第11話【第三章】
【第三章】
海底ダンジョン第二階層にて。
意識の曖昧な泰一に、フィルネが治癒魔法をかけていた。横たわる泰一の反対側では、舞香が泰一の片手を自分の両手で包み込んでいた。
(ふう、一応やれるだけのことはやってみたけど……。どうかな、舞香?)
「そっ、そんなこと聞かれても……」
「大丈夫ですわよ、二人共。今の泰一さんの体調は安定しています。亡くなることはありませんし、第三階層に向かう間に目を覚ますでしょう」
「はあああ……」
緊張が解けたのか、舞香はその場でぺたんとへたり込んでしまった。両の掌で顔面を押さえ込んでいる。
華凛はそっと舞香の背中を擦り、フィルネはその後ろでじっと三人を見下ろしている。
肝心の泰一は、まだ意識が戻ってはいない。だがこのまま突然死んでしまうようには見えない。フィルネのお陰か、呼吸は安定している。
しかし海斗は班長として、最悪の状態を想定しなければならなっかった。
もしこのまま泰一が目を覚まさなかった場合、自分たちはどうやってこのダンジョンから脱出すべきだろうか?
(おっと、苦労なさっているようだね、海斗?)
「まあね……。ここから先の戦いには、絶対に泰一の力が必要なんだ。彼抜きで戦えないことは、今のピラニア戦で分かった」
(そうだねえ)
腕を組んで、呑気に羽を震わせるフィルネ。
「泰一の治療、手伝ってくれてありがとう」
(いやいや、まあ、私が記憶喪失を起こしていて、戦い方を伝授できなかったのも悪いしね)
「お互い様、ってことか。ところで、フィルネから見て華凛の腕前はどうなんだ? 同じ魔術を使う者として」
(大したものだな。このダンジョン内に漂う不可視エネルギー、いわゆるマナを、迅速かつたくさん収束させるコツを既に会得した様子だ。人間も進化した、ということなのか?)
「さあ、僕に訊かれてもな」
僕は視線を、自分のスニーカーの爪先に合わせた。
「それよりフィルネ、次の階層へ進むための条件は思い出したのか?」
(ほへ?)
「そんな間抜けな声出してる場合じゃないよ。脱出の可否がかかってるんだから」
(ふむ、確かに私としても、君らのような勇気ある若者には生きて地上に戻ってほしいものだけど……)
やれやれ。まだ思い出してくれないのか。それでも戦闘ナビゲーターとしては役立ってくれそうではあるが。
(あ)
「今度は何だい、妖精殿」
(思い出した。このダンジョンを、より地下へと進んで行くための条件を)
まったくの不意討ちに、僕はボディブローでも喰らったかのように身体を折った。
「お、思い出したぁあ!?」
(うむ。単刀直入に言えば意思の疎通、コミュニケーションの術などでね)
「いや、全然分かんないけど」
(話してる間にまとめるよ。今は私の実験台になってくれ、海斗)
「そ、そりゃあ構わないけど」
(よし)
そうして、フィルネは淡々と語り出した。
(この場合の意思疎通というのは、ただ聞いたり喋ったりするだけのものじゃない。心の交流、今までの自分の人生をひけらかす、というものだ)
「自分の過去を赤裸々に語れ、と?」
(そうだね。ただ、一階層下りるのに、全員が全員、全てをあけっぴろげにする必要はない。むしろ最終階層までのことを考えたら、一人ずつ語ればよい、とも言える)
ちなみに、最初に第一階層から第二階層にすんなり下りることができたのにも理由があるという。ダンジョンの管理者であるフィルネが、海斗たちを気に入ったというのだ。
「だから手加減してくれたのか。でも、僕たちを地上に帰さないように、いろいろな罠を仕掛けているんだろう?」
(そうなるね。勝手にホイホイ仕掛けちゃったんだけど)
と、フィルネが爆弾発言をしたところで、海斗の背中に誰かがぶつかってきた。舞香だ。海斗の手を握っている。
歩く速度をそのままに、海斗の腕を引く舞香。危うく突っ転ばされるところだった。
「フィルネ、悪いけど海斗、借りるね」
(了解。ま、精々仲良く楽しんでくれ)
何なんだ、今の意味不明な言葉は。
そう思う頃には、海斗の眼前で肩を震わせ、自分のシャツで涙を拭う舞香の姿があった。ここは大きな岩石の隙間で、他人に聞かれる恐れがない。
「ごめんね、海斗」
「ごめんって……。何のことなんだい、舞香?」
ひくっ、と肩を上下させてから、舞香は自分の喉元から胸にかけて手を合わせた。
「あたし、何の手助けもできなかった。あんたと泰一を援護することもできなかった。なんていうのか……。私にはハードルは高すぎたのかな、って。こんなダンジョンに放り込まれて、皆と一緒に怪獣をやっつけていくなんて」
私がもっとちゃんとしていれば、泰一は。
そこで舞香の言葉は、嗚咽に代わってしまった。
こんな時、何と言葉をかけていいのか、海斗にはさっぱりだ。
いや、待てよ? 早くダンジョンを攻略すれば、それだけ泰一はまともな医療を受けられる。
一瞬、脳裏を眩しい直線が横切ったような気がした。これから自分たちがどうすればいいのか、それが察せられたのだ。
泰一には、今の負傷についてはフィルネの魔術でどうにか耐えてもらう。脱出後にすぐに海自の船をよこしてもらい、そこで、あるいは病院で、泰一に処置を施してもらえばいい。
「よし!」
(ななっ、何だ何だ?)
唐突に拳をぶつけ合った。
「舞香、ここにいる全員に聞いてほしいことがある。泰一は?」
「うわああああああん!!」
突然の舞香の慟哭に、海斗は堪らず耳を塞いだ。が、そんな中でもフィルネの思念は伝わってくる。面倒だから自分が直にテレパシーで伝える、とのことだ。
そのお陰で、ダンジョン内での振る舞いや覚悟、次の階層への行き方などが、皆の脳裏にインプットされた。
泰一はまだ記憶が曖昧なようだから、後でもう一度説明することになるだろうが。
泣き崩れながらも、舞香はきちんとフィルネの話を聞いていた。
「確か、自分の過去を明かすことで、次の階層に行く階段が現れるのよね?」
(そうそう。今ここには、私を含めて五人の人型生物が存在している。これならちょうど、自分の過去を述べて最下層に行くのに適している)
「だったら早く誰かが話して、階段を出現させないと!」
その慌てぶりが滑稽だったのか、海斗も華凛も、思わず吹き出してしまった。
「ちょっ、二人共! なに笑ってんのよ! あたしは泰一のことが心配で……」
「あら? お気に障りまして? わたくしは、舞香さんの必死なお姿に感銘を受けていたのですけれど?」
うぐ、と喉を鳴らして言葉に詰まる舞香。泰一はまだ落ち着いてはいられず、フィルネは着用した灰色のハイヒールをコツコツと鳴らしている。
「それはそうと、フィルネ、僕の両腕を強化してくれないか? 泰一の意識が戻らないなら、僕が背負っていく」
「だっ、大丈夫、あんた?」
軽々と跳びながら、ずいっと身を寄せてくるフィルネ。
「そういうことでしたら、わたくしもお助け致しますわ。わたくしはフィルネさんと同じ魔術使いですし」
言うが早いか、華凛はさっとサイドステップした。
よりにもよって、海斗に肩が触れ合う方に。そのままするり、と海斗と腕を絡ませる。
「ちょっ! あ、あの、華凛……さん……?」
どうして華凛が積極的になったのか。海斗にはさっぱり分からなかった。
幸か不幸か、その光景を見ていたのは海斗本人とフィルネと華凛だけ。舞香は泰一に付きっ切りで、ミネラルドリンクを飲ませようと必死だ。
「あらら、ごめんなさいね。海斗くんの腕、ちょうど掴まりやすいと思ってしまいまして」
「は、はあ……」
海斗はこの時、随分と焦っていた。しかしそれ以上に、謎の灼熱感が胸から広がっていくような感覚に囚われた。
そのまましばしの時間が経過したところ、ごほん、とわざとらしい空咳が響いた。
「モテモテでよかったね、海斗くん?」
「そっ、そういうわけじゃ……」
責め立てるような舞香の気迫に、あわあわと答える海斗。
「ま、いいよ。で、これからどうするつもり?」
「ああ、それを決めないとな。フィルネ、ここで誰かが自分の過去を語れば、階段が現れるんだな?」
(そうだよ~。ちなみに、第一階層から第二階層に下りてきたぶんの過去話は、私からのサービスで。私がちゃんと覚えていればよかったんだけどね……)
「気にしてもしょうがないよ、フィルネ」
舞香は人差し指でそっとフィルネの背中を叩いた。
「じゃあ、あたしが話してみる。自分のことを。さっきここまで下りてくるのをサービスだって言ってくれるなら、もう一度あたしに話す番を回してくれてもいいよね、フィルネ?」
もちろん、と言わんばかりに、フィルネは大きく頷いた。
舞香は居住まいを正し、乾いた床に正座した。海斗、華凛、フィルネ、それになんとか上半身を起こした泰一は、深呼吸を繰り返す舞香にじっと注目する。
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