第五章 力
第五章
彼女は気高く振る舞ってようだが内心は焦りが湧き出ているのを必死に隠していた。だがテーブル一個分しか離れていないこの距離であれば、それはお見通しだった。料理が運ばれてきた。料理に手をつけるなり、彼女は私の方に目を向けた。
「美味しい」
私はすぐに料理を口に運び言った。
「美味しい。うん、最高に美味しい」
二皿目がくる前に彼女は口を開いた。
「やっぱりパパはあなたのことを好きじゃないみたい」
「それじゃ今日なんで来れたんだ?」
「友達と映画見に行ってくるって言ったのよ」
「映画かぁ。最近見てないな」
「私本当にドキドキしたんだから。なんとかして私のパパを振り向かせないと」
「パパを口説くか?」
彼女は私の冗談に呆れたような表情を向けた。私は話題を切らさぬよう口を開いた。
「お母さんの方はどうなんだ」
「うーん。わかんないわ。何も言わないの」
「そうか。いっそ駆け落ちするのはどうだ?」
「駆け落ち、何言ってんの? そんなの無理に決まってるじゃない。これは映画じゃないのよ」
「冗談だよ、冗談」
彼女は次の料理を待つ時間を退屈に思ったのか、バッグから本を取り出し、読み出した。
「なにそれ?」
「利己的な遺伝子」
彼女は文字を目で追いかけながら言った。
「そんな生物学みたいな本読む趣味だった?」
「えぇ、それにこれは進化学」
「どんな内容なんだ?」
彼女は一瞬、私を見つめると自慢げに眉毛を上に吊り上げた。
「例えば愛情。貴方はこれが何だと思う?」
私は何か裏がある可能性を考えていつもより長く考えた。
「これは遺伝子にプログラムされたことなの」
彼女は私の答えを聴く前に答えた。
「ロマンスとかじゃなくて?」
「えぇ、そんなものないわ」
「君って、その現実的だね」
「えぇ、でも私だって空想や不確実な事を信じてるわ。例えば魂の重さね」
彼女はまたも同じような表情を浮かべ始めた。
「二十一グラム。それが魂の重さって言われてる。ガバガバな実験なんだけどね」
「へぇ」
「興味ないの?」
「いや、興味あるさ」
無言の沈黙が続いた。彼女はまた本に目を通し始めた。彼女とのこの時間は嫌いではなかった。気まずくもなかった。私は意を決して彼女に視線を送った。
「なぁそろそろちゃんと結婚について考えないか?」
彼女は目を見開いたように驚き言った。
「もう考えてるわよ。考えてないのはあなたでしょ?」
彼女は本をバッグへと戻し、机に乗り出しそうな勢いで言った。
「私は毎日毎日考えてるけど、あなたは冗談半分で終わらすじゃない。ほらさっきだって」
私は彼女の覇気に体を縮めた。
「それはそうなんだが、なんていうか、君が笑ってくれるかなって思って言ってしまうんだ」
「呆れた」
彼女はそう言うと外に視線を向けた。私も善意でやっていたことだ、そこまで責めなくてもいいのに。するとウェイターが隙をうかがっていたように私たちの前へときた。
「次のお料理はステーキなのですが、焼き加減はどうなさいますか?」
私は顎をクイっとさせ、彼女に先を譲った。
「小さい頃生焼けのステーキを食べてお腹を壊したことがあったの。あの時は本当に最悪だったから、しっかり焼いてちょうだい」
彼女は言い終わると私の方を向き顎をクイっとさせて発言権を私に渡した。
「生生焼けで」
「かしこまりました」
ウェイターが席から離れると彼女は私の目を覗きながら言う。
「貴方、生生焼け好きよね」
「あぁ大好きだ」
「あっ見て。あれなんだろう」
彼女は大きな窓から外を見た。そこには空に赤いペンで弧を描いていた。
「隕石かな?」
彼女は言った。いや違う。あれは隕石じゃない。私はそれを知っている。堕天だ。
「クソクソクソクソクソ、神の炎か」
彼女は彼がなにが言っているのか分からなかった。彼の比喩表現の対象がわからないのだ。
「どういうこと?」
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