第23話
発砲音が響き渡ったのは、まさにこの時だった。
パン。
狭いCICに、空を斬る音が駆け巡る。
ただし一発だけだ。誰も撃ち返しはしていない。ただ、ほんの僅かな確率による整備不良が、誤射を招いてしまっただけだ。
それでも、その一発が艦内のパワーバランスをひっくり返すことになった。
実際に被弾したのは、あろうことか遠藤だったのだ。
放たれた弾丸は、吸い込まれるように遠藤の胸に着弾。
がくん、と遠藤の身体が跳ね上がる。鮮血と思しき液体が、腹部と口吻部から溢れ出す。これでは、呻き声を上げることすら叶わない。
「おい、誰が撃てと命じた!? 監督、只今処置を致します! お気を確かに!」
真っ白な顔をして迫る副長。流石にこのタイミングでの発砲は、池波の計画にはなかったものだ。思わず立ち竦んだ池波を、副長が押し退ける。
「どけ、池波! 衛生兵、早く来てくれ!」
《……ふっ……》
「ん? な、何です、監督?」
僅かに振動し始める遠藤の身体。それは生命感に欠けていて、逆に人形のような不気味さを感じさせた。
《ふっ、ははっ! はははははははっ!》
突然溢れ出した哄笑に、副長は慌てて身を引いた。遠藤の口から高らかに鮮血が噴出し、あたりを真っ赤に染め上げる――と思いきや。
「こ、これは……?」
あたりに広がったのは赤い液体ではなかった。強いて言えば、黒に近い藍色だった。
「な、何なんだ……」
「分かり……ません……」
無言で遠藤の姿に目を遣り、なんとか半歩踏み出す副長。
「これは……この青黒い液体は、生体活性化用の栄養剤だ。アンドロイド用の」
アンドロイド、すなわち人造人間。
遠藤が人造人間だった? どういうことだ? そんな情報、私の下には届いていないぞ? その事実が、池波の胸にずしり、と打ち込まれる。
「アンドロイドが、どうしてこの艦に乗っているんだ?」
《儂がそう望んだからだよ、副長》
「か、監督?」
ぐったりと頭を垂れ、しかし実にはっきりした口調で遠藤は語り出した。
《本体とでも言うべき儂は、今は海自の医療センターで寝たきりだ。意識の表出すら困難でな。ならいっそのこと、身体を捨ててやろうと思った。だから国内初の人造人間になったのだ。無論、公にはされておらんが》
「それなら、どうして今回の海底ダンジョンの一件に関わったの?」
池波が圧のある声音で詰問する。遠藤の不気味な境遇を知らずに、それでも事実を得ようという池波。それに対し、遠藤は即答した。
《だって君、夢があるじゃないか!》
一瞬、しかし確かに、CICから音が消えた。
《おや? どうしたどうした、皆の衆! もう少しテンションを上げてはどうかね? 我々は世紀の発見に立ち合おうとしているのだぞ! さあ、周辺海域まで向かいたまえ! 第一発見者になるぞ!》
そんな青いペンキをぶちまけられたような顔で言われても困る。そう思ったのは、池波だけではあるまい。
それでも、池波は次に自分が何をすべきか、しっかりと把握していた。
「副長、遠藤監督の身柄を拘束してください。ああ、海自の医療センターにも通告を」
「りょ、了解……」
「他の皆さんは、既に述べられた通りに作戦行動を続行してください。また、相模艦長が戻られるまでは、副長の命令を最優先としてください」
隊員たちは互いに顔を見合わせていたが、誰か一人が、了解! と復唱してからはあっという間だった。
元々は極めて優秀なクルーたちなのだ。こんな異様な航海になってしまったことを、池波は少しだけ申し訳なく思った。
「ま、実戦よりはマシだけど……」
※
海底ダンジョン、第六階層。
「隊長、現在時刻、一七〇〇。クランベリー――北村華凛の容態、安定してきました。しかし輸血用の血液が不足する恐れがあります。潮時かと」
「ん。それには、あの魔法陣を使う必要があるんだな?」
(そうだよ、相模隊長。遅くとも陽が沈む前にね)
ふと目を上げると、フィルネがふわふわと漂っていた。どうやら華凛に撃たれた傷は癒えたらしい。遠慮なく質問責めにしても問題はないだろう。
「一つ訊きたい。我々地上から来た者は、この海底ダンジョンの守護者たる君を信じていいのか?」
(それは証明が難しいけれど、この階層に来るまでの間、隊長さんたちはいろいろ目にしてきたよね? 見たこともないような化け物の死骸を)
ぐっと顎を引く相模。
(あれは皆、海斗くんたちが駆逐してきたんだ。お陰で随分楽にここまで来られたんじゃないかな? そのヒントを与えてきたのが私だよ。もし現代人の侵入を阻む理由があれば、海斗くんたちも相模隊長たちも、とっくに溺れ死んでるって)
くるりくるりと、相模の視野を縦横無尽に泳ぐフィルネ。
「分かった。君の意見を優先して、よほどのことがなければ従うことにしよう。ただし、迅速で精確な情報伝達を頼む」
(もっちろん! そこは任せてよ!)
普段は部下や上官とばかり話しているせいか、どうもフィルネとの会話はちぐはぐになってしまう。まあ、たまにはこういった事態も起こり得る、ということか。
「よし、皆聞いてくれ」
相模が話した内容は、どういう順番で魔法陣を使用するか、すなわち誰が先に海上に逃れるのか、ということ。
時折フィルネが補足してくれたところによれば、ちょうどこのダンジョン真上にサンダーブレイドが待機しているから、心配することはないということ。
(ちゃんとキャビンに転送されるから、心配いらないよ)
「それは有難いことです!」
他の自衛隊員たちに肩を並べながら、泰一がそう言った。
それを見て、海斗は苦々しい顔をせざるを得なかった。
「君は確か、大原泰一くんといったな」
「は、はいっ!」
「肩に力が入りすぎのようだ。それに君たちは保護対象だからな、あまり気にせんでくれ」
「はッ!」
泰一が妙な正義感を起こしていなければいいのだが。それに、一種の憧れを持って、自衛官になる! などと騒がれても困る。
「命あっての物種だと思うんだけどな……」
「よし、海斗くんも泰一くんも、列に並んでくれ。順番は厳守してもらわんとな」
魔法陣の方を見ると、恐らく先遣隊にあたるのだろう、二人の隊員が淡い水色の光に包まれるところだった。
ECMに類する電波妨害については、フィルネが一時的に停止してくれている。もし二人が無事なら、すぐさま無線通信で相模に報告が入るはずだ。
海斗もまた、相模の手に握られた無線機を、息を呑んで見つめていた。
「って、あれ?」
そばにいた泰一に、相模がそっと耳打ちしている。
「舞香さんは無事だ。だが、精神状態が安定していなくてな」
「ああ、そうだったんですか……」
「本来ならすぐに鎮静剤を打って、カウンセラーと我々とでメンタルケアの話に移るんだが、流石にそこまでは想定していなかったよ」
これには海斗も沈黙してしまった。こんな危険な場所にカウンセラーを兼ねた人間を連れ込めるわけがない。舞香のトラウマになるような事態は避けなければならないが、自分にできることなどあるだろうか。
このフロアの暗澹とした空気の中に、ザザッ、とノイズが入った。
それは無骨でありながら、福音にも聞こえる不思議な音声だった。
《こちら先遣、こちら先遣、相模隊長、聞こえますか? どうぞ》
「こちら相模、電波状況は良好だ。サンダーブレイドの状況はどうか? どうぞ」
《通常飛行に支障なし。燃料及び通常兵装、異常なし。どうぞ》
「了解、海底ダンジョンの上空にて待機してくれ。終わり」
ふう、と胸を撫でおろす海斗。安心するよう舞香に伝える泰一。応急処置が為されたものの、未だ意識の戻らない華凛。
ようやく自分たちの出番が終わった。そう思った時には、順番的に海斗が魔法陣に踏み込むところだった。
しばらくは必要ないな。海もプールも水族館も。
そんなことを思いつつ、海斗は足を踏み入れた。
景色がぼやけ、真っ白に染まる。それから、僅かな圧迫感と共に視界が水色で塗りつぶされる。
こんなに深いところまで、自分たちは到達していたのか。
これは海斗の勘にすぎないが、それでも身体がぐんぐんと持ち上げられている感覚はある。
ゆっくりと浮遊感が収まり、海斗の身体はサンダーブレイドのキャビンの床を通過。ゆっくりと両足をついて、また一つ溜息をつく。
――そんな結末を期待していた海斗は、見事に裏切られることとなった。ガダン、という凄まじい衝撃と共に。
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