暗闇姉妹2号誕生の時……?

 ツグミは、いつの間にか境界に立っていた。何の境界なのかは、わからない。ただ、ツグミには、とにかくここが境界であるという認識のみがある。そこに突如、少女の声が響いた。


「忘れなさい」


 ツグミは声が聞こえた方へ振り向くと、そこに彼女はいた。右手の中指に指輪が嵌めてあるのが見える。闇色に光る、そういう矛盾したオーラを放つその指輪は、魔法少女の印であった。幾重にも影のような包帯が体を包み、まるで漆黒のドレスを形作っているようだ。その姿を、ツグミは知っていた。


「トコヤミサイレンス?」


 魔法少女は、否定も、肯定もしない。氷の表情を浮かべたまま、ただ静かにツグミを見つめている。やがてトコヤミは、ツグミに背を向けて、光の無い道を歩きだす。


「待って!」

「ついてこないで」


 ツグミが追いかけようとするとトコヤミは立ち止まり、短くそう言った。


「あなたには二つの道がある。忘れなさい。さもなければ……」


 その先をトコヤミは言わなかったが、ツグミには想像がついた。人でなしを闇に裁く彼女は、いつか自分も闇の中に消える運命なのだ。だが、それでも放ってはおけない。


「あなたにも聞こえるんでしょ?」


 ツグミは自分の耳を押さえた。耳鳴りが聞こえている。そして、ツグミは確信している。トコヤミにも同じものが聞こえていると。


「私には最初、これが何なのかわからなかった。でも今ならわかる。これ……死んだ人の声が聞こえているんでしょう?うらみを晴らしてください……私たちのために戦ってください……って」


 やはりトコヤミは、肯定も、否定もしない。だが、やがてツグミをその場に残し、トコヤミが闇に消える。


「待って!あなたを一人にしたくないの!」

「暗闇姉妹は、もう一人ではない」

「えっ?」


 虚空から聞こえる声にツグミは戸惑った。暗闇姉妹はもう一人ではない。グレンやアケボノオーシャンたちの事を言っているのだろうか?だが、トコヤミの言葉には、それとは違うニュアンスを感じられた。しかしそれについて深く考える間もなく、ツグミはよく知った声に呼ばれる。


「ツグミ君、起きたまえ」


「!」


 ベッドに寝ていた村雨ツグミが目を覚ました。


(あれ?ここは……)


 ツグミは混乱して記憶の糸をたぐる。


(そうだ、ここは病室だ)


 強盗にナイフで背中を斬られ、入院していたのを思い出した。


「大丈夫かい?君、ずいぶんうなされていたぞ」


 自分を呼ぶ声の正体はジュンコだったのだ。スーツの上に白衣を羽織った、いつもの彼女の姿を見て、ツグミは心強く思った。そのせいか、先ほどまで見ていた夢の内容は、すっかり頭から抜け落ちている。


「よくここがわかりましたね?」

「警察から連絡があったのさ。氷川さん……だったかな?まぁ、名前はどうでもいいが。君に社員証を渡していただろう?その会社の代表取締役は私だからねぇ」


 どうやらあの婦警さんがジュンコに連絡してくれたらしいとツグミは理解した。ふと横を見て、驚いてベッドから身を起こす。


「いない!」


 隣のベッドに寝ていたはずの少女の姿が消えているのである。


「おいおい、君はナイフで斬られたんだろう?急に動いちゃダメじゃないか」

「いないんです!私の妹が!さっきまで寝ていたんです!天使のような顔をして……」

「とにかく落ち着いてくれないかい?本当にわけがわからないよ」


 ツグミはジュンコに、強盗に暴行された少女を助けるために戦った経緯を話した。だが、話を聞くほど、ジュンコの顔が険しくなる。


「ちょっと待て。強盗に立ち向かっただって?私が警察から聞いた話とはずいぶん違うぞ」

「あ……」


 どうやら氷川婦警が気を遣ってジュンコに対してもごまかしてくれていた事を、ツグミ自身でぶち壊してしまったらしい。さすがに男を殺しかけたのは黙っていたが、どちらにせよジュンコはツグミの無鉄砲な行動に怒っているようだ。


「おおかた、その少女の両親が君の眠っている間に来て、連れて帰ったんだろう。私がこれからそうするようにね」

「えっ?」

「君、自分が『天罰必中暗闇姉妹』のメンバーであることを忘れたのかい?殺し屋なんだよ、私たちは。警察にこれ以上、詮索されたら厄介だ。今すぐ我々も姿を消そう」


 やがてジュンコは看護師に見つからないよう、そっとツグミを連れ出し、自分のミニバンに乗せて病院を後にした。やがてセーフハウスのあるビル近辺のコインパーキングにミニバンを停め、車から降りた二人はビルまでの短い道を歩いていく。


「だが、安心したよ。ナイフで斬られたわりには元気そうじゃないか。まぁ、汗をびっしょりかいていたから、熱はさっきまで出ていたのだろうね」

「…………」


 ツグミも不思議に思っていた。妙に体が軽い気がするのだ。それこそ、ナイフで斬られる前よりも。


 既に時刻は深夜2時を回っている。1階の守衛室に向けてジュンコが社員証を振りながらエレベーターに向かった。


「あの……ジュンコさん。今夜、こっちに泊まっていきませんか?私一人だと、なんだか心細くて……」

「ああ、いいとも。というより、もしも君が拒否しても、私は君と一緒にいるつもりだったよ」


 ツグミの顔が明るくなる。だが、それは次のジュンコの言葉を聞くまでだった。


「誰かが我々を尾行していたねぇ」

「えっ!?誰なんですか!?」

「わからない。守衛に気づいて、それ以上は近づいて来なかったようだがね。用心しておこう。もっとも、隠された13階の秘密がわからなければ、恐れる必要はないかもしれないが。それに……」


 ジュンコは指でツグミの背中をつつく。だが、無反応なツグミにジュンコが首をひねった。


「君の怪我の具合もよく見ておきたい」

「あの……それは大丈夫ですから」

「それは私が判断することだ。包帯を変えて、清潔にしなければ、治るものも治らないぞ」

「うう……」


 12階でエレベーターを降りたツグミは、後ろにジュンコを従えて、重い足取りで13階フロアに上がった。


「さぁ、服を脱ぎなさい」


 救急箱を構えたジュンコの命令に、ツグミは渋々従った。意を決して目をつぶり、上半身の服を脱ぎ、その下に巻かれた包帯をジュンコがほどいていく。ジュンコの顔は見えなかったが、息を呑んでいるのはツグミにもわかった。


「!?……ツグミ君、これはどういうことなんだい!?」

「あの……すみません。その傷跡のこと……みんなには黙っていてもらえませんか?」

「傷跡?そんなものは無いじゃあないか!」

「えっ?」


 ツグミは目を見開き、自分の体を凝視する。たしかに、お腹にあったはずの切創が消えている。切創だけではない。打撲痕はおろか、あらゆる傷が体から消えているのだ。そしてジュンコの言葉から、何が彼女を驚かせているのかをツグミは覚る。


「傷跡があるはずなんだ!それがまったく無いんだよ!君がナイフで斬られたはずの傷口が、見当たらないじゃあないか!」

「ど、どういうことなんでしょうか!?ジュンコさん!?」

「どういうことかは、わかりきっている。わからないのは、誰が何の目的でこんな事をしたかだ……」


 そう言ってジュンコは考え込む。先ほど自分たちを尾行していた何者かと関係があるのだろうか?


「君の傷を治したのは、魔法少女のヒーラーだ。回復魔法を使わなければ、こんなことはありえないからねぇ」


 その時ふと、ツグミは病室で寝ている時に見た夢を思い出した。


(暗闇姉妹は、もう一人ではない……)


 トコヤミサイレンスはこの事を言っていたのだろうか?


「ジュンコさん。私、もう寝ますね」

「うん?ああ、そうだな。そうしてくれたまえ」


 もしかしたらもう一度、夢の中でトコヤミサイレンスに会えるかもしれない。そう思ったツグミはすぐにベッドに潜り込んだ。


 翌朝。ぐっすりと眠り込んでいるツグミを横目に、ジュンコはすでに朝のシャワーを済ませ、スーツに着替え終わっていた。ひとまずインスタントコーヒーだけは持ってきたが、食料はまだこの家には無い。ツグミが目を覚ましたら適当に外食を済ませ、スーパーで食材を買い込もうと思っていた矢先である。

 架空の株式会社トゥモローの電話が鳴る。マグカップのコーヒーをすすっていたジュンコがそれに出ると、相手は1階にいる守衛だった。守衛からの報告にジュンコは首をひねる。


「私の妹を名乗る不審者がいる?」


 エレベーターから降りたジュンコの目に飛び込んできたのは、守衛にくってかかる小学生くらいの女の子だった。肩を掴んで制止しようとする守衛を相手に、ジタバタと暴れながら時々彼の脛を蹴っている。


「お姉ちゃんに会わせろー!ここにいるのはわかっているのだー!」

(あれ?もしかして、あの子は……)


 ジュンコは少女を観察してみる。顔つきから10歳前後のようにも見えるが、発育が良いらしく、ツグミと同じくらいの身長がある。どことなく髪型も似ている。ツグミのロングヘアと比べるとセミロング程度の長さだが、やはり癖毛があちこちでピンピンと跳ねて自己主張をしていた。それに、目元。左目に丸いパンダのような青い痣ができている。誰かに殴られたのだろう。これだけ状況証拠がそろえば彼女の正体は十分推測できた。昨日、ツグミが強盗から助けた、人質の少女である。


「西社長、この子なんですよ!本当に妹さんなのですか?」

「うがー!この人はわたしのお姉ちゃんじゃないのだー!」

(天使と称するのはツグミ君の好意的な見方が過ぎるだろうな……)


 西社長と呼ばれたジュンコはそう思いながらも、にこやかに対応する。


「いやぁ、面倒をかけさせてしまって申し訳なかったよ。ちょっとした行き違いがあったようだ」

「行き違い……ですか。じゃあ知り合いなんですね?」


 その言葉を無視し、ジュンコは少女に語りかける。


「さぁ、ツグミお姉ちゃんに会わせてあげよう」

「ほんとうに?」


 少女の目が輝く。


「ただし、ちゃんとこのお兄さんにあいさつをしなくちゃいけないよ。君の名前を、このお兄さんに教えてあげなさい」

「わかった」


 少女は守衛に顔を向けた。


「いちもんじ……一文字(いちもんじ)ツバメ。ごめーわくをおかけしました」


 そう言ってペコリと頭をさげる。


(ふぅん、一文字か)


 当たり前だが、ジュンコは少女の名前を知らなかった。何食わぬ顔で自己紹介をさせたのは、まずはそれを知るためだ。


(珍しい名字だ。何かあっても、この子の家を探すのは簡単だろう)


 そして、特に害意も無いようだ。ツグミも彼女の事を気にしていたのだから、会わせてもかまわないとジュンコは思った。


「じゃあ一文字君、私と一緒に行こう」


 やがてジュンコとツバメは12階のフロアに到着した。ツバメは、ジュンコと手をつないで階段を登ると、存在しないはずの13階が出現した時も目を輝かせたが、ベッドで寝ているツグミを見つけた時はもっと目をキラキラさせる。


「おきろー!」

「ひゃあう!?」


 掛け布団の上からダイブされたツグミが驚いて目を覚ます。だが、飛びついてきた相手が誰だかわかると、ツグミもまた嬉しそうに目を輝かせた。


「わ!わ!ツバメちゃん!」

「会いにきたよ!お姉ちゃーん!」


 抱き合う二人を微笑ましそうに見つめるジュンコは、コーヒーの入ったマグカップを持ちながら、あきれたように言う。


「こらこら一文字君。ツグミお姉ちゃんは怪我をしているんだよ?乱暴なことはやめないかね」

「ケガならなおっているよ?」

「うん?」


 ツバメの言葉にツグミとジュンコの動きが止まる。


「どういうことなの?ツバメちゃん?」

「だって、わたしがなおしたんだもん」


 ツグミは背後でガチャーン!と大きな音がして、驚いて振り向く。ツバメの言葉に驚愕したジュンコがマグカップを落として割ってしまったのだ。


「一文字君、どういうことなんだ?まさか、君は魔法少女なのか?」

「うん、そうだよ。見せてあげるね」


 ツグミのベッドから降りたツバメが、両腕をビシッと斜めに伸ばした。まるで特撮ヒーローの変身ポーズのように腕を回しながら、彼女が叫ぶ。


「変……身!」

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