第6話【第二章】

【第二章】


 随分湿ったところにいるな。

 それが、意識を取り戻した海斗の第一声だった。


 確か僕たちの前に大きなタコが現れて、僕と泰一でやっつけた。そうだ、それこそ自分が繰り出した竜巻のような回転斬りで、粉微塵にしてやったのだ。


 その後の記憶がないことを訝しく思い、海斗は上半身を上げようとした。

 慎重に手をベッドにつき、のっそりと起き上がる。


「あっ、海斗くん! お目覚めでいらっしゃるのですね!」


 最初に気づいたのは華凛だった。とてててっ、と駆け寄ってくる。


「華凛、僕は……。ああいや、それより皆は無事なのか?」

「ご心配には及びませんわ。ひとまず、海斗くんがあまりにも生臭い状態でいらしたので、シャワーの後、着替えていただきましたわ」

「ああ、すまない」


 ……ん? 待てよ。


「こんなところにシャワーがあるってこと?」

(まあね~。各階層に、最低一つは用意されているんだ。清潔な真水が出てくれば、皆が喜ぶだろうと思って。ああ、皆っていうのはあなたたち以外にこのダンジョンに辿り着けた人も含むよ。まあ、滅多に来られる場所じゃないけど)


 僕は自分でシャワーを浴び、自分で服を洗って乾かして、そこまでやっておきながら記憶が途切れてるのか? これはなかなかの恐怖体験である。

 いや、それよりも気になったのは、今の解説は誰によって行われたのか? ということ。

 相手の姿は見えないが、敵意は感じられない。今は純粋に、言われるがままでいよう。


(ちょっとちょっと華凛ちゃん! それじゃあ海斗くんが引いちゃうよ! ちゃんと順序を追ってお話しなくちゃ、ね?)

「そ、そうだよ! ただ起こしてくれれば、シャワーだって着替えだって自分一人で――」


 と、ここで海斗は大きな疑問にぶち当たった。

 

「あ、あのさ、華凛」

「はい?」

「この、頭の中に直接入り込んでくるような、声っていうか何ていうか……。これって何なんだい?」


 海斗からの問いかけを受けて、あざといくらいの可愛らしさで首を傾げる華凛。やはりドキリとはしたものの、今はそれどころではない。


「ここに僕たち以外の誰かがいるのか? さっきの傭兵たちに生存者が――」

「いいえ、四人全員が殉職しましたわ」

「今、僕たち以外の人間の声が聞こえた、っていうか、頭の中に響いたんだけど……」


 そこまで言うと、再びさっきの声(と思しき響き)が脳内に広がった。


(そこまで早口で語ることができるのなら、もう大丈夫。でも、体内のエネルギー消費には気をつけてね)


 あまりに情報不足だ。これははっきりさせなければ。


「ちょっ、ちょっとちょっと華凛、やっぱり僕たち以外の人間がいるんだよね? でなければ――」

(まあ人間ではないんだけどねえ、和泉海斗くん)


 混乱する視界に、するり、と入り込んできたのは、二十センチほどの小さな女性だった。背中に二対の羽を生やしており、淡い緑色の衣装を纏っている。ご丁寧に、小さな王冠までちょこんと載せて。

 一瞬ぎょっとしたが、すぐにその美貌に圧倒され、海斗は馬鹿みたいに大口を開けてその小さな人間に見入った。


「な、なあ、これは一体……?」

(これ、とは失礼ね! 私はこの構造物の仕組みを統べる者。ダンジョンにおける冒険者たちの援護役。そう! サポーターのフィルネです!) 


 ドヤッ! と胸を張ってみせる妖精らしい生物。いや、ないものを張られても空しいだけなのだけれど。


「あ、そうそう! 海斗くんの介抱をしてくれたのもフィルネなんだよ!」

「ぼ、僕の?」

「そう!」


 ぱっと明るい笑顔を見せて、華凛が補足した。


(全身の軽い擦り傷を治しただけだよ、ちょちょいのちょい、って!)

「で、でも、フィルネの声だけど声じゃないような、いや、これはこれで合ってるような……。この感覚は何だ?」

(あなたたちの言葉でいうところの、テレパシーってやつかな。まあいいじゃん、別に私も苦労することじゃないし)

「ふむ……。取り敢えず助かったよ、ありがとう」


 と言って、海斗は一つマズいことに気づいた。


「フィ、フィルネ?」

(なんだい、海斗?)

「僕を介抱してくれたのはいいんだけど、僕を着替えさせた、ってことは……」

(え? 何考えてんの? あんたの裸なんて興味ないよ。消臭魔法と着衣魔法を同時に仕掛けただけ。意識を集中させるのに、私はずっと目を瞑ってた。なんにも見ちゃいないよ)


 さも呆れたようなフィルネの言葉に、海斗は混乱の度を強めた。

 頭を抱える海斗を前に、大きな溜息をつくフィルネ。


(ま、一種の魔術かしらね。このダンジョンを造った連中、相当進んでたからね、文明レベル的に)

「造った連中……。誰だ?」

(流石にそこまでは覚えてないよ。私が創造された頃には文明も末期だったようだし、ほとんどの私の記憶は文明の崩壊と一緒に失われてしまったから)

「なーんかオカルトって感じの話だよな、これ」


 そう言って海斗の背後から歩み寄ってきたのは泰一だ。


「怪我がなくてなによりだ、海斗。フィルネ、さっき俺たちにしたのと同じ説明を海斗に」

(あーもう! 分かってるよ! 命令しないで!)


 思いっきり泰一から顔を逸らしてから、フィルネはようやく説明を始めた。


 どうやらこの海底にある構造物は、一種の闘技場であるらしい。脱出できれば挑戦者の、脱出できなければ地球の意志の勝利となり、その都度文明の統治者が決められていたのだという。


(でも、それには前提条件があるんだ)

「前提条件?」

(うん。まずは心理的に屈強でなければね)


 心理的に屈強? どういう意味だ?

 勇気があるとか、器がでかいとか、リーダーシップを取れるとか、そういうことだろうか。だとしたら、自分がこんなところに招かれるはずがないと思うのだが……。

 そう考えながら、海斗は腕を組んだ。


(今回、誰をこのダンジョンに招くかってことの最高決定者が私だったんだ。でもまあ、なかなか大変なんだよね。何百人も何千人も、この星のあらゆるところにいる子供たちにも選抜試験を受けてもらわないと)

「選抜試験って?」


 舞香が問いを挟んだ。そちらに頷いてみせてから、再びフィルネは語り出す。


(試験ってほどでもないんだけど、適合者の確定、ってところかな。今回は君たち四人が適合者だった。このテレパシーと君たちの思考パターンが一致したんだ。だからこうやって話していられる)


 なるほど、と納得しつつも、海斗には想像が難しかった。

 自分が統治者? つまり人々をまとめて導く、ということか。


 先ほどフィルネは、僕たちこそが思考パターンの一致した者であり、このダンジョンに招かれたのだと言った。この言葉で重要なのは、フィルネ自身がこの構造物を『ダンジョン』と呼称したことだ。


 ダンジョン――それは前世紀末から今世紀末にかけて、色褪せることなく若者たちを魅了してきた大型コンテンツだ。

 その領域はテレビゲームに留まらず、小説、アニメ、VRによる仮想現実空間へと、多くの若者たちの注視する的となってきた。――のだが。

 

「まさか生身の俺たちが、ダンジョン脱出をしなけりゃならねえとはな……」


 こちらに背を向け、あぐらをかきながら泰一ががっくりと肩を落とした。

 気丈にも、舞香が軽く泰一の肩を叩いて励ましている。


「こんな現状で、よくもまあ動けるものだな……」


 しかし、せっかくなのだからもっと多くの情報を提供してもらった方がいいだろう。


「フィルネ、質問なんだけど」

(ああ、私に質問?)

「このダンジョン、脱出口はあるんだろうね?」

(そりゃあもちろん! ダンジョンだからね)

「そこまでの誘導、あるいはテレポートによる移動をお願いできるかな?」


 海斗は微かに笑みを浮かべ、首を傾げる。

 それを見たフィルネの顔は、見る見るうちに膨れ上がった。と思った矢先、まるで風船が破裂したような哄笑と共に、フィルネは大爆笑した。


(ちょ、ちょっと待ってよ海斗くん! それじゃあダンジョンの意味がないじゃんか!)


 腹を抱え、ひぃひぃと息を荒げながら、フィルネはなんとか言葉を紡ぎ出した。


(最初にタコとかち合った若者たちは、それだけで絶望して仲間割れをするばかりだった。大抵の場合、まさにここで、選ばれた者たちは絶望に食われて死んでいくんだ。それなのに、自分たちをここから脱出させろ、って? ははははっ! 冗談じゃないよ!)

「そうだね。これも同じく、冗談とは言えないけれど」


 そう言って、海斗は懐から手榴弾を取り出した。タコと会敵する前に、傭兵の懐から失敬していたのだ。

 全員の目が、海斗の手元に集中する。


(流石の海斗くん。暴力はよくないよ!)

「じゃあフィルネ、君が半強制的に連れ込んできた人々が無惨に殺されていくのは、構わないって言うのか? 怪物に襲われて、人間たちが無惨に殺されていくのを見るのが楽しみだと?」


 随分と高尚な趣味じゃないか。

 そう言って、海斗はできうる限りガンを飛ばした。


「泰一、舞香、それに華凛! もし死にたくなかったら、できる限り僕から距離を取れ! それでもどの道、この妖精みたいな悪魔に殺されてしまうだろうけどな!」

「待てよ海斗! 自爆しようってのか!?」

「ああ。フィルネの主張には根拠がないし、納得の余地もない。協力的な態度を取らずに、高みの見物を決め込もうとしている。そんなやつの掌で踊らされるのは、真っ平ご免だ」


 フィルネはさも悔しそうな顔で、海斗の冷淡な瞳を見返していた。

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