第72話 まずは支配のくびきを外し

 メインストーリーvol.1『深淵の呼び声』一章は、リリの成長の物語だ。


 まだ赤子のようだったリリが知性を蓄え、心を成長させ、立派な一人の怪物少女となる話。


 それを上手く行かせるためには、試練を乗り越える必要があった。試練はリリのためにあって、俺が無理やり解決して良い類いのものではない。


 だから俺は、試練と分かっていながら、トラウマを抱える相手となるフキと、リリを遭遇させていた。


「はっ、はっ、はっ……」


 リリは過呼吸を起こしながら、俺の腕を抱きしめて、地面を見つめている。苦しいだろう。俺だって可能なら、こんな事はしたくない。


「おやおや、リリ、どうしたんだい。随分と体調が悪そうじゃないか。いつもは押し黙って健気に働くお前が」


「はぁっ、はぁっ、う、うぅぅぅうう……!」


 苦しむリリに、俺は目を細める。


 ……ああ、じっとりと、嫌な雰囲気だ。だが俺は微笑みを欠かさない。敵であろうと、怪物少女は全員推しで、守るべき相手なのだ。


 俺は一呼吸を置いて、語り掛ける。


「こんにちは、フキ。俺は教授だ。こちらはリリ」


「驚いた。わしの名前を知っているのかい」


「これでも魔道の世界最前線の研究者なものでね」


「くくくっ、そうかそうか。最前線、か。わしとは真逆よの。この星で最も古いわしとは……」


 思わせぶりなことを言って、フキは笑う。それから、俺に問いかけてきた。


「わしの名前を知り、この場に立っているということは、言い逃れも通じぬかな?」


「少なくとも、フキが持っているその本……『正教地下道案内図』を手にしている以上、ルルイエ正教は君を有罪と見なすだろうね」


「くくくっ。そうであろうな。これはこの憎らしきルルイエの情報の中核の情報。戻しておけば勘付かれぬ、と色気を出したのが間違いか」


 そこまで言って、「いや」とフキは俺たちに一歩踏み出す。


「逆だな。逆よ。このように用意周到に振舞ったがゆえに、運命はわしに味方した。何せそなたらは、脆弱な人間と、身内も同然」


「っ」


 リリは息をのむ。フキは俺たちに手を伸ばし言う。


「リリ、こちらにおいでな。賢くなったのだろう? またわしの役に立っておくれ」


「ぅ、うぅ……」


を怒られるのを、恐れているのかい? それなら、すべて許してあげよう。―――さぁ、リリ」


「……ぅ」


 リリの手が、俺から離れて行く。まるで、フキにリリのすべてを支配する権利があって、リリにはまったく自由がないかのように。


「そうよ、そうよ。こちらにおいでな。また可愛がってあげよう」


 くくくっ、と笑い声をあげながら、フキはリリに手招きをしている。リリは全身を震わせ、今にも涙を流してしまいそうなほど表情を歪めて、一歩を踏み出そうとする。


 だが、だがだ。


 俺が推しに、怪物少女に、そんな顔をさせるのを許すと思うのか。


「っ。きょうじゅ……?」


 俺がリリの手を取って止めると、リリは縋るような目で俺を見る。


 文句をつけるのはフキだ。


「おや? 教授。この状況でどうにかできるというのかい? わしは武力を揃えた怪物少女で、そちらは無力な人間と、わしに反抗なんてできようはずもない子だというのに」


「フキ、君はいくつかの勘違いをしてる」


「ほう?」


 フキは興味深そうに俺を見る。俺はフキを睨みつけながら言う。


「俺は敵じゃない。あらゆる怪物少女の味方だ。だから困っている怪物少女を助ける」


「リリが困っていると? それこそとんだ勘違いよ。リリは喜んでこちらに来るというのに。ねぇリリ?」


「違うよ。困っているのは君だ」


「はぇ?」


 キョトンとした顔で、フキは俺を見る。俺はまっすぐにフキを見つめて、手を差し伸べる。


「君が『助けて』と言ったなら、いつだって俺は君の手を取る。けど、俺は人間だ。力のない人間だ。フキが自分から『助けて』と言ってくれないと、助けられない」


「……」


 フキはその言葉を受けて、押し黙った。じっと、俺の手を見つめている。


 だが、彼女が乗ってくるはずがないことは、俺にも分かっていた。


「―――さぁて、何のことやら。リリ、さぁ、こちらへ。でなければその不快な人間風情を、八つ裂きにしてしまうよ?」


 不快さを隠しもせずに、フキは言う。リリはとうとう泣き出してしまって、俺に向かって言った。


「きょうじゅ、ごめんね……? リリ、行かなくちゃ……。じゃないと、ご主人様が、きょうじゅのこと、殺しちゃう……」


「ううん、そんなことはないよ。リリ、君は君の思う通りにしていいんだ」


「そん、そんなこと、できないよ……っ。リリは、だって、だって……」


 俺はリリの手を引き、小さな体を抱きしめる。その震える背中をポンポンと優しく叩いて。子供をあやすように言う。


「俺は言ったよ。いっしょだって。何があっても、何を隠していてもいっしょだ。俺は人間で、とても弱いけれど、それでもリリを守ることくらいはできるさ」


「う……うぅぅぅぅ……!」


 リリは俺を押しのけようと手を添えるが、それができない。怪物少女は力を籠めすぎると、簡単に相手を殺してしまえる。それが逆に、リリの枷になる。


「きょうじゅ、お願い、離してよぉ……! きょうじゅ、このままだと死んじゃうよぉ……!」


「死なないよ。リリ、さっきの言葉は、君への言葉でもある。『助けて』と一言言えば、俺は君を助ける」


「う、うぅぅぅうう……!」


 リリはボロボロと涙を流して、選択を前に揺れた。リリは知識こそ、この数日でかなり蓄えたが、精神はまだ幼い子供も同然だ。この葛藤は辛いものになる。


 それでも、乗り越えねばならないのだ。真の支配とは、心の内にこそあるものなのだから。


「リリ。さぁ、早く。あと十秒待って来ないなら、わしが教授を殺してしまうよ?」


「リリ、一言言うだけで良い。『助けて』って言えば、俺は君を助けられる」


「十、九、八……」


「ぅ……はぁっ、はぁっ……!」


 リリは過呼吸を起こして、苦しそうにうずくまる。俺は歯噛みし、リリを支える。


 リリの全身は震え、嗚咽し、せき込んで。


「……ぇて、……じゅ……」


 俺は、思わず、泣きそうになった。


「―――――その言葉を待ってたよ、リリ」


 俺は体力を使い果たしたリリを、ぎゅっと抱きしめる。この葛藤は、今乗り越えなければならなかった。勇気を出してくれた、信じてくれたリリが、今は何より愛おしかった。


 だが、フラれたフキは真逆の感情だろう。


「……ハァ、教育に失敗したかねぇ。腹立たしい。ならば二人まとめて殺してしまおう」


 俺は、殺意を剥き出しにしたフキを見据える。フキはこの場にも眷属の羽樽を潜ませていたようで、禁書庫の隅々から奴らが姿を現してくる。


 ここまでいけば、あとはもう大したことはない。一言言えば、窮地は脱せられる。


 俺は、にこやかに言った。


「単なる身の潔白なら、これで証明できたはずだ。ミノラ、俺たちを助けてくれる?」


「アハハ~っ! 策士ですねぇ~教授っ」


 トポン、と俺たちの背後から、ミノラが地面より浮き上がった。異端審問室の目であるミノラは俺たちを抱きしめ、再び地面を水のように変えてトポンと沈み込む。


「ッ!? 何だ今のはっ!? どこに逃げたッ!?」


 ミノラの異能は、触れている相手と共に壁や地面を水のように変えてしまう力のようだった。だから少し離れた場所で、フキが左右を見回して狼狽する姿が地面の中から見える。


「ってことなので~っ、猊下に聖騎士様~っ? お出番で~すよっ」


 巻貝じみた形の通信機にミノラが言うと『ああ。そういう訳だ、オミュール。少しばかり禁書庫を荒らすぞ』『禁書庫で戦える日が来るなんて思いませんでした』『頼むから加減してね……?』と三人の声が聞こえてくる。


「では~っ、どこに避難されますか? 教授~っ?」


 ミノラの問いに、俺は答える。


「ルルイエ正教の秘密通路。その中でもダニカたちが居る場所に運んで欲しい」


「はいは~いっ」


 ミノラが地面を進んでいく。そんな状況の中で、リリが「きょうじゅぅぅう……!」とぎゅうと俺を抱きしめていた。

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