第63話 一波乱
翌朝、俺はリリにむくれられていた。
「きょうじゅ、一緒に寝よって約束したのに守ってくれなかった! 夜中までずっとダニカと遊んでた!」
「ごめんって~。ダニカがさ? 『秘密ですよ?』っていい酒出してくるからさ?」
「もー! いい大人が飲みすぎちゃダメでしょ!」
「うぅ……はい。ぐうの音もございません……」
リリは腕を組んで目を怒らせ、プンプンと正座する俺を見降ろしている。その横では真っ青でグロッキーなダニカが俺の肩に頭を預けている。
教会の食堂でのことだった。昨晩のお話が盛り上がりすぎて、二人そろってベッドに戻れなかったのだ。
まぁ冷静に考えればインスマウス教会もルルイエ正教も邪教もいいところなので、むしろここまででキチンとした体裁を守れていたのが異常、という認識でいる。邪教だし。
「の……飲み過ぎました……。む、むり……」
「ダニカ、今日本当にルルイエ正教行けるか? 大丈夫?」
「秘伝の酔い覚ましがあるので、それでどうにか……」
ダニカは本当に気持ち悪そうな顔で、俺の肩にもたれかかっている。昨日カルコサの狂信者追っ払ってから荒れてたもんなぁ。
『何でいつも割られるんですか! 飲まなきゃやってられません!』
いやもうものすごい勢いでカパカパ飲んでいた。俺は付き合い程度だ。でもオールしたのでへとへと。眠い。
冷静なのは、意外にもハルだ。両手を腰に当てて、呆れた様子で言う。
「お姉さまも教授もしかたありませんね。ひとまず二人とも、少しでも寝てきてください。お姉さまは酔い覚ましも飲んでくださいね」
「は、はい……」
「パーラはいつも通り朝食を。できるだけ胃に優しい献立にするんですよ。リリは……ずいぶん利発になりましたし、ワタシと一緒に朝のお掃除につきあってください」
「お掃除? やったことない、やる!」
「むしろリリは何ならやったことあるんですか?」
「重いもの運んだり?」
「力はありますものね」
いつの間に打ち解けたのか、リリとハルは二人で玄関を出ていった。パーラが「じゃあお二人は、ゆっくり休んでてくださいね……っ」とダニカに酔い覚ましを渡して台所に向かう。
「……じゃあ、俺たちは少しでも寝よう」
「教授……本当に申し訳ないんですが、ベッドまで連れてってください……」
「分かった、任せろ」
俺は立ち上がり、ダニカに肩を貸す形で寝室へと向かう。
Δ Ψ ∇
体調を整えた俺たちは、準備を済ませてルルイエ正教へと向かっていた。
移動手段はルルイエらしく、五人で船に乗ってだ。力持ちで元気なリリが「わー! 楽し~!」と舟を漕いでいる。
聞いた話によるとルルイエの水路は複雑につながりあっていて、小舟一つあれば簡単にどこにでも行けるのだという。
それに俺が「でも、川上から川下に流れるのは一定だろ?」と尋ねると「だから都市全体が非ユークリッド構造でできてるんですよ」とハルに熱弁された。
なんでも魔術的かつ科学的に構築されたルルイエは、川上川下の関係が一定ではないのだという。だから迂回路を通れば真反対の方向にも、川の流れに乗って移動できるのだとか。
ちょこちょこパースの狂った意味わからん立地にも、理由があるんだなぁと感心させられたものだ。このだまし絵みたいな都市にも、そろそろ慣れてきてしまった。
「ふわぁあ」
そんな訳で俺はのんびり船の上で半分くらい寝っ転がっている。極楽~。
「おっ、教会御一行。今日はお出かけですか。出がけにおやつの昆布菓子はどうですか?」
「いいですね、人数分いただきます」
「毎度あり!」
おなじみの魚人商人が水面から浮かんできたので、ダニカが買って配ってくれる。俺はそれを受け取りつつ、川の流れにゆったりと身を任せる。昆布ウマ。駄菓子になかったこれ?
「のどかだなぁ……これからお偉い方に会うとは思えん……」
「ちなみに偉さだけなら教授の方が偉いですが」
「そうは言うけどさぁ、ハル」
俺は昆布菓子を飲み込みつつ、空を仰ぐ。
「この晴れやかな天気に、川のせせらぎを感じながら移動して、到着した場所に待ってるのが枢機卿って、っていうのはこう、分かるだろ?」
「分からなくもないですけど……。それでも教授は、アーカムを統べる存在なのですから、多少はシャキッとしていただかないと」
「うふふっ。ハル、まるで教授の秘書みたいですね。最初は教授のことを毛嫌いしていたのに」
「なっ、お、お姉さま! 止めてくださいッ! べ、別にあの時は、お姉さまがしばらく口を開けば教授教授で、気に食わなかったってだけで……」
「は、ハル!」
ダニカとハルは顔を赤らめて言い合いをしている。この二人はやっぱりペア感あるよな。双子ではないけど、息がぴったりというか。
そんな二人の様子に、パーラとリリが顔を見合わせてクスクスと笑っている。空模様は青く、川の水音は清廉で、空気は程よく涼しく、だから俺は、心中で呟くのだ。
今から数分としない内に同時多発テロが起こるなんて、信じられないな、と。
「可能な限り裏で手は打っておいたが、どうなるか」
「教授……? どうか、しました?」
「何でもないよ、パーラ」
俺は口に出さず考える。
同時多発テロ。それが、このルルイエのメインストーリーが、本筋に入った証だ。
それに備え、俺は裏でカルコサの狂信者たちに接触して、仲間のふりをして様々なことを吹き込んでおいた。『敵』が行動を起こす場所に、「ここでルルイエの重要取引がある」と。
だから連中は、『敵』を見つけ次第、ルルイエの交渉相手と勘違いして襲撃する。カルコサの狂信者はザコのわりにまぁまぁ強い。だから、多少の足止めにはなる。
それに、足止め以上に大切なのは、負けそうな場合は発煙筒を焚けと指示しておいたこと。
「アレ? みんな見て! あの煙、なぁに?」
「え……? 煙……?」
リリが空を指さし、パーラがきょとんと首をかしげる。続いてダニカとハルが怪訝な顔で「分かりません。何でしょう」「あんなのワタシ、知りませんけど」と言い。
俺は起き上がって、みんなに言った。
「全員、戦闘準備。カルコサの狂信者とは比べ物にならない奴らが来るよ」
直後、建物が爆発し、異形の生物が街中に転がり出た。
「ッ!? なッ、何ですか、アレッ!」
ハルの悲鳴めいた声が上がる。それに続くように、ルルイエの市民たちが悲鳴を上げ始める。
だが、ゲームの正史に比べればずっとマシだ。正史では爆発に建物が倒壊し、この時点でかなりの死者が出た。
「リリ、止めて。ここからは陸路を行こう」
「え、う、うん。きょうじゅ……?」
「にしても、ちゃんと仕事をしたな、あいつら。思ったより規模が小さくなってる」
リリが水路階段に舟を止める。俺が下りると、戸惑いながらもみんなが俺に続いた。
道に上がると、道路には数多くの異形の生物が転がっていた。爆発に巻き込まれたからなのか、弱っているようにも見える。
だがそれでもすべては無力化されておらず、元気な連中がルルイエ市民を襲っていた。
「相変わらず樽みたいな体しやがって」
連中は、まさに樽といった風情の体をしていた。羽の付いた樽だ。尻尾と五芒星の頭が付いた樽。ヤシの木の、葉の根本部分によく似ている。
そういう奇妙な怪物が、飛んだり跳ねたりしてルルイエ市民に襲い掛かっていた。ルルイエ市民は魚人でもそう強くないから、二メートル半もある奴らには敵わない。
俺は振り返り、動揺するみんなに呼びかける。
「聞いてくれ。ルルイエ正教への訪問は、一旦横に置いておこう。つまり治安維持活動だ。可能な限り、この場の騒動を治める」
俺が言うと、教会三姉妹は覚悟を決めた。「分かりました、教授。指揮をお願いします」とダニカが言う。俺はそれに頷き、リリを見た。
「え、あ、う」
リリはたった一人、状況についてこられないみたいだった。まだ戦闘慣れしていないと、騒乱を前にするとこうなるのが普通だ。特にリリはそうだろう。
俺はリリの頭を撫で付け、そっと言う。
「リリ、怖ければ俺の後ろに隠れてて。大丈夫、みんなが守ってくれるから」
「う……、う、ん……」
リリは震えている。ゲームでもこの戦闘では動けなかったから、これでいい。リリにはまだ経験が必要だ。
指揮の出来る怪物少女はダニカ、ハル、パーラの三人。この襲撃のすべてを鎮圧するには不十分だが、間を持たせるだけなら問題ない。
俺は、号令を出す。
「戦況は劣勢だ。敵は無尽蔵。俺たちは少人数。けど、俺たちは負けない。俺が約束する」
ゲーム画面を展開し、『戦闘開始』ボタンをタップする。
「美しい水の都を汚す奴らは、魚の餌にしてやろう」
戦闘が、始まった。
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