第29話 キャライベント:ハミング1 お説教の時間

 図らずしも、俺の渾身の一撃が、強敵用心棒を倒すに至ったようだった。


 白目をむき、口を開けて、大の字になって地面に転がっている。それを見て、俺は「リアルだとここまで強い敵だったのか……」と戦慄する。


 にしても、と俺はゲーム画面を確認する。今まで戦闘画面とは別窓で開かれていた、用心棒視点のストーリー画面。思った以上に有用で、使い勝手が良かった。


「……」


 俺が操っている【ゲーム画面】の魔術は、俺が考えるよりもよほど、発掘のし甲斐があるらしい。今度暇な時に色々いじろ。そう思っていると、パーラが俺に抱き着いてきた。


「きょっ、教授、パーラ、教授~……!」


「おーよしよし怖かったな。もう安心だぞーよしよし」


「う、ううぅぅううう……!」


 めそめそ泣いてしまうパーラを、俺は頭を撫でてあやす。随分怖い思いをしたのだろう。ゲーム画面の情報を信じるならば、一度殺された相手だ。怖いに決まっている。


 だからこそ、俺は奴が許せなかった。どうしてくれようか、という目で見下ろす。


 すると、奴が足からゆっくりと宙吊りになる。


「……ハミング?」


「教授、とりあえずこれは殺してしまってよろしいですかしら。また目覚めて暴れられると厄介ですわ」


「そうだなぁ。んん……」


 気分的には殺してしまいたいが、クエスト的な流れが乱れてしまう恐れがある。そうなったときに、もっと強いのが出てきたら厳しい。


 とか思っていると、用心棒はカッと目を開いて、懐から何かを取り出した。ピンが外される。その場に落とされる。


 爆音と閃光。


 それに俺たちが目をくらませていると、一秒後奴の姿は消えていた。忽然と、血の跡すらも残さない逃亡だ。


 ……プロだなぁ。


「っ! わ、わたくし追いかけますわ!」


「いや、いい。当初の目的からはズレたけど、あいつはもうだ。メンツをつぶした俺たちから、悪あがき的に逃げ隠れることはできない。だから放っておいていいよ」


「そ、そうですか……?」


 ハミングがしょぼくれた顔で俺を見る。「そんな顔しないで。よく戦ったよ、ハミングは」と言うと、「は、はい……」と嬉しそうにハミングは俯きがちにはにかんだ。可愛い。


 ―――あの用心棒は、まず間違いなくミスティック・タトゥーの最大戦力だ。それを手も足も出させずに潰した。本拠地を見付けるまでもなく、頭を叩いたということだ。


 そうなると奴らのボスは、ただ手足を潰されたから頭をひっこめてジタバタと、という訳にはいかなくなる。


 何せ、他の手足を送り出しても壊滅して帰ってくるのが目に見えてしまったからだ。そうなると、奴らはもう二つの選択肢しかない。


 つまり、尻尾を丸めて完全敗走か、総力を挙げて全面戦争か、ということだ。


 だから逃がしても問題ない。泥沼の戦いには至らない。逃げるならそれで終わり。向かってくるなら叩き潰して終わりだ。


 そう思っていると、俺の傍に立っていたパーラが、俺の袖を引いてくる。


「うん? どうかした?」


「あの、きょ、教授……? その、あの、さっ、さっき、お、『俺のパーラ』って、言い、ました、か……?」


 顔を真っ赤にして、パーラは尋ねてくる。集まってきたみんなの視線が俺に刺さる。


 俺は何のことだろうと考えて、用心棒を殴りかかる瞬間に、つい言ってしまった言葉のことだと思い至った。あっちゃー本音が漏れたわ。良くない良くない。


「あーえっと、その、だな」


 俺がちょっと困りつつ言うと、パーラが泣きそうな顔になる。


「あ、す、すいません……っ! 困らせてしまいました、よね。ごめんなさい。そ、そうです、よね。みんなのヒーローみたいな教授が、ぱ、パーラなんて眼中に」


「末永くよろしくな、俺のパーラ」


「っ!」


 ハッ、泣かせまいとした勢いでプロポーズしてしまった。


「あ、いや、その、えっとだな」


 周囲から突き刺さる視線がさらに鋭くなる。え? みんな嫉妬してくれてんの? 超嬉しいけど? 何ならこの場で刺されてもそんなに悔いがないくらい嬉しいけど?


 とか思ってると、パーラが嬉しそうに俺の手を握って、恥ずかしそうに微笑みながら、こう言った。


「は、はい……よろしくお願い、します。教授の、パーラです……」


 ギャー可愛い! 死!


「教授!」


 俺が急性心不全で死にかけた瞬間、ハミングがぷんすこと怒って言ってきた。


「ともかく、解決したからには大学に戻ってお説教ですわ! お覚悟なさいまし!」


「あ、うん。喜んで」


「お説教で喜ぶ人がいますか!」


 居るじゃん、ここに。


 と言うと本当に怒らせてしまいそうだったので、俺はにこやかにハミングを見つめるのだった。




         Δ Ψ ∇




 大学に戻った俺は、即時ハミングに個室に連行されていた。


 俺が大学で最初に訪れた、研究室だ。二人っきりになるには少し広い部屋で、俺はハミングと二人になっていた。


「……説教って言うから、てっきりみんなからお叱りを受けるものかと」


「ここは譲ってもらいましたわ」


「譲るって何だよ」


 権利みたいな扱いなの? どんだけみんな俺を叱りたいんだ。


 俺はハミングに手を繋がれ、「こちらです」と大きめの椅子に前に連れられる。「お座りくださいな」と言われ、説教されちゃうなぁと思いながら座る。


「では、失礼ながら。よいしょ」


 そう言うと、その上にハミングが横に腰かけた。


 つまり、俺の膝の上に、ハミングのお尻がむにゅっと乗っかった。


「は、ハミング?」


 俺は困惑と嬉しさとムラムラに、強張った笑みでハミングを見る。ハミングはむっ、とへの字口を作って、俺の目をのぞき込む。


「お説教をいたしますわ」


「いやあの、ハミング? これどう見てもお説教の体勢じゃなくない?」


「いいえ。わたくしは合理的かつ論理的に、教授に反省を促す体勢を取っておりますわ」


「そっかぁ……」


 何がどう合理的で論理的なのかは分からないが、ハミングはこれでいいらしい。


 しかし、何というか、うん。膝の上のね、ハミングの柔らかなお尻の感触がこう……集中力をかき乱すというか。


 俺は必死に理性を働かせながら、ハミングを見る。


「教授。お説教の理由はお分かりですわね?」


「それは、まぁ。多少の危険は承知で突っ走ったけど」


 問題ない程度の危険、という判断あってのものだ。俺もこの世界で生きてきてそれなりの時間が経っている。怪物から命からがら逃げ延びた経験も、一度や二度ではない。


 けれど、ハミングはその返答が気に食わないご様子。


「多少の? 憎き海上都市といえど、司祭と呼ばれるほどのダニカが倒れかけるような敵がいる状況を、多少の危険とおっしゃるの?」


「うん」


「うんじゃありませんわおバカ教授」


 ぴんっ、と鼻先を指ではじかれる。可愛い叱責に、俺はつい笑ってしまう。


「何を笑ってらっしゃるの。わたくしは怒っているんですのよ? もっと粛々と、許しを請うべきではなくて?」


 言いながら、何度もぴんっ、ぴんっ、と俺の鼻先を指で弾くハミング。まつ毛の長い整った顔立ちを、拗ねたようにむっとさせて、至近距離でじぃーっと俺を見つめている。


 ハミングの拗ね方可愛い……。メチャクチャ可愛い。俺は心の中で唸りながら、苦笑する。


「ごめん、心配かけたみたいだ。それは素直に謝るよ」


「心配をかけたとかではなく、危険を顧みず身を投じたことに怒っているのですわ。あなたはこの神聖なミスカトニック大学の主、教授ですのよ。あなただけの身ではありませんの」


「危険……うーん、あの程度が、危険……」


「何も分かっていないようですわね」


 ずい、とハミングが俺に顔を寄せてくる。くぅ、顔が良いよ~歌姫って顔してるよ~。


「良いですこと? おバカ教授。あなたはとてもとてもひ弱な人間なのです。わたくしたちのような怪物がその気になれば、その場で、素手で殺せてしまうほど、か弱いんですのよ」


「でもみんな優しいじゃん」


「わたくしたちの話ではなく、ああ、だから、もう!」


 ハミングはもどかしそうに唸って、俺を睨む。


「何でこんな簡単な話を分かってくださいませんの!? 危ないことをしないで欲しいと、それだけのことでしょう!? パーラを助け出した時も、誰よりも前に突っ込んで!」


「あれはつい体が……」


「ついじゃありません!」


 顔を上気させて、ぷんすこと怒っているハミング。怒った顔も可愛いなぁと思いながら、俺は微笑む。


「心配してくれてありがとう。その気持ち、とっても嬉しい」


「だから、心配とかの話ではなく!」


「いいや、ハミングが心配し過ぎてるって話だよ。だから、手の届く場所に居て欲しいって言いたいんだよな。じゃなきゃ心配し過ぎて、辛いから。違う?」


「っ」


 ハミングは図星を疲れたように肩を跳ねさせる。俺は落ち着かせるため、その両手をそっと包み込むように握った。


「みんなそうだけど、特にハミングは、俺のことを気遣ってくれてるなって思う。少し力を籠めれば人間なんかバラバラにしてしまえる力で、何度も俺を助けてくれたなって」


 俺が静かに語りかけると、ハミングは見たことないくらい顔を真っ赤にして、俺の膝の上で縮こまった。


 ―――ゲームでのキャライベントで、ハミングの性根は分かっている。基本的にツンデレなのだ。他のキャラに比べて一線引いているように見えて、誰よりも教授を見ている。


 教授ラブ勢と呼ばれるゆえんはここにある。教授がピンチになると、必ずと言っていいほどハミングが助けてくれるのだ。「偶々通りがかった」「偶然その場にいた」とか言って。


 ……マジで多忙なはずなんだけどな、ハミング。天空都市では王族としての業務もアイドルとしての仕事もあって常に引っ張りだこだ。なのにどうやってか、危機に駆けつける。


 その理由は、教授に対する好意もあるだろうが、彼女自身の強力さにも起因している。


 つまりは、ハミングの言う通り、この世界において人間は本当にひ弱なのだ。人間が飴細工に触れるような手つきでないと、力の強いハミングは人間を壊してしまう。


 ハミングは、震える声で言う。


「……教授は、もっと自分を大切にすべきですわ。わたくしが、これだけあなたを大事にしているのに、教授自身が大事にしていただけないと、困ります」


「心配かけてごめん。心配してくれてありがとう。でも、俺は多分これからも無茶をすると思う。ハミングが俺を大事に思ってくれるように、俺もみんなが大事だから」


「教授に大事にしてもらう必要なんてありませんわ。わたくしたちは、教授よりずっと頑丈なんですもの。その分の気遣いを、ご自身に向けてくださいまし」


「できると思う?」


「……絶対できないと思いますわ」


「俺のことよく分かってんね」


 俺が笑うと、「おバカ教授」と弱弱しい手で俺の胸元を叩く。少し力を籠めれば俺をバラバラにできる手で、俺が痛くないくらいの手加減をしてポカポカ叩いてくる。


 その眼には、いつしか涙が湛えられていた。唇は引き締められ、今にも泣き出してしまいそうだ。


 だが、ハミングはそれを流すことはしなかった。ぐい、と袖で拭って、むっとした顔で俺を見つめ直す。


「分かりました、ここは折れて差し上げますわ。これからは、教授の身動きを制限するようなことも致しません。突破されるだけですし」


「助かるよ」


「ええ。わたくしが教授を守って差し上げればいいだけの話ですもの。わたくしだって忙しい身ですのよ? 本当に、手のかかるお人。……でも」


 ハミングは俺の前髪をかき上げて、そっと額にキスをした。


「それでもわたくしは、あなたのことをお慕い申し上げておりますわ」


 そっと囁いたと思ったら、素早くハミングは俺の上から立ち退いた。それから顔を合わせないようにそっぽを向いて、こう言う。


「お説教は終わりですわ。わたくしは、今日は帰ります。では」


 そそくさと研究室を後にするハミング。俺はその後ろ姿を眺めながら、僅かに見えた耳が真っ赤になっているのを発見して、その愛らしさに心停止した。

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