第12話

 しかし、というか当然というか、舞香はすぐには言葉を繋げられない様子だった。

 ぺたりと座り込んだ海斗たち三人とフィルネ。四組の視線を受けて、つと目を上げる舞香。だが、すぐにその視線は石畳に落ちてしまう。


「なあおい、大丈夫か、まい――」


 舞香の方に差し伸べられた泰一の腕を、華凛が遮った。強引にも、泰一の二の腕を掴んで。

 驚きのあまり、泰一が振り返る。彼に向かい、華凛は無言で左右に首を振った。

 恐らく華凛は、今は舞香をそっとしておくべきと判断したのだろう。無理に答えを要求しても、目的の内容を引っ張り出せるというわけではない。海斗はいつの間にか、自分が渋い顔をしていることに気づいた。自分も焦ってしまっていたようだ。


 さて、どうしたものか。海斗が自分の顎に手を当てると、舞香はぐいっと顔を上げた。


「あ、あの、ごめん、上手く言えなくて……」

「無理することはないですわ、舞香さん。あなたのペースでお話しくださいな」


 華凛は舞香とアイコンタクトを交わし、舞香は咳払いを一つ。

 続けて舞香は大きく深呼吸をして、ゆっくりと語り始めた。


「本当はもっと早く皆には伝えるべきだったと思うんだけど……。さっきあたし、両親の話、したじゃない? その後すぐに、親戚のうちに預けられたの。義理の家族だったけど、両親はあたしにとってもよくしてくれた」


 これはさっき聞いた話で、海斗たちはこくこくと頷いてみせた。


「それから二年くらい後の話なんだけど……。その両親は機械工業の開発部で働いていたんだけど、自動車の試験運転中に事故を起こしちゃってね……。二人共助からなかった」


 ワンテンポ遅れて、皆は頷いた。この時代、死者が出るような自動車事故はそうそう起こるものではない。

 だが、それは綿密な試験を幾度もパスしてきた完全自動運転車両の話だ。試験用の車両がどれだけ頑張っても、市販の生産車両ほどの安全性は望めない。


「実の両親が携わっているのが危険な仕事だとは分かってた。でも、やっぱり……寂しいっていうのかな……。ごめん、ちょっと」


 一度止まっていた嗚咽と落涙。本人として戸惑いながらも、舞香はハンカチを自分の顔に押し当てた。華凛がそっと手を伸べて、舞香の背中をゆっくりと擦ってやっている。

 泰一はあぐらをかきながら、音のない溜息をつく。髪に手を遣り、ガシガシと後頭部を掻きむしる。


 これだけの事実を話すのは大変だよな……。

 海斗にも、返す言葉はなかった。すっとフィルネの方を見上げる。人間より長く存在してきた彼女なら、いったいどんな言葉をかけるのだろうか?


 しかしフィルネは、まったく無関係な方向に目を遣っていた。海斗の反対側、ピラニアたちの死骸の向こう側。


(皆、ちょっと揺れるけど我慢して)


 何事かと皆が顔を上げ、フロアの反対側を見遣る。そこには、確かに大きな異変が起こっていた。

 ゴゥン、ゴゥン、と巨大な鐘を打つような音が空気を震わせる。プール状になったフロア中央部の向こう側で、何かが起きているようだ。


「フィルネ、危険な兆候か?」

(いいや泰一、これはさっきのルールに従って作動するダンジョンのシステムなんだ。向こうでは、ダンジョンの構造を少しずれて、階段ができているんだよ。皆、準備ができていれば、もう第三階層に進んでしまっても大丈夫だ)

「分かった。華凛、泰一の容態は?」

「どこに目つけてんだ、この馬鹿。俺ならもう完全復活し……うっ、いてぇ……」

「ちょっと! 無理しないでよ、泰一! せっかく出血を止めてもらえたのに、傷口が開いたら……」


 舞香の言葉に、泰一はそっと壁に手を当て、身体の向きを変えた。きちんと舞香に真正面から向き合えるように。


「心配かけてすまねえな、舞香。無事ここを脱出したら、三日三晩飯奢るからさ」

「ほえ?」


 舞香を勝手に呆然とさせながら、海斗は泰一に詰め寄った。振り返って、泰一を振り向かせる。


「ここから進むのに、お前に無理はさせられない」

「ああ、ご配慮感謝する、が……。誰が最後尾を務める?」


 海斗はわざと、泰一にヒントをやらなかった。

 泰一を(一時的に)戦力外とするなら、最後尾を任せられるのは舞香、ということになるだろう。敢えて口には出さなかったが。


「舞香、君には泰一の警護を任せたい。もちろん、僕も華凛も最善は尽くす。でも、泰一にとって一番重要なのは、信頼と安心感だ。僕たちの援護の上で、ということにはなるけど。どうだい? 引き受けてもらえるか?」


 照明の関係で上手くは見えなかったが、俯きながら舞香は首肯した。彼女の顔が赤いのは、戦闘による緊張感だけによるものではあるまい。


         ※


 第三階層。ここは第一階層と同じく、非常に広大であった。円柱の太い柱が何本も天井を支えている。が、肝心の天井は、あまりに床面から離れているので灯りが届かず、目視することも叶わない。


 まあいいだろうと海斗は判断した。自分たちに必要なのは、床からある程度離れた、目線と同じくらいの高さの光源だ。それなら、壁に沿って備え付けられた燭台がちゃんと務めを果たしている。


「フィルネ、ここは何なんだ?」

(修練場の跡地だね。流石にここにラスボスはいないみたいだ。……けど)

「けど? 何だよ、はっきり言って――」


 だが、その言葉は途中で遮られることとなった。

 つつっ、と粘性のある液体が、ひんやりと海斗のうなじに滴ってきたのだ。


「ッ!」

(上だ、海斗!)


 言われるまでもない。海斗は抜刀し、大きくバックステップ。

 直後、べたん、と粘着質な何かが横たわるような、不快な音が響いた。こいつは……。


 海斗は最初、これは海草の怪物なのかと思った。緑系の暗色をしているし、粘り気のある液体に覆われている。味噌汁に入っているワカメに比べれば遥かに酷い臭いがしたが。

 そしてその見方は当たっていた。異様に表面積の広い葉が、海斗に回避を強制する。

 

「海斗、俺も前線に立つぞ!」

「ま、待ってくれ泰一! お前はまだ傷が塞がってないだろう!」

「お前一人に任せておいたら、ピラニアの時と同じになっちまうかもしれねえだろ!」


 ふむ、一理あるな。

 第二階層で海斗一人で戦っていたら、隙を突かれて今頃骨だけになっていた可能性が高い。


「分かった、泰一。でも海草は狙うな!」

「な、何だって?」

「僕が回避してからまた海草が伸びてくるまで、タイムラグがある! そこを狙うんだ!」

「っておい! もしお前が回避失敗したら、俺がお前の頭をかち割ることになっちまうぞ!」

「だったら参戦するな! こいつは僕が一人で――」


 と言いかけて、海斗ははっとした。

 自分の思い込みは、極めて傲慢なのではないか。フィルネによれば、各人に付与された武器や能力は、その人物の特性に合わせてある、とのことだった。

 もしかしたらこの海草の化け物は、剣と相性が悪いのかもしれない。現に今まで斬りつけてみたところでは、刃が表面を滑ってしまって剣は本来の斬れ味を発揮できずにいる。


「わたくしが参戦致しますわ!」


 思いがけない言葉の内容とその意味するところ。それを耳にして、海斗ははっと目を見開いた。


「華凛、君か?」

「左様でございますわ! 魔力の再充填は完了済み。わたくしも海斗さんのそばに行きます。この海草には本体がいるはずですから、そこを叩かないと」


 海斗、思案すること〇・四秒。


「分かった。頼むよ、華凛」

「了解ですわ」


 すると、小柄な人影がさっと海斗の前に立ちはだかった。


「わたくしが軽い魔弾攻撃で海草の気を引きます。海斗さんは敢えて斬撃はなさらずに、柱の裏側に回り込んでください。数回繰り返していれば、海草の本体の下に到着するはずです」

「そこで僕の剣を使って本体を斬り捌く、と?」

「仰る通りですわ」


 海斗は改めて、自分の体力がなくなりつつあるのを自覚する。確かに、華凛の作戦は理に適っている。ご助力を仰ぐとしよう。


「じゃあ、頼む!」

「了解ですわ。では海斗さん、わたくしに遅れを取りませんよう」

「え?」


 と疑問符が浮かんだ時には、華凛は既に駆け出していた。上半身を思いっきり折って、まさに短距離走の中継映像を観ているかのようなスピード感をもって。


 おっと、驚いている暇はない。海斗は全速力で華凛の後を追った。

 前方を見遣ると、海草の葉は明確に狙いを変えていた。海斗から華凛へと。

 自分から華凛がどれほど離れているかは、海草の葉がのたうち回る音で察しがついた。


「追いつかないとマズいな!」


 華凛の通ったのと同じルート、すなわち壁際を駆ける海斗。海草の葉は、電撃でも喰らったかのように痙攣している。

 回避するのは容易だったが、この魔術も永遠に保たれるわけではあるまい。


「急がなきゃな……」


 海斗は両方の足の裏を意識して、勢いよく床を蹴った。

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