第18話
※
同時刻、『しらせ』にて。
「さっきからだんまりだな、池波一尉」
「……」
池波の正面に座った相模は、二人分を足し合わせたような、深く長い溜息をついた。
相模が池波からの言葉を待っている理由。それは簡単で、婚約者を亡くした池波にかける言葉がこれといって思い浮かばないからだ。
池波は、情報統制官として中東での作戦行動に参加していた。それを裏付ける根拠はない。だが、ここで池波が嘘をついているようにも見えない。
彼女に比べても、自分は立派に任務を果たして見せる。そうだ、果たせるはずだ。
自分にだって十年前の一件があるのだから――。
相模はそう胸中で繰り返した。
そこまで考えて、相模は背もたれに寄りかかって腕を組んだ。
その時、テーブルの端に置かれていた携帯端末が鳴った。着信か。相模はそれを片耳に入れてマイクを起動した。
「こちら相模」
《おお、早速出てくれたな、相模くん!》
相模は思わず頬を引き攣らせた。
「どうかなさったのですか、遠藤監督?」
《うん、今空自のお偉方と遠隔会議をしていたんだがね》
「今回の特殊作戦の件ですか?」
《そうだな。だがその作戦遂行中だというのに、空自はある技術的な協力を申し出てきた》
空自による協力? 意味が分からない。任務概要では、空自は空対海戦闘における援護を担当していたはずだ。それ以外に、新たな技術的な協力? 何を今更……?
そんな相模の疑念などどこ吹く風で、遠藤は言葉を続ける。
《今回の作戦には戦闘機と爆撃機が参加予定だったが、それより一足先に、特殊電子戦用の広域哨戒機『サンダーブレイド』をそちらに送る。ダンジョン周囲に展開されたECMを無効化できるだけの装備は搭載してある》
「左様ですか」
短く答えつつ、相模は一瞬、肺が飛び跳ねるような感覚に囚われた。
ダンジョンやそこに現れた化け物たちの詳細は全く以て不明の現状。ダンジョン内部の人間にそれを尋ねることができれば、作戦の成功率は上がるだろう。
だが何より重要なのは、海斗や泰一といった子供たちの安全確保だ。
このダンジョンを攻略できる可能性があるのは、あの少年少女だけ。あまりに障害が大きすぎれば、全滅して最奥部に到達することができなくなってしまう。
最初に投入した傭兵集団、アルファが呆気なく全滅したことを鑑みれば猶更だ。
「監督、サンダーブレイドを海面近くまで下ろして、潜水艇に活動させることは可能ですか?」
《ん? ああ、もちろんだ。むしろこちらから提案しようと思っていたところなのだよ。そちらに向かった機体には、現在作戦中のものと同型の潜水艇を搭載している。ダンジョンの内部構造は、大まかにではあるが明らかになった。数名の特殊部隊数名でいいだろう》
やはり、子供たちに続いて第二班を送るつもりだったか。
自らの脳裏をよぎった、子供たち、という言葉が相模の胸に刺さる。
「ECMの隙間から潜水するように、遠隔操作には細心の注意を願います。海底八〇〇〇メートルの水圧には耐えられますか?」
《そりゃあ君! サンダーブレイドは計算上、水深一〇〇〇〇メートルの水圧にも耐えうる構造の潜水艇で――》
ああ、そうか。サンダーブレイドに新型の潜水艇を搭載して着水させてもらえば、少年少女の任務にあたることができる。それほどの強度がサンダーブレイドにあるかどうかについては、遠藤の言葉を信じるしかない。
相模はマイクのチャンネルを切り替え、今回の作戦に同伴している潜水部隊の隊長を呼び出した。
《はッ、艦長》
「潜水部隊に通達。詳細は今から話すが、諸君には潜水艇でこの海面下八〇〇〇メートルまで降りて、行方不明者の捜索に当たってもらいたい。その際に使用する潜水艇は、現在手配中だ。時間はあと――」
そう言いかけて言葉を切ると、スピーカーがCICに繋がった。
まるで待ってましたと言わんばかりの勢いで、
《航空自衛隊サンダーブレイド、三沢基地より離陸! 作戦宙域到達まで、あと十分!》
との声が耳に入った。再度マイクを切り替え、相模は潜水部隊に命令する。
「諸君らの出番まであと十分だ。作戦目標は、海底深くに放り込まれた四人の民間人の援護。詳細は、諸君のヘルメット内部のディスプレイに表示させる。ここまでで質問は?」
潜水部隊は無言。質問はなし、か。
「では、出動準備に入ってくれ。誰一人残すなよ」
《了解!》
いつの間にか椅子から立ち上がっていた相模は、はっと正気に戻ってスピーカーを外した。
「どうやら吉報があったようですね、相模艦長」
「いや、油断大敵だ。やってみなければ分からんよ」
池波の皮肉に、素直に答える相模。
「池波一尉。君に自由は与えられんが、ダンジョン内の四人には安全で確実な帰還を捧げるつもりだ。信じてくれとは言えんがね」
「可能なのですか? あなたは遠藤監督の直属の部下なのに、自由に動かせる戦力があるとでも?」
「だから信じすぎるなと言っているんだ。それに――」
「それに?」
「自分の怠慢で子供が命を落とすのは、なかなかに堪えるからな」
僅かに顔を傾けた相模。池波には、その横顔に深い影が滲んでいるように見えた。
どのくらいの間そうしていたのか、相模にも池波にも分からなかった。
一つ確かなのは、自分たち大人も動かねばならない、ということだ。
相模の背中がドアの向こうに消える。その時になって、池波ははっとした。
「相模艦長、あなたご自分もダンジョンに向かうおつもりなんですか……?」
※
相模と彼に選抜された潜水部隊の面々が、水中活動用の装備を準備していた、まさにその頃。
ダンジョン第四階層を攻略した海斗たちは、鋭い目つきで泰一を注視していた。第五階層に踏み込むにあたり、トラウマ話をする。今回それに立候補したのが泰一だった。
「今頃驚くやつなんているかどうか、よく分からねえんだが」
そう言って泰一は、ズボンの右足を裾から膝下までぐいっと引き伸ばした。そこがぎらり、と無機質な光沢を放つ。
「あんた、これ……!」
「そう。義足だよ。最近CMでよくやってるだろ? 驚く必要はねえって」
唖然とする舞香をよそに、海斗は泰一に尋ねた。
「今からこの義足になったわけを話してくれる、って言う理解でいいのかな、泰一?」
「なあに、話すほどのことじゃねえ。運が悪かったのさ」
泰一によれば、実の父親による暴力を受けたのが原因だという。母親は幼い泰一を抱え、夫からの逃避を試みた。
しかしすぐに見つかってしまい、怒り狂った父親は、母親と泰一を思いっきり車道に突き飛ばした。そこで、滅多に怒らないはずの交通死亡事故に至ってしまった。
母親は即死、泰一は右足を複雑骨折。泰一に対しては緊急手術が行われたが、結局右足を切断するしかなかった。
「……」
「おい、お前らなんで黙り込んでるんだ?」
「そ、それは……」
「海斗からもまともなリアクションが望めねえのか……。ま、いいや。そういうわけだから、取り敢えずよろしくな」
通路奥から、重苦しい音が響いてくる。どうやら、第五層へ至る階段が展開されているらしい。
「ほら、行こうぜ。こんな金属の塊、見ていたってしょうがねえだろうが」
努めて明るく振る舞う泰一に、海斗たちはかける言葉を失っていた。
※
ダンジョン第五階層における狭い廊下状の空間に、鋭い斬撃音が響いていた。
それは甲高く、硬質な物体同士の衝突を物語っている。
この階層にいた化け物は、ずばり二枚貝だった。この狭い第五階層においては、完全に道を塞ぐほどの大きさがある。やはり、化け物は倒しておかなければ次の階層に進めないということなのだろう。
貝といっても、四人が四人共我が目を疑うような動きをしていた。恐ろしいまでの機敏さを持ち合わせていたのだ。加えて防御力は極めて高く、海斗の剣と拮抗している。
泰一の大槌ほどの破壊力があれば、そしてそれを思いっきり振りかぶることができれば、ダメージを与えられるかもしれない。が、そうするにはこの化け物の素早い身のこなしは厄介極まりない。
「畜生、一体何なんだ! このアサリ野郎!」
「連携を崩すな、泰一! 今の僕たちにはこれしかない!」
「分かってらあ、そんなことは! 海斗に言われなくたって――」
「二人とも伏せて!」
後方から響いた舞香の声に、海斗と泰一はその場で伏せる。僅かに目を上げると、黄金に輝く矢が勢いよく飛翔していくところだった。
しかも、その数は生半可なものではない。五本、十本、二十本と、分裂するかのように展開していく。
本命の一本に対し、華凛が魔術で幻影を見せているのだ。また、矢の軌道も直線的ではない。ぐにゃぐにゃと自在に折れ曲がり、貝をあらゆる方向から狙っていく。
これなら貝の隙間からダメージを与えられる。海斗たちはそう確信した。
が、すぐにそれがぬか喜びであることを思い知らされる。
貝が流水を撒き散らし、石畳の上で高速回転したのだ。
その速度の前に、皆が呆気にとられる。そんな中、舞香と華凛の力の宿った弓矢は、無残にも弾き飛ばされてしまった。
一本残らずだ。むしろ弾かれた矢が四人に当たらなかったことこそが僥倖、と言える。
「おいフィルネ! いるんだろう、出てきてくれ!」
(それはできないよ、海斗。私を参戦させる、って言ったら、完全なルール違反――)
「そんな無茶は言わない! 一つ教えてくれ、この貝の吐いた水は、何か毒性のあるものなのか?」
「なっ! ど、毒ぅ!?」
さっと顔を青くした泰一に代わり、海斗は、一体どうなんだ、と声を張り上げる。
(それなら大丈夫、ただの塩化ナトリウム水溶液……食塩水だ)
「海水と一緒、ってわけだな?」
(そう。出せるヒントはここまでかな)
跳びかかってきた貝をしゃがんで避け、素早く方向転換した貝に向き合う海斗。
貝の水流は痛いほど強い。だが、毒性がないというのであれば。
「泰一、手伝ってくれ!」
「あぁ? な、何だって?」
「僕が貝を開きっぱなしにする! その間に中身を思いっきりぶっ叩け!」
「そんなお前、どうやって――」
すると海斗は、単身で貝に向かって駆け出した。吐き出される食塩水の塊を回避、あるいは肘で防御。
流石にこれほどの速さで接近されるとは思わなかったのか、貝はより強い水圧で水の塊を吐き出す。しかしそこに海斗はいない。勢いよく跳躍していたからだ。
斜め前方から迫る殺気を感じたのか、貝もまた身を出して跳ねる。
これこそ、海斗にとっての最高の瞬間だった。
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