第35話 渇望(3)

「すまない。足を引っ張る形になってしまって」

「敵の力量を見誤った私たちに責任があるわ。だけど付喪神スペリアを倒せば万事解決する。あいつの力も大幅に削がれているはずだから、ここから一気に決着つけるわよ」


 申し訳なさそうに項垂れかけるバークに、メルが発破をかけ勇気づける。

 五指のうち三指を失い、手首部分も大幅に消失した白手袋は、見た目からしてパワーの大半を失っているように見える。赤いコアは無傷で残っているとはいえ、数々の付喪神スペリアを倒してきたメルが言うなら、形勢は大きくこちら側に傾いているはずだ。


 三人揃った吸血鬼ブラディアたちに、警戒の色を濃くして様子を窺っていた付喪神スペリアは、周囲に漂う負の感情を吸収するように大きく息を吸い。


『私がその男をバラバラにするのが先か、お前たちが私を倒すのが先か。競争と行こうじゃないか』


 枷となっているバークを標的にすると宣言し、付喪神スペリアは消失した部分に新たな指を生やした。


「回復した!?」

「いえ、あれは能力で擬似的に体を作ったものです。力が戻った訳ではないので、焦る必要はありません」


 驚くバークにティアはあえて大きめな声で指摘し、見抜いているぞと敵にアピールする。

 しかし付喪神スペリアは意にも介さず上空へ跳ぶと、ナイフや剣、槍や斧など周囲に数え切れないほどの武器を出現させると高らかに吠えた。


『さぁ。無数の武器に体を切り裂かれるがいい!』


 横殴りの雨のように降り注ぐ刃物に三人はバラバラに散開し、まばたきをしたら次の瞬間には死んでしまうという状況に、否応にも心臓は爆速に舵を切った。


「この数、凌ぎ切れないぞ」


 身体能力の高い吸血鬼ブラディアの体のお陰でギリギリ避け続けてはいるが、一撃でも喰らって動きを止めれば八つ裂きにされる。

 数が三分割されている為、一人ひとりに対して襲って来る数は先程より見劣っているが、それでも気を抜けば命取りになる。


「バーク」


 頬を掠めたナイフに歯噛んでいると、斜め前方からメルが駆け寄り右手を引いて、バークを裏路地へ連れ込んだ。


「すまない、助かった」


 いくつもの建物の角を曲がり遠く離れた建物の影に身を潜め、別方向から合流してきたティアに目を配る。

 頬にあった切り傷も、痛みはあったがすでに塞がり始めていた。 


「あんなに激しい攻撃の中、相手に近づいて攻撃なんてできないぞ」


 無数に降り注ぐ銀色の煌めき。接近すればするほど厚くなる弾幕。

 普通であればいつかは弾切れになるが、付喪神スペリアは街にいる人間たちからエネルギーをいくらでも補充できる上、体も回復させてしまう。


「遠距離からの攻撃であれば対処可能です」

「それでもある程度近づかないと、絵の具の壁で防がれちまうだろ? でも近づくとさすがに攻撃を避け切れないぞ」


 ティアの指摘にバークは難色を示す。

 光穿矢トゥーファンは壁を貫くことができなかった。呪具カースの暴風であれば絵の具ごと吹き飛ばせることは確認済みだが、それでも遠くからでは効果は薄いだろう。

 不意打ちを狙うか、可能な限り接近して防ぎ切れない程の攻撃を仕掛けるしか手立てはないが。


「そうも言ってられないみたいよ」


 二人の話に耳だけ傾けつつ敵の情勢を俯瞰していたメルが、気難しい表情で状況の悪化を告げた。


『出てこい吸血鬼ブラディアども! 早くしないと街も人間も無くなるぞ!』


 空から周囲に大音量で響き渡る付喪神スペリアの声に、体がビリビリと痺れるような感覚に陥る。

 今度は無事だった胴体部分と二指を巨大化させ、疑似指を長く伸ばしムチのようにしならせて建物を叩き壊し始めた。

 刃物では埒が明かないと判断し、強制的に炙り出す作戦に出たのだろう。

 子供が喚いておもちゃを薙ぎ払うように軽々と弾け飛び転がる民家に、腕にグググッと力が入った。


「人間への被害を最小限に留めるには、私たちの身の危険はある程度許容するしかありません」

「負担はかかるけど、さらに魔力を多く全身に纏わせれば防御力は増すし、怪我の治りも早くなるわ。どちらにせよ短期決戦が前提にはなるけど」


 ティアとメルの提言に、バークは肩まで動かなくなった左腕を眺めてから壊れゆく街に視線を送る。

 自分の身も街と人々の命も、何もしなければ長くはもたない。

 体は美術品と化し、街は破壊され、命は消える。

 待つだけでは奇跡は起こらない。ならば取れる手段は一つだけだ。

 バークは左腕に攻撃を受ければ失うことも覚悟で、心を決めて静かに頷き。


「……わかった。できる限り近づきつつ、三方向から同時に遠距離攻撃し……て……」


 ふいに襲ってきた激しい目眩にフラつき片膝を着いてしまった。


「なんだ……これ……」


 酷く酔った時よりも辛い、人生で一度も味わったことのない、思考が強制的に塗り替えられていく感覚に、バークの呼吸が荒くなっていく。


「まさか、魔力を大量消費したせいで吸血衝動が!?」


 その理由に思い当たったのか、メルが焦った様子でバークの顔を覗き込む。

 ハッハッと上がる息と赤く染まっていく瞳。

 自分に起きた明らかな異変と湧き上がる衝動に、バークは必死に抵抗を試みるが、水に絵の具が落ちたように全身に心の渇きが染み込んでいく。


「まだ一度も補給をしていないので、魔力残量が少なかったんだと思います。バークさん、誰かの血を飲まないと呪いの進行が早まってしまいます」


 ティアが慌てて周囲に視線を送るが、当然ながら血盟協会の人間はおらず、そもそも近くに人間はいないと言っていたはずだ。それに、


「人の血を……飲むのは……」


 一週間は何も口にしていないような空腹感に苛まれていても、一線を越える勇気が持てなかった。 


「そんなこと言っている場合ではありません。このままでは本当に……」


 左の頬まで進行し始めた灰色を見て、ティアは言葉を飲み込む。

 負の感情を得る為に生かされていた人たちとは違い、付喪神スペリアはバークを放置はしないだろう。完全に石像となれば、見つけ次第バラバラにしようとするに違いない。

 血を飲めば生き永らえ、飲まなければほぼ確実に死ぬ。

 しかも動かなくなってきた左半身を思えば、迷っている時間さえ命取りになる。

 一呼吸ごとに短くなる命の期限に、バークが思い悩んでいると。


「話は聞かせて貰ったの」


 聞き覚えのあるしゃべり方をする声の人物が、近くの建物の影から姿を現した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る