第83話 不慣れな喧嘩

 教皇の寝室前大広間に繋がる、通路でのこと。


「恐らくだが、フキは先に到着してる」


 リリと共に来た教授が、そんなことを言う。


「それを、俺たちは止めなきゃならない。……んだが、ひとつ問題がある」


「……うん」


 リリが表情を引き締めながら先を促すと、教授は本当に申し訳なさそうな顔で、こう言った。


「……まだガブリエラたちの指揮が終わってなくて、リリの指揮ができないんだ」


「うん。……うん?」


「あ、ピンと来てない。えっとだな。ガブリエラの異端審問室部隊の方も俺で指揮をしてるんだけど、それで手が空かなくて、リリの手伝いがまだできないんだ」


 リリは、実はまだ教授の指揮とやらを、一回しか経験したことがない。それも、たった一度の能力使用で、だ。


 だから、教授の指揮の効果がイマイチ分かっていない。


「……つまり、リリ一人で戦うってこと?」


「途中までそうなる。こっちはこっちで数が多くて大わらわで……ああ! ロチータ前に出るな! 戻れ戻れ! デバフに徹しろ!」


「きょうじゅも大変なんだね……」


 リリは教授の肩をポンポンと叩いて、それから力強く頷いた。


「でも、リリは最初からリリが戦うっていう覚悟、できてたよ! きょうじゅは人間だし、戦えないもんね!」


「そこはかとなく舐められてる……。まぁそう言うことだから、俺が来るまで持ち堪えて欲しい」


「うんっ! 任せて!」


 教授は言うなり「あのクソ羽樽どもがよ……。全員石化からの槍触手で粉砕祭りだ」と呟きながら、物陰に隠れてしまう。


「……すご。一瞬で見えなくなった」


 怪物に見つかっちゃわないかな、と心配したリリだったが、杞憂だったようだ。リリは一つ深呼吸して、ダニカたちと別れた寝室前に足を踏み入れる。




         Δ Ψ ∇




 教皇の寝室前にたどり着くと、すでにそこにはフキが立っていた。


「なるほどねぇ……。確かに教皇ティア自身を起こされては、暗殺なんて成功するはずもない。そしてこの空間の渦の防御に――――」


 フキは振り返る。木面の奥の目で、リリを睨みつける。


「そなたが、立ちふさがるわけだ。……リリ」


「ふ……フキ! ここは通さない!」


「通る通らないだったらもう通っているよ? 妙なことを言う子だね」


「う、通さないったら通さない!」


「ハハハ、まだしゃべり始めたばかりだからか、言葉がたどたどしいねぇ。いやはや、リリが反抗したときは驚いたものだが、なるほど、自我の芽生えがあったか……」


 そんな高等な生物にするつもりはなかったんだけどねぇ。フキはそう言って笑う。リリは口をムッとさせて、フキを睨みつける。


 状況はこうだ。寝室前の大きな空間があり、その入り口にリリ、中央にフキ、そして最奥の扉前の祭壇に、祈禱と詠唱をするダニカたち三人が立っている。


 祭壇前には、詠唱開始前にハルが展開した、空間の渦が展開されている。地中空中問わず青白く光る魚が泳ぎ、フキがもう一歩でも踏み込めば、渦に巻き込まれ動けなくなるだろう。


「困った魔術だよ。構造が複雑で独創的。アストラル体を魔術にまで昇華されると、わしでも解析に時間がかかる」


 故に、とフキは木面の奥の眼光をリリに向ける。


「リリ、そなたにかかずらっている暇などないのよ。先日の反抗の痛みも、とうに忘れてしまったと見える。もう一度、躾直してやらねばなぁ?」


「……リリは、負けない!」


「ハハハ、口だけでは何とでも言えよう」


 フキは翼を広げ、右手に石でできた光線銃のようなものを構える。


 リリはそれに応えるように、黒のマフラーを取り払った。その瞬間から、マフラーは眷属として目を覚まし『てけり・り』と目を開いてうねりだす。


 リリの体に緊張が走る。呼吸を浅く繰り返す。僅かな睨み合いがまるで数十秒のそれのように長く感じる。


 フキは短く笑い、こう言った。


「リリ、お前はまだまだ経験が足りぬ。―――ランブル」


 光線。フキはそれを、まるで薙ぎ払うように放った。


 リリはマフラーでそれを防ぐ。それから、隙をつくように駆けだした。リリ自身の戦闘経験は少ない。だが、みんなの戦闘は目の当たりにしてきた。


 どんな相手でも、攻撃の直後は僅かに隙ができる。それが、リリが戦闘を目にしてきて学んだことだ。だからここだ、という確信で走り出した。


 しかしリリは、やはり経験が足りなかった。


「きゃあっ」


 足場が急に崩れ、リリは足を取られる。何で、と思って地面を見て、フキの光線で地面が脆くなっていたのだと理解する。


 影。


 リリは顔を上げる。だが遅い。すでにフキはリリまで接近していて、リリの顎を蹴り上げた。「がっ」と短い悲鳴を上げて、リリは倒れる。その上からフキが踏みつけてくる。


「弱い。リリ、そなたはまだまだ弱い。直接の戦闘なら、わしに勝てると思うたか?」


 フキはぐりぐりと足を動かし、リリをさらに強く踏みつけてくる。そこで、リリは気づくのだ。


 マフラーを、振るう。


 マフラーはフキの足を絡めとり、そこからリリの腕力でフキを転ばせた。「何ッ?」とフキが体勢を崩す。しかしマフラーを外し、羽を器用に扱って宙返りし着地する。


「りりりっ、フキ、強そうなこと言ってるけど、リリの方が強い!」


 リリは笑って、フキを睨みつける。


「フキの蹴り、全然痛くなかった! リリの方が頑丈だし、力もある! フキの方が頭はいいけど、それでもリリは負けないよ!」


「……そうか。確かにそうよな。リリは元々、眷属たちでは難しい重労働を、代替させるための人造生物。ならば、うん」


 フキは、仮面の奥でククッと笑う。


「こちらも、文明で対応せねばな」


 フキは懐から、銀色の棒を取り出した。


「……何、それ」


「教えると思うか? その身で使われてのお楽しみよ」


「何も楽しそうじゃない……」


 リリは警戒の目で、フキの銀の棒を凝視する。


 フキは羽を緩やかに羽ばたかせながら、機を窺っている。狙いは明らかに、あの銀の棒だ。アレに攻撃されることだけは注意しなければならない。


 リリは考える。リリの強みは、マフラーによる防御力の高さだ。様々な相手を一方的に追いやってきたフキの光線も、正面から防いだのはリリのマフラーだけ。


 同時に考えるのは、リリの攻撃手段は何だろう、という疑問だ。マフラーを振るえばひとまずの攻撃としては成立するが、それだけ。先ほどのように掴んで投げ飛ばすのでいいか。


 そう考えていると、フキは言った。


「リリ、お前から攻め込んでくることはないのか。まったく、つまらない奴め」


 光線。フキの光線の薙ぎ払いを、リリはマフラーで防御する。フキは光線をやたらめったらに振り回し、「ハハハハハハハッ!」と高笑いをあげている。


「防戦一方か? 攻め入ることもできんか! ならばそなたを適当に叩きながら、連中の詠唱を守る魔術を解析させてもらおうかの!」


「そっ、それはダメぇっ!」


 リリはマフラーを振り回しながら、フキに向かって走り出す。光線の防ぎ方は、何度かやって分かった。分かれば、リリは走りながらでも問題なくできる。


 光線に衝撃はない。だからマフラーで防ぐだけでいい。リリは正面から接近し、肉薄。フキの光線銃を持つ手をマフラーで絡めとる。


「捕まえた!」


「ここよ!」


 フキはそこでリリにさらに近づいて、銀の棒を突き出してきた。リリは息を呑み、寸でのところで跳び退って躱す。


「残念でした! あれだけ怖い怖いって印象付けられたら、警戒してるに決まってるでしょー!」


「そうだな、リリ。そなたは実に、思う通り動いてくれる」


「えっ?」


 リリは、フキが何を言っているか分からない。フキは仮面の奥でククッと笑って、上を指さした。


 リリは上を見る。リリの真上から、


「――――――ッ!?」


「そしてダメ押しに、これでも食らえ」


「きゃあッ」


 光線がリリを襲う。リリの体にゾワゾワとした気持ち悪さが走る。だが、大きなダメージはない。全身に不安定な揺らぎが発生するだけだ。


「ランブル光線に次ぐ兵器でもあったリリに、この光線が効くとは思わぬよ。殺すつもりもない。リリ、そなたはそこで、潰れておれ」


 光線にリリを揺るがす威力はない。だが虚をついてスタンさせるには、十分な威力があった。


 リリの体は、意識の空白に飲まれて動かない。体は言うことを聞かず、飛び出せば避けられるのにそれができない。


 リリの意識の中で、ゆっくりと天井の一部が、巨大な瓦礫が迫ってくる。


 このままだとリリは、瓦礫に押しつぶされる。リリは頑丈だ。死なないだろう。だが動けなくなる。フキの前に誰も立ちふさがれなくなる。


「やだ」


 リリは、言葉を漏らす。


「このまま負けるなんて、何もできないままなんて、そんなのやだよぉ……!」




「そんなの、俺が許すわけないだろッ!」




 衝撃。リリは何かに抱きしめられながら、瓦礫の真下から押し出された。瓦礫が地面に激突し、轟音を立てながら砕ける。「いてっ! 破片が」ととぼけた声が上がる。


「え、あ、……きょう、じゅ……?」


「ふぅ~間に合った。マジ危ない死ぬかと思った」


 リリを助け出したのは、教授だった。人間の脆い体を躍動させて、いつものように『何でもない』という顔でリリを抱きしめている。


「ってことで、リリ、終わったぞ。ここからは一緒に戦おう」


「ぅ……きょ、きょうじゅぅ……!」


 立ち上がってリリを立たせる教授に、リリは感極まって泣きながら抱き着いてしまう。「ここまで頑張ったな」といいながら、教授はリリを撫でてくれる。


「……また、そなたか」


 フキは、リリに対するよりも遥かに大きな怒りをにじませて、教授に語り掛ける。


「わしがルルイエで失敗するとき、常にそなたがいた。そなたさえいなければ、もっとじっくり、徹底的に、ルルイエに復讐ができた」


「え? 褒めてる? いやぁ嬉しいなぁ。敵方から『お前の所為で!』って言われるほどの誉め言葉ないと思うんだよな」


「きっさまぁぁぁあああ……!」


 フキは体をぶるぶると震わせて、教授を睨みつけている。それに教授はカラカラと笑って、「さてリリ」とリリを見た。


「ここまでよく頑張った。ここからは俺が手伝う。つまりは、圧勝だ。手も足も出させない。完膚なきまでに、徹底的に、……一緒に、勝ちに行くぞ」


「きょうじゅ……う、うん! 一緒に勝と!」


「ああ!」


 リリと教授は拳を軽くぶつけ合う。それから教授は「しかし、どうしたもんかな」とぼそり呟く。


「異端審問室の戦闘は終わらしたけど、ガブリエラたち結構ここから距離あるな。援軍に呼ぶのは無理か。仕方ない、となると」


 教授は、ニヤリと笑う。


「リリで拡張指揮だな。俺のキャラコン技術が光るぜ」


「きょうじゅ?」


「リリ、今から魔術で、リリに指揮を出す。かなり細かい指揮だ。多分直感的に分かるから、それに従って動いてくれ」


「う、うん!」


 そこで、フキは吐き捨てる。


「ハッ! 教授。貴様がリリをどれだけうまく使おうと、リリは所詮わしの奴隷として作った生物よ。わしに敵うわけがない」


 それに教授は、鼻で笑った。


「怪物少女の時点で、弱い奴なんて一人もいないっての。それにな、俺のキャラコン技術は高いぞ? 自分がもし怪物少女だったなら、どんな相手でも勝てる自信があるくらいだ」


 教授とフキは睨みあい、煽り合いはひと段落する。教授は空中で何か指を動かし、フキは再び両手に光線銃と銀の棒の二つを構えた。


「じゃ、やろうか」


 教授は、不敵に笑う。


「『戦闘開始』だ」


 教授の手が虚空で跳ねる。リリの体に、調子が良くなるような、不思議な感覚が降ってきた。

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