第30話 タトゥー
―――用心棒バウンスが逃げ帰る中で出来た対処療法は、引きちぎられた左腕を圧迫して、止血することだけだった。
無残な引き千切られ方をした左手の腕先は、もはや諦めた方が良い。その事実が、じくじくと用心棒をさいなむ。
だから用心棒は、歯噛みして裏路地の暗がりを進み、どうにかこうにかミスティック・タトゥーの本拠地に戻っていた。
そこは一見すると、単なる小さなレストランに見えた。だがそれは単なる偽装だ。用心棒は周囲の目を気にしながら、裏手に回って建物の中に入る。
「お、用心棒の大先生。お帰りに……どうしたんですかいそりゃあ!」
「うるせぇ! ……ボスは」
「に、二階の執務室です」
「おう」
腕を失うほどの重傷でも、用心棒は肩の一つも借りずに歩いた。右手のショットガンだけを携えて、よたよたと二階に上がる。
ノックを、三回。
「オレです、ボス」
「入れ」
許可を貰って、入室する。
豪奢な部屋だった。熊皮の絨毯。黒檀の執務机。その奥で、葉巻の煙をくゆらせる男が座っている。
その男は、全身にタトゥーを入れ、スキンヘッドにサングラスをかけていた。
特筆すべきは、スキンヘッドにさえ及ぶタトゥーだろう。顔にも、高価そうなジャケットの袖からもタトゥーが覗いている。
「ん、おう。随分な目に遭ったみたいだな」
―――ボス・タトゥー。ただ、そう呼ばれる男だった。弾丸に魔術的な性質を付与して、怪物女でも殺しうる武器を量産し始めた、アーカム市街のマフィアの王。
タトゥーは、用心棒の大怪我にも大きな反応を示さず、「ふー」と葉巻の煙を吐き出した。それから灰皿で葉巻の火を潰し、尋ねてくる。
「教授か」
「はい。すっかりハメられました。不甲斐ねぇ限りです」
「ハ。お前ほどの男がなぁ。怪物女どもを使役するとは聞いていたが、奴の使う怪物女どもはそこまで強かったか」
「まぁまぁってとこです。神に近いようなのもいましたが、怪物女どもだけなら勝てた勝負でした」
「ほう? つまり、どういうことだ」
用心棒は、歯を食いしばり、絞り出すように答える。
「……教授です。教授さえいなけりゃ、勝ててました。あいつが、あいつの指揮の所為で、全部ひっくり返された!」
用心棒は、押し殺すような叫びをあげた。ショットガンを持つ手が、力が入りすぎて震えている。
それを見て、タトゥーは「へぇ……そりゃあ、また」と新しい葉巻を加えてふかす。
「ボス、お疑いで?」
「俺がお前を、か? んなわきゃあねぇよ。教授の大暴れの話は聞いてる。だが、そこまでの傑物だとは思わなかったってだけだ」
煙を吐きながら、タトゥーは用心棒の腕を見る。つまり、失われた左腕を。
「それは、教授か」
「はい。奴の使う怪物女にまんまとやられました」
「なるほどなぁ。気の毒によ。だが、都合がよくもある」
「……ボス……?」
用心棒が、タトゥーの物言いに眉根を寄せる。それにタトゥーは、「ついてこい。良いもん見せてやるよ」と立ち上がった。
廊下に二人で出ながら、用心棒は問う。
「いいもんってのは何ですか」
「お前の腕は、怪物を殺すための牙だ。その大切な牙が抜けたんなら、飼い主として新しい牙を用意するのが筋ってもんだろ」
用心棒は、その言葉に首をひねる。千切れた元の腕はもうない。腕を元通りにすることはできないだろう。
だが続くタトゥーの言葉に、理解した。
「せっかくだ。もっと強い牙がいい。だろ? 復讐するにはよ」
用心棒は目を大きく開き、それから「恩に着ます」と言う。「気がはえぇよ」とタトゥーは笑う。
タトゥーは、地下室に向かっているようだった。階段を降りて一階に戻り、そこからレストランに擬態するのよりも奥の小屋に入る。
「よっと。こっちだ」
巨大な南京錠を開けて、タトゥーは小屋の中の床扉を開いた。そこには、暗がりと階段がある。
二人は、静かにその階段を下った。石造りの廊下。天井から壁、床に至るまで、武骨な石レンガで構築されている。
「ボス、ここは」
「ああ、お前の想像してる通りだぜ。にしても、ここに来るのも何カ月ぶりか」
少し進む。すると石の廊下に鉄の棒がいくつも縦に刺さった部屋が並ぶ。
石牢。
つまり、捕えている者がいる、ということだ。そして、怪物女を激しく憎むタトゥーがこんな場所に入れると言うことは。
「ぁ……?」とか細い声が上がる。それに、タトゥーは吐き捨てるように笑った。
「ハッ、見ろよ気持ちわりぃ。ここに閉じ込めっぱなしで餌の一つもやってねぇのに、あの女、生きてやがるぜ」
タトゥーが示した先には、ボロボロの服に包まれた、一人の少女が倒れていた。
顔やその服の様子は、明確に窺い知れない。だが、目の当たりにするだけで、用心棒はひどい不快感に襲われた。人間の敵。殺さなければならない異形。怪物たちの主。怪物少女。
「気を付けろよ。あんなに弱った様子でも、連中は人間よりも力を蓄えているかも分からん。……そいつ、借りるぜ」
言いながら用心棒のショットガンを取り上げて、タトゥーは鍵を開け、石牢の中に入った。
直後に、一発。
怪物女は、それで跳ねるようにのたうった。「ぁぁぁあああぁぁぁ……」と泣くような声を上げる。その様子に、用心棒はただ気味が悪い、と思う。
「こいつらはよぉ、見てくれだけが不気味に良いが、それだけだ。中身はろくでもねぇ怪物揃い。肘の高さまで金塊を積まれたって、抱く気にもならねぇ」
もう一度タトゥーは怪物女に一発撃ちこんで、その苦しげにのたうつ姿に「ハッ、ざまぁ見やがれ、化け物が」と唾を吐く。唾が怪物女に付着する。
「……ボス、ここには、何の用で」
「お前の牙を、こいつから調達しようと思ってな」
タトゥーは、口だけで笑う。目は、真剣そのものだ。覚悟と狂気の色に彩られている。
「俺はよぉ、怪物女に身内が殺されたと聞くたびに、いつも思ってることがあんだよ」
タトゥーは言いながらショットガンを撃とうとして、弾切れに用心棒を見た。用心棒は手持ちの弾を差し出す。「おう」とタトゥーは受けとる。
タトゥーはリロードを素早く終えて、怪物女に銃口を向け直してから、話を続けた。
「不公平っつーのかね。こいつらは銃を食らってもピンピンして俺たちはこいつらの触手一振りで簡単に死ぬ。あんまりにも不公平じゃねぇか。そりゃあ良くねぇ、良くねぇよな」
引き金が引かれる。怪物女が銃撃を受け、苦し気に転がった。涙を流しながら、怪物女は言う。
「た……けぇ、たす、け……」
それを聞いて―――タトゥーは、激高した。
「あぁぁああ!?」
タトゥーは顔にいくつもの青筋を浮かべた。それが顔の刺青と絡み合い、怪物のような模様を作る。
激怒したタトゥーは、何度もショットガンを怪物女に連射した。怪物女はその衝撃に何度も地面でのたうち、血と涙を流す。
「お前らに『助けて』なんて言う権利はねぇんだよ! 汚ねぇ怪物風情が! 人食いの化け物が!」
ショットガンの連射で、怪物女の体はズタボロになる。当然だ。怪物女と戦うための、特殊な弾丸での銃撃。むしろ、これだけ撃って殺さずにいられるタトゥーがおかしい。
タトゥーはひとしきり撃ち終えて「ハッ、いい気味だ」と言いながらショットガンを用心棒に押し付けた。それを受け取りながら、用心棒は「ボス」と問う。
「それで、オレの新しい牙ってのは……」
「ああ、今準備が終わったところだ。……念のために聞くが、お前教授と奴の怪物女どもを殺しつくすために、どこまでできる?」
問われ、用心棒は答えた。
「どんなことでもやって見せます、ボス」
「ハッ、良い答えだ。なら」
タトゥーは、言いながら怪物女の腹の中に手を突っ込んだ。
引きずり出すのは、人間に非ざる器官だった。ショットガンで千切れた触手。これほどの状況になってなお、生気に満ちてうねうねと蠢いている。
「これを、お前の左腕につなげられるな?」
「……ボス、それは」
「俺は、ずっと怪物女たちに不公平感を抱いてきた。その是正方法の一つが、これだ。ミスカトニック川に沈める予定だった男で実験して、こう言うことが出来ると分かった」
タトゥーが、用心棒を見る。
「これを手につなげば、怪物女と同等の怪力と異能を手にすることが出来る。魔術だってもっと効果が上がる。お前ほどの男がそうなれば、怪物女だって敵じゃねぇ」
用心棒は、ごくりと唾をのみ下した。タトゥーは、ボソボソと呪文を唱え、触手に何か処理を施す。
そして用心棒は、タトゥーからうねる触手を受け取った。同時、怪物女がこと切れる。
用心棒の決心は、早かった。
千切れた触手の断面を、同じく千切れた左腕の断面につないだ。直後、異様な感覚が腕を支配する。
「……どうだ?」
タトゥーからの問いに、用心棒は笑った。
「ボス、これは、これはすげぇですよ。つないだ瞬間から、オレのものになった。すげぇことが出来ます。こいつは、すげぇ」
用心棒は触手を伸ばして、牢屋の鉄格子を簡単に折り曲げた。まるで檻がゴムでできているような感覚だ。
「ハハハッ! だろ!? この怪物女はよぉ! 今はこんな見てくれだが、元々はかなりの大物だ! ここまで弱らせるまでに随分かかったんだぜ! ハハハハハッ!」
高笑いを上げながら、タトゥーはすでに息絶えた怪物女を踏みつけにする。
「捕まえるまでの大攻勢を二カ月! 拷問で意思をへし折るまでに十日! 触手だのが再生しなくなるまで弱らせるのに半年! 牢屋に閉じ込めて絶食させるのをさらに数カ月!」
何度も何度も怪物女の頭を踏みつけにして、タトゥーはゲタゲタと嗤う。
「これを誰につなげるかはずっと悩んでたんだ! お前に付けられりゃあ最高だが、お前は怪我をしねぇからな! だがここにきてお前の大怪我だ! こりゃあ運命って奴だろ!」
怪物女の頭を踏みにじりながら、タトゥーは用心棒を見た。それに用心棒は、鳥肌の立つような思いで左腕を見る。
その左腕は、用心棒の思う通りに動くらしかった。形を変え、人間の左手同様に変化する。だがまた念じれば、何本もの太い触手に変わるのだ。
「―――お前があの様で帰ってきたってことは、恐らく末端からこの場所が教授にバレる」
タトゥーは冷静さを取り戻して、用心棒に言う。
「だから、お前は連中をここで待ち受けろ。教授はかなり手が早い。すぐにでもここに攻め込んでくる。だからそれを、お前が薙ぎ払うんだ。分かったな?」
「はい、ボス。オレが、奴を殺します。教授―――あの人間の裏切り者に、死と冒涜を!」
狂った男二人の声が、石牢の中に響き合う。その傍らで、息絶えた怪物少女の死体が、静かに体温を失っていた。
Δ Ψ ∇
―――そんな様子を俺はゲーム画面のストーリーモードから発見して、一通り眺めていた。
まばたきはできなかった。俺の目は充血して、乾き、涙を流していた。手には砕けたジュエルがあった。
多くは語るまい。俺はまんじりともせずに、奴らの冒涜を、嘲りを眺めるばかりだ。ここで俺は何もできない。どんな思いをしても、歯を食いしばることしかできない。
だがその分、決意だけは固くなる。
「……ただ殺すだけじゃあ、足りないな」
俺は言う。
「こいつらは、苦しめて殺す必要がある。嫌だと思う方法すべてを用いて、殺す必要がある。俺の推しをよくもここまで苦しめてくれたな。覚悟しろ、クソ野郎どもが」
俺は自分の口から出ているとは思い難いほどの呪詛を、奴らに向けていた。それから深呼吸して、立ち上がる。
部屋を出る。そこには、すでに準備を整えたみんなが揃っている。ダニカ、ハミング、ジーニャ、レイ、パーラ、ミミ。
「準備は終わりましたか? 教授」
ダニカに問われ、俺は「うん」と頷いた。それから、告げる。
「連中の尋問が一瞬で終わって良かったね。さぁ、ミスティック・タトゥーを壊滅させに行こう。奴らはアーカムの諸悪の根源だ。俺たちの手で、取り除こう」
俺が先陣を切って歩き出すと、皆が付いてくる。アーカム市街戦の、最終決戦と行こうか。
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