第60話 リリの育成日記
さて、リリの育成だが、無論困難を極めた。
「キャー! リリ! こんなところで服を脱いではダメでしょう! 教授もいるんですよ!?」
ハルの悲鳴に、俺はそっと視線を逸らす。しかしハルに叱られたリリは、「り?」キョトンと首を傾げていた。
常識のないのに体は子供サイズではない(にしてもパーラ同様小柄だが)存在というのは、この通りまー厄介なのだ。
っていうか、リリ、ちらっと見えてしまったけどめちゃくちゃおっぱいデカくない? パーラと同じくらいの背丈なのにあのサイズ? ヤバ……性癖壊れちゃう……。
そんなことを考えていると、ハルがリリに服を着せていた。
「ふぅ。いいですか? リリ。人前で服を脱いではダメ。脱いでいいのはお風呂だけ!」
「りりり!」
ハルが注意するのを、リリは分かっているのかいないのか、返事だけは元気だった。俺はその姿に苦笑してしまう。
リリは教会の奥から引っ張ってきたらしい、制服のような姿をしていた。
首元には黒いマフラーを巻いている。見つかったときに体に纏っていた布切れを手放したがらなかったから、ハルがマフラーに手直ししたのだ。
お蔭で、黙っていれば特徴的な瞳の美しい、真っ白な制服少女、といった風情の格好だった。白い髪、白い肌。黒い制服、黒いマフラー。そして、玉虫色の瞳。
外見は非常に美しい。まるで女神か何かのような神聖さを感じる。
「てっけり―――!」
……外見だけは、だが。
「はぁぁでも可愛いに間違いはない。健やかに育ってくれ……」
「いや教授何しみじみしてるんですか! リリ! 暴れないの! リリ!」
天真爛漫に、リリは飛んだり跳ねたりして遊んでいる。俺は孫の元気な様を楽しむ父親かおじいちゃんの気分だ。うんうんいいぞ……すくすく育つんだぞ……。
と、時間か。
「リリ、お勉強の時間だ。大人しくして」
「りっ」
俺が言うと、ぴしゃっとその場に立ち止まるリリ。「あ、あれ……?」とハルが目を丸くしている。
「え? な、何で? 何で教授の言うことは聞くんですか?」
「一つ一つ丁寧に教えてるからね。こっちが激しく行くと、リリも興奮して暴れだすんだ。静かに接すればそんなに暴れん坊じゃないよ、リリは。な? リリ」
「りーっ!」
「よしよしいい子だな~」
俺が撫でると、リリは「りゅ~、んふー」と満足げに撫でられている。
「じゃ、そういう訳だから、ダニカと一緒にお勉強としゃれこんでくるよ。ごめんだけど、ここの片づけはハルにお願いして良い?」
「え? あ、はい。そりゃもちろん教授はお客様ですし、ワタシがやりますが……」
「じゃあお願いします。よろしく」
俺が歩き出すと、リリが「りーっりっりりーっ」と鼻歌を歌いながらついてくる。その様子を見ながら、ハルは「え、えぇ~……?」と戸惑いの声を上げるのだった。
Δ Ψ ∇
リリの教育は、俺とダニカの二人で行う流れになっていた。
というのも、リリは怪物少女で、どうもかなり力の強いタイプらしい。パーラはもちろんハルにも力で勝っていて、ダニカでギリギリ、というくらいなのだ。
そんなリリが暴れたらもちろん俺では抑えられないので、ダニカの補助を頼む、という形で物事を進めていた。
とはいえ、リリの教育は、日々の育成に比べたらずっと楽なものだ。
「はい、じゃあ復習な。この人は?」
「らりら!」
「じゃあ俺は?」
「りょーりゅ!」
「じゃあ最後に、君は?」
「りり!」
「おー! すごいすごい! リリは物覚えが良いなぁ」
俺がひとしきり褒めると「りっりー♪」とリリは満足げな表情だ。それを見て、ダニカは目を丸くしている。
「た、たった数時間で、言語を理解し始めてるんですか……?」
「うん。リリ、こう見えて学習能力はかなり高いよ。人間の赤ちゃんの数十倍は高い。まだ発音が弱いけどね」
「にしたって、暴れるだけのリリに言葉を教え込んでって、教授もものすごいですけどね……」
ダニカは信じがたい、という顔でリリを見つめている。リリはニコニコでダニカを見て「らりら!」と指さす。
「そ、そうですね。ダニカです」
「り? らりら……?」
「はい。ダニカ、です」
「らり、ら?」
リリはキョトンとして俺を見る。これは……。
「リリ、少し難しくしてみようか。ダ・ニ・カ、だよ。らりら、じゃなく、ダ・ニ・カ、だ」
「えっ教授。それは難しいのでは」
「らに、か?」
「えぇっ! すごいです! リリ、できてますよ!」
ダニカがパチパチと拍手してリリを褒める。しかし、リリは自分の発音が気に入らないらしく、「けり~……!」と唸っていた。
俺は根気よく、リリの発音に付き合う。
「ダ、だよ。リリ。ダ、だ」
「ら! ……ぢゃ!」
「惜しい惜しい。後もう少し」
「ぢゃ! でゃ!」
「すごいすごい! あと少しですよ、リリ!」
「でゃにか……?」
「――――ッ! きょ、教授。私何か泣きそうです。リリ、あと少しですよ。ダ、です。ダニカ、ですよ」
ダニカは目を潤ませて、リリの成長に感動している。俺も感動の瞬間を前に、沸き立つ寸前だ。
そして満を持して、リリは言った。
「きょーじゅ?」
「何でそっちに行っちゃうんですか!」
「―――――」
「教授も! 椅子の上で息絶えないでください! もう! ズルいですよ教授ばっかり!」
「きょーじゅ! きょーじゅ!」
キャッキャと喜んで、リリは俺に抱き着いてくる。俺は娘が初めて自分の名前を読んでくれたような多幸感に包まれながら、ダニカに言った。
「幸せで死にそう」
「死なないでくださいっ。リリ? 私のことも呼んでください。ダ・ニ・カ、ですよ?」
「ぢゃにか……?」
「そうです! 惜しい惜しい、あと少し」
「教授、ダニカお姉さま、それにリリ……っ。お昼ご飯、できました……っ」
「ぱーら!」
「ね~え~!」
扉を開けて昼食に呼んでくれたパーラにまで、リリに名前を呼ばれる順番を抜かされ、ダニカは腕をブンブン振って抗議している。
逆にいきなり呼ばれたパーラは「えっ、えっ。すごいっ。リリ、パーラを呼んでくれたんですか……っ?」と照れ半分嬉しさ半分で口を押えている。
ああ……幸せだ。視界のすべてに可愛いと幸せが詰まっている……。ここが天国だったか……。
そんな風に思いながら、俺は静かに息を引き取るのだった。
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