第61話 リリの学習帳
リリの好奇心と学習能力は、目をみはるものがあった。
「きょーじゅ! こりぇ!」
「ん? 本を読んで欲しいの?」
「り!」
ふんす、と鼻息荒く、リリは主張する。リリ育成計画二日目、昼下がりのことだ。
リリの学習能力が異様に高いのは『ケイオスシーカー!』でも知っていたが、保護してから今まででたったの二日だ。すでに簡単な会話ができるところに、リリの知能は至っていた。
特にすごいのは好奇心で、リリの学習能力は好奇心に支えられていると言ってもいい。
昨日の昼頃モノの名前を呼べるようになってから、とにかく名前を憶えたがった。これはイス、とか、これは万年筆、とか、これはハル、とかだ。
その内リリは動詞、形容詞という概念的な物事についてまで言及し始め、俺は『怪物少女すげぇ~』と感心したものだ。
そして今、俺は本の朗読をねだられている。
「本を読むのはいいけど……、それ難しくないか? だいぶ分厚い本じゃん。何々? ルルイエ異本? これより前に、絵本とかの方がよくないか?」
「んー! パーラ! 読んだ! 絵本!」
「パーラが絵本は読んでくれたから、今度は違う本ってことか」
「りり!」
こくり、としかめつらしい表情で頷くリリだ。まぁ本人がそう言うなら、と俺は本を受け取った。
ルルイエ異本には、人間から見たこのルルイエの市井の話や、海上都市ルルイエのトップ層に当たる『ルルイエ正教』についての話、そしてルルイエにまつわる魔術の情報があった。
俺は分かるのかなぁと思いながら、一通り朗読していく。すると俺の腕の中に収まって聞いていたリリが、本の一部を指さして、こう言った。
「『つまりあのじゃあくなるかいじょうとしのぎょじんたちは、じくうをこえてにんげんせかいをうちほろぼそうとしているのだ』!」
「おー! 読めてる! すごいなリリ」
「りっりりー!」
効果音のような声を出しながら、リリは俺の腕の内で胸を張る。身長に似合わない胸が俺の腕に乗る。うっおでっか……。この身長でこの大きさは犯罪だろ……。いやちがうちがう。
「……かいじょーとし、じゃあく?」
「んー、このルルイエ異本を書いた人にとってはな。俺にとってはとっても楽しくていい場所だぞ」
「りー……。じゃあくのはんたい、たのしい、いい」
邪悪の意味が分からないまま聞いて、俺の返答からそこまで当ててくるのか。すげぇ。
「りりり。……リリ、おぼえた。もっと読んで!」
「お、おぉ。いいぞリリ。もっともっと頭よくなって、俺の代わりに論文書いてくれ」
「やだ!」
「基本素直なのに何でこう言うときだけアンテナ鋭いんだ?」
「やなものは、や!」
キリリとリリは言い放ち、それから「ぷふーっ」と吹き出す。キャッキャと笑いながら、リリは言った。
「じょーだん。きょーじゅ、じょーだん。リリ、きょーじゅのお手伝い。たくさんする!」
「俺は何だか泣けてきたよ……。良い子に育ったなぁリリ……。っていうか冗談言ったの今? 冗談って相当高度なコミュニケーションじゃないか?」
「リリはおりこさん」
「お利口さんだよマジで……」
「つづく!」
「続きな」
まだちょいちょいおかしなところがあるにしろ、俺はリリに言葉を教えながら、マジのガチでリリの学習能力の高さに戦慄していた。
さて、そんな風に読み聞かせに終始した二日目だったが、夜食事を終えるころ、リリはこんな感じだった。
「ねーハル! あの本読んでいい? あっ、パーラ! このお魚のスープとってもおいしいよ! ダニカー! 今日は一緒に寝よ?」
「「「……」」」
教会三姉妹は、揃って絶句である。彼女らは目を丸くしてリリを見つめ、それから俺を向いた。
ダニカが、震える声で俺に問う。
「教授……何か変なものでも与えました?」
「驚くだろ……。昼間本の読み聞かせしてただけ」
「きょうじゅね! すっごい優しいの! 声ガラガラにして、十冊も読んでくれたんだよ!」
「えっ十冊も朗読したんですか教授」とハル。俺が「そうだよ」と頷くと、「本当に声ガラッガラじゃないですか。飴でも舐めます?」と気を遣ってくれる。優しい。
「リリちゃん……そんな難しい本、読めるの?」
「うんっ、パーラ! リリね? もう一人で本読めるの! すごい?」
「う、うん……っ。すごい。本当にすごいと思う……っ」
「やったぁ! リリね、お勉強するの大好き! とっても楽しいの!」
ニッコニコで、手に持った大辞書みたいな分厚い本をぎゅっと抱きしめるリリだ。パーラはそれを見て「パーラの妹は天才かもしれないです……!」と親バカみたいなことを言う。
いやでも天才なのは多分そうだけどな。本当にそう。
食事を終えてからは、もうリリは一人でずっと教会にある本を読み漁っていた。その様子を微笑ましく眺めていると、俺に気付いたリリが「きょうじゅ!」と俺を呼ぶ。
「きょうじゅもいっしょに読む?」
「いいよ、何読んでるんだ?」
「えっとね、クルーシュチャ方程式の解法解説!」
「何かよく分かんないもん読んでんな」
「教会の本棚の裏にね~、隠されてたの見付けちゃった。りりりっ」
まるで鈴が鳴るような不思議な笑い声をあげて、リリはクスクスと笑う。
「でもこれはちょっと難しすぎて読めないかも。あんまり面白くない」
「リリがそう言うなんて珍しいな。割と何でも読めると思ってたけど」
「たくさん読んで満足しちゃった! 本はもういいや」
「アレだけ読んで飽きるのか。いや、アレだけ読んだら普通飽きるか? んん?」
俺はよく分からない気持ちになりつつ頷く。そこでリリは、俺にぎゅっと抱き着いてきた。
っ!? リリの! リリの体に似合わなさすぎる豊かな双丘が! 俺に押し付けられて! むぎゅっと形を変えている!
「ねーきょうじゅ。今日は一緒に寝よ?」
「え、今日はダニカと寝るんじゃなかったのか?」
「ダニカ、夜遅くまで本読んでると取られちゃうんだもん。あ、でも今日は本読まない……。じゃあえっと……何となく!」
「そっかぁ何となくかぁ」
表情が天真爛漫過ぎてすべてを許してしまう。可愛すぎる。
にしたって、本当に頭がいいのだな、と感心する。ゲームのストーリーでもこんな風では確かにあった。あったが、目の当たりにすると改めてすさまじい。
「じゃあ、ベッドで先に待ってるね!」
天真爛漫真っ白少女ことリリは、俺に手を振って俺の寝る客室へと駆けこんでいった。俺はそれを笑顔で見送って、「さて」と振り向く。
そこには、俺たちの会話の終わりを待つように、ダニカが立っていた。「教授、少しお話しませんか?」と手に持つ蝋燭に照らされ、ダニカは神秘的に微笑む。
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