひたすらジュンコについていくツグミは、今まで知らなかった部屋に足を踏み入れていた。セーフハウス内にある倉庫のようなその場所は、自分たちが暮らすスペースと同じくらいの面積がある。所狭しと物が置かれた、薄暗い、金属の棚の迷路を駆け抜けていく。


「株式会社トゥモローは、表向きはホームセンターの運営会社ということになっている。だから品物だけは入荷しているのさ。本当に売るわけではないけれどね」


 実際にそこは、まるでホームセンターの店内のようだった。電動ドリルやワイヤー、園芸用品や、はたまたキャンプ用品まで並んでいる。ツバメを抱きかかえているジュンコにかわり、ツグミがそこから寝袋を取っていった。


(そういえば、ジュンコさんがサナエちゃんを叱っている時、声が全然聞こえなかった。たぶん、ここに連れ込まれていたんだな)

「ここへの入り口はわかりにくいようにしてあるが、いずれはバレるだろう。この先に事務室がある。まずはそこに隠れて、ツバメちゃんの怪我を治さないと……!」


 そういうジュンコに従うツグミは、徐々に顔が険しくなっていった。


「おいおい……ずいぶん人数を集めたじゃあないか……」


 事務室へと辿りついたジュンコは、すぐさまモニターのスイッチを入れる。そこには、株式会社トゥモローオフィスの、入り口ドアの前に集まった、黒いドレスの女の集団が映っていた。監視カメラの映像だろう。ドアの裏に机を積み上げるというアナログなバリケードは、意外と黒ドレスの集団を苦戦させているが、しかし突破されるのは時間の問題だ。やがて倉庫も見つかり、あの集団はこの事務室へ殺到してくるはずだ。


「サナエ君かい!?電話が通じてよかった、実は……」


 事務室の固定電話でジュンコが救援要請をする傍ら、ツグミは寝袋にツバメを寝かせ、その手を優しく握っている。

 通話を終えたジュンコは一旦受話器を置き、ツグミに報告した。


「サナエ君とは連絡がついた!アカネ君を拾って、今から20分ほどでこちらに着くだろう。それまで、なんとしても我々で持ち堪えよう!」


 しかしその言葉に、ツグミは首を横に振る。


「いえ、もういいんです」

「は?『もういい』って何だよ!?まだあきらめることは……」


 そこまで言ってジュンコは言葉を失った。ツグミの右手の中指に、黒い宝石が輝く金の指輪がはまっている。そして、ツバメの手を握る彼女の手が、ほんのりと優しい光を出していた。回復魔法である。


「君は……魔法少女だったのか……!?それに、その宝石の色……」

「あの黒いドレスの人たちが探しているのは、きっと私なんです。トコヤミサイレンス。私が変身する……暗闇姉妹」


 ジュンコは困惑する。


「どうして、今まで黙っていたんだい?」

「ごめんなさい。隠すつもりは無かったと言って、信じてもらえますか?今までは、意識を失っている間に、いつの間にか変身していたんです。自分がトコヤミサイレンスだと理解するようになったのは、本当につい最近のことでした。でも……」


 ツグミはツバメの手を握りしめたままポロポロと涙を流す。


「私は、普通の女の子でいたいと願ってしまった!認めたくなかった!誰かを殺し続ける運命を背負っているなんて、考えたくもなかった!……でも、ダメなんです。それじゃあ」


 ツグミはいつの間にか自分を見つめていたツバメの顔を見つめ返す。


「ツバメちゃんも……アヤちゃんも……みんな、私がトコヤミサイレンスであったばかりに、こんな目に合わせてしまった。私がみんなを不幸にしてしまった!私は、自分がトコヤミサイレンスであることに、責任を持たなくちゃいけないんです」

「だから、大人しく自分を差し出そうと?」


 ジュンコはツグミが何を考えているのかわかっていた。黒いドレスの女たち、あるいはその背後にいるオウゴンサンデーに自分を受け渡し、もうこれ以上周りを巻き込むまいと考えているのだろう。


「君が死んでもいいのか?」


 ジュンコたちからすれば、黒いドレスの女たちの目的が、村雨ツグミ/トコヤミサイレンスを生かして連れて帰ることであるなど知らない。いや、仮にそうだとしても、そこから先の命の補償などない。


「いいんです。せめて、ツバメちゃんさえ生きてくれるのなら……」


 ツグミはそういって、そっとツバメの手を離した。だが、次の瞬間、ツバメがうめき声をあげる。


「うぐぅう……!」

「えっ!?どうして!?傷は完璧に治したのに!?」


 ジュンコは寝袋の口を開き、ツバメの体を確認した。たしかに、傷は完全に治っている。ツグミがトコヤミサイレンスだとしたら、ヒーラーとしての能力に間違いなどないはずだ。となると、ツバメが苦しんでいるのは、ヒーラーでは治せない何かということになる。病気か、さもなければ、


「……毒か!」


 ジュンコのその言葉にツグミがハッと顔をあげる。


「マシンガンの弾丸に、何か毒のようなものが仕込まれていたのかもしれない。おそらく、魔法付与エンチャントで」

「それって、回復魔法で治せないんですか!?」

「ああ、毒は一度取り込まれたら、肉体の一部だからね。悪魔や魔法少女なら、魔法による毒は自分の魔力で回復させるんだ。だが、普通の人間では……」

「わたしなら、だいじょうぶだよ」


 額から油汗を流すツバメの表情を見る限り、そうは思えない。


「薬は無いんですか!?」

「残念だが、作る道具も材料も無い。第一、私の専門外だ」


 ジュンコはもう一つの可能性を口にする。


「あるいは、この魔法付与をした魔法少女を殺せば、毒は消えるだろうが……」

「なんだ、あるんじゃないですか。そんな簡単な方法が」

「……えっ?」


 ゾッとするようなその言い方に、鳥肌が立ち、ジュンコは自分の耳を疑った。


(今のは、ツグミ君が言ったのか……?)


 いつの間にか涙の消えたツグミの顔が、ツバメを覗き込んで優しく微笑む。


「待っててね、ツバメちゃん。あなたを元気にしてあげるから」

「うん」


 ツバメもまた、無理に笑顔を作った。


 ツグミは立ち上がった。右手の指輪が、闇色に光るという、矛盾したオーラを放っている。


「……やる気なのか」


 打って出るつもりなのだ。自分を差し出すためではなく、血の報いを受けさせるために。


「ジュンコさん。ツバメちゃんを頼みます」


 事務室を出ていこうとする彼女の背中に、ジュンコが尋ねた。


「今度の相手は魔法少女だけではない。人間だぞ?やれるのかい?」


 振り返ったツグミの顔に、氷の表情が貼りついているのを見て、ジュンコは自分の愚を覚った。


「すまない、愚問だったようだ」

「ジュンコさん、いろいろと、お借りします。構いませんね?」


 ツグミは工具の棚を指さしている。


「それこそ、愚問というものだ」


「おい、ここじゃないか?」


 セーフハウスの生活スペースを土足で犯していた黒ドレスたちの一人が、壁際に置かれた観葉植物を動かし、そっと壁を押す。やがて、そこに隠し扉が現れた。


「なんだこれは?倉庫か?」


 五人の黒ドレスが、金属の棚で区切られた迷路に踏み込んでいく。やがて一行は二手にわかれて進んだ。


 二人組の黒いドレスがマシンガンを構え、お互いの死角をカバーしながら前進していく。やがて、先頭の一人が足音にピチャリという音を聞いた。


「うん?」


 水たまりである。なぜかそこにだけ、水がぶちまけられていた。


「あっ!」


 顔をあげると彼女はそこにいた。村雨ツグミである。彼女は水たまりのふちに立ち、水たまりに足を踏み入れた黒ドレスの一人を見つめている。


「ターゲット発見!」


 そう叫びかけた黒ドレスの足元に、ツグミは無造作に投げた。ペンチで切られ、先端がむき出しになった電気のコードを。


「ああああああああああああ!!」


 黒ドレスが感電したことで、やがて13階フロアのブレーカーが落ちた。全ての空間が、またしても闇に閉ざされる。


「ああ、ツグミ君。そうか、そうか、君はそういう子なんだな」


 事務室のジュンコは懐中電灯をつけ、相変わらず苦しそうに息をするツバメを見守る。


「自分が傷つくのはいい。でも、大切な誰かを傷つけられるのは、君にとって我慢できないんだねぇ。今……君の怒りを感じるよ」


「おい、どうした!?」


 もう一人黒ドレスが残っていたが、水たまりに足を踏み入れたことで、ツグミに位置を把握された。その首に、ツグミはピアノ線で作った輪を引っ掛ける。


「ぐぇっ!?」


 ツグミが棚の上に乗せていた砂利の袋を落とすと、それにくくられていたピアノ線が、棚を支点にして黒ドレスの首を吊り、体を浮かせた。


「…………っ!!」


 苦悶の表情を浮かべる黒ドレスを、ツグミは見つめる。やがて、彼女が窒息し、動かなくなるまで。


「おい、あの声は!?」

「落ち着け、みんな!」


 三人組の方のリーダー格が、メンバーに落ち着きを取り戻させようと声をかける。三人組はそれぞれ、マシンガンについたライトを点灯させた。


「トコヤミサイレンスは近接格闘タイプだ。近づかせなければどうということはない」


 リーダー格がそう言った次の瞬間、光る何かが闇の中から飛んできた。やがてそれが、リーダー格の額に突き刺さる。


「な、なんだ!?」


 それは、極端に柄が短い槍のようだった。それが、黒い包帯に端部をくくられ、闇の中から投げつけられたのである。やがて包帯の端が引かれ、すでに息絶えたリーダー格の額から槍を引き抜き、闇の中へ消える。


「わああああああああっ!?」


 残された二人の内、一人が悲鳴をあげながら闇の中に消えた。彼女の足首に黒い包帯が巻き付き、引きずられていったのだ。


「いたぞ!!いたぞおおおおおっ!!」


 残された一人がマシンガンを乱射する。半狂乱となって、さらわれた仲間を探す黒ドレスは、やがて彼女を発見した。


「トコヤミサイレンス……!」


 黒ドレスが発見したトコヤミサイレンスは、床に倒れ、懇願するような目つきで追いかけてきた黒ドレスを見上げている。両足の太ももから血を流していた。立てないようだ。


(弾が当たったのか……)


 黒ドレスがマシンガンを突きつけたまま威嚇する。


「あんたを生かして連れて帰るのが私たちの役目だ。もう抵抗はやめろ!」


 そういう黒ドレスに対し、目の前のトコヤミは何度も激しく首を横に振っている。


「どうした!?何か言いたいことでもあるのか!?口がきけないのか!?」


 そう詰問する黒ドレスの後頭部に、何か固い物が押しつけられる。


「そうだよ。喉を潰したから喋れないんだよ」


 そう言うやツグミは、黒ドレスの後頭部に押し当てた、電気ドリルのスイッチを入れた。肉体から力が抜ける黒ドレスの後頭部からドリルを引き抜き、トコヤミサイレンスの格好をした女に近づく。


「あ、ああ……あ……!」

「そうか、再生魔法だね。もう口がきけるようになってる」

「あぐっ……!?」


 一糸まとわぬ裸のツグミは、トコヤミサイレンスの格好をした女の口を片手で塞ぐと、容赦なく、その頭をドリルで穿った。やがて事切れたその女の右手から、魔法の指輪を抜き取ると、トコヤミサイレンスの衣装を着せられていた黒ドレスの女は、元の姿に戻る。彼女が誰からもトコヤミサイレンスに見えたのは、魔法少女の衣装に込められた、認識阻害魔法の効果であった。


「変……身……」


 自分の右手に指輪をはめたツグミの体を、幾重にも影のような包帯が包んでいく。まるで漆黒のドレスを形作るように彼女を包み終えると、暗闇姉妹としての彼女の姿が現れた。


 倉庫の前では、他にも黒ドレスの女たちが待機している。やがて、倉庫の内側からノックする音が聞こえると、待機していた黒ドレスの一人が倉庫のドアに耳を近づけた。


「どうした?」

「トコヤミサイレンスは……死亡した」

「なんだって!?」


 黒ドレスはすぐさま倉庫のドアを開けて中に足を踏み入れる。


「話が違うぞ!彼女は生け捕りに……!」


 その声はそこで途切れた。

 残された二人組が顔を見合わせる。


「おい、ふざけている場合じゃ……!」


 倉庫に入った一人の声も、そこで途切れた。たった一人残された黒ドレスがライトで照らすと、倉庫の床に血が広がっている。


「た、隊長と合流を……!」


 黒ドレスがドアに背を向けて走り出そうとした途端、幾筋もの黒い包帯が、彼女の体に巻き付いた。そして、恐るべき力でその体を倉庫へ引きずり込もうとする。


「そ、そんなの嫌だ!!死にたくない!!死にたく……!!」


 彼女の体が倉庫の中へ隠れると、その声はそこで途切れた。


「な……なんですか、これは……!?」


 遅れてセーフハウスに侵入したタソガレバウンサーが見たのは、文字通り死屍累々と化した自分のチームであった。


「私がアケボノオーシャンに翻弄されていた時間は、せいぜい数分間のはずです!数分間!数分間で暗殺チームが全滅ですか!?」


 それも、その手口はアケボノオーシャンのそれではない。彼女がどこで何をしているのかわからないが、少なくとも隊を殲滅したのはトコヤミサイレンスの仕業らしい。それにしても、タソガレの口調は、どこか嬉しそうでもある。


「た、隊長……!」


 タソガレがハッとその声の方を見ると、瀕死の隊員が、曲がり角でうつ伏せに倒れ、懇願するように手を伸ばしている。だが、やがて彼女の体は、何者かに引きずられて、見えなくなった。

 すぐさまタソガレは彼女を追いかけるが、曲がり角の先にいた隊員は、すでに死亡していた。


「あなたが、この女たちの隊長ね?」


 タソガレの背後から誰かがそう問いかける。


「あ、あなたは!?」


 声の方へ振り向くと、そこに彼女はいた。トコヤミサイレンス。魔法少女の処刑人である。


「天罰代行、暗闇姉妹」


 トコヤミはおもむろに短い棒のような物を取り出して端部をひねり、先端からダガー状の刃を出した。

 トコヤミはタソガレの姿を観察した。なぜか、自分とよく似た衣装を着ているのは、彼女が率いるチームと同じようだ。タソガレの衣装だけは、どこかニンジャっぽくアレンジされているが。そして、なぜかタソガレは泣いていた。


「ああ!ごめんなさい!急に目の前で泣かれたらビックリしますよね!なんというか、私、あなたの大ファンで!感激しちゃって!あの!私、タソガレバウンサーって言うんですが、この名前も、あなたのを参考にして……!」


 そう早口でまくしたてるタソガレに、トコヤミは一言だけ口にする。


「死んでください」

「~~~~っ!!」


 その言葉にすら、タソガレは感動している。


「いいですね!その言葉!単刀直入で、いかにもサイレンスな、あなたらしい!いや、言葉だけじゃない!憧れていたあなたは、何から何まで、本当に私の期待通りでした!こんなに嬉しいことってあるでしょうか!?」


 だが、二人は戦わなければならない。タソガレは自分の涙を拭うと、その手に古めかしい鍵を構える。その大きささえ、トコヤミが持つ短い槍に似ていた。


「ど、どうしよう!あなたと戦えるなんて……私、嬉しすぎて、手加減できないかも……!殺してしまうかもしれない……!」


 恍惚の表情を浮かべるタソガレと、氷の表情を浮かべるトコヤミ。対象的な漆黒の暗殺者二人が、やがて激突した。

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