第57話 キャライベント:パーラ1 ルルイエ観光

 夕食を共にし、健やかな入眠を経て翌日の朝。


「教授……教授……?」


 俺は腰の辺りに重みを、胸元の辺りに揺すられる感覚を得て、目を覚ました。


 まだ、日が登り始めた早朝のようだった。俺は窓辺から差し込んだ僅かな光に目を開く。


 すると、俺の上にパーラが乗っかっていることに気が付いた。パーラは俺の上にまたがって、俺を揺すり起こしていたらしい。


 引っ込み思案ながら、目を細めてパーラは微笑む。


「おはようございます、教授……っ。教授の、パーラです」


 朝一番になんて嬉しいことを言ってくれるんだ。天使か?


 俺は愛おしさを感じながら「ん……おはよう、パーラ」とあくびを一つした辺りで、違和感に気付いた。


 ここで一度前提の話をするのだが、健康な男性というものは、朝になると股間が意志とは全く関係なく健康になる習性がある。


 俺も前世と違って健康的な生活を送っているので、その例に漏れない訳だ。で、そこで気づいてしまうんだな。


 パーラがまたがっている位置。ドンピシャ。


「……」


 俺は冷や汗を流しながら、乗っかっているパーラの顔を見る。


 パーラはしかし、まったく気にしていない、という顔で俺の顔を見つめていた。だが俺の健康にパーラの体重というかスカートの中というか感触というかが直に伝わっていて。


「ぱ、パーラ?」


「なんですか、教授……?」


 不思議そうな顔で、パーラはこてん、と首を傾げている。え? 俺の健康に異物感とかはない感じ? いや、気付かれたら気付かれたでよろしくない気はするからいいんだけど。


 い、いや、気付いてないならいいんだけど、その、健康って刺激を受けるともっと健康になっちゃうから、あの。


 俺は深呼吸して、健康があんまりやる気を出さないように落ち着かせていく。すると、パーラが言った。


「あ、ちっちゃくなっちゃった……」


「!?」


 俺の動揺をよそに、パーラはそっと俺の上から降りた。パーラの湿り気に帯びた尾ひれが揺れる。それの所為か、俺の下半身も僅かに湿っている。


 ……い、いや、勘繰りすぎだ。そう言うのはよくない。うん。気のせい気のせい。忘れよう。うん。


 と思っていると、パーラは俺の手を取って、こう微笑みかけてきた。


「あの……っ。教授、一緒に朝のおさんぽ、しませんか?」




         Δ Ψ ∇




 俺がサッと着替えて教会を出ると、パーラがパァッと顔を華やがせた。


 以前のそれこれで随分懐かれたと見えて、パーラはバスケットを持つ手と反対の手で俺の手をきゅっと握って「あ、あの……っ、る、ルルイエ、案内しますね……っ」と歩き出す。


 俺はパーラに連れられながら、近くの時計に目をやった。一つ目のストーリーイベントは、数十分後か。それまで流れに身を任せるのが吉だな。


 朝のルルイエは全体の空気に透明感があって、荘厳な建物や道々の水路、真っ白な石畳で清浄な空気が流れているようだった。


 流石バチカンとベネツィアの合いの子だ。あとはパースが狂ってなきゃ完璧。ああダメダメ。あんまりマジマジ見るな。


「教授、この船で、行きましょう……っ?」


 俺はパーラに連れられて水路沿いの階段を降りて、備えつけの小さなボートに乗り込んだ。川の流れに従って、ボートが動き始める。パーラが慣れた手つきで船を漕ぐ。


「おぉ……こんなスムーズに船に乗るのか。……っと?」


 すると不意に水面に影が浮かんできて、僅かに警戒する。だが、ここは天空都市ではない。つまり水に警戒する必要はないということだ。


 ざぱん、と音を立てて、魚人が顔を出した。彼はひょうきんな声で「こりゃどうも!」と挨拶してくる。


「おはようございます、パーラのお嬢に、教授。お話はかねがね伺ってます。ルルイエでは是非ゆっくりしていってくださいね!」


「これはこれは、ご丁寧にありがとう」


「ってことで、朝食の食材にいくらか買ってってくださいよ。今日はこんなとこです!」


 魚人は船に並走して泳ぎながら、石の四角皿の上に並んだ魚を俺たちに見せてきた。獲れたての活きが良いものらしく、まだビチビチと跳ねている。


「じゃあ、これと、これと……」


 パーラは毎朝の仕入れとばかりに慣れ親しんだ様子で、魚を選んでいく。バスケットは魚を入れる用のものだったようで、購入した魚はポイポイと中に収められた。


「毎度あり! では聖下の祝福があらんことを!」


 魚人は晴れやかにそう言って、再びざぱん、と水面に沈んで行った。


 確か、ルルイエの一般的な住民があの魚人で、パーラの眷属でもあったはずだ。ルルイエは魚人、半魚人、人間の三種類が住まう都市なのである。


「今日は新鮮なのが入りましたから、腕によりをかけて作りますね……っ」


 パーラは上機嫌でそう言う。バスケット(っぽいだけで扱いを見るに多分違う)を船の側面に固定して、購入した魚をバスケットの内側で泳がせている。すげぇ。


 まだまだ散歩(?)は続くらしく、パーラは上機嫌で船を漕ぐ。その様子を見ながら、俺はしみじみ言った。


「ああ、これは、いいな。朝からこんなことが出来るのか。ルルイエ、いいな」


「……! 気に入って、くれましたか?」


「うん。あんまり船に乗ることがないから、新鮮だよ」


 静かに川を進み、荘厳な建物を眺める。実に心地いいひと時だ。そう思って穏やかに進む時間を楽しんでいると、パーラは言った。


「えへ、へ。嬉しいです……。じゃあ将来、教授の赤ちゃんが生まれたら、きっとルルイエに馴染めます、よね」


「……ん?」


 今何て言った? 俺の赤ちゃん? 俺赤ちゃんできんの?


 俺がそう困惑していると、「あ、え、えと、違くて……!」とパーラは顔を真っ赤にして首を振る。


「パーラ、赤ちゃん、大好きなんです……。将来の夢も、お母さんになること、で」


「う、うん」


「だ、だからその、ぱ、パーラ、教授のこと、大好きなので、教授との赤ちゃんは、可愛いだろうなぁ、って……」


「……―――!」


 俺は様々なことを吟味に吟味を重ね、こう尋ねた。


「その、パーラは、そういうことは、分かるのか?」


「……そういうこと……?」


 キョトンとした様子で、パーラは首を傾げた。それに俺は、ほっと胸を撫で下ろす。


「あービビったぁ……! あの、パーラ? あんまりそういうことは、人前でしない方が良いぞ。相手に変な勘違いをさせるからな。教授との約束だ」


「し、しないです……っ。確かにパーラは赤ちゃんが欲しいなって思いますけど、きょ、教授以外の人と欲しいなんて、思いません……っ」


 怒っているのか恥ずかしがっているのか分からない口調で、パーラはそう反論した。俺は可愛いのと他にも様々な感情とで深く息を吐きながら「ともかく、約束だからな」と言う。


「わ、分かりました……」


 よく分からない、という態度でパーラは不思議そうな顔だ。いや、恐ろしい子だよ。そう言う知識が全く無い状態で、ここまでピンポイントに誘ってくるとは。恐ろしい子!


 そんな風に思っていると、船が進む方向から、猛スピードで水面の影が近づいてきた。ザパンッ! と水柱を立てて、先ほどの魚人が俺たちの船に上半身を載せる。


 そして彼は、驚く俺たちにこう言うのだ。


「パーラのお嬢! それに教授! 砂浜に来てください!」


「ど……、どうしたんですか……っ?」


 慌てるパーラに、魚人はこう続けた。


「砂浜に、女の子が流れ着いてるんです! 恐らくは―――怪物少女が!」


 ―――来たか。


 俺とパーラは顔を見合わせて「急ごう」「はい……っ」と船を加速させる。

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