むかしむかしの

 私たち四人は本棚から離れ部屋の真ん中に置いてあるテーブルを囲むように座った。囲んだテーブルの上には、先ほど私が手に取った一冊の本。


「昔話って、なんですか?」


 私は本の表紙を見た後、カンナさんの目を捉えて訊いた。


「それはね〜、むか〜しむかし、ある二人の魔法使いさん……のちに、王様と女王様になる二人のお話よ~」

「それって……」


 私がそう呟くと、カンナさんは微笑みながら目を瞑って、数瞬静かに口を結ぶと、いつもののんびりした口調とは少し変わった、落ち着いた口調で喋り始めた。


「……あるところに、広い海に囲まれた街がありました。その街では、普通の人間と、魔法が使える、魔法使いが一緒に暮らしておりました。初めは、みんな仲良く暮らしていましたが、次第に普通の人は、魔法使いのことを怖がるようになっていきました」


 カンナさんが話し始めた瞬間、部屋の空気が一気に変わった。まるでその話の世界へと塗り替えられたように。


「普通の人にとって魔法はなにもわからない、不可思議なもので、その不気味さにえも言われぬ恐怖を覚えたのです。その街には普通の人に比べて、魔法使いはかなり少なかったので、やがてその恐怖に駆られて人々は魔法使いを仲間はずれにしました。人々から怖がられ、魔法使いだとバレれば石を投げられる、今まで過ごしてきた平和な街がそんな世界に変わってしまったことを憂いて、二人の魔法使いさんが立ち上がりました。その魔法使いさんは、『魔法使い全員でこの街を出て、新しい街を作ろう』と言いました。その提案に、今の街に嫌気がさしていた他の魔法使いさんたちはみんな協力してくれることになりました」


 カンナさんのお話の世界へ引き込まれたこの部屋の中には二人の魔法使いが現れて、その魔法使いたちは他の仲間たちに力強く訴えかけ、協力を得ていく。


「街を作るにあたって、その魔法使いさんは普通の人間との接点を絶ってしまおうと考えました。もう一度普通の人間と関わることがあれば、その街でも同じことが起きてしまうと思ったからです。そして魔法使いさんは、魔法がなければ辿り着けない、普通の人間には行くことのできない場所に街を作ろうと思いました。そして思いついたのが、海の中に街を作ってしまうという大胆なものでした。でも、ただ海の中に作るだけでは、海に潜るだけで見つかってしまうと考えた魔法使いさんは、ただ潜るだけでは見つからないよう、元いた街の下に、逆さまになるように街を作ろうとしたのです」

「逆さま?」


 私は頭の中でできる限りの想像を広げながらお話を聞いていたが、うまく想像できなかった部分がそれを途切れさせてしまった。


「そう〜。街をひっくり返して〜、下にど~んとくっつけちゃうの〜」

「な、なんかよくわからないけど……?」

「えっとね〜、水の上に物を置くと、それが鏡みたいに水に映って、逆さまに下にくっつくみたいになるでしょ〜? それとおんなじで、街を鏡写しに作って、それを街の下に逆さまにくっつけたの〜。街全体を大きな泡みたいな膜で囲って海と街の空気を分けて、呼吸できるようにしたり〜、時間がわかるように、ニセモノだけど太陽と月を魔法で作ったり〜、結構頑張ったのよ〜」


 身振り手振りで話してくれるカンナさんを見て、私は眉を顰めながら頭を巡らす。


「は、話が大きすぎてよくわからないけど、なんとなく、ものすごいことをしてるってのはわかった、かも……? でも、街を逆さまにしたところで、重力はそのままですよね? それって、えっと……上に、落ちる? みたいになりませんか?」


 自分で言っててよくわからなくなってきた。けれどカンナさんはうまく言葉の意図を汲み取ってくれたみたいで、答えてくれた。


「そうね〜。でも、ちゃんとそこも考えて作ったのよ〜。……その街は海の中よね〜、だから重力だけじゃなくて、上に上がるものもあるのよ〜」

「上に……?」


 カンナさんはピンと人差し指を立てると、その正体を話し始める。


「水の中にいると、人は浮かぶでしょ〜? だからその浮く力を魔法で強くして、重力に負けなくしたの〜。水に浮くこと、それを私たちは『落ちる』と言っているのよ〜」

「な、なにそれ……魔法、もう意味わからない……」


 その街に住んでいた普通の人々が魔法を怖がる気持ち、わかるような気がする。だからといって、仲間外れにするなんて思わないけど。そしてカンナさんの言葉を聞いてもう一つ疑問が浮かんでしまった。


「でも、街の中って空気があるんですよね。水に満たされてるわけじゃないなら、浮かないんじゃ……」

「あれ〜? 確かにそうかも〜。どうだったかしら〜、でも浮力を強くしたって言ってたんだけどな〜」

「い、言ってたって……作った人に直接聞いたみたいな……」


 ただでさえこんがらがっている頭の中にカンナさんの不思議さが追加で入ってきてパンクしそうになる。


「まあ私は専門家じゃないもの〜そこまでわからないわ〜」


 あっけらかんとそう言うカンナさんにがっくし肩を落とすと、このまま考え続けても頭が爆発しそうになるだけだと私は考えるのをやめた。


「少し話が逸れたわね〜。……街を作るにあたって、普通の魔力じゃ作ることは到底できませんでしたが、一番最初に声を上げた二人の魔法使いさんがとてつもない魔力を持っていたので、その二人を中心に作っていくことになりました。そうして、魔法使いさんたちは海の中に逆さまの街を作り上げました。元いた街を鏡映しにして作ったから、お城とか教会も残っていたけれど、魔法使いさんの中には王様もいないし、魔法使いさんたちはあまり神様を信じないから持て余していたのですが、やがて最初に声を上げた二人の魔法使いさんを王様と女王様にしようと言う声が上がり、二人は王様と女王様になり、その二人の提案で、教会は子どもたちの面倒を見る場所になりました。……そうしてできたのが、この街、『アランヴェール』よ〜。そして、王様と女王様の子孫の二人がものすごい魔力を持っているのも、そういうことなのよ〜」


 カンナさんはもう一度手をパン、と合わせ、広がっていたお話の世界を閉じる。


 アランヴェールの元となった街は、おそらく私の住んでいた街だろう。私の住んでいた街は海辺にある街だし、最初にミナモを連れて冒険へ繰り出たとき、見たことないはずなのに見覚えのある景色が広がっていたことにも合点がいく。そして記憶を頼りに抜け道を通ったとき分かれ道が左右逆だったのも、この街が鏡写しに作られたからだ。


「それじゃあ、この街から海に出て、下に潜れば、私の元住んでいた場所に行けるってこと、ですか……?」

「そういうことになるわね〜」

「軽々しく言うけど、海の下に潜るってどうするのよ」


 確かに、海の下に潜るといっても方法がない。息を止めて泳ぐだけで行き着く距離にあるのであれば、とっくのとうにこの海の街は見つかっているだろう。


「あ、それなら確かこの本に~……あったわ~」


 カンナさんはテーブルの上に乗ってある先ほど私たちが持ってきた本をぱらぱらと捲り、とあるページを開いてもう一度テーブルの上に置く。


「魔法、の……術式……」

「じゅつしき?」

「えっと……魔法の……やり方……みたいな……」


 私には一切わからないけれど、丸い円形の絵やそれにきめ細やかに文字が書き連ねられているそれは魔法の手順を記したものみたいだった。


「って、これ街を地上から海中に鏡写しにする魔法じゃないですか。もう一つ街を作り上げる気ですか」


 ナギさんが腕を組みながら苦言を呈す。その様子にカンナさんは手招きをするように手を振りながら、微笑んでナギさんに言った。


「そんなこと言ってないわよ~。ただここから水の中で息ができるようになる魔法とか、浮力の魔法とか抜き出して~、新しく地上に行く魔法を作っちゃえばいいのよ~」

「新しくって……」

「ミナモちゃんとナギちゃんが力を合わせれば、いけるんじゃないかしら〜。だって二人とも魔法のエリートでしょ~?」

「そんな無責任なこと……まあ、やってみなくちゃ、わかんないですけど」


 目の前の会話から、地上に行ける可能性はなくはないということが分かった。それならば。


「……ミナモ、ナギさん。私……地上に行きたい。約束したんだ。いつかミナモに私の住んでた街を見せるって。そこで二人で星を見るんだって。だからどうか、お願いします!」


 私は二人に向かって頭を下げる。するとミナモも、ナギさんに向かって頭を下げ始めた。


「私、も……シオネと……星……見たい……お願い……!」

「……しょうがないなぁ。でも、やれるかはわからないよ。私だって、自分で魔法編むなんてやったことないんだから。……ミナモも、協力してくれる?」


 ため息交じりにそういうナギさんの顔は、案外嫌そうな顔をしていなかった。むしろ、喜んで協力してくれるといった感じで。


「うん……!」


 ミナモが頼もしく首を大きく縦に振る。それを見たナギさんは、立ち上がって私たちを見た。


「よし! それじゃあ一緒にやるよ! シオネ、数日かかるかもしれないけど、それまで待っててね。その間、私の分もちゃんとメイドの仕事こなすのよ?」

「……! ありがとうございますっ!」


 こうして、地上へ行く計画が、三人の中で立てられた。その道の先に、私の……シオネの答えがあると信じて。



***



「ミナモ、ナギさん。飲み物持ってきました」


 教会に行ってあの本を読んでから数日経ったある日、私は夜遅くにお盆に二つのカップとティーポットを持ってナギさんの部屋に入った。そこでは二人で本と紙に向き合うミナモとナギさんがいた。


「お、ありがとう。ミナモ、ちょっと休憩しようか」

「うん……」


 このごろミナモとナギさんは、各々の勉強や仕事が終わったあとナギさんの部屋に集まり夜遅くまで魔法の製作に取り組んでいた。魔法を一から生み出すのはかなりの時間を要するらしく、ものによっては数年かかるものもあるとか。我ながら無理難題を押し付けたと後から気づいた。


「なんか様になったねぇ」

「そうですか?」


 私が二人の前にカップを置いて、その中に飲み物を注いでいく様子を頬杖をつきながら眺めてくるナギさんにそう言われる。メイドになってからもう一週間近く経つ。仕事も覚えて、ナギさんの手助けなしで仕事をすることも少しずつ増えてきた。


「うん。立派なメイドさんだ」

「ありがとうございます。ちょっとは慣れてきたのかな」

「シオネ……メイド服……かわいい、よ……」

「えっ? えへへーそうかなぁー?」

「私とミナモで褒められたときの反応違いすぎでしょ」


 頬を赤くしながら頭を掻く私に今度はナギさんから冷ややかな視線が飛ぶ。カップにお茶を注ぎ終わると、三人分の椅子はなかったので私は近くのナギさんのベッドに腰掛けさせてもらった。


「魔法、どうですか?」

「うん、まあまあ順調かな。魔法においてはやっぱりミナモが凄すぎてさ。格の違いを見せつけられちゃって、妹として嬉しいような、遠い存在になっちゃったようで寂しいような」

「お姉ちゃん、は……ずっと……近い、人……だよ……?」

「……うん。そうだったね」


 その様子を見て二人は本当に姉妹に戻れたんだなと実感する。今二人が飲んでいるお茶は、少し前に姉妹に戻る手助けをしてくれた茶葉で淹れたものだ。ナギさんはこの茶葉を気に入ってくれたらしく、思い入れのあるお茶を二人で飲んでいるのも、それを手助けしてくれているのかもしれない。


「私も、なにか手伝えたらいいのに、魔法が使えないのが悔しいです」

「なに言ってんの。十分力になってるわよ」

「え?」

「言ったでしょ? あなたがいるだけで、ミナモの力になる。それに、一生懸命な優しい姿見せられると、こっちもやんなきゃって気分になるし、時々今みたいに差し入れ持ってきてくれるし、すごく助かってるわ。だから、シオネはシオネのできることをしてね」


 ナギさんの暖かな微笑みが、私の胸にすっと入って嫌な気持ちを溶かしていく。


「……はい。そうします」


 私はそれに頷いて、二人に応えられるようになろうと心に決めた。



***



「……シオネ……? なに……してるの……?」


 ミナモの部屋で机に向かい作業をしていると、もう寝ようとナギさんの部屋から帰ってきたミナモがその様子に可愛らしく首を傾げた。


「これだよ」

「……? 手紙……?」


 私が今手にしているのは紙とペン。そこには誰かに向けた言葉が書き連ねられている。


「そう。……地上に行くとき、もしかしたらそのときのシオネは『私』じゃないかもしれないから、もしそうなってもいいように、地上でミナモとやりたいことをメモしてたの」

「っ……」


 それを聞いたミナモは、少し表情を暗くした。出逢った頃なら気づかなかっただろうそんな小さな変化が、今の私にはわかってしまって、その分胸を痛く締め付ける。


「そんな顔しないで? 私、本物のシオネじゃないから、いつ意識を失うかわからないんだ。だから、もしかしたら私のままかもしれないでしょ?」

「それは……そう、だけど……」

「それにね、さっきナギさんに言われたから、やれることは全部やっておきたいんだ」


 先ほどのナギさんの暖かな笑顔を思い出す。この手紙が、二人の努力に少しでも応えられるようなものになれたらいいと願う。


「……そっ、か…………うん……シオネが……いい、なら……いい……」


 ミナモが頷いて肯定してくれる。それだけで、少し救われた気持ちになれる。


「とも、しび……おくり……?」

「? ああ、灯送り(ともおくり)のことね」


 私の手紙を覗き込んだミナモがそこに書いてある「灯送り」という文字に興味を示した。


「えっとね、私の街で毎年やるお祭りで、亡くなった人の魂が迷わずあの世に行けるように、魂に見立てた灯りを海に浮かべて流すの。綺麗なんだよ。日にちを間違えてなければ数日後くらいにやるはずだから、もし見れたら見たいなって」


 頭の中でその風景を想像するミナモは、うまく想像できたのか、目を輝かせてこちらを見る。


「うん……見てみたい…………そのときは……シオネも……あなたも……一緒に……」

「ごめんね、約束はできないかも。けど、もし『私』じゃなくても、楽しんできてね」

「……うん」


 私がミナモと小指を交わらせると、少し寂しそうにうなずいたミナモに胸がジンと痛んだ。



***



「できたんですか!?」


 魔法を作り始めてからちょうど一週間たった日。その魔法が完成したとナギさんから伝えられた。


「なんとかね。いやー一週間もかかるとは。でも魔法を一から編むなんて発明家くらいしかやらないわよ、フツー。まあその発明家もびっくりな魔法作っちゃったんだけど……自分の血を初めて恐怖に感じたわ」


 目を細めながら話すナギさんに、私は最大限の感謝をする。


「すごいです、本当に! 一から魔法を作っちゃうなんて……」

「まあ本を基に作ってるから暗中模索って程じゃなかったけど。それより、いつ行く? 私はいつでもいいよ」


 そうナギさんに問いかけられて、私は目を瞑って静かに考え、その答えを口に出した。


「……明日にでも行きたいです」

「明日かぁ。まあ先延ばしにしてなにかあるわけじゃないものね。それじゃあ、明日すぐに行くってことでいいわね?」

「はい。行かせてください」


 決意を込めた眼差して、ナギさんを見る。私はそこで、自分自身の答えを、ミナモと探しに行くんだ。

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