第20話 強襲(2)

「なんだよコレ!」


 ペイント弾だと思った玉からは透明のジェル状の液体が溢れ服にかかり、屋根に伝い落ちたそれを俺は思いっきり踏んでしまった。


「うぉっ!」


 途端、摩擦がゼロになったように足が滑り屋根から盛大に転げ落ちると、地面に背中を強く打ってしまった。


「痛って……なんなんだよもう」


 服に付いた液体を拭い確認する。

 ヌルヌルとしたそれが何なのかわからなかったが、偶然ではなく明らかに追っ手がいたときのために用意された物だと思われた。


「くっそ、滑って上手く歩けねぇ」


 足裏にまで満遍なく付いた液体が予想以上に滑り、取り除こうとしてもベッタリとしてなかなか取れない。


「やべぇ逃しちまう」


 その間にも男は屋根伝いに街を駆けどんどん遠ざかっていく。

 このままでは姿を見失ってしまう。

 一瞬、靴を脱いで追いかけようかとも思ったが、体から滴る液体はすぐに足裏に付いてしまうだろう。

 どうしようもない状況に、もどかしい気持ちで俺は相手の背中を睨む。

 そこに、


「まったく何やってんだか」


 レナの声が背中にかかったかと思うと、男の前方に一軒家サイズの白い枕が現れ、棒で球を打つようにスイングして男を弾き飛ばした。


「はい。捕獲完了」


 目の前まで転がり気絶している男を見下ろし、レナは勝利宣言をする。

 どうやらレナがパルフィを連れて来て、パルフィのモノボケ能力を使って男を弾き飛ばしてくれたようだった。


「わりぃ助かったわ」

「カラフルなスライムにでも転職したの?」

「んなわけねぇだろ。ペンキと謎の液体をかけられたんだよ」


 ベトベトな全身に気持ち悪そうな表情を浮かべ、俺は転ばないように立ち上がる。


「ゼノ、なんで面白い姿になってるの? お笑いライブはまだだよ?」

「お前にまで言われるのかよ……」


 余裕の歩調で近づいてきたパルフィにまで言われ、俺は目元を歪めて溜め息をついた。


「こいつが嫌がらせしてた犯人?」

「そうみたいだな。壁が爆破された現場にいたし、俺から逃げたからな」


 仮に「私は犯人じゃない」と言ってこようとも、調べれば足はつくはずだ。

 犯行の動機や事実関係を調べるのは役人に任せればいい。


「とりあえず風呂入りてぇな。体が気持ちわりぃ」

「あっ入る?」

「ん? どういう意味──って冷てぇよッ!」


 なんだと思った瞬間、大量の水をレナにぶっかけられ、全身ずぶ濡れにされた俺は〝何すんだよ〟と吠えた。


「綺麗になったんだからいいじゃない」

「ありがとう、綺麗にしてくれて助かったよ──じゃねぇよッ! 俺は温かい風呂に入りたかったの! これじゃただの洗濯じゃねぇか!」

「服と体洗うんだから洗濯みたいなもんでしょ」

「そう言うなら、レナの今日の風呂は川な」

「あら。乙女の柔肌を覗く気なのね」

「水着みてぇな服した万年露出狂が何言ってんだよ」


 勢いよく反抗しても、両手でわざとらしく胸を隠すレナに俺はジト目を送る。

 手助けして貰ってなんだが、なんか腹立つ…… 


「はぁ……とりあえずルルドと役人を呼びに行かねぇとな」


 このままここに突っ立っていても仕方ない。

 俺は視線を先程までいた興行所に向け──

 ──ふいに視界の隅を走った影に、反射的に空を振り仰いだ。


「なんだ!?」


 屋根の上から飛び降りてきた大きな影に、俺は思わず身構える。

 人間よりは二周りは大きな体に黒い体毛。

 大人でも軽く吹っ飛ばせそうな太い腕に、周囲を威嚇するようないかつい顔つき。

 俺の視界に入ってきたのは、筋骨隆々のゴリラだった。


「なんでこんな奴が街中に!?」


 森でたまに見かけることがあるが、街中で見かけることはない。

 そんな動物が目の前に現れこちらを睨むように見つめてくる様は、妖獣ラウルを前にしたような奇妙さがあった。

 しかしそう感じたのもつかの間。


「あっ逃げるわよ」


 ゴリラは犯人の男を脇に抱えると、あっという間に近くの民家の屋根に登った。


「パルフィ、もう一度あいつを──」


 絶対に逃すまいとパルフィに改めて叩き落として貰おうとした瞬間。

 気絶していたと思っていた男が懐から袋を取り出し、中に手を突っ込むと空中に何かをバラまいた。


「何これ、小麦粉!? けほっけほっ」


 通りいっぱいに広がった白い粉で視界が埋まり、パルフィは相手の姿を見失う。


「チッ、俺が追う」


 仕方なく俺が代わりに捕まえようと足に力を入れるが、ずぶ濡れの服が体にまとわりついて思わずたたらを踏んでしまった。


「お前が水かけたせいで動きにくいだろが」

「洗わなきゃどうせヌルヌルで歩けもしなかったんだからいいでしょ」

「ってか濡れてるせいで俺一番真っ白なんですけど」

「文句言うなら綺麗にしてあげるわよ」

「ちょっ待て、うわっ!」


 売り言葉に買い言葉そのままに、レナは先程より大量の水を生み出すと、頭上から押し流すように粉まみれの体を洗った。


「フッ、これで文句ないでしょう」

「大アリだわ。ゴリラ見失っただろ!」


 水を滴らせながら得意げに腰に手を当てるレナに、俺は犯人が消えていった方向を指差す。

 人間より遥かに速いスピードで駆けていったゴリラは、もうすでに見える範囲からはいなくなっていた。


「……いいお天気ね」

「無理矢理話題を逸らそうとしてんじゃねぇよッ! どうすんだよ!」


 空を見上げ眩しそうに太陽を眺めるレナに、俺は青筋を立てながらツッコむ。


「レナ、ボケて良い時と悪い時があるよ」

「私、パルフィにツッコまれたッ!?」


 珍しくまともなことを言うパートナーに、レナは驚きを隠せず目を剥く。

 天然守笑神ボケにツッコまれるという最上のボケをかましたレナに、俺はハァと大きく溜め息をついた。


「仕方ねぇ。いったんルルドの所に戻って情報整理しよう。何かわかることがあるかもしれねぇからな」


 結果として犯人を取り逃がし、全身ずぶ濡れになって終わった。

 ある意味、観客のいないお笑いステージを演じてしまった俺たちは、力ない足取りで壊された建物に、


「服乾かしたらご飯たべようね」


 訂正。

 パルフィだけは一人元気な足取りで、来た道を戻っていく。


「レナ、水を操れるなら服にかかった水を取り除けねぇのかよ?」

「やれないこともないけど。結構繊細な技術が必要になるから、下手すると肌の水分まで奪って見た目ミイラになるわよ?」

「うっ……それは嫌だな。パルフィ、何か良さそうな物、創造できねぇか?」


 服が乾く代わりに体も乾くのは絶対避けたい。

 創造でちょうどいい物を生み出せないか、俺が歩きながら尋ねると。


「マグマがいいかな?」

「骨になるわッ!」

「じゃあ太陽?」

「街が一瞬で蒸発するわッ!」


 任せると服は乾くが命も乾く提案に、俺は頭を抱えるしかなかった。

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