第7話
長くも短くも感じられる、不気味な時間がどろどろと過ぎていく。
いざフィルネに反抗してみせたものの、これから僕はどうしたらいい? 何も縋れるものがない。
ただ一つ確かなことがあるとすれば、いつも無気力な人間だと思っていた自分でも、フィルネを相手にあんな啖呵を切ることができるということだ。
ここで目を逸らしたら、自分は人間としての尊厳を保てなくなる。
すなわち、フィルネに敗北する。それだけは避けなければ。
緊張を高めるべく、海斗は手榴弾のピンに指をかけた。
さて、どうする、フィルネ?
「海斗!」
沈黙を破った、甲高い声。さっきから沈黙を貫いていた人物、舞香のものだ。
「こんなことやめにして! 確かにあたしたちは、理不尽な環境に置かれているけれど……。それでも、生き残る努力はすべきだよ! それに、フィルネはナビゲーターだって言ったよね? つまり、あたしたちの味方なんでしょう? 味方同士で殺し合うなんて、絶対おかしいよ!」
俯き、ぎゅっと拳を握り締めて叫ぶ舞香。普段陽キャである舞香のことだ、フィルネの言ったことによって受けたダメージは、海斗より大きいかもしれない。
しかし、その舞香の言動を目の当たりにして、フィルネは降参した。
(はあ、まったく……)
片手を腰に当て、とんとんと眉間を拳で叩いたのだ。苛立ちを通り過ぎて、呆れている様子。
(あ~あ、分かった分かった。あんたたちで自由に方針を決めていいよ。でも、自爆だけは勘弁して。掃除が大変だから)
これが嘘だということは、海斗にも察しがついた。フィルネによれば、海斗の身体の洗浄と替えの衣服の着装は、すぐに済んでしまったはずだ。
仮に手榴弾が使われたとして、海斗のバラバラ死体の処理など楽勝だろう。だが、それを認めてフィルネを調子に乗らせるのは癪だ。
海斗は手榴弾のピンから手を離し、そっと足元に置いた。
どうやら、自動小銃や手榴弾を扱える人間はここにはいないらしい。手榴弾で自害すると海斗が言ったのも、フィルネを追い詰めるための虚言だ。ここで武器を集めるより、自分にとって扱いやすい武器――剣や大槌、弓矢や魔術など――を駆使して進んだ方がいいだろう。
傭兵たち四人の遺体は見るも無残な状況だし、そこから武器を拾い上げる気にはとてもなれない。
「フィルネ、一つ訊かせてほしい」
(何だよ、海斗?)
フィルネはさも不機嫌そうな顔で、じろっと海斗に一瞥をくれた。空中で羽ばたきながらあぐらをかく、という高等テクを披露しながら。
「さっき僕は、このダンジョンからの脱出口へ僕たちをテレポートさせろ、と言ったね?」
不機嫌そうに顎を引くフィルネ。
「何故そうしなかったんだ? わざわざ僕たちのダンジョン攻略に付き合うより、僕の提案に乗った方が君にとっても楽だっただろう?」
(ん……。まあ、ね)
「だったらどうして――」
(これはさっきの私の言葉だけれど)
フィルネは冠を取って、ぐいっと頭頂部から前髪までを指ですいた。
(ここ百年くらい、このダンジョンを巡る取り合いが激化している。地球の意志の方が、人間の意志よりも強大になりつつある。ま、私らはどちらか強い方に従うまでだけど)
「それで?」
(元々私たちは、ここに誘導されてきた人間たちの補佐役だった。けど、だからこそ使える魔力量に制限を設けられてしまった)
「早い話、強力な魔術は使えない、と?」
(ま、認めるのは悔しいけどね。だから、突然ダンジョンのゴールまでテレポート、ってわけにはいかない。チート技は通用しないよ)
それを聞いて、海斗は口元だけを動かして何かに集中していた。脳内で情報の整理をしているのか。
そうすることしばし。海斗はフィルネに軽く礼を述べて振り返った。
髪を掻きむしる泰一、涙を必死にこらえる舞香、そんな彼女の背中を擦る華凛。
彼らをざっと見遣ってから、海斗はこう言った。
「皆、このダンジョンをクリアしよう」
すぐに舞香の嗚咽が途切れた。すると、華凛の横で舞香の様子を見ていた泰一が、床を踏み鳴らすようにして海斗に近づいて来た。
「海斗、何言ってんだよ! 自分が何をしようとしているのか分かって――」
「そのつもりだよ、泰一」
あっさりと返され、泰一は思いっきり一歩ぶんの距離だけ退いた。
それを横目に、海斗は今フィルネから語られた事実を皆に告げていく。
「だから、このダンジョンを順当に巡ってクリアしていくのが最善策だと思ったんだ。もちろん、異論は認める。というか、認めたいところだけれど、皆はどう思う?」
真っ先に挙手したのは、意外な人物だった。
「舞香、大丈夫か?」
「うん、ありがとう、泰一。あたしは、海斗の意見に賛成。ちゃんとゴールに辿り着けるならね。さっきのタコの相手をしていた時の海斗と泰一の様子を見てたけど、あなたたち、それに華凛の三人となら、まだ死なずに済むと思うんだ」
「舞香……」
言葉に詰まった泰一を無視して、他の意見はあるかと海斗は問うた。挙手される気配は――ない。
「よし、タコは倒した。次の階層に向かおう」
「分かりましたわ。今度はわたくしも参戦致します」
「うん、ありがとう、華凛。舞香、無理をするな、とは言えない状況だけれど……」
「大丈夫。あたし、中学まで弓道やってたから」
ずずっ、と鼻をすすって、舞香は輝く弓矢と矢筒を背負い直した。
「基本的に、僕と泰一が前衛に出る。舞香と華凛には、後方支援を頼みたい」
三人分の了解の意を汲んでから、海斗はフィルネに一言。
「下層への行き方を教えてくれるか?」
※
「クランベリーよりレーザー通信を受信、モールス信号です!」
「ようやく来たか……」
相模は大型の立体測量映写機を見上げた。このイージス艦『しらせ』には、最先端の技術がこれでもかと搭載されている。
とりわけCICともなれば、立体映像の展開から火器管制システムの運用まで、そのほとんどがAIの制御下にある。
もちろん、人間の要求に沿って運用するよう、厳格な規定の下で、ではあるが。
先ほどCICに呼び立てられた時は、正直あまりいい顔はできなかった。
CICとは、戦闘情報中枢のことだ。そこに艦長が入るということは、すなわちその艦が戦闘体勢に入ることを意味する。
得体のしれない海底の構造物の調査に振り回され、ただでさえ相模は任務に疑いを抱いていた。加えて監督役の遠藤や、部外者の池波の相手もしなくてはならない。
「何が起こっているんだ……。クランベリーに返信、観測を続行し、構造部の最奥部を目指せ。以上」
「了解!」
そもそも、構造物との通信はなかなか上手くはいかなかった。
電波や音波を全く反射しないのだ。仕組みは分からないが、それこそ最新の熱光学迷彩に比する機密性だろう。
こんなこともあろうかと、潜入用の密偵、コードネーム『クランベリー』に通信機を持たせたのだ。敢えてモールス信号しか使わずに済むようにしたのは、通信機の小型・軽量化のため。
青いライトを発する筐体型のディスプレイが並び、人的密度は艦橋の二、三倍はあるだろう。
「我が国の排他的経済水域内とはいえ、これは友軍にも知られてはならない任務だ。皆、迅速に任務を達成してくれ」
了解、という復唱が繰り返される中で、相模は自らの携帯端末を取り出した。
これは、遠藤や池波の位置を船内で探るものだ。二人共、自室で大人しくしているらしい。
遠藤が部屋にいるのは分かる。きっと彼は、CICのような混みあった場所にはやってこないだろうし、いざとなれば艦橋に上がってきて事態を見届けるつもりだろう。
だが、池波はどうだ? 特殊作戦担当補佐官、と名乗っていたか。『特殊作戦』の担当というのが気になるな。『機密作戦』の担当ではないのか。立ち回りからして、警視庁公安部の人間とも思えないし、狙いが何なのか見当もつかない。
「副長」
「はッ」
「池波一等海尉に見張りはつけたか?」
「はッ、警護も兼ねて、二名つけております」
「了解。今後も警護と見張りは続行させろ」
「はッ」
※
「がはっ!」
「ぐっ!」
「はいはい、倒れないでよ、見張りのお二人さん。監視カメラのハッキングも、ずっと続けられるわけじゃないんだから」
池波は、見張りの二人を一瞬でノックアウトしていた。狭い廊下を活かし、四肢を突っぱねるようにして拳と踵を打ちこんだのだ。
まさか、こんな小柄な女性に自分たちが気絶させられるとは思いもしなかったのだろう。隙を突くのは容易だった。
「さて、と。着替えますかね」
池波はそう言って、屈強な男性二人を両肩に載せ、自分に宛がわれた部屋の扉を蹴り開けた。
池波が狙っていたこと。それは、自分のどこに取り付けられたか分からない発信機を取り外すことだ。が、誰も親切に叩き落としてはくれない。
そこで、服ごと変えてしまうことにした。ばさばさと大雑把に制服を脱ぎ捨て、伊達眼鏡を外してメイクを落とす。
これで、随分と雰囲気は変えられるはずだ。
「待っててよ、ケイちゃん……。あなたの無念は、私が晴らすから」
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