第19話

 海斗は剣を一瞬手放し、持ち替えた。

 柄を片腕で握り、もう片方の腕で刃の部分に手を添える。こんな体勢では、斬撃を繰り出すことは不可能だ。


 が、それでよかった。海斗の目的は貝にダメージを与えることではない。この剣をつっかえ棒にして、貝の二枚の隙間を開きっぱなしにすることだ。


 水鉄砲で何度も吹き飛ばされかける海斗だが、両足を踏ん張って立ち塞がる。足元の石畳が、ミシリ、といってひび割れるのが分かったが、気にする暇はない。


「くっ! これでも食ってろ!」


 噛み千切られるのを覚悟で、海斗は自分の上半身ごと剣を突っ込んだ。

 ぶよぶよとした貝の中身は不気味な艶を持っていた。幾度も海斗を転倒させかける。しかし、海斗は辛うじて体勢を保った。


 まさに、ばちん、と貝の殻が閉じかけられる直前。


「うわあっ!」


 海斗は勢いよく、流水と共に貝の殻から吐き出された。


「海斗、大丈夫か!」

「げほっ、けほっ……。ぼ、僕より早く、化け物にとどめを……」

「お、おう! 任されたぜ!」


 海斗と入れ替わるようにして、泰一が貝に突撃した。

 視線を貝に向けると、貝は殻を閉じきることができず、がたんがたんと下側の殻を石畳に打ちつけ始めた。怒っているのだろうか。


 そう言えば、これまでの化け物との遭遇において、海斗の剣は刃こぼれ一つ起こしていなかった。

 あの強度なら、貝をしばらく開きっぱなしにするくらい、造作もないだろう。


 貝の身体の奥に剣を固定したお陰で、図体のでかい泰一でも易々と乗り込むことができた。泰一は上下に大槌を振り回し、貝の身体を内側から破壊した。いや、叩き割った。


「おらあっ! どうだ! これじゃあ手も足も出ねえだろう!」


 そもそも貝に手足はないのだが。そう海斗は思ったが、泰一が元気そうなので黙っていることにした。


 が、しかし。

 この期に及んで、貝はまだ諦めようとはしなかった。

 内側から殴打され、ひびの入った殻。それを無理やり閉じようとしたのだ。


 もちろん、海斗の剣が貝の行動を押し留めているから、できることは限られている。問題は、貝がそれを自覚した上で、海斗の剣への対抗策に思い至ってしまったということだ。


「おわっ!?」


 今度は泰一が、大槌ごと貝の外側に吐き出されてしまった。流水をまともに顔に喰らって、悪態をつく泰一。

 尻餅をつく泰一の足元に、光沢のある何かが滑ってきた。つっかえ棒代わりに使った、海斗の剣だ。


「泰一、大丈夫か?」


 声を上げながら、しかし視線は貝に遣ったままで、海斗は問いかける。


「問題ねえよ、このくらい! 舞香、華凛! やってくれ!」


 うつ伏せに姿勢を正す泰一。海斗も慌てて剣を拾い、頭を防御しながら目を上げた。

 すると、舞香の放った矢が、貝に殺到するところだった。

 時々、虹色に輝く矢が混ざっている。華凛が強化魔術でもかけているのだろう。


 さっきは通用せず、弾き飛ばされてしまった弓矢。だが今の貝にとっては、最大の脅威といってもよかった。

 殻も中身も大変なことになっている貝からすれば、全身が弱点だらけになってしまったようなもの。先ほど矢を弾き飛ばしたほどの防御力は、最早残っていない。


「待って、舞香さん!」

「ど、どうしたの、華凛?」

「あの化け物に、最早まともな戦闘力はありません。攻撃しても利はございませんわ」

「えっ、でも道を塞いでいるから――」


 という遣り取りは、特大の銅鑼を勢いよく叩き慣らす音で掻き消された。

 泰一が海斗のように高く跳び上がり、大槌で殻ごと貝を叩き潰したのだ。のみならず、石畳を叩き割る勢いで、がつん、がつんと床を殴打する。


「けっ、ざまあみろってんだ、化け物め!」


 貝がいた部分の石畳は、スプーンでアイスクリームを掬ったかのように削れていた。


(おおっと、だいぶ派手な戦いだったね、皆)

「フィルネ、見てたのか」


 呆れた海斗が肩を上下させると、フィルネが天井をすり抜けてくるところだった。


「あ、あのっ!」

(舞香? どうしたんだい?)


 声をかけるも、舞香は黙っている。いや、口を開こうか開くまいか逡巡している。

 いずれにしても、話し相手は海斗ではなくフィルネなのだろう。


「今までのあたしたちの戦いを見て、あなたはあたしたちが生きて帰れると思う?」


 一瞬、フィルネの背中の羽が止まり、ジリジリという僅かな音までもが消え去った。

 それでも姿勢を保っているのだから、フィルネも大したもんだな。

 などと、海斗は頓珍漢なことを考える。


 だが冷静になって考えてみれば、今話題になっているのは自分たちの生き死にだ。この話題は耳に入れておかねばなるまい。

 そう思った海斗は、舞香に次いで言葉を発していた。


「そ、そうだ、僕たちはこのダンジョンをクリアできそうなのか?」


 フィルネは口元で手先の指を合わせ、何やら思案し始めた。ただし目線だけは四人を狙って行ったり来たりを繰り返す。


(このダンジョンをクリアできるかどうか……。統括者の私にも測りかねる問題ね。でも、あなたたちはいいペースで来てると思う。問題があるとすれば)

「すれば?」

(この最下層にいるラスボスを起こさないように、いかに静かに帰還用の魔法陣に乗れるか、というところね)


 やっぱりラスボスか。その図体や技などを訊いてみたいのは山々だが、きっとフィルネは教えてくれないだろう。


 まあ、自分たちにできるのは最善を尽くすこと、そして足掻き続けること。それだけだ。

 問題は、第六階層――それが最下層だと願うばかりだが――に到達するには、今度は海斗が自分の過去を晒さなければならない、ということだ。


「海斗さん、大丈夫ですの?」

「あ、ああ、華凛……。うん、大丈夫、かな。こんな経験したことがないからね」

「誰しもそうですわよ。どうか気をしっかり」

「ありがとう……」


 すると、再び目の前に何かが差し出された。携帯食料だ。

 

「お召しになってくださいな。わたくしは、自分の分はちゃんと分けてありますので」

「本当? じゃあ、お言葉に甘えて……」


 ダンジョン内部でこんな遣り取りが為されているとは、誰も予期できなかっただろう。

 まあ、海斗たちにしたところで、二機目の潜水艇がダンジョン入り口に到達したことなど知りもしなかったのだが。


         ※


「ん……」


 気を失っていたのは五秒間ほどだろうか。相模は自分の額から顎までをさっと拭った。

 横たわったまま見回すと、自分以外に五名の隊員の姿が目に入った。

 皆、水中活動用の装備一式を取り付けていたが、ここには空気もあるし、生命の危険はないようだ。


 胸に抱いていた真っ黒い防水袋から、中身がぬっ、と姿を現す。自動小銃だ。

 いや、肩当が短く切り取られ、小回りがきくようになっている。カービンライフルと呼ぶべきか。


 立ち上がり、あるいは片膝をついた状態で、五人が各々ライフルを掲げる。さっと視界の及ぶ範囲に銃口を走らせ、警戒態勢を取る。

 アルファ、すなわち最初に送り込んだ連中は傭兵上がりの無法者たちだったが、自分たちは違う。陸自のレンジャー隊員と、海自の特別強襲隊員の合同チームだ。練度も信念もまるで違う。


 強いて言えば、モチベーションが低いのは自分かもしれない。

 そんなことを相模は思っていた。隊長がそれではいけない。それは分かっている。

 だが、しかし――。


《隊長、これを!》

「どうした?」


 周辺警戒を部下に任せ、相模は呼びかけられた原因たるその『モノ』を凝視した。

 コマ切れにされていてよく分からないが、なんとなく頭足類、すなわちタコやイカの仲間の一部ではないかと推察した。

 本当はサンプルでも持ち帰るべきなのだろう。が、それは今回の作戦には関係がない。


 相模は立ち上がり、ヒュッ、と鋭く口笛を鳴らした。たちまち部下たちは、周囲に銃口を向けながらぴたりと相模のそばに集まってくる。

 その様子を見ながら、相模はヘルメット内の小型マイクに吹き込んだ。


「ここから地下の、第二階層へ向かうルートは?」

《あの石柱の陰、石畳がずれて階段に繋がっています》

「了解。皆、聞いてくれ。このダンジョンには多くの化け物がいたようだが、恐らくは和泉海斗他三名によって駆逐された模様だ。警戒を怠らず、しかし迅速に移動する」


 全員ぶんの復唱を確認した相模は、部下のうち二名に先鋒を頼み、カービンライフルを肩にかけた。代わりに、大型の拳銃に初弾を装填する。


「本当に彼らがこれだけのことをやってのけたのか……」


 まさかクランベリーの通信にあったことが本当に起こっていたとは。

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