未知なる姿

 私はぼーっとしながら窓の外を眺めていた。昨日より、海が明るい。それは、今が朝だという証拠だった。私は暗闇の中でミナモと話した後、ちゃんと夜を明けられたらしい。何よりの証拠となるのは、窓の外の斜め上にいる太陽。どこまでも遠く、終わりの見えない海の遥か上から、太陽は自慢げに光を差し込んでいる。その光は、海を爽やかに透き通らせ、夜とはまた違う幻想的な青の世界を作っていた。


「……はっ」


 まだ寝起きで頭が起きていないのか、それとも窓の外の風景に見惚れてしまったのか、今、パジャマから着替えようとしていたことを忘れていた。もうパジャマは脱ぎ終わり、あとは服を着るだけなのに、その工程の途中で全てが頭の中から吹き飛んだ。


「着替えなきゃね」


 私は昨日着ていた服をもう一度着る。服はこれくらいしかないし、ミナモの服を借りてしまうのは少し遠慮したかった。


 ふと袖に腕を通した時にあることに気づいた。服は乾いている。


 一日経ったのだから、もし水に濡れていたとしても乾いていておかしくはないのだが、昨日、ミナモに初めて逢ったあのとき、花畑にいたときも、濡れている記憶はなかった。


 私は海に溺れでもして気を失って、そのうちにここへ沈んできたとでも思っていたのだけれど、もしそうなら全身がびしょびしょになっていると思う。気づかなかったということは多分ない。全身が濡れていれば誰だって気づく。ということは、私は海に沈んだわけではないのだろうか。濡れない方法で、この海の下にある場所へと一人辿り着いたのだろうか。そっちの方が考えられない。やっぱり、夢でも見ているんじゃないだろうか。


 でもこれは現実だ。昨日頬をつねっても痛いだけで終わったし、寝て起きて、夜から朝に変わったってなにも変化はない。夢の中で寝るなんて聞いたこともないし。つまるところ、夢である可能性は低い……というより、多分ない。あらゆる理由をこじつけて夢にしてしまう方が今は難しい。


「シオネ……? 着替え、られた……?」


 ぎぃ……と後ろの扉が開く音がして、振り返るとミナモがいた。


「あ、ごめん。もう着替え終わるから」

「別に……急がなくても……いい…………やっぱり……服……貸した、方が……よかったんじゃ…………二日……同じ服……着るの、って……」

「う、ううん、大丈夫!」

「……シオネが……そういうなら……」


 ミナモは首を傾げている。パジャマは借りたのに、どうして普通の服は借りないんだろう、とでも言いたげに。そしてそれはミナモを見ればわかった。


 ……ドレスじゃないか、完璧に。心が洗われそうなほど白い生地に、地に着きそうなほど長いスカート。フリルがあしらわれ、さりげないながらも、煌びやかな装飾が至る所に施されていて。それはお姫様の格好で、どう考えても私が着られるものではなかった。いやでも、私みたいな布を紐でやりくりして服の形を保った単色なものと緻密で精巧なドレスが並ぶのは浮きに浮くから、もしかしたら借りてしまう方が得策だったかもしれない。でも、慣れない土地で慣れない服まで着てしまえばなにもできなくなってしまいそうで怖かった。


「そうだ……シオネ……これ……」


 頭のリボンを結び終わって着替えが終わった私を見ると、ミナモは先ほどから手に持っていたパンを手渡してきた。


「朝、ごはん……これくらい、しか……持って……来れ、なかった……」


 少し前にベッドから起き上がったミナモと私は、私の分の朝ご飯をバレないように調達するためにミナモが朝ご飯を食べるときにナギさんにパンをねだっていつもより多めにもらって、それを持ってくるという作戦を立てていて、ミナモはそれを遂行してきた。


「ううん、大丈夫。食べられるだけ感謝だよ、ありがとう! そうだ、ご飯食べ終わったら、一緒に来てもらえないかな?」

「……? いい、けど……なに……するの……?」



***



「どこ行くの……?」


 ご飯を食べ終わった後、私はミナモの手を引いて昨日庭からミナモの部屋へと潜り込んだあの抜け道を今度は部屋側から通っていた。


「ちょっと、外を見てみようと思って」


 埃っぽい倉庫を抜けて、壁沿いに伝っていくと、花畑くらいの広さがある庭に出た。そこは昨日私が目を覚ました場所。昨日見たときは夜だったから深い青に覆われていたけれど、今は朝だから爽やかな青が広がっている。窓から見た小さな世界とは違って目の前に広がる大きな世界に、少し見惚れてしまう。


 私は昨日どうやってここに来たのか、元いた街への帰り道がないかなどを確かめに外へ探索に出るつもりでミナモの手を引いている。


「ま……待って……! 勝手に……お出かけ、したら……怒られちゃう、よ……?」

「大丈夫だよ、見つからないようにする! それに、昨日ミナモも勝手に部屋から抜け出してたじゃん」

「あ、あれは……」


 少しずるいことをわかっていながら、昨日のことを引き合いに出す。ミナモが部屋から抜け出してくれていたから、今私はミナモとこうしていられるわけだけど。


「それに、こんな海に囲まれた場所なんて見たことないから、ワクワクするの! この壁を超えた向こうにどんな景色があるのか知りたい! それに、ミナモが一緒なら知らない場所でも心強いから!」

「心、強い……? 私……ここから……出たこと……ない、よ……?」

「えっ?」


 予想外だった。生まれた時からこの街にいるというからここのことに詳しいだろうと思ってついてきてもらおうとしたのだけれど、お互い街の外は知らないみたいだ。


「そっか……よし! それじゃあ一緒に冒険しよう!」

「えっ……!?」

「楽しいことは二人なら二倍! それに、ミナモと一緒に見に行きたいな! 絶対綺麗な景色が広がってるよ!」


 私は引いていた手と逆の手でもミナモの手を握って、両手でミナモを引っ張る。その勢いについていけなかったのか、ミナモはあまり波の立たなかった表情を目に見えてわかるくらいにぽかんとさせて、固まっていた。


「あー……もし嫌だったら、部屋に戻ってもいいけど……ごめんね、勝手に」

「……ううん……外の、世界……見てみたい…………今まで……見ようとも……思わなかった、から……ものすごく……気になる……」


 ミナモは私の手を握り返してくれて、初めて私に向かって笑った。昨日ベッドの上では笑い声しか聞こえなかったから、笑う顔を見るのは初めて。波のない表情はそのままだけど、仄かに笑う表情は、緩やかな波とともに嬉しさが直に伝わってくる気がした。


「よし、それじゃあ冒険にしゅっぱーつ! ……とはいっても、どうしたものかな」


 外に出られる道はあの抜け道しか知らないからとりあえず出てきたものの、花畑は私の身長の二倍くらいある石でできた壁に囲まれており、唯一ある道といえば昨日ナギさんがミナモを引き戻すときに出てきた渡り廊下だけだ。しかしあそこを通ってたどり着く場所はおそらく外ではなく室内だろう。それに、ナギさんが出てきたということは普段人が通る場所、流石にそこに行く勇気は到底なかった。


「……なにかこの壁登れる魔法とかない?」


 早くも万策尽きた、というよりはそもそもなにも思いつかなかったので、魔法の力を過信してみる。一番無茶ぶりに対応できそうなものだというのもあるけれど、単純にどんな魔法があるのか見たいという欲も少しはあって、早くも頼ることにした。


「そんなのは……多分……ない……」

「あはは、そっかぁ……」


 私は恥ずかしさを隠すために目を細めながら頭を掻いた。他の方法を考えようと再度思考を巡らせようとしたとき、ミナモはもう一度口を開いた。


「……けど……方法は……ある、かも……」

「ほんと!?」

「うん……しっかり……掴まってて、ね……」

「え?」


 そう言いながらぎゅっと私の手を握ってくるミナモに驚いていると、次に起こるものへの心の準備は一切できなかった。


 ミナモがぽつぽつと目を瞑ってなにかを呟いたと思うと、突如ものすごい轟音とともにミナモと私の身体が宙に舞った。


「うわあぁーっ!?」


 肌に当たるなにかの圧の強さとそれに靡く服に自分の身体を持ち上げたのが風だと認識する前に、先ほどまで見上げていた壁の上に乗っかった。


「へぶっ!」


 乗っかったという感じよりかは、顔から激突した。そこまで高いところから落ちたわけではないから痛いだけで済んだけど、痛みはしっかり大きめのものが来た。それなのに手を繋ぎながら横で突っ伏しているミナモは、宙を舞っているときも表情を変えず、同じように顔から着地したときも声一つ上げずに地に付した。


「いったた……って、大丈夫ミナモ!?」


 私は横でうつ伏せの状態のまま動かないミナモに気づくと、感じていた痛みが全部吹き飛んだ。


「ん……大丈夫……」


 声をかけると、ひょいとさも何事もなかったかのようにミナモは顔を上げた。その顔は先ほどまでのぼーっとした表情を保ち続けていた。


「はぁ、よかったぁ。さっき、なにしたの?」

「風を、起こす……魔法…………これで、飛べば……行ける、かなって……」

「も、ものすごい力技……」


 現に今壁の上に乗っているので成功ではある。にしても、子ども二人とはいえ人間二人を浮かせてしまうほどの風を起こせてしまうなんて、魔法は想像以上にすごいのかもしれない。


「……あー」


 ふと興味本位に先ほどまで自分たちが立っていた場所を見てみると、周りの花が風に突き飛ばされてぐちゃぐちゃになってしまっていた。


「ごめんなさい!」


 私は散ってしまった花たちに手を合わせて謝る。その瞬間、渡り廊下の方から声が聞こえてきた。


「なんかものすごい音聞こえたのだけど!?」

「……! ナギの、声……!」

「えっ、嘘やばい!」


 その声に反応したミナモが心なしか焦っている気がした。このままではナギさんがこちらに来てしまうと直感した私は反射でミナモの手をもう一度とって花畑と反対側の方へ向かう。


「ミナモ、ここから降りよう!」

「え……」


 ミナモは嘘でしょ? と言うように目をぱちぱちとさせた。先ほどあの場所から見上げたとき、壁は私の二倍近くあったから、大体三メートルくらいだろうか。風で飛ばされるよりはマシだと思うけど、怯えているミナモを見て、私は先に降りてみせることにした。


 ミナモを引っ張っていた手を放して、壁にぶら下がるようにしてから手を離し、極力衝撃を少なくして着地する。


「ほら、ミナモも。同じようにやってみて」

「む、無理っ……!」


 ミナモは完全に目を瞑ってしまった。壁の向こうからは「こっちからかしら」とナギさんの声がもうそこまで来ているぞと知らせてくる。


「ミナモ、そこから飛び降りちゃおう!」

「だから、無理っ……!」


 すくんでしまったミナモは目尻に涙を浮かべながらふるふると首を弱々しく横に振る。


「大丈夫! 絶対、私が受け止めてみせるから! だから飛び降りるんだ、ミナモ!」

「シオ、ネ……? わ、わかった……!」


 そう頷いたミナモはもうそこまで来ているナギさんの声に振り向いたあと、前を向いた。その表情は不安ながらも飛び降りることを決意した様子だった。


「すぅ……はぁ……すぅ……はぁ…………えいっ……!」


 浅い深呼吸を数回した後、目を瞑って私の方へと飛び込んできた。私が降りたのとは全く違う、赤子のようにうずくまりながら背中から落ちる姿を見て、私は一歩前に出てミナモに手を伸ばす。


「ミナモっ!」


 すとんと、私の腕の中にミナモが収まった。お姫様抱っこのように綺麗に収まったが、その衝撃を受け止めきれず私はお尻から後ろに倒れた。


「シオネ……! 大丈、夫……!?」

「あはは、大丈夫だよ。尻もちついちゃっただけ。それよりミナモ、よく頑張ったね!」


 私は地面に座りながら、ミナモの脚を抱えていた手をミナモの頭へと持っていき、わしゃわしゃと撫でる。ミナモはされるがままに撫でられている。反応が薄いので嬉しいのかそれとも逆なのかわからない。


「それにしても、ミナモ軽いなぁ。いくらでも持ち上げられちゃう!」

「ちょ……ちょっと……」


 私は頭を撫でていた手をもう一度脚に戻してミナモを抱えながら立ち上がる。その場でくるりと回ってみたり、ジャンプしてみたり、それでも苦じゃないくらいミナモは軽かった。私より身長がちっちゃいのもあるかもしれないけど、小柄でお人形さんみたいだ。ミナモが少し困ったような顔をしていた気がしてすぐに申し訳なさが滝のようにやってきた。


「あはは……ごめんね、つい」

「うわっ花が!? 一体誰が……」


 壁の向こうからナギさんの嘆く声が聞こえてきて、背中がびくっとした。


「と、とりあえず、ここから離れよっか」


 ミナモが頷いたのを見て、私はもう一度ミナモの手を引く。後ろに聞こえるナギさんの声に罪悪感を感じて小さく頭を下げてから、私たちはその場を後にした。



***



「うへー……」


 壁を越えた先には森のような場所が広がっていたので、手探り状態のまま歩いていたら、街の通りのような人通りの多い場所に出た。そこで私は先ほど自分たちが出てきた花畑の方向を見てみると、とんでもないものが聳え立っていた。


「お城じゃん……」


 周りを見れば一番目を引く建物。視界の中にある建物の中で飛びぬけて大きい。山のように聳え立つその建物の前には門が見え、その横には見張り役の人たちが二人ほどいた。私は、今までお城の中にいたのだ。


「そういえば、メイドさんとか普通にいたもんね……もしかしてミナモって、お姫様?」

「……? よく……わからない……」

「そうなの?」


 首を傾げるミナモはそもそもそういう概念を知らないといった感じだった。けれどナギさんは「お嬢様」と呼んでいたし、もしそうなら私は勝手にお姫様をお城から連れ出してしまったということになる。


「だ、大丈夫かな……」


 というか、お城の中にいたというなら先ほど超えた壁は城壁で、花畑はお城のもので、それを荒らしてしまったと考えると、どんでもないことをしてしまっている気がする。


「あのおんなのこ、きれい! おひめさまみたい!」

「こら、指差さないの」


 ふと近くを通った親子のそんな会話が聞こえてきた。女の子が指差したのはどう見てもミナモで、青ざめる私の罪悪感をその指でさらにつついた。


「私……お姫様……なの……?」

「さ、さあ? でも、もしかしたらちょっと目立っちゃうかもしれないから、どこか隠れられる場所探そっか!」


 私はこの場にいたくない一心で今度は強引にミナモの手を引いて、その場から走り去った。


「わっ……」

「おっと。大丈夫、ミナモ」


 少し走った場所で、ミナモが転びかけたのを、私はミナモを引っ張っている手と逆の手で受け止めた。よく見るとミナモは、それこそお姫様のようなドレスを着ていたのを忘れていた。靴だって走りやすいものではない。海のような深い青に染まった髪も地面についてしまいそうになっている。


「ごめん、走りにくいよね。気づかなかった」

「ううん……いいの……」

「少し、休憩できる場所とかないかな……あっ、あそこ人通り少なそう。あそこいこ」


 私は建物と建物の間に一目から逃れられそうな場所を見つけて、ミナモが辛くない範囲で最高速を出してそこに駆け込んだ。


「ふぅ……思った通り、あまり人目につかず休めそうだね」


 私はちょうどいい石畳の段差を見つけて、そこに座り込んだ。そしてミナモも座るよう隣をぽんぽんと叩く。


「ミナモも……あ、そのドレス、汚れちゃうか……」

「ううん……平気……」

「でも、せっかく白くて綺麗なのに……」

「大丈夫…………もう……下のとこ……少し、汚れてる……」

「あ……」


 ミナモが指し示すスカートの裾を見ると、少し茶色くなってしまっていた。私はそんなことも気づかず、ミナモを連れまわしてしまった。


 申し訳なさに沈んで俯いていると、ミナモは隣に座ってきた。


「……ミナモ。足、痛くない?」

「ん……平気……」

「そっか…………ごめんなさい」

「どうして……謝る、の……?」

「だって、私のわがままで、ミナモを連れ出して、服も汚しちゃって。自分勝手だったなって」

「そんなこと、ない……私……ついて、いきたくて……ついてった…………それに……嬉し、かった……」

「え?」


 予想だにしなかった言葉が聞こえてきて、私は俯いていた顔を上げてミナモの方を見た。ミナモはいつも通り表情を変えず、けれど優しい声色で喋り続けた。


「一緒に……冒険……しよう、って…………一緒に……外を……見たい、って……言って、くれて……嬉しかった、んだよ……? だから……顔を上げて……ね……?」

「……うん、うん……! ありがとう、ミナモ!」


 私は込み上げてくる感情とともに最大限の笑顔をミナモに向けた。それにお返ししてくれるように、ミナモはあまり変わらない表情の中でできる限りの笑顔を浮かべてくれた気がした。


「それじゃあ……そろそろ……行く……?」

「そうだね。休憩終了……の前に、ミナモ。ちょっとこっちに背中向けて」


 ミナモは不思議そうに首を傾げる。それを見て、私は自分の髪に結ばれたリボンを解いた。


「せめて髪だけでもこれ以上汚れないようにしたいなって。このリボンで」

「……! でも……それ……シオネの……大切、な……」

「いいの。ミナモの髪が汚れちゃうほうが私は嫌だよ。それに、そっちの方が、このリボンも喜ぶと思うな」

「リボン、が……? ……そっ、か…………それじゃあ……」


 ミナモは頷いて私に背中を見せた。座ったせいで地面に降りてしまった髪を見て、私はできる限り髪が地面についてしまわないように張り切る。


「結ぶって言っても、私髪の結び方全然知らないや。ハーフアップは長さあまり変わらないから意味ないよね。となると、頭の後ろで結んじゃうのがいいかな……少し重たいかな」

「ううん……平気……」

「そっか。なら、そうするね」


 私はミナモの髪に触れる。深い海の色をしたその髪は艶やかで、少し癖っ毛なのか柔らかくふんわりしている。髪の感触が心地よくて、いつまでも触っていたくなって少し手で遊んでしまう。はっ、と本来の目的を思い出すと、私はミナモの髪をそのリボンで結び始める。


「……さっき……リボンも、喜ぶって…………言った……でしょ……?」


 背中を向けたまま、ミナモがぽつりと口を開いた。


「うん。なにかあったかな?」

「昔……聞いたこと……ある……だけ、だけど…………物にも……魂、とか……心とかが、あって…………心があるもの、は……魔法がかかる……ことが……ある……らしい……」

「へぇ! もしかしたら、このリボンにも魔法がかかってたりするのかな。可愛くなる魔法とかかけられてたらいいな」

「うん……きっと……かけられてる…………だって……あなたの……大切な、宝物……でしょ……?」


 昨日ベッドの上でミナモとした話。潮風の匂いが染み込むほど使っていた、大切な誰かから貰った、大切なもの。どれだけ潮風に吹かれても色褪せない青を宿すそのリボンには、きっとその魔法が宿ってるんだろうなと感じる。


「そうだね。それじゃあ……」


 私は髪を結び終わると、ミナモの髪を託したそのリボンに手を当てて、目を瞑る。


「ミナモの髪が汚れませんように。あと、可愛くなりますように。……欲張りかな」


 そもそも魔法が宿っていたとして、それが願いを叶えてくれるものなのかはわからない。けれど、そのリボンなら、きっと叶えてくれる。長年の付き合いだから、それくらいわかった。


「ううん……きっと……叶えて、くれる……よ……」


 ミナモが振り返って、私の心を後押しするように微笑みかけてくれる。私はそれに笑い返して頷いて、その場で立ち上がる。


「それじゃあそろそろ……って、ん?」

「……? どうした、の……?」

「あ、いや、ちょっと私の住んでた場所のこと思い出してて」


 冒険を再開しようと立ち上がると、先ほどまでいた人通りの多い道の逆方向、私たちの後ろに斜め左にカーブしている道が伸びていることに気づいた。私はその道を指差した。


「私の住んでたとこにも、こんな感じに曲がった抜け道があってさ。昔遊んでたときに見つけたんだ。あっちは、右に曲がってたけど。その先に、左右と真っ直ぐの三つに分かれてる道があるんだ」

「そう…………行って……みる……?」

「え? うん、別に行く当てもないからいいけど」


 ミナモも立ち上がると、前が私、その後ろにミナモがついてくる形で一列になってその細い道を通って行った。すると、見覚えのないはずの、左右と真っ直ぐの三つに分かれた道が出てきた。


「嘘……三本に分かれてる……」


 その道は見覚えのある形で私の目の前に現れた。少し違うといえば、私の住んでた場所にあったものは左の道だけが坂になっていたが、こちらは右の道だけが坂になっている。


「もしかして……シオネ……預言者……?」

「そんな能力持ってないよ! でも、偶然とはいえ言い当てちゃった…………あのね、この道を真っ直ぐ行くと、今度は真っ直ぐと右にカーブしてる分かれた道が出てきて、右の道に行くと、私の家に着くの」

「シオネの、家……? ……行こう」

「え、ちょちょ、待って」


 私の手を引っ張って前を進もうとするミナモを掴まれた手で引き留める。


「もし本当に分かれ道があったとして、多分そこに私の家はないよ? だって、見たことある道だけど、ここに来たことはない、というか……えっと、なに言ってるんだろ……」


 自分で言いながらなにがなんだかわからなくなってきて、頭を抱える。するとミナモは繋いだ手と逆の手で私の頭を撫でてきた。


「ふふっ……おもしろい、シオネ……」

「も、もう、笑わないで!」


 笑ってるかどうか正直わからないくらい表情は変わっていないが、面白がっているということは笑っているのだろう、多分。


「大丈夫……どこにも……行く当て、ないなら……せっかく、なら……行こ……?」


 たどたどしい言葉とともにミナモは繋いでいる手にきゅっと少し力を込めた。私はそれに握り返しながら頷く。


「うん、そうだね。よし、行っちゃおう!」


 もう一度私が先頭になって、一列になりながら狭い道をくぐっていく。しばらく進むと、狭い道の中私たちの目の前に現れた。


「……道が、分かれてる」


 そこには、先ほど言った私の言葉を後押しするように道が二つに分かれていた。……真っ直ぐと、左に。


「さっき……言ってた、のは……真っ直ぐと、右……だった……よね……?」

「うん。でも、こんな感じのカーブの仕方だった」


 左に分かれている道は、緩やかな弧を描くように伸びている。その軌跡は私の記憶にあるものと方向以外はぴったり当てはまっている。


「なんかさっきからちぐはぐだなぁ。当たってるのか、外れてるのか」

「でも……言ってた、こと……大体……あってる、から…………もしか、したら……左に……曲がれば……シオネの、家……着くかも……」


 先ほど言ったことを辿るなら、今目の前で左に弧を伸ばすその軌跡を辿った先に私の家はある可能性が高い。本物の私の家である可能性は低いだろうけど、私の家に似たなにかがあるかもしれない。


「まあ、もうここまで来ちゃったら行くしかないよね。行こう」

「うん……」


 その先になにが待ち構えているかは一切わからないけれど、なにか私がこの場所にいる理由が少しはわかることを期待して、ミナモを引っ張りながら前へ前へと進んでいく。


 やがて、細長い道の暗がりに外からの光が差し込んでいる場所が見えた。私はミナモと顔を合わせると、その光へ一直線に突き進んだ。


「着いた……! ここは……どこ?」


 周りを見渡すと、開けた場所へと躍り出た。少なくとも、私の家ではなさそうなその場所をきょろきょろと見渡していると、後ろにお城ほどではないが大きな建物が建っていた。真ん中にある大きな木造りの扉の上には、十字を模った飾りが施されている。


「……教会?」

「あ……ここ……」

「? ミナモ、なにか知ってるの?」


 私の質問にミナモが目を合わせて口を開こうとした瞬間。


「あらあら〜お客さんかしら〜……って、あら〜? あなたは……それに、ミナモちゃんじゃない〜」


 突然、おっとりとした口調の声に話しかけられて肩が飛び跳ねる。声がした方向を見ると、一人の女性が目の前に座っている椅子ごと現れた。私はそれを見てカチリと身体が固まった。


「ご、ごご、ごごご……」

「ご〜?」

「ごめんなさいぃーっ!」


 私が空を切る音が聞こえるくらい激しい勢いで頭を下げると、目の前の女性から驚いた声が聞こえてきて、繋いでいたミナモの手がビクッとしたのを感じた。



***



「本当にごめんなさい……」

「びっくりしちゃったわよ〜。いきなり頭を下げるんだもの〜。ごめんなさいね~、驚かすつもりはなかったのよ~」


 私は下げた頭を上げさせられ、そのまま話しかけてきた女性に教会の中へ連れて行かれた。カラカラ、と会話の中に響く音は目の前を先導する女性の車椅子からするもの。女性は先ほど急に現れたときは焦りのあまり椅子に座っていること以外わからなかったけど、よく見たら椅子の左右に車輪がついていて、それが車椅子だということに気づくのは少しかかった。教会の中へ連れて行かれるときに、誰か手助けをしたわけでもなく車椅子の車輪が自ら回り始めたときは、私にさらなる驚きを与えた。少し冷えた今の頭で考えれば、それは魔法のせいだろうとすぐに予想がつく。


「いえ、私が悪いんです。なんか、怒られると思っちゃって……」


 私は教会の廊下を歩きながら頭をもう一度下げる。お城からお姫様をこっそり連れ出したといえば少しワクワクするような響きだが、実際はものすごく悪いことをしているのは自分でもわかっているわけで。


 先ほど目の前の女性が話しかけてきたときに「ミナモちゃん」と言っていたのを聞いて、ミナモを知っている人ということは、今の状況について怒られてしまうかもしれない、と考え防御反応で咄嗟に頭を下げた。


「ふふっ。確かに、いつもはナギちゃんといるミナモちゃんが、私も知らない子と二人っきりでお城の外へお出かけしてるなんて、なにかあるって感じだものね〜」

「うっ、えっと、その……ミナモはなにも悪くなくてっ、ただ私が……」

「いいのよ〜。なにかワケアリって感じだもの、なにも訊かないでおくことにするわ〜」

「い、いいんですか?」

「大丈夫よ〜。訊かれたくないことなんでしょう〜? ちゃんとナギちゃんにも内緒にしておくから〜」

「ありがとうございます……」


 私は申し訳なさが積みに積み重なって俯きながらでないと歩けなくなった。その様子に不思議そうにミナモがたびたび下から顔を覗いてくる。


 不意に子どもが数人走り抜けて行った。車椅子の女性に元気な声で挨拶を交わしながら風のように過ぎ去っていって、その風に気圧されて俯いていた顔がようやく上がった。


 一つの扉の前で車椅子の女性が止まると、その扉を開けて私たちを中に入るよう促した。そこはテーブルと椅子が数個ある小さな談話スペースのような場所だった。私はその女性とテーブルを挟んで座った。女性は車椅子ごとテーブルの前に移動して止まり、ミナモは私と隣同士で座った。


「そうだわ〜。まだ自己紹介をしてなかったわね〜。私はカンナ、この教会でシスターをしているの〜」


 車椅子にばかり目が行っていたが、カンナと名乗ったその女性は修道服を着ており、胸元には扉の上にあるような銀の十字架がある。それらから確かにシスターであるとわかった。


「教会……そうだ。ねぇミナモ、さっきこの建物見て、なにか言いかけてなかった?」


 抜け道を通ってこの教会の前にたどり着いたとき、ミナモはこの場所を知っているという様子だった。私のその質問に、ミナモが答える前にカンナさんが口を開いた。


「ミナモちゃんは小っちゃいころ、よくここに遊びにきてくれたのよ〜。ここって、教会として神さまにお祈りする場所でもあるけど〜、街の子どもたちの面倒を見る場所としても使っているの〜」

「なるほど。だからさっき廊下を通ったとき、子どもたちがいたんですね。小さいころ、ミナモもそれに?」

「そういうことよ〜。最近はめっきり来なくなっちゃったけど〜」

「もう……おっきく、なったから……来なくなった……」

「おっきく? まだ小さいじゃん」

「ちっちゃく……ないもん……! 私……もう……十四歳、だもん……!」

「じゅうよ……へっ!? 私と同い年なの!? 三つくらい下だと思ってた!」


 目の前ではち切れんばかりに頬を膨らませるミナモは、私より頭一つ分くらい小さい。廊下を駆けている子どもたちと混ざっても違和感がないくらいには幼く見える。


「もうそんなになるのね〜、立派なお姉さんじゃない〜。今度はみんなのお姉さんとして、遊びに来てもいいのよ〜」

「うん……また、いつか……」

「ふふっ。それじゃあ次は〜、あなたのことも聞かせて〜? この街で見たことない顔だもの〜」


 そう言ってカンナさんは私に優しい視線を送る。お母さんのようなその眼差しは、私の警戒心を痛みなく解かす。目を合わせると、確かに子どもたちを見守る人の目だと直感した。


「私はシオネっていいます。えっと、実は昨日この街に来て……というより、目覚めたら突然、この場所にいたんです」


 私はそれに続いて昨日花畑で目覚めたことからミナモを連れ出して冒険に出た今までの話を一通り話した。カンナさんは後ろめたい話でも優しい表情を崩さずに相槌を打ってくれるから、カンナさんが訊かないでおいてくれたワケアリな話も自然と全て話してしまった。


「なるほど〜、そうだったのね〜。それは大変ね〜。ちなみに〜、あなたの元住んでいた場所はどんなところなの〜?」

「えっと、海の上にあって、空には海の代わりに青空があって……」


 カンナさんがなにか私の住んでいた街についてもなにか知っていたりしないかと思いながら昨日ベッドの上でミナモに喋った話をもう少し纏めて話した。


「そっかそっか〜、そんな素敵な街なのね〜♪」


 楽しそうに話を聞いてくれるカンナさんからは、自分の街を知っている可能性は低そうだった。そうしたら今度は、私がカンナさんにこの海に囲われた街のことを訊いてみようと思った。


「あの、カンナさん。この街が、どんなところなのか、教えていただけませんか?」

「いいわよ〜。私が教えられること、ぜぇんぶ教えちゃうわね〜♪」


 手を合わせて微笑むカンナさんは、コホン、と一つ咳き込んで、この談話室の空気をカンナさんの話の色に変える。


「ここはアランヴェール、海に囲まれた魔法の街。この街に住んでる人はね、みんな魔法を使えるの〜。シオネちゃんもミナモちゃんの魔法、見たでしょ〜?」

「はい……って、あれがみんな使えるってことですか!?」

「そういうことよ〜。まあミナモちゃんは魔法を使うのがすっごく上手だから、みんなミナモちゃんほど使えるってわけじゃないけどね〜。そしてみんなが魔法を使うこの街には、魔法を生活の至る所に利用しているの〜。例えば明かりとか、お料理に使う火とか水とか、そんな感じのね〜」


 昨日見たミナモの魔法を思い出す。部屋の明かりに手を伸ばしたと思うと、ふっと明かりが消えてしまった、あの光景。それがこの街にはいくつも転がっているらしい。


「そして、その魔法の街を見守っているのが、お城に住んでいる王様と、そのお嫁さんの女王様。見たでしょ〜? 街の真ん中に立っているおっきな建物〜」

「はい。というか、あそこから出てきたというか……」

「そういえば、そう言っていたわね〜。あ、ちなみにミナモちゃんはその王様と女王様の娘。本物のお姫様よ〜」

「……やっぱり!」


 全身から血の気が引いていった。もしかしたら自分の勘違いだと思っていたけれど、間違いなく今私はお姫様をお城の中から連れ出しているんだ。どうしよう、やっぱりこんなことバレたら、怒られる? いや、そんなのじゃ済まない。もしかしたら、最悪の場合捕まったりとかしてしまうのだろうか……?


「わあぁ……やってしまったあぁ……」

「大丈、夫……?」


 頭を抱えながらテーブルに突っ伏す私をミナモが心配そうにゆさゆさ揺らす。その揺れを感じるたび、私に小さくダメージが入っていく気がした。


「大丈夫よ〜。私は誰にも話したりしないし、もし万が一誰かにバレても、私が話をつけておくから〜」

「ほ、ほんとですか……?」

「こぉんな可愛い子に嘘なんかつかないわよ〜。それにミナモちゃん、あまりお城の外に出ないから、街のみんなは顔を覚えてないのよね〜」


 思い出せば花畑から抜け出して人通りの多い道に出たとき、指を差されはしても、お姫様みたいと言われただけで、ミナモだとは言われていなかった。そういうことなら、バレることはあまりない……のかな? 自分の罪を誤魔化そうとする方向に走っていっている自分だけが悲しくなるけど。


「話を戻すわね〜。お城に住んでいる王様と女王様……王族の血筋はね、この街を魔法で作り上げた人たちの血筋で〜、魔法の力、魔力が普通の人の何倍も凄いの〜」

「まりょく?」

「なんていうのかしら〜。筋肉がいっぱいある人って、力が強いでしょ〜? それと一緒で、魔力がいっぱいある人はその分凄い魔法が使えちゃうの〜。魔法版筋肉ってところかしら〜」

「なるほど、筋肉がすごいんですね!」

「なんか……違う……」


 手をポンと叩いて納得する私の横で微妙な顔をしているミナモの身体は、筋肉とは程遠い。その身体を持ち上げたときも軽すぎて空気を持ち上げたかと思ったくらいだ。


「ほら、さっき風で飛ばされて城壁を越えたって言ってたじゃない〜? それはミナモちゃんの魔力が凄いから、そうなったのよ〜。普通の人は人を飛ばせちゃうほどの風なんて起こせないわ〜」

「そうなんですか?」


 ちらとミナモを見てみると、当の本人が一番よくわかっていないのか首を傾げられた。


「他の人、の……魔法…………あまり……見たこと、ない……」

「そうよね〜。お城には魔法を使いこなせちゃう人がいっぱいいるから、あまりお城から出てないとわからないわよね〜」

「そう……なの……?」

「いや、私に訊かれても……まず魔法自体使えないよ私」


 よくわからないといった顔で私を見られて、困惑したまま手のひらを見せて遠慮する。そしてカンナさんが手をぱん、と合わせて話を終わらせる合図を鳴らした。


「まあこんなところかしらね〜。これでアランヴェールのことはわかったかしら〜?」

「はい。ありがとうございます、色々教えてくださって」

「いいのよ〜。またなにか訊きたいことがあったら、いつでも訊いてちょうだいね〜」


 私はカンナさんに頭を下げながら頭の中を整理する。


 この街は私の住んでいる街とは全く違う。それをもう一度心得た。魔法があれば、空はなく、代わりに海に覆われて。そして、私がこの場所にどうやって来たかもわからずじまい。どこかに元いた場所と繋がる道でもあるのだろうか。


 話が終わると、カンナさんの車椅子の後ろについて一緒に教会の外へ向かった。色々落ち着いた今は教会内にいる子どもたちと話す余裕も出て来て、軽く挨拶をしながら廊下を歩く。


 やがて入口の前に来て、重たそうな木造りの扉をカンナさんが開けると、カンナさんと出逢った広場に戻ってきた。


「それじゃあ二人とも〜、また……あら〜?」


 扉を開いた先を見たカンナさんは驚いた表情を見せた。その理由を確かめるためにミナモが前に出て、その口から出てきた言葉で全てがわかった。


「ナギ……!」


 ミナモの後ろから教会の前の広場をみると、そこにはナギさんがいた。ナギさんは心配した様子で足早にこちらへ向かってくる。


「お嬢様、こんなところに……探したんですよ! ……っ! あなたは……!」


 近づいてきたナギさんが私と目が合うと、かなり動揺した様子で一歩後退りをした。


「ナギ……?」

「いえ、すみません……昔の知り合いに、顔が似ていて驚いただけです……」


 ナギさんは眉間に手を当てるととても悩ましい表情をしていた。それは辛そうなくらいの表情で、どうしたのか不安になる。


「それで、あなたは誰ですか。どうしてお嬢様と一緒にいるんですか」


 私に目を合わせ直したナギさんは鋭い視線で私を刺した。けれど、その辛そうな、不安そうな表情は消えていなくて、動揺よりもどこか悲しい感覚が胸に滲んだ。


「えっと、私はシオネって言って、その……」


 ナギさんに上手く説明できずにいると、勢いよくミナモが頭を下げた。


「ナギ……ごめん、なさい……! 私が……勝手に……お城を、出て…………シオネは……なにも……悪く、ないの……!」

「お嬢様!?」


 ナギさんがミナモに頭を上げるよう必死に促すけれど、ミナモは一向に頭を上げようとしない。それを見たカンナさんが、横からナギさんに近づいた。


「ナギちゃん〜?」


 カンナさんが笑顔で一つそう言うと、ナギさんは眉を顰めて考え込み、重たく口を開いた。


「……わかりました。シオネも、一緒に城へ連れて行きます」

「ほんと……!?」

「ええ。私がうまく匿います」

「……! ありがとうございます!」


 私はミナモに並んで頭を下げた。私の中の罪悪感が、失くなりはしなくても少しだけ和らいだ気がした。


「協力してくれてよかったわ〜。ありがとね、ナギちゃん〜」

「……ええ」



***



 ナギさんに匿われながら誰にもバレずにお城へ帰ると、私はミナモと一緒に私がここで目覚めてから今までの出来事を全部話した。そのあと「とりあえずまずは身体を洗ってください」とナギさんに告げられ、そのままミナモとともに早めのお風呂へと連れて行かれた。


「な、なにこれー!」


 お風呂はこっち、とミナモに引っ張られながらとてとてとついていくと、そこにはお風呂……と言うより海と言った方が正解なのではないかと思うほど広い浴槽が広がっていた。


「私の知ってるお風呂じゃないんですけど……」

「ちゃんと……お風呂……だよ……?」

「いや、それはそうなんだろうけどさ……」

「……? とりあえず……身体……洗おう……」


 そう言ってミナモは私をもう一度引っ張って浴槽の隣にある、壁沿いに並んでいる椅子の一つに座らせた。


「身体、洗うんじゃなかったの?」


 座った椅子の目の前にある壁には、物を置く棚のような出っ張りが付いていて、そこには石鹸はあっても、洗い流す水があるようには見えない。代わりに、棚の右上らへんになにか奇怪なものが壁に掛けられている。


 それをミナモが手に取ると、突如それからお湯が出て来た。


「うわっ! なに、なに!?」

「……? あ……そっか……シオネは……シャワー見るの……初めて、なんだ……」

「しゃわー?」

「この……水が出る……道具のこと…………魔法で……先端から……お湯が、出る……」

「な、なにその便利グッズ……」

「頭……洗う、から……下……向いて……」


 言われた通りに下を向いて、私は頭にお湯をかけられる。桶と違って継続的にお湯がかけられている感触は水に溺れてしまいそうな気がして落ち着かなかった。


 そのまま頭と身体を洗ってから湯船に浸かって、お風呂を上がった。上がると今まで着ていた服は洗濯されてしまっているため、泣く泣くミナモと同じような綺麗な格好をせざるを得なかった。けれどサイズは私にあったものを選んでくれていたみたいで、心の中でナギさんに感謝した。


 そのあとはナギさんがバレないようにミナモと私の分の昼食をミナモの部屋まで持ってきてくれて、私はそこでミナモと一緒にご飯を食べた。そしてミナモは今日本来魔法とか座学とか色々勉強したりなんだりするべきことがあったらしく、私が外に連れ出してしまったためにできなかったことを午後のうちにやるべくナギさんに連れていかれた。その間は私はミナモの部屋で待っているように言われたけれど、やることが無くて退屈だった。でもさすがにこれ以上迷惑をかけるのも忍びないので、出来る限りおとなしくしていた。



***



「どうか、今日だけでいいので!」


 ミナモが勉強から帰ってきて、夜ご飯を食べたあと、寝るためのパジャマがナギさんによって用意されていた。昨日ミナモに借りたやつと同じもの。サイズが私に合ったものだから、元々ゆったりしていた服が昨日よりもさらにゆったりとしている。


 そんなパジャマまで用意してくれたナギさんに私は今日幾度下げたかわからない頭をもう一度下げていた。


「だからって、お嬢様と一緒に寝たいだなんて……」


 縋りついている理由は私の寝床の話。昨日と同じくミナモと同じベッドで寝ようとしたら、当然だけど止められた。そりゃお姫様を会って間もない見ず知らずの人と一緒に寝かせる方がおかしい。けれど私はもう一度一緒に寝たい理由があった。


「お願いです! ミナモと、また明日も同じベッドでお話の続きしようって約束したんです! 今日だけ、今日だけでいいですから!」

「っ…………わかり、ました……今日だけ、なら……」

「本当ですか……! ありがとうございます!」


 その話し合いの行方はナギさんが折れることで決着がついた。そのあと昨日と同じミナモのベッドに二人で入った。少し違うのは、寝るときにナギさんが付き添ってくれたこと。


「それでは、おやすみなさいませ」

「うん……おやすみ……」


 ナギさんが部屋を出たのを合図にミナモが明かりを消す。手を伸ばして、きゅっと手のひらを握ると明かりが消えてしまう、そんな光景は二回目では慣れそうもなかった。


「やっぱり、魔法ってすごい。ワクワクする!」

「そう……? 楽しい、なら……よかった……」


 ミナモと布団に潜り込んで、暗闇の中で向き合う。これが今日で最後だと思うと、たったの二回目なのに寂しく感じる。


「ナギさん、優しいね。私のこと匿ってくれたし、ミナモと一緒に寝ることも許してくれたし。最初は厳しい人かなって思ったけど、それ以上に親切な人だった」

「うん……ナギは……優しい……大好き……」


 今日だけでその優しさを浴びるように体験した。平然と私のことを匿ってくれていたけれど、他のメイドさんだったりミナモの勉強の先生だったり、もしかしたら王様にまでうまく話をつけてくれたりしているのだろうか。そう考えるとどうにかこのお礼をしなきゃなと胸の中で強く思った。


「そう、だ…………昨日の……続き……聞かせ、て……?」

「うん。なにから話そうかなぁ」

「星、の……話……気に、なってた……」

「星かぁ、そんなに気に入ってくれたんだね」

「うん…………きら……きら……」

「あはは。ここには星ないもんね、珍しいよね。いつか、私の故郷に一緒に行って見に行けたらいいな」

「うん……絶対……行く…………約束……」


 布団の中でミナモが私の小指に自分の小指を絡ませてくる。私はそれに応えるように指を曲げてぎゅっとする。


「約束! よぉし、それじゃあ今日は星の逸話でも話そうかな。私も人から聞いただけなんだけどね、夏に出る星に……」



***



「はぁ……」


 夜中。誰も彼もが寝静まり、この城のメイド長であるナギも同じくして自室へと帰っていた。


「……どういうこと?」


 溜め息は悩みから発されるもので、その悩みの種は間違いなく日中ミナモが城から抜け出したこと、そしてその要因になったあの謎の女の子のことだ。


 自分のベッドに寄りかかって頭を抱えていると、不意にコンコン、とドアが叩かれる音がした。


「はい。こんな時間に誰?」


 ベッドから立ち上がり、ナギは扉を開いた。そしてそこに立っていた人物を見るや否や、ナギはゆっくりと後退りをした。


「……私の部屋、教えたかしら」

「ああ、教えたね。僕に対して、ではなかったけれど」

「……あなた、誰?」


 目の前にいる人物の顔と、ナギの記憶にある口調が一致しなかった。ナギは警戒心を一気に高め、その人物を睨みつける。


「悲しいね、忘れられたのかな。そう警戒しないでくれよ。昔の知り合いに似ていると言っていたじゃないか」


 その暗い瞳はその人物に似つかわしくないほど曇っていた。その目を細めて怪しく笑う表情は、ナギの警戒心を振り切らせた。


「キミも不用心なものだね。ミナモにねだられたとはいえ、今日初めて逢った人と同じベッドで寝るのを許すなんて」

「……シオネが優しいことは、痛いくらい知ってるから」

「やっぱり、キミは五年前のことを覚えているんだね」

「っ……」


 古傷を抉られたようにナギは苦い表情を浮かべた。その反応に手応えを感じでもしたのか、目の前の人物は目を瞑って静かに告げた。


「図星だね。まったく、五年も経てば人はいくらでも変わるというのに、それでもシオネを信用しているんだね」

「少なくともあなたみたいな人とは違うわ」

「はは、手厳しい。さて、そんなキミに頼み事があるんだ。……僕に協力してほしい。これは、『シオネ』のためであり……なにより、ミナモのためだ」


 部屋の中の明かりが、ゆらりと揺れた。



***



 肌に伝わる寒さに目が覚めた。ぼんやりとした頭のまま、身体を起こす。


「……あれ……?」


 いつも起きるときとは違う違和感に気づく。外が、まだ全然暗い。


 私は暗がりの中、いつもの感覚を頼りに明かりのある方向へと手を伸ばし、少し念じる。すると明かりがぽわっとその身に光を灯しはじめ、部屋全体が照らされる。


「……シオネ?」


 周りをきょろきょろと見渡すと、昨日隣で寝た人物がいなくなっていたことに気づく。いたはずの人物がいなくなって寂しくなった空間が、布団の外の空気を呼び込んで私に寒さで訴えている。


 どこに行ったんだろう? 探しに行かなきゃ。けれど、今は何時かわからない。少なくともまだ寝てなきゃいけないであろう時間だから、もしナギに見つかりでもしたら、これ以上なく怒られてしまうだろう。


「……でも……心配」


 昨日一緒に街へ繰り出て分かったシオネの性格。奔放で、向こう見ずで、何事にも突っ込んでいくような性格。その無鉄砲さに手を引かれながら感じたそれは、シオネ一人では危うさを感じてしまうものだった。


「……探そう」


 私はいつもの仕草で明かりを消すと、外につながる扉を恐る恐る開けた。音を立てて、誰かに気づかれてしまわないように。


「真っ暗……」


 廊下が、見たこともないくらい闇に覆われて、静かだった。私がいつも寝た後はこんな感じなのだろうか。一寸先も見えない暗闇を前に、少し足がすくんでしまう。


 私はとりあえず歩けるだけの明かりを欲して、指先から小さな光を出す。これだけでは三歩先くらいまでしか照らせていないけれど、あまり明るい光を出してしまうとバレてしまうから、か細くても我慢して進むことにする。


 考えうる行き場所を手あたり次第行ってみる。しかしトイレにはおらず、小腹が空いてつまみ食いでもしに行ったのかなと思ったけれど食堂にもいない。よくよく考えてみれば、シオネはこの城の中をあまり知らないはずだから、シオネが知っている数少ない場所を探せば見つかるかもしれない。もしかしたら「冒険に行こう!」という感じに知らない場所へ飛び出して行ってしまったのかもしれないけれど、流石のシオネでもこの時間にこの暗闇の中突き進んでいくようにも思えないし、なにより行くなら私も連れていくはず。


 シオネが知っていて、一人でも行くような場所。一つだけ、心当たりがあった。私はその場所へ行く道に足を向けて、暗闇の中の心細さに早足でそこに向かった。


「……いた……! シオネ……!」


 目星があたり、ようやく一人で暗い廊下を彷徨う旅から抜け出せて、心からの安堵をその言葉に乗せる。


「シオネ……! どこに……いってた、の……?」


 私は一刻も早くシオネに恐怖を和らげてもらいたくてその人物に駆け寄る。私に背中を向けて花壇の方向を向くその人物が私の呼び声に気づくと、ゆっくりと身体ごと振り向いた。


「シオネ……? どうしたの……?」

「――ああ、ミナモ。ようやく逢えた」

「……え?」


 その声色、口調、笑顔。すべてが知っているシオネと似ても似つかなくて、口をぽかんとさせたままその場に固まった。


「ああすまない。キミは『僕』とは初めましてだったね。僕はシオネ。キミの知っている『私』とは違うもう一つの人格……本物のシオネだ」


 そこにいたのは、シオネと同じ姿をした、シオネと全く違う笑顔を浮かべる、別人だった。

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