第8話 7 傷ついた少年 忘れられた少女 6
「そう、魔女。あと、ギマってのもいるよ。知ってる?」
「……」
知っているどころではない。
ギマ(擬魔)とは、魔女たちが死体から作り出す、人間もどきの総称だ。
死んだ人間に、魔女の血を注入されてできた無生物である。
人間を恨む魔女の創造したものだから、ギマは人間を殺す。
それは当然だが、彼らにはもう一つの望みがある。仲間を増やすことだ。ギマの血にも同胞を作る力があり、粘膜や傷口から直接ギマの血が入ると、ゆっくりとギマに変身してしまうのだ。
ギマは魔女ほど強力ではないし、簡単に殺せる場合もあるが、とにかく数が多い。魔女の悪趣味のゆえか、死んだ時とほとんど姿が変わらないまま、
もちろん、魔女がわざと死体を損壊させた個体もいるので、それがさらに人々に恐怖をもたらす。
九十六号は戦闘訓練で、大人のシグルが捕獲したギマと何度も戦ったことがある。
時には一人で十数人の群れと戦わされたこともある。
さすがに最も戦闘力の低いギマだったが、それでも同じように戦わされた同朋は三分の一が死んだ。死体はギマにならないよう、すぐに燃やされた。その役目も九十六号の役割だった。
しかし、いかな彼でも、魔女本体とは戦ったことがない。
「あんたは魔女を直接見たのか?」
「レーゼ」
「は?」
「あんたじゃなくて、私はレーゼって言うのよ。さっきから言ってるでしょ?」
「名前がそんなに重要か?」
「そうよ。まぁ、私の名はもっと長いけど、めんどくさいし、ルビアの他は誰も忘れちゃったから、レーゼでいいわ。気に入ってるし」
「あんた、そんな声しか出せないのに、よく喋るな……痛っ!」
ルビアに後頭部を叩かれた九十六号は、思わずシチューに顔を突っ込みそうになった。
「レーゼ様に、そんな口を聞くなら叩き出すよ、九十六号くん。とにかく料理が温かいうちにさっさと食べてしまいなさい」
「……わかった」
叱られたのに、食事を取り上げられないとは、どういうことなんだろうか?
殴られることも日常だったが、こんなふうに後ろに回り込まれるまで気がつかなかったことも初めてだった。
殺気がなかったからだろうと、九十六号は思ったが、レーゼとの話に夢中になっていたとは、この時の彼には思い当たらなかった。
「あなたはいくつ?」
「それは年齢を聞いているのか? 十二歳くらいだって八号が言ってたな」
「八号?」
「八号は、唯一俺を殴らなかった大人だ」
「それも変な名前ね。でも、それなら私のほうがお姉さんよ。私十三歳だもの」
レーゼは薄い胸を張った。
「一つしか変わらないじゃないか」
「一つは大きいわよ。私は夏の星まつりの日に生まれたの。あなたは?」
「誕生日など知らん。親がいないからな。気がついたら知らない奴らの中にいた」
「ふぅ~ん」
レーゼは聞き流したが、ルビアは九十六号の言葉に鋭く注意を向けた。しかし、その時はなにも言わなかった。
「で、あんた。魔女たちを直接見たのか?」
九十六号は話題を変えた。
「私が見た魔女は姉の方のゾルーディアだけ。あの時はまだ目が見えてたから覚えてる。このくらい近くで見たよ」
そう言いながらレーゼは自分の鼻のあたりを指した。
「……」
九十六号は絶句する。
ゾルーディアとは『悲憤の魔女』とも呼ばれ、『厄災の魔女』エニグマの、双子の姉だ。
妹より魔力は劣ると言うが、それでも人間を恨み、ギマをはじめ、大陸中に呪いをまき散らしていることには疑いがない。
「ゾルーディアを見て生き残ったのか!?」
「うん。私だけ。お爺さまやお父さま、お母さまに、妹のジュリアは死んでしまった。他にもたくさん、お城や街の人たちも。怖い夜だった」
レーゼはぶるりと身を震わせる。思い出してしまったのだろう。
「……」
そういえば、この山の表側にある廃墟の街でもよく訓練させられたな、と九十六号は思った。
大きな廃墟には破壊されつくした城もあって、九十六号はそこでの訓練は、意外にも好きだったことを思い出した。
その場所からここはそんなに離れていない。
もしかしたらこの娘は、その街の生き残りなのかもしれない。
魔女はギマを使って、人間の国を滅ぼそうとしているから、この少女の家族も双子の魔女とギマに襲われて死んだのだろう。
「ねぇ」
「なんだよ」
慣れ慣れしい問いかけに、九十六号は不愉快気に応じた。
「あのね。あなたここで暮らさない?」
「……」
九十六号の沈黙をどう受けとめたのか、レーゼはじわじわと顔を寄せてくる。
なんだ、この女!
目が見えないのに、近づけばわかるとでも思っているのか!?
「だってね。もう夜になるし、暗くなるとこの辺りは真っ暗で、近くには誰も住んでないんだよ。街まではルビアの足でも一日以上かかるの」
「……」
「行くところあるんだったら別だけど。私はあなたにいて欲しい」
レーゼは、シチューの最後の一口を飲み込んでから言った。
「お、お前……」
「ん?」
「俺が何者か知らないのに、そんなこと言っていいのか?」
「いいわよ。だってあなただって、私が何者か知らないでしょ?」
「じゃあ、お前は何者だ?」
「だからレーゼよ。呪われて醜くて役立たずのレーゼ」
「……醜くはないだろう」
九十六号はレーゼの全身を
確かに奇妙な風態で、体のほとんどを包帯に覆われているが、骨格や輪郭は釣り合いが取れていて、
「……九十六号さん、あなた優しいのね」
「優しい? 俺が?」
優しいなど、<シグル>では使われることのない形容詞だし、無論言われたことのない言葉である。
九十六号にはその言葉の意味さえ、よくわからない。
「うん。わかるもの。目が見えなくなってから、私いろんなことがわかるようになった。これは呪いの中のいい部分よ」
「呪いをかけられておいて、よくそんなことが言えるな」
「まぁそうね、いつ死ぬかわからないし」
二人の子どもの、微笑ましくも恐ろしい会話に、ルビアは黙って食器を片付けている。
「でも、死ぬまでは私は楽しく生きるわよ。私しぶといから案外死なないかもしれないし。意外とゾルーディアの方が先に死んじゃったりして。ほら、あの人たち若く見せてるけど、結構年寄りでしょう?」
「この女は何を言ってるんだ?」
さっぱり要領を得ないレーゼの話に、まだしもマシだろうと、九十六号はルビアに尋ねたが、彼女の言葉も謎のようだった。
「レーゼ様と私は、忘れられた存在だ。ここで生きて、そして多分ここで朽ちていく。でも、ここでなら最低限の暮らしはできる。忘れられた場所だから争いもない。この大陸では、多くの土地で魔女との戦いが起きているはずよ。あんたなら知ってるよね? その額の入れ墨は、余り良いものではないわ」
ルビアは九十六号の額を見つめた。
「だけど、この人はその冷たさに負けてないわ。大丈夫よ、ルビア」
「レーゼ様……」
ルビアは困ったようにレーゼを見やった。しかし九十六号はやや
「あんた達は、ここでしか生きられないのか? 出ていこうとは思わないのか?」
「できればとっくにやっている」
ルビアは重く言った。
「私の家族も、仲間も魔女どもに
「あのね? ここは『忘却の塔』っていうのよ」
レーゼが口を挟んだ。
「忘却?」
「そう。何か結界っていうの──があって、外からは見えない妙な作用があるのよ。魔女達は自分の名前を呼ばれるたびに、聞き耳を立てているけれど、ここにはその力は及ばない。きっと私の先祖の古い術が生きているのね。だから、もし明日出ていけば、あなたはきっと私たちのことは忘れる」
「まさか」
「今までだって、たまに迷い込んできた人はいるのよ。でも、二度と戻ってはこなかった」
「偶然かもしれない。それか、二度とお前を見たくなかった」
少年の冷たい答えに、レーゼは怒りもしないでうなずく。
「詳しいことは私にもよくわからないの。だから、もしあなたが行くところがないなら、ここにいたらきっといいのよ。だって、あなたきっと今まで大変だったのでしょう?」
「……」
またしても九十六号は答えにつまった。大変とはどういう状態を指すのかさえも、わからないのだ。
「それにね。理由はまだあるの」
「な、なんだ?」
「あなた、とても温かかったから」
「!」
もう、少年は黙るしかなかった。目の前の少女の言葉が何も理解できないのだ。九十六号は助けを求めるようにルビアに視線を向けたが、彼女は
「最初見つけた時はひどく冷たくて、もうだめかもって思ったけど、一緒に寝てるうちにすごくあったかくなって、私まで気持ち良くなって眠っちゃった。夜でもないのに」
「……」
一体俺はどうしたらいいんだ?
無邪気に笑うレーゼに、九十六号は十二年の人生で一番困惑させられていた。これなら、いくら厳しくても目的のはっきりした任務の方が、まだ理解できる。
「だからね、私はあなたにここにいて欲しい。もし隠れたいなら、ここはとてもいい場所よ」
「あんた、変な子どもだな、レーゼ」
「あなただってそうよ、九十六号」
この時、九十六号は自分が笑ったことに気がついていなかった。
***
この章、終わりです。
幼い二人の運命が交わり、動き始めました。
次章「愛しき日々」!
どうぞよろしくお願いします。
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