第73話 困難

 フキは瞬時に消え、この場から逃げおおせた教授に、言葉を失っていた。


「ふ、ぐ、くぅ……! ここまで読んでいたとはねぇ。ああ、クソ、あの生まれて一万年もしていない若造が!」


 状況は、一変したと言っていい。フキは今、窮地にいる。場所がバレ、恐らく増援が呼ばれた。来るのは憎きルルイエでも最大戦力となる異端審問室だろう。


「マズい、マズいね……! 異端審問室が来れば、わしはまず間違いなく殺される。……何が助ける、だ! このまま殺す気じゃないかい!?」


 腹が立つ。憎たらしい。だがそんな感情に支配されていてもどうしようもない。


 フキは大きく深呼吸をして、冷静さを取り戻した。リリを取り戻せればより計画を上手く進められただろうが、こうなっては仕方がない。


「ここで死ぬわけには行かないからねぇ。ここは大人しく、逃げるとしようか」


 目指すは秘密通路だろう。そこまで一気に駆け抜ける必要がある。一度秘密通路に入ってしまえば、そこからは安全だ。あの道は入り組んでいて、そう易々とは見つからない。


「行くよ。まだルルイエへの復讐はほとんどできていない。ここで死ぬわけには行かないからね」


 フキには土地が要る。安全に住める土地が。安住の地を得なければ、フキは眷属もろとも死ぬしかない。


 だからフキは眷属たちを連れて進みだす―――


「どこに行こうってんだ? え?」


 その道を、二人の怪物少女が、遮っていた。


「……ちょっと、対応が早すぎやしないかい?」


「いいえ、わたくしたちは教授の監視で古典統制室アンティカ・オーディアに訪れていましたから、このくらいは普通です」


「オト、そんなこまけぇ事情言っても仕方ねぇだろが。ま、どちらにせよやることは変わらねぇ」


 言って、大鎌とターコイズブルーの髪を持つ怪物少女―――異端審問室室長、第一枢機卿ガブリエラは、バチンと首の枷を外した。


「異端者は、裁きにかけねぇとなぁ」


 直後、大鎌が激しく赤熱を始めた。フキはそれを見て、実力の差を理解する。


 だがフキの相手は、ガブリエラだけではない。


「ええ、猊下。全力で行きましょう」


 槍杖を構える怪物少女は、聖騎士オトだろうか。槍杖の穂先が蒼くうねっている。


「く……ああ、忘れもしない。その火山の力。おぞましい侵略者ども。そなたの化身がわしらを……!」


 フキの言葉に、「あ?」とガブリエラは分からないという顔をする。事実、分からないのだ。これはガブリエラが存在する前の話。


 だが、それはフキには関係ない。最も恐ろしくおぞましい神々は、怪物少女となって零落した。なおも強力だが、かつてに比べればずっと弱い。


 殺しうる相手だ。しかし、今は準備が足りない。


 だから、フキは叫んだ。


「ランブル!」


 合図に従って、フキの眷属たち―――羽樽の怪物たちが異端審問室の連中に光線を放った。四方八方から注ぐ攻撃だ。避けられはしまい。


 だが、ガブリエラが対応した。


「妙な兵器を使いやがる。が、アタシの敵じゃあねぇなぁ。ギャハハハハハハ!」


 赤熱した鎌の軌跡が走る。眷属たちが武器ごと両断されて地に落ちる。フキは息をのみ、侮っていたと戦慄する。


「わたくしを忘れてもらっては困ります」


 その瞬間に背後に回っていたオトが、フキを貫いた。「ガァアアッ!」と叫びながら、フキは地面を転がる。


「これで手柄はわたくしのものです。猊下は雑魚狩りご苦労様でした」


「お前な……」


 抵抗できない自分の上で交わされる軽口ほど、憎らしいものはない。フキは懐から眷属たちと同じ武器を取り出し、呟く。


「ラン、ブル……」


 光線が地面に注がれる。すると地面を構成していた原子たちが混乱し、フキの地面の真下だけが崩壊した。


「あ゛っ!?」


「おっと。これは油断しました」


 落下。フキの横腹から槍が抜ける。隠れていた眷属がフキを追ってきて、フキを背負い空中を駆け抜ける。


「そう、だ。その先をまっすぐ、だよ……がはっ」


 禁書庫のあの位置の真下が、ちょうど秘密通路で助かった。


 そう思いながらフキは眷属に進ませる。血を吐いて木面が汚れるが、そんなものは些事だ。拠点に帰ればすぐに治る怪我である。


 そう。帰れれば、些事となるような怪我だ。


「……あぁ」


 進む先にいるのは、見知った顔だった。


 事前の調査で判明していた、ルルイエの市井に交わる怪物少女たち『インスマウス教会』。そこに居つくようになったリリ。


 そして、この状況を作り上げた元凶、教授。


「どこまでも、邪魔を……ッ!」


 教授は、静かな目でフキを見つめていた。しかし、今教授率いる部隊と正面から戦って、勝てると思えるフキではない。


「ランブル……ッ」


 フキは光線を壁に放つ。するとその部分の原子分子が混乱しひどく脆くなるから、そこを眷属に突破させた。


「みんな、追うよ」


 教授の声が響く。追いつけるなら追いついてみろ、とフキは血だらけの口で歯を食いしばる。




         Δ Ψ ∇




 俺はストーリーモードからフキの視点描写を確認して、フキとガブリエラたちの戦況を確認していた。


 ふたを開けてみれば、思ったよりも圧倒的な差があった。ガブリエラもオトも強い。だがフキは戦略的な強さはあれど、その場の戦力としては心もとない部類に入るらしい。


「……」


 もうすぐフキが俺たちの目の前に現れる。そのことについて、俺は考える。


 フキは復讐に目が曇っている。恐らく、この事件中にその曇りを払ってあげることはできない。長い時間とお互いの理解が要る。


 となれば、目指す場所は『それが得られる状況』だ。フキを死なせないで済ませられるようにルルイエをフキから守らねばならない。


 そして、と俺は思う。


「……り、ぅ」


 リリは俺を、背後からずっと抱きしめて離れようとしない。恐怖。それが『助けて』の一言で一線を超えてしまって、俺に縋り付いていないとどうしようもないのだろう。


 フキがもたらしたリリへの精神的な支配は根深い。そこについても切り込まねば、この事件は解決したとは言えない。だが、リリにとってフキはただの憎むべき支配者ではない。


 フキの姿が現れる。教会三姉妹が臨戦態勢に入るが、フキは壁に穴をあけて急カーブし、そこから逃げていく。


「みんな、追うよ」


 俺は宣言し踏み出す。後半戦の始まりだ。

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