第10話

《相模修司艦長、直ちに艦橋へ。繰り返します、相模艦長、艦橋へおいでください》


 すると相模はぴくり、と一瞬身を震わせ、同時に短い溜息をついた。


「艦長、何か?」

「いや、気にせんでくれ」


 気を遣ってくれた副長の肩を軽く叩き、相模は胸中に立ち込めた不快感を打ち払う。

 部下の士気を下げるようでは、艦長としての責務を放棄するのと同じだ。

 制帽を被り直し、俯いて感情を読まれないようにしながら、相模は廊下に出た。


「まったく、あのご老体は何がしたいんだ……?」


 カンカンカンカン、と船内の階段を上り、そのまま艦橋へ一直線。我ながら慣れたものだと思う。

 ご老体――遠藤監督は、既に艦橋内に陣取っていた。こちらに背を向け、堂々と海岸線を見つめている。


 正直、ここにいられるのは困る。いくら車椅子生活を強いられているからといって、それは特権階級を意味するわけではない。

 もしこの瞬間、何らかの攻撃を受けた場合、艦橋に詰めている隊員たちは退避しそびれる恐れがある。


「ああそうか」


 遠藤は海自の元高官。しかしながら、実際の任務や作戦中には考えられない行動を取っている。というより、元々知らなかったり、想像力が欠如していたりするのだろう。


 そんなことに頭を悩ませている場合ではあるまい。そう念じて、相模は顔を上げた。


「遠藤睦監督、相模三佐、参りました。何の御用でしょうか」

「まあそう焦らんでもよかろう、艦長。それより儂は、君の先ほどの発言の意図が気になるんじゃがな」

「はッ? 自分が何か申しましたか?」

「ああそうか、とね。何を納得したのかな?」


 地獄耳なのか、この爺さんは。


「それは……ええ、監督は艦橋からの眺めがお好きなのだな、と納得した次第です」

「ほう」


 短く言って、遠藤は相模に振り返った。正確には、車椅子の座席部分が百八十度回転した。


「まあ、君の真意がどうなっているかは気にせんことにするかの」

「はッ」


 自分の真意とやらがどう解釈されているのか。

 その思索を不要と斬り捨てた相模は、遠藤に促されるまま、休め、の姿勢を取った。


「ご用件をおっしゃってくださいますか、遠藤監督」

「うむ。まあ、儂が今の状況を確認しておきたいと思っただけなんじゃが……。例のクランベリー、とやらは使えるのかね?」

「はッ。心拍数や血圧をモニターしていますが、作戦行動に支障はありません」

「それは上々」


 ぱちん、と掌を打ち合わせる遠藤。


「彼らの進行状況は?」

「第二階層を突破、重傷者の手当が完了するのを待って、第三階層へ進行する模様です」


 それを聞いて、遠藤は満足げに頷いた。


「電波状況は先ほどと同様、と見てよろしいか?」

「はッ、艦内の通信は支障ありません。ですが作戦海域に近づくほど、波長に乱れが生じています。確実に頼りになるのは、クランベリーからのモールス信号だけです」

「承知した。では儂は、また海を眺めさせてもらうよ」

「はッ。自分はCICに戻り――」


 戻ります、と言いかけた時、ザザッ、とノイズが走った。


「どうした? 海底構造物からの電波妨害か?」

「違います! 電波妨害は、本艦の艦内からのようです!」

「なんだと? 直ちに発信場所の特定を!」

「艦内全フロア、スキャン完了! ECM、ECCM、共に反応ありません!」


 ずいっとディスプレイに身を乗り出していた相模は、ゆっくりと姿勢を正した。


「通信室を制圧しろ、最優先だ」


 ふっと息をついて、相模は後処理を通信士に任せた。

 外部からの通信妨害への対策は万全だ。それを破ったからこそ、艦内が怪しいと踏んだのだが、さてどうなるだろうか。


 犯人との接触を警戒し、相模は左腰に差したオートマチック拳銃を意識した。


         ※


「おい、お前何をしている!?」


 げっ、バレたか。

 池波はさっと身を翻し、大型通信機とそれを支える電子機器の陰に入った。


 しかし池波は、さして自分の境遇を悲観してはいない。

 ここ、通信室は、精密機器の詰め合わせだ。警備の隊員は拳銃を携行しているが、もしこの部屋で戦闘行為に入ったとしたら、それは『しらせ』の情報中枢が潰されることと同義である。


 もちろん、『しらせ』はこれらの機器のバックアップは取っているだろう。隠された第二通信室が存在する可能性もある。


 上等だ。第二だろうが第三だろうが、いくらでも処理してやる。

 幸い変装をしていたことで、ここにいるのが池波美香であるとはまだ知られていない。


 まあ、バレてしまうのも時間の問題だろうが、だったらそれなりの速度で仕事を済ませればいいだけだ。

 池波は目的のデータを、艦に持ち込んだ特注の小型パソコンにダウンロード。

 あっという間にデータを吸い込んだパソコンを閉じ、小振りのリュックサックに突っ込む。そして、腕を上げる動作の途中で、自分が装備していた得物を取り出す。


 短針の注射器だ。ほぼ無痛で、皮膚にもほとんど痕が残らない。

 通信室に駆け込んだ二名の乗員は、あっという間に池波によって無力化された。

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