揺らめいた水面の彼方

 私が泣き止むと、ミナモが少しお散歩に出ようと私をお城の外へと連れ出した。ナギさんは私が落ち込んでいるのに気づいたのか、多くは言わず許してくれた。


 ミナモに手を引かれながら、頭と心の中をもう一度整理する、整理しようとする。けれどぐちゃぐちゃに絡まって、崩れかけそうなそれは今の私にはどうしようもできないものだった。


 それと同時に、歩きながらミナモにあの真っ暗な世界で起きたことを話した。五年前のこと、ミナモに唯一教えられなかった理由のこと、そして、もう一人の自分がどうなったかも。ミナモは優しい微笑みでうなずきながら、全て受け止めてくれた。


 やがてミナモが立ち止まると、そこは僕とミナモが地上に行った場所、そして地上から帰ってきた場所。なにより、私が足を滑らせて、ミナモと出逢ったあの高台……の、鏡写しになった場所だった。


「記憶の中にあるのに、実際に自分で足を運ぶのは初めてなの、なんか違和感あるね」


 この場所は僕としてきたことはあっても、私として来るのは今が初めてだ。広がる草の上にミナモは灯送りのときのように膝を抱えて座る。それに合わせて私も同じような格好で座る。


「そういえば、昔の記憶を思い出したから、五年前のミナモも思い出せるんだ。可愛かったなぁ、あのときのミナモ!」

「もうっ……! 私は……思い出せて……ない、のに……ずるい……」


 ミナモは頬を大きく膨らませて、その姿にどこか安心する。五年前のミナモも、同じようにほっぺたをぷぅ、と風船のように膨らませていた。


「私はここから落ちて、ミナモと出逢ったんだね。今なら思い出せるよ。掴もうとして星に手を伸ばしたら、逆に落っこちちゃうんだもん、どんくさいよね、私。……でも、満天の星空が映った海に飛び込むのは、少しワクワクしたなぁ。なにか願いごとが叶っちゃいそうな気がした。現にミナモと出逢えたし! 願いごとよりもすごいことが叶っちゃった!」


 屈託のない笑顔を浮かべてミナモに笑いかける。ミナモも満更じゃない様子で、少し照れ臭そうに微笑んだ。


「ねえ……憶えて、る……?」

「? なにを?」

「灯送りの、とき……あなたが……私に……言った、言葉…………私が……憶え、続けて……いたら……いつまでも……生き続ける、って……」

「あ、ああー。……それ、言ったの『僕』でしょ? 憶えてるっていうか……憶えてるっていうのかな? これ」


 言ったのは私ではないが、確かに自分の頭の中にはあるわけで。まだこんがらがったままの今の頭で考えるとそれこそパンクしてしまいそうだったから、少し考えたのち頭を振ってやめた。


「でも、そうだね。ミナモが憶え続けてくれるなら、『僕』はずっと生きてる。それに、私だって『僕』のこと、いつまでも憶えてるつもりだよ。だから、これからも三人で生きていくんだ。それでもし『僕』が帰ってきたら、私の持ってる『僕』の記憶も、私の記憶も分けてあげて、また一緒に生きるんだ。ミナモの隣で、ずっと」


 そう、全部消えてしまったわけじゃない。ミナモと私が憶えている限り、私の中で「僕」は生き続ける。


 ミナモには、最後の会話は話さなかった。あれは「僕」と私の、二人の約束だから。ミナモの気持ちを受け入れて、ミナモに好きと言葉にして伝えてしまったら、私の中にいる「僕」は消えてしまう。起きたときに思い出した記憶の中には、僕の消えてしまいたい気持ちの中に、本当は消えたくない気持ちだって混じっていた。だから伝えない。それがどんなに辛くても、ミナモが好きなのは、僕と私の二人なのだから。


「ミナモ」

「……?」


 私は身体を寄せてミナモの手を両手で包み込むように優しく握り、目を瞑って顔の前に近づける。


「なに……?」

「……ううん、なんでもない」

「もう……からかわ、ないで……」


 すぐに頬を膨らます姿が可愛らしい。でも、こうやって言葉が無くても身を寄せるだけで、好きって気持ちは伝わる。それは私だけじゃない、二人分の気持ち。ミナモに好きって伝えるときは、いつだって僕と私の二人分の好きを伝えるんだ。三人でずっと、隣でいるために。

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