第17話

 泰一が言っていたように、この剣は本来、重いはずなのだ。しかし、それを海斗自身は軽々と扱うことができる。

 ここは自分と剣、そしてその相性の良さを信じて迎撃するしかない。後方では、仲間が三人も援護体勢を取ってくれているのだから。


 正直、海斗にも自信はなかった。だが、やらなければいけないのだ。案ずるより産むがやすし、と昔の人も言っている。


「やってやるとも!」


 ダンッ、と石畳を踏みつけ、海斗は仁王立ちになって正眼に剣を構えた。ただし、上半身の力は抜いておく。その方が回避しやすいし、腕や胴体の可動範囲も広く保つことができる。


 ぞわぞわと、第四階層の隅で蠢くモノたちの動きが大きくなる。

 来るとしたら、今しかないな。

 その海斗の勘は、見事に的中した。


 ヒュヒュヒュヒュッ、と空を裂いて、棘つきの黒い球体が飛び出してきた。先頭に立つ海斗めがけて殺到する。

 

 それに対し、海斗は完全に迎撃体勢。こちらから攻め込むことはしない。

 それを好機と見たのか、ウニたちは自由落下の勢いそのままに突っ込んでくる。

 

 海斗が串刺しにされる。――かと思われた次の瞬間、海斗の手元で剣が踊り狂った。猛スピードで繰り出される、連撃に次ぐ連撃。その速さの前には、ウニたちとてその場で浮いているも同然だった。


「……はあっ!」


 一旦突撃を中断したウニたち。その前で、海斗は再び正眼の構えで臨戦態勢を取り続けている。

 しかし、その肩は激しく上下し、膝は震えていた。今の連続斬撃による疲労は、海斗の予想を上回っている。

 対するウニの群れには、残り三分の二ほどの戦力が残されている。ここで退いたら背中から串刺しにされるだろうし、またさっきと同じ作戦を取ろうと思ったら、技が途切れてあまりにも大きな隙を生み出すことになる。


 どうする? 自分だけの犠牲では済まないぞ?

 海斗は後方で待機する皆の方に意識を集中する。僕が倒れたら彼らは――。


 海斗とは反対に、活気づくウニの群れ。次の突撃で、海斗を叩けると踏んでいるのは間違いない。ここまでか。


 海斗が膝をつきかけた、まさにその瞬間。


「はあっ!」


 この場にはまったく不似合いな、愛嬌さえ感じられる掛け声がした。

 ちらりと海斗が横を向いたのも束の間、薄緑色の魔弾が海斗を掠め、その眼前で板のように展開した。


「こ、これは……華凛?」

「わたくしのことを忘れてもらっては困りますわ」

「これってどんな状況で――」

「一種のバリアです。海斗さんは一旦後方へどうぞ。こちらも戦闘体勢が取れましたわ」


 戦闘体勢? 何のことだ?

 その正体に気づいた瞬間、海斗は自分がいかに自意識過剰だったのかを思い知った。


「うおおおおおおお!!」

「海斗、退いて! っていうか、伏せて頂戴!」


 凄まじい雄叫びと、鋭い命令口調。間違いなく、前者が泰一の大音声で、後者が舞香のものだ。


「わたくしだってまだまだ!」


 すると、見る間にバリアが遠ざかり始めた。ウニからしてみれば、自分たちのいられる空間が狭まっていく、と言えるだろう。

 華凛のバリアは、万全ではなかった。バリアをすり抜け、床に落下するウニもいたからだ。


 だが落下したということは、こちらの攻撃を届かせやすいということ。とりわけ、泰一の大槌に関しては。


「俺のダチに何しやがる! てめえら、容赦しねえぞ! 一匹残らず叩き潰してやる!」


 もしかしたら、華凛がすぐに海斗を援護しなかったのは、魔術で泰一の治癒を助けていたからかもしれない。


 一見使い勝手の悪いような大槌。だが、これも海斗と剣の関係と同様に、泰一との相性が良かったようだ。

 跳躍しながら、そしてバリアを叩き割りながら、泰一は大槌を振るう。


 直撃を受けたウニは一瞬で粉微塵になり、大槌の風圧で壁に叩きつけられたウニは壁の染みとなった。

 しかし、流石に一対多数では分が悪い。加勢すべきか逡巡した海斗。彼を迷いから引っ張り出したのは、鋭い女性の声だった。


「さっきも言ったじゃん、海斗! 伏せなさい!」


 間違いない、舞香だ。

 弓矢など扱ったことがない、と言っていたが、やっと戦う気になってくれたか。

 海斗は匍匐前進の要領で階層の端に辿り着き、背中を壁面に押しつけながら立ち上がった。ここなら舞香の弓矢の射程外だ。


 戦うことに躊躇していた舞香。そんな彼女が、自分のために、皆のために、命を懸けようとしている。

 微かに頬を震わせながらも、その腕はしっかりと固定され、狙いは極めて精確だった。


 危うく前衛の泰一の背中に当たってしまうのでは。

 などという海斗の考えは、呆気なく杞憂に終わった。仕組みは分からないが、放たれた矢は屈折した軌道を描き、巧みに泰一を避けている。

 もしかしたら、それを直感的に理解できたからこそ、舞香は戦おうと思えたのかもしれない。


 華凛のバリア。泰一の大槌。舞香の弓矢。

 この三人による攻撃は、恐ろしいほどに綺麗なコンビネーションを形成していた。


「これで最後だ、棘野郎!」


 残り僅かとなったウニ。階層の陰に集まっていた彼らは、泰一の最後の一振りで全滅した。


「っしゃあ!」

「泰一、待って。まだ敵が残ってるかも」


 舞香の慎重な声音。それに応じたのは華凛だった。

 両手をぎゅっと握り締めて、肘を伸ばしながら前へ突き出す。すると、バリアと同じ薄緑色の光が、ぱあっと階層全体を照らし出した。


「これは……」


 周囲を見渡す舞香に向かい、海斗は自分の唇に人差し指を当ててみせた。

 魔術を行使している華凛の周りで音を立てるのは賢明ではない。そう思ったのだ。


 水平方向に展開した、板状のバリア。いや、これは一種のレーダーだ。

 巨大な柱の裏側までもきちんと精査しながら、魔術の光が天井から足元までを照らし出していく。


「ふう、この階層はもう安心ですわね。皆さん、休憩と致しましょうか」

「賛成! 俺は腹減って仕方がねえんだ」

「あたしもね。泰一と同意見なのは癪だけれど」

「はあ? 舞香、それはどう言う意味だよ?」

「はいはいお二人共! 夫婦漫才はここまでにして、食事にしますわよ! このダンジョンに入ってから、もう三時間と十六分も経っております! 急いだ方がいいかもしれませんわ!」


 夫婦漫才、という華凛の言葉に、泰一ははっとして顔を逸らした。

 一方で、舞香はそこまで臨機応変には対応できなかった。華凛と目を合わせたまま、絶句している。

 

 まったく、泰一と舞香は相変わらずだな……。

 そんなことを思ったのも束の間、海斗の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


「なあ華凛」

「何でしょう、海斗さん?」

「君は……そうだな、なんというか、行き急いでいる感じがする」


 海斗は、華凛が微かに引き下がるのを見逃さなかった。


「きっと休憩を取ろうと言い出したのも、次の階層での戦いを有利に進めて、結果的に早く海上に脱出するためなんじゃないか?」


 華凛には、自分たち以上に何かを背負い込んでいる節がある。海斗は我ながら確信をもって、その考えに至った。

 ではどうして、何のために華凛は急いでいるのか? このダンジョンが怖いから?

 いや、だったらこんなに堂々と振る舞っていられるわけがない。

 華凛は比較的穏やかで、自己主張の少ない少女だった気がする。だが、それは彼女の元々の性格ではないのかもしれない。胸中で何を考えているのか最も読みにくいのは、やはり華凛だ。


 海斗が考えに耽っていると、ぽん、と肩を叩かれた。


「どうなさいましたの、海斗さん?」

「……あっ、え、えぇ?」

「わたくしにお声がけなさいましたね? それなのに突然、なんだか神妙なお顔で固まって……。どこかお加減が悪いのですか?」

「い、いやあ、何でもない」


 自分が何を考えているのか、海斗には分からなくなった。その隙に、とでも言うべきだろうか、華凛はポケットから何かを取り出し、海斗に握らせた。


「はい、出発前に渡された携帯食料です。海斗さんも早めに召し上がってくださいね」

「ん、……うん、ありがとう」


 軽く微笑んで、華凛は海斗から距離を取った。律儀にも野外テントのシートを展開し、お姫様座りで自分の携帯食料を齧り始める。リスや子猫を連想させる仕草だ。


 華凛が自分たちに内緒で何かを画策している? まさかな。

 そう思い直し、海斗もまた、携帯食料に齧りついた。


 泰一と舞香が互いに肩をぶつけ合い、そこに華凛も混ざって歓談に興じている。

 あんなに美形で大人しい女の子が、やましいことを考えているはずがない。

 海斗は自分に、しっかりとそう言い聞かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る