第34話 渇望(2)

『私の体をこんなにしやがってえええ!』


 気力充分なバークに対し、付喪神スペリアは怒りに目を血走らせ黒い歯をギリギリと噛み締める。

 いくら勢力を削いだとはいえ、ビリビリと伝わってくる威圧感は少しも落ちていない。むしろ人間でいう頭に血が上った状態だ。

 描き変え能力も侮れないが故に、警戒を解かずに相手に突撃する隙をバークは窺うが。


『お遊びは終わりだ。お前の体を粉々に砕いてやる!』


 付喪神スペリアが声高に叫んだ瞬間、バークの左手が灰色に染まり始めた。


「なっ、腕が石に!?」


 突然動かせなくなった自身の指に驚き、限界まで目を剥く。

 ダリアに絵を描いて貰った当日も変化はなかったし、今まで体にはなんの違和感もなかった。

 あまりの事態に思わず集中力が途切れ、呪具カースで作った槍も消えてしまった。


『自分は呪いを受けてないと思い込んでいたか? 呪いは私の意思でいつでも発動できるのだよ』


 驚愕に顔色を白くするバークに、付喪神スペリアはニタァと口を笑みの形に変える。

 おそらくダリアのモデルをした時に呪いをかけられていたのだろう。それを時間差で発動させてきた。


 負の感情を吸収することで回復できるからだけではない。追い込まれたら形勢を逆転させるつもりで呪いを待機させていたからこそ、余裕の態度を崩さなかった訳だ。

 幸い吸血鬼ブラディアであるお陰で石化の進行は遅いが、放っておけば街を飾る美術品の一部になってしまう。


 時間的制約をかけられた焦りと自分が無機物になっていく恐怖に、バークの顔は苦悩に歪んだ。


『完全に動けなくなった瞬間がお前の最期だ』


 お返しにお前の体をバラバラにしてやると、付喪神スペリアは生み出した無数の黒い刃が飛来してくる。

 混乱していた頭を無理矢理抑え込み、後ろに跳びながら避けるが、左手の石化が進み重くなり、身体がいつも通り動かせなくなっていく。そして、


「しまっ──!」 


 バランスを崩して滑りそうになり思わず立ち止まった瞬間、ここぞとばかりに無数の黒が視界を覆いつくした。

 いくら吸血鬼ブラディアになったとはいえ、全身にくまなく深手を負えば死は免れない。


 ああ……ここで俺は何も達成できずに終わるのか……


 吸血鬼ブラディアにされ、元に戻る旅に出て最初に訪れた街であっさり命を落とす。

 自分の人生はなんだったのだろうと、体は死に抵抗できないのに思考だけは加速していく中。

 目と鼻の先まで来た刃が、頭を斬り裂こうとバークの額に触れた──刹那。


 飛び散ったのはバークの赤い鮮血ではなく、黒い刃と炎だった。


「ティ……ア?」


 自分を抱えている人物の顔を見て、バークは唖然として呟く。

 ティアはスルリと回していた細腕を解き、目の前の男に深い傷がないことを確認し、安心したように肩の力を抜く。


 どうやら刃が当たる寸前、ティアが横手から連れ去るようにして助けてくれたようだ。

 下手すれば深手を負うリスクもあったにもかかわらず、自らを省みず飛び込んできたらしい。


「上手いことやったみたいですね。及第点をあげます」


 そんな仲間思いの感情を隠すように、ティアは軽口を叩いてそっぽを向く。

 しかし一瞬だけ見えた緩んだ口元が、本心を物語っていた。


「まったく……ティアも無茶するんだから」


 メルも駆け寄り二人のそばに来て、苦笑しながら横に並ぶ。


「私のすることなんて、メルにはお見通しでしょう?」

「とっさにフォローするのも大変なのよ?」


 先程見えた炎は、どうしても当たる刃をメルが相殺してくれたらしい。

 しかし二人は気さくに会話をしているが、どちらも紙一重の行動だったはずだ。

 わずかに救出のタイミングがズレれば、バークかティアが死んでいた可能性もあった。


「助かった。ありがとう」


 死ぬ間際から救われた命に、バークは早まる呼吸と高鳴る心臓を知覚しながら礼を述べた。


「バークが時間稼ぎをしてくれたから、体も完全に治ったわ。ここからは三人でやるわよ」


 少し前まで弱っていた気配をまったく感じさせず、メルは力強く頷く。

 集中していたから気づかなかったが、ゴーレムもいつの間にか消えて街は静かになっていた。

 おそらく深手を負って能力を維持する余裕を失ったのだろう。

 自分のしたことが結果的に街と人の犠牲をこれ以上増やさないことになり、バークの胸にはジワジワと喜びの熱が湧いてきた。


「あいつを早く倒さないといけない理由が増えましたね」


 バークの石化した左腕を見て、ティアが眉間に力を入れて悩ましそうにする。

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