第8話
※
ちょうどその頃。海斗たちは頭を抱えていた。
「まさか、ナビゲーターがダンジョン攻略の道筋を忘れているとはね……」
脱力しきった海斗の声に、泰一も便乗する。
「フィルネ、お前なあ……。妖精だってことは、俺たち人間よりもずっと多くのことができるんだろ? それをほとんど忘れちまってるとは、イカすぜ、まったく!」
(わっ、私に言われても困るよ! 私だって、好きで記憶喪失になったんじゃないんだから!)
「まあまあ、フィルネばっかり責めても仕方ないよ」
そう言って立ち上がったのは舞香だった。精神的に、だいぶ立ち直ったものと見える。
「皆に言ったかどうか忘れちゃったけど……。あたしのパパ、会社を経営してたの。小さな町工場みたいなところだったけど」
「ほう?」
真っ先に興味を寄せたのは泰一だ。海斗と華凛も、床に座ったまま舞香に向き直る。
だが、彼女の過去とダンジョン脱出の間にどんな関連性があるのだろうか? いや、舞香がそんなことまで考えているとも限らないが。
「あたしが小学生の時、世界的な不況のあおりを受けて、倒産しそうになったんだ。でも、そうはならなかった。パパもママも、自分の仕事を愛していたし、努力家だったから」
その真剣で明瞭な言葉運びに、口を挟む者はいない。
「それであたしは、こういう小さな企業でものびのびと皆が働けるように、この国を変えたいと思った。今は国立大学の法学部を目指して勉強中……だったんだけど、父さんが過労で死んじゃって……。母さん一人ではあたしを食べさせていけないから、親戚に預けられることになったの。お義父さんもお義母さんも、あたしにすごくよくしてくれているし、まずはここから脱出しなくちゃね」
もっともな話だな。海斗はそう思った。命あっての物種だよ、本当に。
「あっ、ごめん。あたしの話ばっかり聞かせちゃって」
「んなこたあねえよ、舞香。皆、心のどっかにそういう枷、っていうか重石みたいなもんを括りつけられて、それでも生きてるんだ。今も昔も、変わりやしねえさ」
泰一のその一言で、舞香は泣き崩れてしまった。両腕で自分を抱きしめる。
「えぁ、舞香?」
「大丈夫ですの、舞香さん?」
そう言って、華凛は泰一をキッと睨みつけた。余計なことを言うな、とでも言いたげなご様子。
びくり、とのけ反る泰一と違い、華凛は落ち着いていた。そっと舞香の肩を擦る。
「ダンジョンで泣いてはいけないなんて法はありません。今のうちに泣いておきなさい。後から思い出すことがあると、苦しくなってしまいますから……」
優しく語りかける華凛。そんな彼女を前に、海斗は心の痙攣が落ち着くような気持ちになった。
そっと腰を上げた華凛は、僅かに海斗の襟を引いて、彼にも起立するよう促した。
「今はこのフロアを捜索して、次のフロアへの入り口を見つけましょう。海斗さんも。ほら、泰一さん!」
「お、おう」
舞香を見つめていた泰一は、はっと正気に戻ったように慌てて立ち上がった。
それを見て頷きながら、華凛は舞香に語りかける。
「舞香さん、あなたは一人ではありません。大変な生活を送ってこられたことは、わたくしたちにも理解できます。協力してくださいますか?」
「うん……うん!」
舞香は自ら立ち上がり、ぐしぐしと腕で涙を拭った。
「ありがとう、皆。あたしも頑張って、次のフロアへの入り口を――」
と、舞香が言いかけた、その時だった。
ズズン、という縦揺れが、皆の足元を震わせた。だが何故か、地震のような不気味さは感じない。何者かに手招きでもされているかのような、温かな感覚。
「風が……」
「どうした、海斗?」
「ここから真っ直ぐ、壁沿いに風が吹いてる」
海斗が気づいたことを呟く。確かに、と泰一が応じる。それが何らかの影響を与えたのだろう、人間四人の脳内にガシャガシャとノイズが走った。
(あ、そうだあああああああ!!)
「きゃっ! な、何!?」
「うわあ! どうしたんだよ、フィルネ!」
(思い出した……思い出したよ、皆! 次のフロアに進んで行くための方法が!)
「え……?」
振り返ると、人間四人は全員が全員、耳に手を当てていた。
「フィルネ、もっと静かに! 僕らはテレパシーに慣れていないんだ!」
(え? ああ、ごめんごめん。でも、これで次のフロアに進めるよ!)
どうやら海斗たちは、何らかの条件をクリアしたらしい。そしていわば、ダンジョンに許される、認められるということで、より先に進むことができるようになったようだ。
「フィルネ、何が原因で進むことができるようになったのか、分からないのか?」
(あっ、ごめん。私もまだ思い出しきれてないんだ。次の戦闘を見させてもらえれば、思い出せると思うんだが……)
海斗は、了解、と告げた上で、フィルネの続く言葉をゆっくりと聞き込んだ。
(このまま壁に沿って歩いて。暗いから足元に気をつけてね? この階段から下りていける)
「ご忠告どうも」
(ちょっ、泰一! それって皮肉?)
「そう受け取ったのか? そいつは失敬」
「皆、集中してくれ。今度は何が潜んでいるのか分からないから」
こうして、剣を抜いた海斗を先頭に、五人は第二階層へ歩み入った。
※
恐らく、自分たちに与えられた武器こそが最良の得物なのだろう。
でなければ、先ほどの特殊部隊が用いていた火器の方がよほど強力なはず。それでもタコには通用しなかった。
しかし、海斗の剣はそのタコを斬り刻み、挙句肉片にしてみせた。
その戦闘力。どちらか選べと言われたら、信じられるのは自動小銃よりもこの剣の方だ。
次のフロアで何が出てくるかは分からない。しかし、できれば次の階層で全員の武器とその相性は確かめておきたいところだ。
階段を一段、また一段と下りていく。広い階段だ。海斗が歩を進めるごとに、自動で壁の松明に火が灯る。階段は、上から見て左側に折れる形で終わっている。
海斗は皆に振り返り、一時停止した。そっと顔を覗かせ、第二階層の様子を窺う。
「……」
「どうだ、海斗?」
「待ってくれ、泰一。……魚がいるな。でも水溜りがあるわけじゃない。あの魚たちは死んでいるみたいだ」
「なあんだ、ダンジョンもネタ切れか? さっさと次の階層へ進んで――」
「あっ、勝手に物陰から出るな! 避けろ、泰一!」
「え?」
その直後、第二階層の床、壁、天井と、石と石の隙間から、大量の水が滲み出てきた。
「うわっ!?」
言わんこっちゃない……!
海斗は思いっきり泰一の後ろ襟を引っ張った。
流水はぐんぐん水位を増していき、海斗に引き倒された泰一の足元でようやく止まった。
「なっ、なんなんだこりゃ!?」
(そう慌てないでよ、泰一。この液体は、ダンジョンでの戦闘で人間側が不利になりすぎるのを防ぐために供給される、一種の培養液なんだ。これに浸かっても空気中と同じように動けるし、呼吸だってできる)
「なっ、んなこと言っても……」
納得しかねる様子の泰一を引っ張り立たせながら、海斗は持論を聞かせた。
「ここはフィルネを信じるしかないよ。僕が先頭を行くから、泰一はできるだけ並走してくれ。舞香と華凛は援護準備を頼む」
「了解ですわ!」
「りょ、了解」
海斗は真っ直ぐに剣を翳し、どこから襲われても対応できるように気を配る。
一方、泰一は海斗の左隣に陣取った。歩きながら、だんだん海斗からは離れていく。それだけ、第二階層も広大だったのだ。
第一階層同様、なんとも薄暗い中での戦闘になりそうだ。
海斗は階層の中央に目を遣った。そして、ん? と違和感に囚われた。
「死んでいたはずの魚がいない……?」
海斗は一瞬、自らの状況を確かめた。肌が濡れているという感覚はなく、衣服もまた同様。原理は分からないが、仮にここで自分が泳ぎ始めても、息継ぎは不要だろう。
いや、浮力すらないのだから、泳ぐこと自体不可能では……。
一瞬、海斗はぼーっとしていた。そのまま歩を進めると、あろうことかその場で前のめりに転倒した。
「いてっ!」
前のめりに倒れた海斗は、膝を軽く床にぶつけたことを悟る。あとで華凛に治癒魔法でもかけてもらおうか。そんなものがあれば、の話だが。
しかし問題は、ここで死んだように見えていた敵の海洋生物が、肉食で獰猛であることだった。血の匂いを嗅ぎつけ、群れで獲物に食らいついてくる。
水中でも問題なく見える視野に飛び込んできたのは――。
「ピッ、ピラニア!?」
まさかの肉食魚だった。その数、およそ十匹。
「こいつ!」
海斗はなんとか先頭の一匹を斬り捌いた。だが、ピラニアは次から次へとやって来る。トビウオのように、跳躍力を得た個体もいた。
これでは自分の身を守り切れない。ということは、自分が守りたい人や物だって守れなくなってしまう。
こちらを警戒しながら、四匹のピラニアが海斗の周囲を泳ぎ回っている。
このまま嬲り殺しにされるしかないのか――。
海斗の諦念は、しかしすぐさま打ち消されることになった。
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