第51話 結実のとき(3)

「キール……」


 地面に横向きに倒れていた影の正体を見て、俺は距離をとって立ち止まる。

 キールは服も全身もボロボロで、堕落魔アンチゆえか血は流れていないものの、擦り傷のような肌から覗く黒い色が痛々しそうに無数に刻まれていた。


「生きてるの?」

「わかんねぇけど、まだ魔力カオスは感じる」


 追いついたレナが横に並んで状況を尋ねてくる。

 爆笑神おわらいは死んだら人間と同じように土へと還るが、堕落魔アンチも同じなのか知識はなかった。


「どう……するの?」


 俺に隠れるようにして相手の様子をうかがうパルフィ。

 もう震えてはいないが堕落魔アンチに対して警戒心は未だに高いようだ。


「放置ってわけにはいかねぇだろ。復活してまた悪さをする前にとりあえず縛り上げて──」


 そう言って近づこうと足に力を入れかけたとき、満身創痍のはずのキールがゆっくりと体を動かし始めた。


「……あれを耐え切るとは……思わなかったっす……」


 ガクつく足に力を入れてなんとか立ち上がったキールは、自嘲気味に笑いながら顔を俺へと向ける。

 その瞳は今にも光を失いそうに暗く沈んでいた。


「こんなところで……終わるんすか……」


 消え入りそうな吐息を吐きながら、キールは悔しそうに拳を握る。

 しかしよく見ると手先から少しずつ黒い粒子状の煙が立ち昇り、その体が崩壊しかけているのがわかった。


「キール。二度と人間に悪さしないって誓うなら、今すぐ回復の根源術マナをかけてやるが……どうする?」


 何もキールに死んで欲しいわけではない。

 しかしここまでして田舎に帰すだけでは人間たちが納得しないはず。

 ゆえに神の法のもとで裁きを与えるべきだと俺は考えていたが。


「ハハッ……情けっすか? そもそも神力ジンをもとにした回復の根源術マナなんて……魔力カオスでできてる堕落魔アンチには効かないっすよ。例え効いたとしても、んなもん……こっちからお断りっす」


 キールは舌を出して断固拒否の意思を見せつける。

 それは自分の死を受け入れ、滅びの道を選んだことに他ならなかった。


「キールが爆笑神おわらいだったら、守笑神ボケとして一緒に活躍できたかもしれないのに……」


 堕落魔アンチを怖がっていたはずのパルフィが隠れるのをやめ、俺と横並びになりキールの顔を見つめる。

 その視線には嘘偽りもなく、純粋にそう思っていることがうかがえた。


「それこそ……お断りっすね。人間に恐怖と不安を与えて……面白おかしくやるのが堕落魔アンチの醍醐味っすから。仮にもし堕落魔アンチに生まれ変わりがあるとしたら、俺は絶対に……堕落魔アンチになるっす」


 キールはそう豪語し自らの胸をドンッと叩くと、叩いた腕そのものがバサッと黒い霧となって霧散した。

 それを見て本人も諦めムードで、無くなった腕のあった場所を黙って見つめていた。


「じゃあなんで……」


 パルフィが何かに気づきさらに言葉を重ねようとする。

 それを無視しようとしているのか、キールは顔を下げたまま動こうとしなかったが。


「なんでキールは泣いてるの?」


 その一言に驚いたようにバッと顔を上げた。 


「泣いてなんか──」


 ──ない、と言おうとして頬を伝った熱い雫に気づき、キールは言葉を紡げなくなった。


「あなた、本当はこんなことしたくなかったんじゃない?」


 レナの問いかけにキールは何も返さない。

 肯定も否定もせず、自分の涙の訳に戸惑うように俯いていた。


堕落魔アンチとして生まれたから素直になれず、堕落魔アンチらしく生きることで本心を自分自身からも隠してたんじゃない?」

「そんなこと……」


 完全否定し切れずに尻すぼみになったキールの声。

 そこに自信は微塵も感じられず、困惑した心を無理矢理でも拒否するように静かに頭を振っていた。


「お前のしたことは許されねぇ。けど自分の気持ちに最後まで嘘つかなくていいんだよ。俺たちは誰も笑わねぇし否定もしねぇ。だからお前の本心、聞かせてくれねぇか?」


 例え敵対していた相手だとしても、最期くらいは気持ちを吐き出させて楽にしてやりたい。

 慈悲や愛の手なんて高尚なことではなく、純粋な思いで俺は語りかける。

 その想いになんと返してくるか。

 俺もレナもパルフィも真っ直ぐな瞳で言葉を待つ。

 するとキールは片足を一歩だけ前へ踏み出し、すぐに思い止まるように静止した。そして、


「絶対に教えてやらないっすよ」


 満足気に笑いながら意地悪に呟くと、踏み出した足に力を入れて後ろへ倒れ込むように体を傾ける。

 そして地面にぶつかる直前に目をつむると、ザアッと波音が広がるように全身を黒い霧に崩壊させると、風に乗って空へと舞い上がって消えていった……


「最期まで堕落魔アンチを貫く……か。ちょっと痺れちまうな」


 悲しいような羨ましいような、複雑な感情が心に湧いてくる。

 キールのしたことはどんな存在であったとしても許されないし許すつもりはない。

 ただ彼の境遇と最期の態度から感じたことを否定し、記憶から消し去ることはできそうにもない。

 そんなやるせない思いでキールが消えた場所を見つめていると。


「ゼノ。ちょっとついてきて」


 黄昏ている俺にレナが声をかけてきた。

 その意図を問うより早く、レナは体を宙に浮かせると無事に残っていた時計塔の方へ向かっていく。

 俺とパルフィは互いに顔を見合わせ、とりあえずという形で後を追いかける。

 そして時計塔の鐘楼台に下りたレナに従って着地すると、高い場所からは街が一望できた。


「酷いことになっちまったな」


 破壊の爪痕が色濃く残る街の状況を確かめるように、俺たちはグルリと視線を巡らす。

 影騎士が通った跡、爆発の余波。

 食い止めなければ街そのものが無くなっていたほどの戦いの傷痕に、俺は複雑な心境で人間たちが救助や治療をしている光景を眺めた。

 自分にもっと力があったら。

 あのときちゃんと行動しておけば。

 頭の中をグルグルとできなかった後悔が歩き回り、胸の内がスッキリとしなかった。

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