06 ブルボン家の人々
ついに、時が来たか。
その呟きには、万感の思いが込められていた。
……この文章を書いている今この時には、そう思う。
私、シャトーブリアンは、これから語られるルイ十七世の死の「真相」、それを聞くことができたのが、幸いなのか不幸なのか、わからない。
けれど、これだけは言える。
「背徳を浴びる鳥のうた」は、たしかに響いた。
聞こえたのだ。
「Maman, je」と
*
「かの不幸な少年、ルイ・カペー、否、ルイ十七世を殺したのは、そしてあのような目に遭わせたのは」
フーシェが言葉を切ると、
それは殿下か、あるいは……。
だが私の思惟を待たずに、警察卿は言葉を繋いだ。
「……サリカ法です」
「ほう」
これはタレイランの発言である。
彼は、先ほどから不敵な表情を浮かべている。
もしかして、フーシェと同じく、彼もまた、何か知っているかもしれない。
しかし不得要領なマリー・テレーズ殿下にとっては、そんなことはどうでもよく、殿下は、それの意味するところは何か、とフーシェに迫った。
逆にルイ十八世陛下は、
タレイランはいつの間にかその陛下のそばに立っていた。
「サリカ法の特徴は、殿下、貴女自身がご存知でしょう」
フーシェの言いようは、あいもかわらず、にべもなかった。
サリカ法。
それなら私も知っている。
フランス王室の王位継承について規定しているという特徴を持つ。
それは。
「知っておる。フランス国王は男子のみ、と」
「……さよう、そのサリカ法のおかげで、殿下、貴女は生きながらえた」
「何を言っておるのじゃ、警察卿は。そんなこと……」
今さら、と言いかけて、殿下は、さっと顔を青ざめさせた。
まさか。
これはその時、私も思った。
だがそれより早くそれを思った者がいて、その者は、そそくさと執務室から出ようとしていた。
だが。
「これはこれは、われらが親愛なる国王陛下。いずこへ?」
いっそ堂に入るとはこのことだろう。
タレイランが、悪魔めいた笑顔を浮かべ、ルイ十八世陛下の腕を掴んでいた。
「……ふむ、
陛下と言っているわりには、およそ敬意がまるで感じられない。
フーシェはというと、それよりさらに敬意など皆無といった表情で、「やはりな」と淡々と
タレイランは不満そうに、おいおいと声をかけた。
「……まさか、ひっかけか? ここまでやっておいて、ふざけるなよジョゼフ・フーシェ」
「
革命以前からの名のある人士の中で、最もしたたかに生き延びた二人は、冷ややかに応酬する。
「待つのじゃ」
マリー・テレーズ殿下は、裏切りの徒であり背徳漢であるフーシェに対して、もはや何の隔意も感じさせずに、問うた。
「たしかにサリカ法によると、フランス王位は男子のみ。ゆえに、妾は王位から離れておるゆえ、生き延びた。それはいい。ゆえに、
「いかにもさよう」
「なぜじゃ……」
そういいながらも、殿下はもう陛下がそれを
なぜなら、それだけ、ルイ十八世という老人が震え、青ざめていたからだ。
あとは、その確信の理由付けを求めるために、殿下は警察卿に聞いているようだった。
「……なぜゆえに、
「サリカ法ゆえ。先ほど、申し上げましたな」
警察卿は淡々と語った。
サリカ法という、フランス王の王位を男子に限定するという法。
それにより、ルイ十八世は、兄・ルイ十六世の残されたたったひとりの男子、ルイ十七世を殺そうと企んだという。
「じゃ……じゃが、証拠は? た、たしかに、弟が亡くなれば、それは父君の次の弟である叔父上に王位が移る。じゃが、それにしても……」
「そも、そこな現国王陛下にあらせられましては、おそれおおくも、その殿下の父君、ルイ十六世存命のうちから、王位を狙っておりました」
「ふむ、国盗り、という奴だな」
タレイランの放言に、フーシェは眉をひそめたが、否定はしなかった。
そしてフーシェは、ルイ十八世が「王弟プロヴァンス伯」の頃から、いかに兄王ルイ十六世から王位を奪取するために腐心していたか述べた。
「その最たるものが、王妃マリー・アントワネット陛下の『浪費』の喧伝であり、果ては『パンが無ければケーキを食べればよいのに』と
その発言は、元は中国の皇帝によるものであったが、
「そして、あの革命です」
「いや待て。その伝で行くと、朕があの革命を起こしたような言いよう」
ここでルイ十八世が顔を上げて反論を試みた。
しかしその顔は汗まみれで、如何にも焦っていますと言いたげだった。
自分が犯人と言い当てられて、焦っています、と。
「……陛下のおっしゃるとおり、確かにあの革命は、誰か一人の策謀で起こり得るものではなかった。しかし」
タレイランが、便乗だろう、と彼にしては真面目な表情で、声を落とした。
「そう、便乗、便乗です。ことここに至っては、細かい説明は割愛しましょう。目立つところとしては、ヴァレンヌ事件」
「…………」
マリー・テレーズ殿下は瞑目した。
ヴァレンヌ事件。
それは、ルイ十六世の一家が国外逃亡を図った事件である。
この事件は未遂に終わり、露見したことにより、国王処刑への気運が一挙に高まったと伝えられる。
「陛下」
いつの間にか、フーシェはその節くれだった指を、震える国王に突き出していた。
「陛下、いやさ、プロヴァンス伯。ヴァレンヌ事件の当時、貴方はまんまと逃げおおせましたな、国外へ。兄王の逃避行を各所に洩らして、その隙に」
「な、何じゃと!」
マリー・テレーズ殿下が驚愕の表情を浮かべる。
フーシェはそれにお構いなく、まるで冥府の王のように、ルイ十八世に冷酷にそれを告げる。
「そして……そして、うまく兄王と、ついでに王妃を殺さしめたあと、あるいは、殺されるのを手をつかねていたあと、残る男子はルイ十七世唯一人。ここで貴方は、獄吏に意を用いた」
「ま……待て、ちょっと待て!」
マリー・テレーズ殿下の表情が険しくなるのを見て、ルイ十八世――今や、敬称は不要であろう――という老人は、あわてて手を振った。
「朕は、その時パリにいない! フランスにいないぞ! それを……」
「いなくとも、陛下を立憲君主に、という動きはあった。考える人はいた。であればなおさら……その障害となるルイ十七世に目が向く、というものです」
「ぐっ……」
言葉に詰まったようなルイ十八世。
だが最後に下卑た笑いを浮かべた。
げらげらと、笑った。
まるで、惚けたように。
「何が……何がおかしいのです!」
凄む殿下を、国王は嘲笑った。
「黙れ愚かな姪よ。さっきから聞いていれば、何の証拠がある? 確たる証拠は無いではないか。大体……」
「それならあります」
フーシェの言葉に、ルイ十八世が鼻を白ませる。
「陛下。陛下は、タンプル塔の資料の破棄を命じられましたな、密かに」
「な、な……」
タンプル塔。
ルイ十七世が獄死した場所。
かのナポレオンは、その塔とその意味するところを忌み嫌い、破却せしめたという。
が、資料は残った。
警察が保管していた。
それを。
「破棄しろと、この私、警察卿を通してではなく、命じられる人物。それは……」
「言わずと知れたことだな」
タレイランは、今や腰砕けになった国王に、ほれ立てと引っ張り上げた。
まるで犯人を捕まえた警官のように。
そしてフーシェは、国王自筆のタンプル塔資料破棄の命令書を、マリー・テレーズ殿下に差し出していた。
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