第45話 イブが帰らなかった理由

 主失い、という種類の敵は、ごくたまに現れる。


 常に現れる敵ではない。人間は何処でも敵として現れるし、怪物も同様だ。だが、主失いは珍しい。


 特殊な敵なのだ、ということは知っている。クロの説明の通り、『主たる怪物少女を失った、怪物の成れの果て』だということも。


 だが、そこで違和感が出る。つまりは―――『怪物少女は死んでも、俺が、教授が救うのではないか?』という点だ。


 本来ならそうだ。俺が怪物少女を救い出す。だから主失いなんて出ない。だが、ここには主失いがいて、あれだけ繰り返した捜索の魔術でも反応しない。


 つまりは、何かがあるのだ。


 主失いが発生する場所は、特殊なものが多い。この森もそうなのだろう。この世界を飲み込んだ魔道には、まだまだ謎が満ちている。


 だが、その過程で、今まで救えなかった怪物少女を新たに救えるのなら、俺が身を粉にしない理由がない。


「広範囲殲滅なら、イブのスキルで十分だな」


 というか素で実力のある怪物少女は、基本的に範囲攻撃に優れる。俺が付けば苦戦する敵ではない。


 だが、普段なら攻撃がそもそも通らないのだという。教授。『魔道に抗するもの』『世界唯一の魔道研究者』。俺がいるから、戦いになると。


 俺の立場にも、謎が付いて回る。だが、それもきっと、魔道研究と称して様々な動きをしていれば分かるのだろう。


「それで? 何か魔術が必要なのか? クロ」


 俺が言うと、時間が停止してクロが現れる。これだけ見るとチートだが、最近ゲームのポーズ機能枠なのではないか、と考えるようになった。俺もクロも戦えないしな。思考時間だ。


「そうだね……。あんまり教えたくない魔術だったけれど、こうなると仕方ないから教えておこうか」


「教えたくない?」


「一身上の都合でね。深く突っ込まれるとボクが困るだけだから、優しい教授が聞いてこないことを信じてるよ」


 そういうなら深掘りはしないでおこう。俺が頷くと、クロは続ける。


「こういう、魔道そのものの影響を無害化する魔術は、『混沌分かちの魔術』というんだ。『霧払い』『闇覗き』『混沌分かち』。困ったときはこの三つで何とかなると覚えておくといい」


「なるほど。じゃあさっそく」


「はぁ……これも教えるのかぁ……状況的に仕方ないけど、厄介だなぁ。マスター、君はどんどん御しがたい存在になっていくよ。その自覚があるのかい?」


「俺を拾ったのはクロだぞ」


「分かってるさ。あーあ、君が少しでも嫌な奴だったら、これを機に見捨ててやったのに」


 分かりにくいクロのデレを俺は味わい深く噛み締めながら、続く言葉を待った。


「ボクに続けるんだよ、マスター。―――『今の全ては理解しえぬ。混沌は理解しえぬ。故に今は混沌。混沌よ分かたれよ。我、トリックスターの不可知を冒涜せん』


「『今の全ては理解しえぬ。混沌は理解しえぬ。故に今は混沌。混沌よ分かたれよ。我、トリックスターの不可知を冒涜せん』」


 時が動き出す。クロがいつの間にか消えている。だが、俺の告げた呪文は十分に魔術として成立したらしかった。


 迫ってくる主失いたちが、一瞬止まる。奴らから薄膜が解け落ちる。これで、奴らは俺たちと同じ土俵に立った。


「オヤブンッ? 今、何したんだー!?」


「主失いに攻撃が通じるようにしたんだよ、ジーニャ。さぁ、もう何も恐れることはない。全力をぶつけろ!」


 後は簡単だ。俺はニィと笑って、イブの特殊スキルを発動した。


「―――ええ、では、行きますね」


 怪物少女らしい肉体変形術で、イブは中指の爪を鋭く長く伸ばす。その爪の切っ先を自らの首に添え、スパッ、とあっさり切り裂いた。


 途端、イブの首、頸動脈から大量の血が飛び出す。だが、その血は真っ黒だった。そして単なる血ではなく、意志を持っていた。


 血が、空中に舞っては固形化し、イブの上空に漂う。その様はまるで黒い雪。


 イブは、主失いたちを指さした。


「ごめんなさいね、教授がいれば、敵ではないの」


 黒血が、世界に蕩けて胡乱に歩く主失いたちに殺到する。黒血は連中に密集し、傷を抉り、窒息させて、物量で圧殺した。


「さ、流石一組織の長、イブ様つよ……」


 ウルルが目を丸くしてその様子を見ている。実際、ザコの掃討なら範囲攻撃アタッカーが頑張るだけいいのだ。膨大な体力を持つボスを削り殺す単体アタッカーとは、違う。


 結果、イブの黒血と他三人の通常攻撃だけで、掃討は完了した。警戒していたジーニャとウルル、ナゴミはぽかんとしている。


「こ、攻撃通じたぞー……。通じたらそんな強くなかった……」


「教授が偉い人だってことの意味が分かってきたかも……。主失いが押し寄せてきたら、教授がいるだけで問題なくなっちゃうもんね……」


「一対一でも逃げるしかなかった主失いが、こんなに柔らかくなるの……?」


 目をパチパチ開閉しながら、三人は呆けている。一方、合流したイブはハイテンションだ。


「教授~♡ ああ、やっと直接会えましたね。今回は助けてもらって、本当にうれしかったです。とりあえず抱きしめていいですか? 抱きしめちゃいますね? ぎゅ~!」


「好感度がすでにメーター振り切れてる」


 こんなに初手から高いんだ好感度。いやまぁその理由も何となくわかってるけど。あと俺も人のこと言えないけど。


 ということで、俺は半強制的にハグされ、イブの全身の柔らかさを味わうことになる。ふわふわのピンク下髪からいいニオイが! あと腹部にとっても柔らかな感触が!


 俺は飛びそうな理性を必死に押しとどめ、そっとイブの肩を叩く。


「ええと、俺も抱きしめ返したいところだけど、三人が驚くから一旦やめておこう」


「あら、うふふっ。照れちゃいましたか? ごめんなさい。でも、ずっとこうしたかったんです。我慢できなかったこと、許してくれますか?」


「許すも何もご褒美ゲフンゲフン!」


 俺は咳払いで仕切り直す。そこでやっと、イブは名残惜しそうに離れた。


「ええとそれで、まず一通り確認しておきたいんだけどさ」


 俺は問う。


「イブって、俺の事をとっくに知ってたんだよな?」


「ええ、もちろんです。わたしはあらゆる時空を眺める者。忍耐強き時空の観測者ですから」


 もっとも、その時空は壊れて久しいですけれど。イブのその返答に、俺は深く納得した。


 要するに、イブはすべてを知っているのだ。俺がどういう人間か。何が起こるか。今回俺がイブを助けることすら知っていた。俺が助けなければ死んでいたことも。


 好感度が高いのもその一環だろう。これからイブと俺が、どんな風に仲良くなるのか、ということも知っている。だからすでに好感度が高い。というか最初からマックスで動かない。


 そして、知っているのは未来だけではない。過去のことも知っている。


 具体的には、俺の赤ちゃん時代から遡ってイブは知っている。


「大丈夫ですか、教授? ここまで大変だったでしょう? アーカムの掌握はお疲れさまでしたね。その労いをしたくて呼んだら、時期が悪くてこんなことになってしまったんです」


「うおお、知ってたけど本当に全部知られてる」


「大変な生まれでしたね、教授。村での日々は辛いものでした。でも、あなた以上の教授なんて居ませんからね。自信を持ってくださいね」


「やめてそこデリケートなとこだから。泣いちゃうからダメ」


 俺は母性が暴走するイブをそっと諫めてから「それで」と仕切り直す。


「一応、何がどうなってこうなったのか、聞いてもいいかな」


「ええ、もちろん。ナゴミちゃんたちにも、お話しますね。みんな、こっちに来てもらえますか?」


 イブに呼ばれて、三人が寄ってくる。それを待って、イブは話し始めた。


「知っての通り、わたしはこの森から多くのことを知ります。この森は過去、現在、未来につながるクレドの密林。いつもの観測作業のため、わたしは森に足を踏み入れました」


 そこまではナゴミちゃんは知っていますね? イブの確認に、ナゴミは頷く。


「なかなか帰れなかったのは、このクレドの密林に迷い込んだ女の子がいたからです」


 イブの話に、ナゴミが瞠目する。


「え? 店長、この店、っていうか森は、店長の招待がなきゃ入れないはずじゃ」


「ええ。けれどそれは、店の入り口からの話。たまにつながってしまうんです。ドリームランドのどこかの森と、このクレドの密林は。あの子も、それで迷い込んだんでしょうね」


 この森にも色々とあるらしい。そう思いながら、俺は尋ねる。


「怪物少女か」


「はい。小柄な子で、多分あまり強くない子だと思います。そういう子には、この森は厳しいだろうと思って連れ帰ろうとしたんです。けれど、警戒しているのか、すばしっこくて」


 俺は頷く。このイベント最後の怪物少女だ。この子を発見しパーティに組み込んで、クレドイベント最後の戦いに挑む。ここまでやって、初めてこの事件の解決だ。


 なお捜索する怪物少女は特定のイベントで大活躍するロリキャラだ。広範囲幻覚状態異常攻撃をするので、教授最大レベルが50の中で適正レベル80ステージとかで活躍する。


 『ケイオスシーカー!』、そういうことするゲームなんだよな……。「レベル上限越えてますけど」みたいな状況で「何とかして♡」ってしてくる。実際頑張ればできる。ぐぬ……。


 だから、ジャイアントキリングキャラ、というのは割と居る。格下相手では全然使えないが、遥か格上には一矢報いる、みたいな怪物少女たちだ。窮鼠猫を噛むのである。


 実際、普通に戦う分には、ここから先の戦闘は割とレベル的にはキツイ領域になってくる。稼ぎにも一手間挟む必要があるし、ラスボスなんかは最後の怪物少女なしじゃかなり面倒だ。


 そんな風に考えていると、「それでその」と恥ずかしそうな顔をして、イブは続けた。


「追いかけっこを続けているときに一回、ナゴミちゃんのいない時間にテラスに戻ったんです。その時にその、その子にナイトミルクを作るために必要なものを取られてしまって」


 あ、そこでつながってくるのか。細部忘れてんなやっぱり。


「そっ、そうだ! じゃあ、捕まえないと戻れないぞー!」


「イブ様! ウルルも手伝うからね! 教授と違って頼りないかもだけど、頑張るから!」


「なるほど、無いと思ったらその子が……。これは、捕獲しなきゃだね」


 みんなのモチベがぐんと上がる。ナイトミルクはよほどおいしかったらしい。こうなると俺が飲めなかったの、何だか悔しくなってくるな。おのれカオナシ悪魔どもめ。


 ともかく、その怪物少女を捕まえるまでは、どうにもならない、というところか。色々と試して、というのがゲームストーリーでの流れだったが、はてさて。


 最終的にどんな方法が有効だったのか思い出せないので、ひとまず流れに身を任せよう。俺は頷いて「捕獲作戦、決行だな」としれっといい感じのことを言っておく。

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