第82話 目覚めの儀式

 フキが侵入してくる数刻前のこと。


 会議で方針だけ決めた俺たちは、教皇室の入り口で、管理官と揉めるオトを眺めていた。


「つまりあなたは教皇聖下が暗殺されてもいいと?」


「そ、そんなことは言っていません! ですが、そんなことをいきなり言われても、という話です、オト様」


「ああ、埒があきませんね。分かりました。教皇室の管理官で反対するものは今からすべて異端です。反対したものから殺して」


「「待て待て待て」」


 俺とガブリエラが慌ててオトの暴走を止める。大丈夫かこいつ。多分大丈夫じゃないな。


「何ですか猊下。猊下も邪魔するなら異端ですよ」


「その前に暴走するお前が異端だバカタレ。一回退け」


 ガブリエラにゲンコツを一つ落とされ、オトは涙目で俺に近寄ってくる。


「教授……怒られてしまいました……。慰め代わりにミスカトニック大学で、助教授待遇で迎えてください」


「オト、君マジで名誉欲だけで生きてんね」


 一周回って感心してきた。どこで成り上がるとかないんだ。何か偉ければいいんだオトって。


 オトに代わって、ガブリエラが交渉を進め始める。説明はオトが終わらせていた分、ガブリエラが経典やら規約やらから根拠を持ち出すと、スムーズに話が進んでいく。


「ガブリエラって結構この辺りしっかりしてるよなぁ……。戦闘狂なのに、見た目に似合わない理性の高さ」


「猊下はしっかりした方ですよ。尊敬してます」


「オトらしくない発言出てきた」


 俺が目を丸くしてオトを見ると、オトは「何故ですか?」とすました顔で続ける。


「わたくしはちゃんと人のことを見ていますし、その分評価しています。猊下はしっかりとした方ですし、枢機卿、異端審問室の長にふさわしい方です」


「じゃあ何で定期的に蹴落とそうと画策してんの?」


「猊下が長にふさわしいかどうかと、わたくしが次の猊下になりたいのとは全く別の話です」


「つまりすべて分かった上で蹴落とそうとしてる、と」


「はい」


 一番性質悪い奴じゃんそれ。何で誇らしげに頷けるんだ。


「それで言ったら、わたくし、実は教授のことを一番尊敬してたりします。憧れです」


「えっ、こわい」


「そこで怖がられると流石のわたくしでも傷つきます」


「ごめん」


 普段全然変わらない、オトのすました顔がしょぼんとすると、何かこう罪悪感がすごい。


「えっと、それは何で」


「だって教授、アーカムアドバタイザーで見ましたよ。たったひと月弱でアーカムを制圧して、教皇聖下に並ぶ地位を手に入れたんですよね。しかも人間の身で」


「まぁ、そうだね」


 オトは俺の手を両手で包んで、キラキラした目で言ってくる。


「どうやったんですか。いえ、どうやったのかはこの際置いておきましょう。素晴らしい、すさまじい成り上がり方です。本当に憧れなんです。お会いできて光栄です」


 まるでも欲しいトランペットを眺める貧乏な少年のような目で、俺を見てくるオト。なんて純真無垢な目なんだ。純真無垢に求めるものじゃないだろ地位と名誉は。


「どうですか? どのくらいいい思い出来てますか? 金にものを言わせて酒池肉林とかやってますか?」


「……状況にものを言わせてされたことなら」


 クレドでズーカを呼び出すとか言って、散々おもちゃにされたのは記憶に新しい。


 だがその答えでも「やっぱり人気者なんですね……!」とオトは満足げだ。興奮気味に話を続けてくる。


「羨ましいです。すごいです。わたくしなんかここ数百年ずっと聖騎士どまりです。全然枢機卿に上がれません。秘訣があれば教えて欲しいです」


「そもそも出世ルートが違うだろお前。聖騎士って個人に与えられる武力の称号としては、ルルイエ正教でも最高の地位だぞ」


 管理官が確認に奥に引っ込んでいった隙に、ガブリエラがオトに突っ込んでくる。


「そんなの知りません猊下。わたくしは、ゆくゆくは枢機卿、教皇と呼ばれて、みんなからチヤホヤされたいんです」


「ものすごい俗物」


 とても聖騎士とは思えない。


「じゃあ修道女からやり直せ。そこからなら出世すれば、延長上には一応、枢機卿も教皇も席としては存在するぞ」


「絶対嫌です。聖騎士の座を得るまでどれだけ苦労したと思っているんですか」


「お前本当に勝手だな!」


 ガブリエラが怒り、俺は思わず笑ってしまう。オト、マジで面白い。ワガママが過ぎる。


 そう思っていると、管理官が出てきて「分かりました。規定に従い、教皇聖下を除いて教皇室を本日異端審問室に委任します。よろしくお願いいたします」と渋い顔で言う。


「だ、そうだ。じゃあ中に入るぞ。教授、ならびにインスマウス教会の諸君は、教皇聖下の寝室に向かってくれ」




         Δ Ψ ∇




 手続きを終えた俺たちは、ガブリエラたちと別れ、教皇の寝室の前に立っていた。


 寝室の扉は大きく荘厳で、まさに『そびえ立っている』という表現が似合うほどだ。教皇の正体を知らなければ、一体何があるのだろうと恐れてしまうかもしれない。


 ダニカは扉前の祭壇に上がり、扉に触れた。つつ……と扉を撫で、それから振り返って言う。


「この先に、教皇聖下、ティア様が永い眠りについておられます」


「うん」


「私、ハル、パーラの三人で、聖下の目覚めの儀式を執り行います。皆さんにお願いしたいのは、私たちが儀式を終えるまで、邪魔が入らないようにしてもらいたいのです」


 ガブリエラたちはすでに把握していることなのだろう。あくまで事情を知らない俺たち向けの説明だ。


「作戦は、ええと、すいません。難しくてあまり覚えていないのですが……」


「敵をかく乱して、なるべく散らしてから異端審問室の眷属審問官たちとぶつけて固定。そこからガブリエラとオトが一掃。この場は死守、って感じだな」


「ありがとうございます、教授。私たちは儀式で、周りに気を払う余裕すらないと思います。私たちが少しでも失敗すれば、儀式は初めから。どうかお守りいただければ、と」


「任せてくれ」


 俺が言うと、ダニカはほどけるように微笑んだ。それから再び、扉に向かう。


「すでに、直接内部に入られないように、ガブリエラ猊下が保護の魔術を準備くださっていますが、私たちもさらに重ね掛けしておきましょうか」


「お姉さま、何をかけるんですか?」


「強固に保護するような魔力は私たちにはありませんからね、ハル。味方以外がここに踏み込むと、重要ではないと勘違いして離れていってしまう魔術とかどうでしょう」


「となる、と、魚籃の魔術を、逆向きに掛ける……という感じです、か?」


「そうですね、パーラ。直接入ることも出来なければ、近づくことも出来ない。そういう状況が望ましいでしょう」


 何やら魔術的な難しい話をしている三人だ。キョトンとしているリリの下に俺は避難する。


「リリ、あの三人の話分かる?」


「ちょっと読んだ魔導書に出てきた魔術の話だと思うけど……もっと難しい話してるかも。インスマウス教会のみんな、魚の魔術ものすごく上手だから」


「あーそうか。リリも魔導書読みまくってたもんな。ある程度なら分かるか」


「り? ……えっへん!」


 一瞬ぽかんとしたが、褒められるなら乗っておけ、とばかり胸を張るリリだ。リリ……犯罪だよその体勢は……デカすぎる……。


 と俺の気持ち悪い思考は置いておいて、三人の話がまとまったらしい。短く三人は魔術を行使し、窓の前に青い光が広がった。


 最後に、ハルがイヤリングに触れ、青白く光る魚を地面に放る。すると空間に渦ができる。近寄るものを引き寄せる渦だ。


「効果時間をかなり長く設定しました。教授とリリは近づかないようにしてくださいね。流れ弾の弾除けです」


「フキの光線も防げるかな」


「ハルのこの魔術はかなり強力ですよ。引き寄せ留めるだけなら、よほどのことがない限り間違いありません」


 俺の心配に、ダニカが太鼓判を押す。「だから」とダニカは言った。


「教授、そしてリリ。私たちは、二人を信頼しています。どうか私たちを、守り抜いてくださいね」


「信じてますからね! 二人とも!」


「お、お願い、します……っ、教授。それに、リリ」


 パーラは、リリに近づいて、にっこりと笑いかける。


「パーラは、リリのお姉ちゃんだから……っ。リリのこと、信じてる、からね」


「……リ……」


 呆けたように、リリはぽかんと口を開けた。それから口をもにょもにょさせて、「り、りゅ、ぅ……」と照れ臭そうに俯いてしまう。


 その肩を、俺はそっと叩いた。


「リリ、こういうときはこう言うんだ」


「り? うん、うん……」


 俺からいくつか言って、リリはまじめな顔をして、パーラに言った。


「まっ、任せろー!」


「―――うん……っ」


 そのやり取りが微笑ましくて、何だか心が温まるような気持ちになる。




         Δ Ψ ∇




 かくして、三人は呪文の詠唱を始めた。扉に向かい、一心不乱に歌のような詠唱を続けている。


 ガブリエラに羽樽の怪物たちを任せた俺とリリは、その足で再び教皇の寝室前に向かっていた。


「きょうじゅ、こっち教会のみんながいるところだよ? フキ来ないんじゃない?」


「いいや、来る。フキは古典統制室アンティカ・オーディアで、ルルイエの様々な情報を手にしてる。地理情報が分からないならあの魔術は効くが、持ってたら破れる」


 だから、眷属の侵入はしばらく防げるだろう。しかしフキ一人は、苦労の末にたどり着く。そしてその時、守れるのは俺たちだけだ。


「リリ」


 俺はリリに呼びかける。


「ここから先の戦いは、俺とリリだけだ。ルルイエは、リリの新しい故郷は、俺たちで守るんだ」


「……新しい、故郷……―――うんっ! リリ、ルルイエを守るよ!」


「ああ! さぁ、最終決戦だ!」


 俺たち声を重ね、騒乱の中を駆け抜ける。

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