第58話 もう一人の主人公

 メインストーリーにおいて、教授とは別に、怪物少女側にも主人公と呼ぶべきキャラクターがいる。


 話の渦中にいて、抱えている事情があって、物語をグイグイ前に進め、教授の手を借りて挫折から立ち上がる、そんなキャラ。


「―――こっちです!」


 魚人の案内に従って進んでいくと、ルルイエの住民たちが集まって、ざわついている場所があった。彼らはパーラを見ると「お嬢!」「ちょっと見てください」と道を開ける。


 俺たちは砂浜の砂を踏んで進むと、そこには真っ白な髪を伸ばした、粗末な布以外ほとんど裸の少女が倒れていた。


「ぅ……」


「だ、大丈夫ですか……っ? た、大変、です。衰弱してます。きょ、教授」


「教会に連れていってあげようか。そこで看病するのがいい」


「は、はい……っ」


 動揺に頭が回っていないパーラに、すべきことを告げる。それから俺はコートを脱いで着せ、その少女を持ち上げた。


 ―――「深淵の呼び声」一章における主人公。これから起こる事件の渦中の人物。大変な過去の持ち主。


 今はまだ名もない彼女を持ち上げ、俺たちはインスマウス教会へと帰る。




         Δ Ψ ∇




 教会に帰ると、ダニカが死んだ目で地面に散らばったガラス片を見下ろしていた。


「……やられた?」


「……せっかく教授がいらしたので、ちゃんとした非ユークリッドデザインのステンドグラスを飾ろうと思ったんです。それで替え終わった瞬間に、カルコサの狂信者が……」


「襲撃してきたか」


「いえ、石を投げてきて、窓を割るだけ割って逃げていきました……」


 ダニカがワッと顔を覆う。不憫が過ぎる……。アーカムでは笑顔あふれる清純派だったのに、教会に戻った瞬間からずっと不憫だ。


 っていや、そうじゃない。


「ごめんダニカ。窓は一旦置いておいて、ちょっとこの子のこと看てほしいんだ」


「はい……?」


 涙目で俺に目を向けたダニカが、俺の腕の中の怪物少女、狼狽するパーラに気付いて、慌てて近づいてくる。


「えっ、ど、どうしたんですか? この子は?」


「砂浜に倒れてたんだ。多分怪物少女だから、ここで保護するのがいいだろうと思って連れてきた」


「そう、ですね。ルルイエ市民で解決できないことは教会でやりますから、その判断は適切です。連れてきてくださってありがとうございます。ひとまずは―――」


 ダニカはパーラとは違い、大きく戸惑いはしなかった。一呼吸分思考し、鋭く指示を出す。


「パーラ、朝食に加えて病人食を用意してください。ハル! あなたはこの子を客室へ!」


「はい? どうされました? お姉さ……なるほど、分かりました」


 別の部屋にいたらしいハルが顔を出し、瞬時に状況を理解して動き出す。やっぱり年長組は違うな。安定感がある。


 まずハルが名もなき怪物少女を俺から受け取って、別の部屋へと連れて行った。つづいてパーラが慌てて台所へと駆けていく。


「俺はどうしようか」


「教授は来賓ですので、どうかお寛ぎを。……でも、教授はそういうのはあまり好きじゃないですよね。では私はハルの手伝いをするので、一緒にお願いしてもいいですか?」


「もちろん」


 俺は頷き、ダニカと共に動き出す。


 そこからは、だいぶ忙しい時間が続いた。


 そもそも朝食もまだだったので済ませつつ、名無しの少女の容体を確認。医者の手配を進め、周囲に様子を見に来た人々に軽く説明をし、他にも諸々済ませていたら一日が終わった。


「……お偉い様のお客様のくせに、ずいぶん熱心に働くんですね」


 ハルに憎まれ口を叩かれたので「こういうのが好きなんだ」と返す。ハルは僅かに顔を赤くし、苦虫を噛み潰したような表情になって「変な人ッ!」と逃げていった。


 さて翌日である。魚人の医者から「それほど大変な状態ではないですね」という太鼓判と看病方法を教えてもらって、交代で対応していた頃のこと。


 順番で看病していたハルと、その横で俺が手伝いをしていたところ、真っ白な少女が「ん、ぅ……?」と目を覚ました。


「あ! お、起きました! 起きましたよ教授!」


「起きたね。君、大丈夫?」


「少しは慌ててくださいッ!」


「そんな理不尽な」


 俺は慌てるハルに軽く言ってから、少女の顔を覗き込む。ハルも、彼女が何を話すのかと熱心な顔で少女を見つめている。


 真っ白少女は、真ん丸な目を広げて、俺たちを見た。


 虹のような瞳だった。あるいは、玉虫色のような瞳だった。宝石のようにキラキラしていて、思わず見入ってしまうような、そんな瞳をしていた。


 俺たち二人は、揃って彼女が何を言うのかを待つ。ハルは緊張に、ごくりと唾をのみ下す。


 もっとも、俺はこの漂流怪物少女が何を言うのか、すでに知っているのだが。


「……けり、り……?」


「え、えっと。ごめんなさい。何て言ったの……?」


 ハルが困惑した様子で聞き直す。すると真っ白少女は、こう言った。


「りりりりりりりりりり―――!」


 うわ鼓膜敗れるかと思った。


 俺はとっさに耳をふさいで大音量を回避する。一方対処し損ねたハルは「キャアッ!」とうずくまる。


「りりっ、り、てけ? りりりりり―――!」


 真っ白少女はパニックに陥った様子で跳び上がって、俺たちを乗り越えて走り出した。四足歩行で、まるで獣のように教会を疾駆する。


 俺たちはそれを追いかけると、パーラの「ひゃあっ」という声が上がる。真っ白少女はパーラを回避して、さらに教会を駆け回る。


「どっ、どうしました! 何の騒ぎですか!?」


 最後に出てきたダニカの前に、真っ白少女が飛び出した。そしてダニカをもその速度で躱して逃げ出す―――


 ―――かに思えたその時、ダニカが動いた。


「病人は、大人しくしなさいッ!」


 ダニカは異形化させた巨大な手のひらでもって、真っ白少女を地面に押し潰した。「りゅ、りゅう……」と鳴き声を上げて、真っ白少女は力尽きる。

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