反転世界

 朝、ミナモのベッドで朝を迎えるのは三度目。いくらこの世界で目覚めようと、海に囲まれている事実は慣れそうにない。太陽が海越しなせいで朝日が弱いから朝だ、という気分になりきれないのも一つの要因かもしれない。


 そう寝ぼけ頭で窓の外を眺めていると、昨日と同じようにナギさんが朝食を部屋に持ってきて、それと同時に今日お出かけする際に着る服も持ってきてくれた。昨日の夜、ミナモはお姫様だからいつも通りの服装では浮いてしまうということで、少しカモフラージュになるような質素のものを持ってきて欲しいと私が頼んだのだ。けれど。


「……これが……質素?」


 それに着替えたミナモを見ると、床につきそうなくらい長かったスカートは膝下くらいの長さになり、至る所に施されていた装飾はなくなり、確かに以前お出かけしたときよりも大分質素にはなった。が、それでも艶やかな生地だったり清楚感を増す胸元の装飾だったりで滲み出る王族オーラは全然堰き止められていなかった。


「いやーうちお金持ちだからさぁ。一番質素なものでこれくらいなのよねー」


 苦笑いをしながら仕方ないから許して、という顔をするナギさん。まあ前より浮かなくなっただけ大分マシではある。


「あ、ちなみにこの服一着しかなかったから、シオネは自前の着て来た服着てね」

「はい……えまたあの服でミナモの横歩くんですかぁ!?」


 あのときの記憶が罪悪感とともに背筋を這い上がってくる。今回はナギさんの許しを得ているからお腹が痛くなる要素は無くなったはずなのだが、それでも痛いものは痛い。そしてミナモの横を歩いて浮いてしまうのは今回も変わらないわけで。


「……はい。覚悟を決めます」

「えなに、今から腹でも切るつもり?」

「死な……ないで……!」

「死なないから、モノの例えだから!」


 ナギさんの冗談に駆り立てられてミナモが私目掛けて突進してきた。勢いそのままミナモに羽交締めにされ意味もなく拘束されることとなった。ミナモは力が弱いからするっと抜けられたけど。



***



「遅い……」


 ナギに用意してもらった服に着替えたあと、出発する前にちょっと待って、とシオネがトイレに行ったのだが、部屋で待っていても一向に帰ってこない。ナギも仕事があるからと部屋から出ていってしまったので、一人寂しく待ち侘びている。


 少しばかりふてくされて椅子から垂れた脚をぷらぷらさせていると、扉がカチャリと開いた。


「お待たせ」

「シオネ……!」


 そこから出てきた人物に椅子から降りて近寄ろうとした瞬間、違和感を感じてぴたり、と足を止めた。


 やけに静かな雰囲気、落ち着いた目元。私をじーっと見ているその視線の持ち主は、おそらく。


「……もし、かして……『僕』……の、方……?」

「ははっ、すごいな。正解だ」


 顔をくしゃっとして笑う姿は少しだけ無邪気なシオネに似ていると思ったけれど、その顔が戻った瞬間、やっぱり似ても似つかないなと思った。


「キミにはわかってしまうんだね。それは魔法によるものなのか、はたまたキミが『私』のことを深くまで知っているのか……まあいい」


 そう言うと、シオネは振り返ってもう一度扉を開き、部屋から出て行こうとする。


「どこ行くの……!?」

「買いに行くんだろう? ナギさんへの贈り物を」

「あ、あなた……と……?」

「他に誰がいるんだい? 一緒にお出かけすると言っていたじゃないか」

「それは……『私』の方、で……」

「僕だってシオネだ。ほら、早くしないと日が暮れてしまうよ」


 目の前の人物に身構えているうちに置いていかれそうになって、閉じかけた扉の間をぎりぎりのところで抜けて後を追った。



***



 ナギに許可をもらったとはいえミナモと私の二人だけで外に行くことが城内の大人たちにバレたりしたら大事になってしまうから、ナギから教えてもらった城壁の抜け道を抜けて外に出る。


「ナギ……への……プレゼント、って……なにが……いいんだろ…………いつも、使ってるし……箒……とか……?」

「箒をプレゼントで渡されることがこの世にあるのかい?」


 城を抜け、人通りの多い道に出たところで歩きながらプレゼントの会議が始まる。この前森から抜け出したときも同じくらい人がごった返していた場所に出ていたが、今日は他の人の視線が注目しない。ナギの用意してくれた服が役立っているみたいだ。


「別にいつも使っているものじゃなくていいだろう。例えば……そうだな、僕のこのリボンだって、誰かさんからのプレゼントだ」


 シオネが後ろ髪の部分を指差す。シオネの髪を結んでいる透き通ったリボン。艶やかに生きているそれは、確かにプレゼントとしては最高のものだ。


 けれど僕の、という言葉に少し胸の内が曇る。そのリボンを嬉しそうに話していたのは「私」の方で、けれど本物のシオネは「僕」の方。そのリボンは、どちらのものなのだろう。


「そう、だ…………あなたは……そのリボン、が……誰から……貰ったもの……なのか……知ってる、の……?」


『私』が言っていた、そのリボンは誰からもらったものなのかは憶えていないと。けれど本物のシオネである「僕」ならば、なにか知っているのではないだろうか。


「……さあね。まあ、大事な人だったんだろう」

「そん、な……」


 さらっと答える様子は気にもかけていないと言った様子だった。


「そんなことより、プレゼントを探すことに集中した方がいいんじゃないかい?」

「そう、だね……でも……なにが、いいんだろ……」


 今通っている道は人通りが多い分、お店も多く並んでいる。その店ひとつひとつをシオネのリボンを参考に歩きながら眺める。けれどどれだけ探してもパッとくるものがない。


「そんなに首をきょろきょろしていると、いつか取れてしまうよ?」

「むぅ……」


 お城の中にずっといる生活をしていたせいであちらこちらと目につくもの全てが目新しいのもあって、ひとつひとつを見逃さぬようにしていたらそんなことを言われた。


「……まあ、キミがもしいくら探しても見つからないというのなら、少し僕のアテがあるところを探してみるかい?」

「ほんと……!? ……でも……アテ、って……あるの……?」


 シオネは昨日今日この街に来た身だ。街のことなんて私と同じくらいか、もしくはそれ以上に知らないだろう。


「ああ、あるとも。ちょっとした、ね。こっちだ」


 けれどシオネは私の考えを一蹴して手を引いて前を進んでいく。


 そうして少し歩いて曲がり角を右に曲がったあたり。人通りの多い道から外れ、建物と建物の影に隠れている道だからか、途端に人通りが減った。その道の端にひっそりと存在している扉の前に、シオネは足を止めた。


「ここだよ」


 シオネが指差す目の前の扉を見上げる。そこは小さなお店で、扉の横から看板が出てはいるが存在感があまり感じられずシオネが連れてきてくれなければ易々と見逃していただろう。そのくらい影が薄い。


 シオネが私と繋いでいるのとは逆の手で扉を開ける。古びた重々しい木造りの扉はゆっくりと開き、扉の上部についている小さな鈴をカランカラン、と揺らす。中はシックな落ち着いた雰囲気で、大人な香りが少し漂っていた。外の通りと同じように、この店にも見た感じ他の人はいない。


「いらっしゃーい……おや、いつぞやの……」


 扉のベルで中に入った私たちに気づくと、奥のカウンターから座りながら声を掛ける丸メガネの女性が目も合わせず少し気怠そうに出迎えてくれた。


「ああそうか。ミナモ、少し店の中を眺めて待っててくれ」

「……?」


 そう言い残すと、シオネは私から手を離して足早にカウンターに向かい、小さな声でその女性と話していた。


「少々……ワケありで…………昔の……で……」

「……なるほど。わかった」


 気になってしまい聞き耳を立てたけど、会話からはそのくらいしか聞こえず、理解できるほどの情報は得られなかった。話が終わったのか、シオネはその女性の元から戻ってきた。


「お待たせ」

「なに……話してた、の……?」

「気にしなくていい」


 それだけ言うと、シオネは店内を見て回り始めた。私もそれに倣って周りを眺める。棚に置いてあるものは、アクセサリーだったり、時計だったり、魔法に使う道具だったり。ありとあらゆる共通点のないものたちが並んでいる。


「ここは所謂雑貨屋ってやつさ。日常生活で使う小物が安いものから少しお高いものまで大体揃ってる。品揃えが結構いいんだ。その代わり店の大部分が商品で埋まってるけどね、ほんと窮屈だよ」


 確かに店内は外から見た印象よりも広かったが、その大半が商品の棚で埋まっていて足の踏み場は想像よりも少なかった。二人で横に並んで歩くのも危ういくらい狭い。


「ちなみにあの人に頼んでオーダーメイドしてもらうこともできる。まあその分高いけどね」


 シオネがカウンターで本を読んでいる先ほど会話していた丸メガネの女性を差す。


「めんどくさいから極力頼まないでもらえると助かるよ。適当に作るだけで金が貰える仕事だからやってるんだ」

「……ああは言ってるがちゃんと品質は高いから安心していい」

「なんか……ちくはぐ……」


 丸メガネの女性の気怠そうな受け答えにとりあえずオーダーメイドはしないでおこうと思った。


「そうだ……箒、は……あるの……?」

「なんでキミは未だに箒にこだわるんだい」

「あるけど」

「あるのか……」


 その女性が指差した方向に足を運んでいる最中、私の横を通り過ぎた棚にふと目に止まったものがあった。


「綺麗……」


 それは銀色の指輪だった。シンプルなものだけど、さりげない装飾がその味を引き出していた。


「……けど……高い……」

「まあ指輪だからね。それでも安い方ではあるんじゃないか? だとしても今の手持ちでは買えないが」

「ざん……ねん……」


 私を見つめる銀の指輪に別れを告げて、もう一度店の中を見て回る。


 箒はやめといた方がいい、とシオネに釘を刺され、アクセサリーが普段使いにいいかもしれないと思ったけど、あの指輪を見たあとだとどれもイマイチに思えてしまうようになった。


「なにも……ない……」

「雑貨屋に来てなにもないとはひどいな」


 小一時間お店の中でたむろしていると、不意に先ほどカウンターで本を読んでいた女性が後ろから話しかけてきた。


「やけに悩んでいるみたいだったから、つい話しかけてしまった。何を探してるんだい?」

「えっと……私の、メイドに……プレゼントを……しようと……思って……」

「ああ、ナギ君か」

「知って、るの……?」


 そう言うと、シオネの視線がその女性に鋭く飛んだ気がした。女性は頭を怠そうに掻いて口を開く。


「ああ。昔、五年前くらいに一度来ただけだけどね。大事な客の付き添いで来てたんだ」

「大事、な……?」

「それについては伏せるよ。プライバシーは守るタチなんでね。で、そのときに一緒に自分用と言って茶葉を買っていった記憶がある。好きなんだとさ、お茶」


 確かに、ナギの部屋を訪ねると、よくお茶を飲んでいたりする。ティーポットとカップもお気に入りのものがあるとか、メイドになる前くらいからずっと好んでいたり、思い出してみればお茶周りのことはこだわりが強い。私はあまりよくわからなかったけど。


「そのときは他ではあまり見かけない好きな銘柄がたまたまあったとか、そんなことを言っていたな。聞いていた感じこだわりが強めみたいだが、変なアクセサリーを買っていくよりもマシだろう。茶葉のある所まで案内しようか?」


 私が頷くと、その女性はお店の奥に向かって歩き出した。やがて店の隅にある棚に着くと、そこを指差した。そこには茶葉が何種類も積まれていて、茶葉の名前も違いもわからない私はその前で固まってしまった。


「へえ、こんなに沢山あるのか」

「ま、なんでも屋なんでね。頼まれたものは大体あるがモットーさ」

「めんどくさがりが経営するような店じゃないな……」

「うるさい。私にとっちゃ一番楽だったんだよ。それで? 先ほどから固まっているそこのお嬢さんは?」


 呼びかけられてハッ、と意識が帰ってくる。目の前の大量の種類の茶葉。それを見ただけでもう一度魂を飛ばしそうになるが、耐えながらいろいろ見ていく。ナギはこだわりが強いとさっき丸メガネの女性は言っていたから、もしかしたら好みじゃない茶葉を持っていってしまえば受け取ってもらえないかもしれない。とはいっても好きな茶葉なんて知らないし、どんな感じのお茶が好きかなんてのも知らない。


「あの……ナギ、が……好きな、の……どれ……ですか……?」

「難しいことを言うなぁ。銘柄まで憶えてないよ。なんせ五年前だ」


 帰ってきた答えに私はしゅんとしてしまう。するとその様子を見た女性は頭を掻きながら目の前の棚を探り始めた。


「確かにこだわりは強いのかもしれないけれど、プレゼントは気持ちがこもっていたらなんだって嬉しいものだろう。あまり考え込む必要はない。ほら、これなんかどうだい?」


 女性は棚の左上くらいから取り出した茶葉を私たちの前に見せる。


「うみ……せん、ちゃ……?」


 そこには「海煎茶」と名前が書かれていた。


「東方のお茶を模してアランヴェールで作ってみたものらしい。どれくらい似てるものなのかはわからないが、深い味わいがあった記憶がある。そこそこ飲みやすかったし、目新しさもあるからいいんじゃないか? 値段もそんな高い方じゃない」

「いい……かも…………シオネ、は……どう……?」

「いいと思うよ」


 横にいるシオネは満足そうにこくりとうなずいて、それに私は背中を押されながら、ナギへのプレゼントを決める。


「毎度あり」


 そのまま私たちはカウンターへと行き、シオネがナギから貰っていたおこづかいからお金を出してそれを買った。用事が済んで店を出ようとしたとき、キラリと視界の端で小さな銀色の光が見えた。


「あ……」

「……? そんなに気に入ったのかい、それ」


 銀色の光を追ってもう一度眺めたそれは、先ほど見つけた銀色の指輪。お店の中でプレゼントを探している間、ずっと心の中にこの指輪のことが残っていた。


「いつか大きくなったら買えばいい。それか、またナギさんにねだってみるか」

「さすがに……悪い、よ……」


 いじわるな笑みを浮かべているシオネ。もしそんなことをしたら、困らせるどころか普通に叱られる未来が難なく見える。私は心の中でその指輪にバイバイ、と別れを告げてそのお店を出た。


 そのあとは当てもなくふらふらと二人で街を見て回った。初めてお昼ご飯をお城の外で食べた。ナギやお父さんお母さん以外の大人と沢山おしゃべりするのも初めてだった。いろんな初めてを経験したその横には、ずっとシオネがいてくれて。一緒に笑って、ときには手助けしてくれて、私の手を前で引っ張ってくれて。


 ……楽しい。横にいるシオネが笑うたび、なんとなく、自分も嬉しくなる。この感じ、「私」の方のシオネでもそうだった。


 シオネのこと、もっと知りたい。シオネにもっと笑って欲しい。……でも、私は今、どっちのシオネを見ているのだろう。



***



 瞼を開くと、眩しい光が目の中に入ってきた。眠っていた……? いつ意識を失ったかすら思い出せないほど頭がぼんやりしている。


「あれ……? ここ、どこ……?」


 寝ぼけ目を擦って周りを見る。室内の中、私は横になっている。下はベッドのような感触だけど、ミナモのベッドより少し硬い。


「目が……覚めた……?」


 おっとりとした声とともに、私の顔を上から覗き込んでくる人影が見えた。


「ミナモ……?」

「そう……だよ……」


 私はミナモの頭にぶつからないよう慎重に身体を起こす。そうしてもう一度周りを見ると、石造りの部屋の中、ベッドが数個設置されている部屋で、ミナモと私以外の人は見当たらない。


「ね、寝てた? けど、今までなにしてたか全然……あ……また記憶が飛んだのか……」

「記憶……?」

「うん。たまにあるんだ。ふと気づくと、自分がなにしてたかわからなくなるの。今までの記憶がすっぽり抜けちゃった感覚。実は、この街に始めてきたとき……花畑で目覚めたときも、記憶が飛んでた」

「それって……」

「なにか知ってるの?」


 少し含んだ言い方をしたミナモは、私の言葉を首を横に振って跳ね返した。


「ううん……なにも…………ただ……いきなり……意識を……失って……」

「そっか……」


 私は胸に手を当てながら深呼吸をする。意識を失ったらしいが、自分の身体はそんな雰囲気を感じさせないくらい元気だ。気怠いところ一つすらない。


「私、確か出かけるために服を着替えて、それで……うーん……思い出せない……」

「あら~、目が覚めたのね~」


 一人で考え込んでいると、不意に部屋の右側にあった扉が開いた。そこから入ってきたのは車椅子に乗ったカンナさんだった。


「カンナさん! ここ、教会だったんですね」

「そうよ~。仮眠スペースに運んだの~。びっくりしたわよ~、教会の前にシオネちゃんが倒れてるんだもの~。どこか痛いところとか、苦しいところとかない~?」

「いえ、大丈夫そうです」

「そう~、それならよかった~」


 心配そうな顔を和らげて、カンナさんは胸を撫で下ろしている。ちらと窓の外を見ると、外が少し暗い気がした。


「ミナモ、今何時?」

「わからない、けど……もう……帰る、時間……」

「えっ、うそ!?」


 私はベッドから飛び起きると、ミナモが肩をびくっとさせた。


「なんで、お出かけは!?」

「終わった、よ…………ナギ、への……プレゼントも……買った……」

「えっ!? ナギさんへのプレゼント、もう選んじゃってたの!? 私も一緒にいた!?」

「うん……一緒に……いたは、いた……けど……」

「なにそれぇ~!」


 私はベッドの上のがっぐしと崩れ落ちる。お出かけの記憶は、私の中には一切ない。途中で意識を失ってしまう自分と、一日の記憶すら覚えていられない自分の記憶力とを呪った。


「まあまあ~、もう一度お出かけすればいいのよ~。それより~、もうそろそろ帰らないと、ナギちゃんが心配しちゃうわよ~」

「そう、ですね……帰ります……」


 世界が終わりかけているくらい沈んだ声で私は返し、ぐったりとしたままベッドから立ち上がる。よろよろと歩く姿は、横で支えてくれるミナモを心配させている。私たちはカンナさんについていきながら、部屋を出ようとする。


「そうだ~」


 不意に部屋の扉の前で立ち止まり、車椅子ごとくるりと振り向いてカンナさんがこちらを見る。


「この間、言い忘れていたことなのだけど~……シオネちゃん、ミナモちゃん。もし、二人が迷ったときは、私の元へいらっしゃい。だってここは、迷える子羊ちゃんたちを導く場所なんだから~」

「は、はぁ……」

「……?」


 カンナさんは妙に真剣な顔をしたと思ったら、すぐにぽわわんとした笑みを浮かべて、また前を向きなおしてしまった。その様子に、ミナモと顔を合わせて首を傾げる。な、なんだったんだろう。不思議なカンナさんのおかげで、ぐったりとしていた気分は半分くらいどこかに吹き飛んだ。



***



 お出かけから帰ったその日の夜、私たちはナギさんへ買ったプレゼントを渡すため、夜に部屋から抜け出した。


「お茶だったんだね。ナギさんへのプレゼント」

「うん……気に、入って……もらえると……いい、な……」

「絶対、気に入ってくれるよ」


 ミナモと一緒にナギさんの部屋までついて行く。ミナモ曰く、ナギさんの部屋はミナモの部屋がある棟とは別の棟にあって、少し歩かなければならないらしい。私はミナモに案内されながらその道を歩く。本来ならば寝ている時間に抜け出して来たから、廊下は薄暗くて、少し怖い。心なしか、私の手を握るミナモの手も強張っている気がする。それは、この暗さへの怯えからくるものなのか、それともこれから会う人への緊張なのか。多分どちらもが混ざっているのだろうけれど、親しいはずの、姉妹に会うだけなはずなのにこんな緊張を覚えてしまうのは、少し寂しいことだなと胸の奥が滲む。


「大丈夫だよ、ミナモ」


 ミナモの手を繋いでいる手は優しくぎゅっと手を包み込んで。もう片方の手はミナモを抱き寄せて、私の胸へと連れて来た。


「私がついてる。それに、ナギさん優しいでしょ? それは一番近くにいた、ミナモが誰よりもわかってるはずだよ」

「……うん…………ありがとう……シオネ……」


 ミナモが私の胸から顔を上げて、大丈夫だよと伝えてくれるように微笑む。私はそれに頷いて、ミナモを腕の中から解放する。


 ミナモの心の準備のためにもゆっくり歩いて、ついにミナモが一つの扉の前でぴたりと止まった。


「ここ……」

「そっか。よし、それじゃあミナモ、頑張れ!」

「えっ……? シオネ、は……ついて来て……くれ、ないの……?」


 心の拠り所がなくなって、ミナモの顔が絶望の色に変わった。それに対して私はできる限り悲しませないように笑って返す。


「うん。だって、これは姉妹のやりとりでしょ? 私が入る場所じゃないよ。それに、ミナモが一人で勇気を出してナギさんに伝えてようやく、その気持ちは伝わるんだよ。私がいたら、邪魔になっちゃう」


 できるだけ悲しませないようにしたつもりでも、ミナモは泣き出してしまいそうな顔で俯いてしまった。そしてしばらく沈黙が流れたあと、ミナモはゆっくりと顔を上げた。その目は、真っ直ぐ扉の向こうを見ていた。


「ミナモ、行けそう?」

「うん…………扉の、前で……待ってて、ね……?」

「うん、待ってる。約束」


 目を合わせて二人で頷く。ミナモが深呼吸をして、扉をその小さな手でこんこん、と叩く。「はーい」と部屋の中からナギさんの声が聞こえると、ミナモはゆっくりと扉を開いて、その中へと入っていった。そしてゆっくり、扉がパタン、と閉まる。


「ナ、ナギ……! えっと……私……!」


 その声が聞こえたら、私は扉越しに微笑んで、その場を去った。約束しておいて、ひどいかな。ミナモには悪いけど、その会話を私は聞くことはできなかった。だって、その会話は、ミナモとナギさん、姉妹二人だけのお話だから。



***



「……遅いなぁ」


 先にミナモの部屋に戻っていた私は、ミナモの帰りを待ち侘びていた。ミナモを部屋の中へ送り出してから数十分は経っている。


「もしかして、うまくお話できなかったのかな……」


 ナギさんとうまく話が出来ず、姉妹に戻れなかったとしたら。そしてその上で、約束を破った私が扉の前にいなかったら。ミナモの空虚な気持ちがすっと隙間風となって私の心に吹いた。それで、ミナモが落ち込んでしまっていたとしたら。どこかで泣いてしまっていたら。


「……探しに行こう。そして、謝らなきゃ」


 私はもう一度部屋の外に出て、廊下に立った。ナギさんの部屋に行くときはミナモの魔法で小さな光があったけれど、今は自分だけ。光源など一つもない。


「怖がってる場合じゃないよね。まずナギさんの部屋に行こう」


 私は壁を伝いながらナギさんの部屋までの道のりを頭に思い浮かべ、それを辿っていく。薄暗い廊下の中、記憶にある扉が見えて、私はそこまで歩く。間違いない、ナギさんの部屋だ。目の前に来てそう確認したあと、私は扉の前で聞き耳を立てた。


「――」

「――――」


 よく聞こえないけれど、誰かと誰かの会話のように聞こえた。まだミナモがいるのだろうか。もう一度姉妹に戻れて、仲良くお話しているだけならこのまま帰ったが、内容が聞き取れていない以上、明るいものなのか暗いものなのか、そもそもミナモとナギさんの会話なのかすらわからない。


 私は、部屋の中にいる人にバレないよう、ゆっくり、ゆっくりと扉を開いた。


「――シオネの……もう、一人の……人格の……」

「『僕』、か……ミナモも、遭ったのね」


 ……え? 今、なん、て……?


「あれ? 扉が……っ!? シオネ!?」

「えっ……! どうして……さっき、まで……いなかった……のに……」


 部屋の中から驚いた声で名前を呼ばれ、もう隠れられないと悟り私は扉を大きく開いて、部屋の中へと入る。そこにはミナモと、ミナモからもらったプレゼントを手に持っているナギさんがいた。


「あ、あはは……ごめんなさい。盗み聞きなんて、趣味悪い、よね。えっと、姉妹に、戻れたんだね。えっと……」


 私は先ほどの二言の会話だけで、頭の中が渦に呑まれていた。必死に言葉を紡ごうとしても、続きが出てこない。


「……シオネ」

「ごめんなさい…………私の、もう一人の、人格って……なんですか?」


 なにか喋らなきゃ、と必死に喉をつついたら、出てきた言葉はそれだった。頭がぐるぐると巡る音がうるさくて、自分の言葉が自分自身で聞き取れなかった。


「シオネ。何かの聞き間違いよ。そんなこと」

「大丈夫です、気を遣わないでください。……ごめんなさい、もう戻りますね」

「あっ……シオネ……!」


 私は二人から目を逸らすように逃げ出した。暗い暗い廊下の中、なにも考えられず、考えることなんてできずに、ただ一心にミナモの部屋へと縋りついた。

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