第14話


         ※


 同じ頃、ダンジョン最下層を目指していた海斗たちは、誰がトラウマを吐露するかを考えていた。

 彼らがいるのは第三階層。第四階層に下りるには、化け物を倒した後に誰かが自分の過去を語らねばならない。

 そのルールに従うつもりだったのだが。


「一つ思ったんだけどよ」


 口火を切ったのは泰一だった。


「舞香が親父さんとお袋さんのことを話したから、俺たちはここまで来られた。だよな、フィルネ?」

(そうだよ。化け物をやっつけるだけじゃなくて――)

「それはもう分かってる。俺が言いてえのは、この、あー、儀式? をいつまで繰り返さなきゃならねえのかってことだよ」

(泰一、君は自分の過去を話すことに躊躇いがあるのかい?)

「……まあ、人間だからな」


 意味深長な泰一の言葉。海斗はさっと泰一から目を逸らした。いずれは自分の分が来るわけか。もしかしたら、今この瞬間にも。


(皆が心配してるのは、恐らくはタイムリミットが来て強制的に命を奪われるんじゃないか、ってところかな?)


 泰一とは対照的に、余裕のある口調で尋ねるフィルネ。すると唐突に、泰一がぐいっと自分の着ているシャツを脱ぎだした。


「フィルネ、これを見てくれ」

 

 慌てて視線を外す舞香と、傷の心配をする海斗。華凛は泰一を留めようと立ち上がったが、間に合わない。

 結果、フィルネは泰一の生傷をまざまざと見せつけられることになった。


「てめえは俺を殺すつもりだったのか、フィルネ?」

(君がその程度で死んでしまうような弱者だったなら、ね)


 涼しい顔をして答える自称・ダンジョン統治者に、泰一の怒りが爆発した。

 

「おい、フィルネ! てめえは自分が何をしているのか、分かってんのか!」


 どれほど泰一が臨戦態勢を取ったところで、魔術を使えるフィルネに敵いはしないだろう。だが、気迫だけは泰一に圧倒的に分がある。

 ダンッ、とスニーカーの底を石畳に押しつけ、ぐいっと立ち上がる泰一。


「ちょっ、待ちなよ泰一! 彼女に罪は――」

「じゃあ海斗、許せるのか? フィルネはこのダンジョンのまとめ役で、いろんな魔術が使えるんだ。それなのに、俺たちの援護なんてしちゃくれねえ! 高みの見物だ! 俺はそいつが気に食わねえ!」


 泰一の気迫には、流石のフィルネも怯んでいるようだ。海斗は自分が仲裁に入るべきだと、不本意ながら判断した。

 暴れ牛のような泰一をどうどうと落ち着かせ、とにかく謝るようにフィルネに言い寄る。

 だが、やはり統治者のプライドがあるのだろう。フィルネは泰一の主張を一切受け入れようとはしなかった。


(何度も言ってるよね? 私はこのダンジョンの統治者なんだよ? なんだったら、ここでいきなり壁を壊して、ダンジョンごと君たちを圧死させることだってできる!)

「んだとこの野郎! 卑怯者! そうやって、ダンジョンに入ってきた人間をぶっ殺すのがそんなに楽しいか!」

(なにおう!?)

「……」


 その場にしゃがみ込んで耳を塞ぎたい。それが海斗の本音。

 自分の立場を声高に主張するフィルネと、ド直球に彼女のメンタルを打撃する泰一。


「あ、あの、女性陣二人にも助けてほしいんだけど……」

「あらあら、そんな突然におっしゃられても困りますわ。ねえ、舞香さん?」

「……」

「舞香さん? どこかお加減でも?」

「えっ? あ、いや、そういうわけじゃ……」


 これでは舞香も華凛もアテにならない。どうしたものか。

 海斗が溜息をつこうとした、その時だった。


「お前なんか妖精じゃねえ! 死神だ!」


 未だかつて耳にしなかった言葉が、泰一の怒声に乗って飛び込んできた。

 ――死神、と。

 直後、この階層全体の気温が、すっと冷え込んだ気がした。変わらないのは泰一の罵詈雑言だけだ。その合間を縫って、海斗は声を上げた。


「フィ……フィルネ……?」


 奥歯がカチカチ鳴らしつつ、彼女の名を呼んでみる。

 ようやく泰一も場の空気が変わったことに気づいたらしい。気まずい雰囲気に包み込まれるように黙り込む。


(……誰にも……)


 深呼吸のような所作と共に、フィルネは初めて叫び返した。


(誰にも私を死神だなんて、言わせないんだからあっ!!)


 その思念は、どんな業火よりも熱く、どんな雷よりも眩しかった。

 

(いつの時代も、あんたたち人間は私のことを、死神死神死神って……。誰が好き好んでこんな汚れ仕事をやってると思ってるの? 人間こそ、私たちを生み出した諸悪の根源でしょうに!)


 四肢と頭部を滅茶苦茶に動かし、汗だか涙だかを散らしながら、フィルネはそう言った。


 ぐしゃぐしゃになった顔に、ばちん、と掌を押し当てるフィルネ。呆然として言葉を失う少年少女たち。恐らくこのダンジョン史上、状況は最悪だろう。


(分かった……。分かったわよ……! 聞かせてあげる、私がどんな思いで生まれてきて、どんな心であなたたち人類の滅亡を見つめてきたのかを!)


         ※


 紀元前約一二〇〇〇年。

 フィルネの記憶は、こんなところから始まった。


《しかし驚いたな……。彼らの技術力は我々を遥かに凌駕している。君、彼女の意識は?》

《もうじき気がつくはずです。血圧、心拍数、共に適性範囲。いつ目覚めてもおかしくありません》


 瞼を開けるという感覚を得ていないフィルネは、耳から入ってくる情報に集中した。

 聞こえるのは、初老の男性と若い女性の声だ。男性の声にあった『彼女』とは、きっと自分のことだろう。

 加えて、自分は鼻と口に呼吸用のパイプを宛がわれ、また、カプセルの中でぷかぷか浮かんでいるらしい。


 現在の言葉でいえば、高さ五センチメートルほどの身体がハードディスクだ。

 それに、『人間』『人類』と呼称される生物の基本的な思考力や大まかな知識というソフトウェアのような情報が搭載されているらしい。


 ああ、道理でこの世界のことが理解できるわけだ。

 フィルネはそこまで考えた上で、ゆっくり目を見開いた。


《先生! 彼女が……被検体十六号が目を開いています!》

《おお! ついに……ついに手にしたぞ! 皆、これを見てくれ!》


 あっという間に、研究員と思しき人間たちに取り囲まれえるフィルネとそのカプセル。


《これで真の平和が訪れる……。人類滅亡論者め、これ以上好きにはさせんぞ!》

《……》

《ん? 君、どうした?》


 何かあったのだろうか。先ほどの女性研究員に目を遣ると同時、がたん、と音を立てて彼女はこのカプセルに覆い被さってきた。


《おい、何をして――がッ!?》

《博士? 博士!》


 二人の研究員が、自分のカプセルに寄りかかるように倒れ込んだ。ずるずると滑り落ちていく。即死は明らかだ。特殊な小型の飛翔型の槍で、心臓を一突き。


 あまりにも唐突かつ迅速な敵襲に、研究員たちは慌てふためいた。ここには武装した者は誰もいない。対照的に、姿を現した敵の鎧には真っ赤な鮮血がべったりこびりついている。人類滅亡論者たちの放った刺客だ。

 こちらにも警備の兵員はいたのだが、その防衛線は破られたのだろう。


 元から狭苦しい研究室。その中は、一瞬で阿鼻叫喚の地獄へと変貌を遂げた。敵は精々四、五名。対する研究員たちはざっと十二、三名。だが、敵の練度は圧倒的だった。容易にこの部屋を制圧する程度には。


 そんな中で、最も恐怖に震え、混乱に陥っていた存在こそ、被検体十六号、すなわちフィルネだ。

 生きるとは? 死ぬとは? そう言った人類普遍の概念。ようやく生まれ、その概念を思考する機会を得られたと思っていた。自分はそれすらできずに、恐怖にまみれて強制的に命を奪われていくのか? ――冗談じゃない。


 フィルネはぎゅっと閉じていた瞼を、ゆっくりと開いた。


《隊長! 覚醒している個体があります!》

《何だと? 構わん、カプセルごと抹消して――》


 抹消してしまえ、とでも言うつもりだったのか。

 その前に、隊長とやらの言葉はぷっつりと切断された。唐突に真っ赤な噴水が、壁も天井も染めていく。


(――次だ)


 フィルネに容赦はなかった。加減する余裕もなかった。

 別に、自分を生み出した博士たちに愛着があったわけではない。不殺の誓いを立てていたわけでもない。

 ただ、自分さえ生き残ればよかった。生きていたかった。


 自分の潜在意識に、それは強烈に刷り込まれていた。


(私は死ぬわけにはいかない)


 その言葉が伝わったかどうか。それこそどうでもいい。

 最後の四人目の敵を、フィルネはばっさりと絶命させた。

 自軍の兵士たちが異変に気づき、この研究室にやって来るまで、フィルネは黙々と思索に耽った。


(私がやるべきことって、何なのだろう……)

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